第366話 夜の森の迷宮(39)

 ベスの言葉の意味を理解しかねたのだろう、その場にいた者たちは説明を求めるように無言で彼女を見つめている。彼女自身も居心地が悪そうな表情を浮かべて周囲の者たちと俺の顔と、忙しく視線を動かしていた。

 最初に沈黙を破ったのはテリーだ。


「実家? このダンジョンが、かい?」


「はい。父と二人、ここに住んでいました」


 高い潜在能力と膨大な魔力。守護者が彼女を欲してもおかしくない。知性のある魔物が赤ん坊のベスをさらって娘として育てた可能性もある。


「さらわれて監禁されていたんだよな?」


「いいえ、ミチナガ様。生まれたときからここで暮らしていました」


 実家の近くは魔物がたくさん出て、とても怖いと言っていたのを思い出した。実家の外には森があり、その森の中で見知らぬ人に追い掛けられた、とも言っていた。


 やたらと魔物に詳しいのに世間の常識に疎すぎる。

 何といっても常人離れした能力が、彼女が只者でない事を物語っている。


 符号が一致した。狩人や村人が森で目撃した銀髪の少女はベスだ。探索者がダンジョン内で目撃した少女も彼女だろう。

 彼女を目撃した人たちが勝手に『生贄』と思い込んだのか。


 不安そうな表情。肩を震わせている。双眸に涙を浮かべた彼女が一歩、また一歩と俺に近づいてくる。

 当たり前だ。

 今の彼女には世界中が敵に回ったように思えているはずだ。頼れるのは俺だけだ。


「ベス、俺は君の味方だ」


 抱きしめて彼女の耳元でささやくと、せきを切ったように涙を溢れさせた。その顔を俺の胸に押し当てて嗚咽おえつを押し殺す。

 俺は泣き続ける彼女に優しく語り掛けた。


「何も心配しなくていい。今まで不安で言えなかった事を話してくれないか?」


 周囲に視線を巡らせると、ボギーさんとテリー、白アリが無言で静かに首肯するのが見えた。

 ロビンと聖女も三人に続く。


 アイリスの娘たちや奴隷娘たちは、ただ茫然とこちらを見ているだけだった。

 黒アリスちゃんだけが臨戦態勢を維持したままだ。分子分解こそまとわせていないが大鎌を携えてベスから視線を離さない。


「魔物! ミチナガさんから離れなさい!」


 大鎌を振りかざそうとした黒アリスちゃんを白アリとボギーさんが押し留める。


「黒ちゃん、取り敢えずベスちゃんの話を聞きましょう」


「生贄の嬢ちゃんの気持ちも少しは考えてやろうや」


 二人に説得されて黒アリスちゃんが大鎌を収めると白アリがベスに問い掛ける。


「このダンジョンが実家ってどういうこと?」


 視線を胸元に戻すと、涙でグシャグシャになった顔が俺の腕の中から見上げていた。


 ◇


 ようやく落ち着いたベスがポツリポツリと話し出した。


 母親の記憶はなく父親と二人きりの生活。

 年に何回か遠方の町や都市へ買い出しに出掛けるか、森に狩りや木の実集めに出るくらいで、後は書庫にある本を読んで生活をしていたそうだ。


「私は物心ついたときには、このダンジョンに住んでいました。というか、この階層で暮らしていました」


「この階層だけなの?」


 白アリが優しげに問い掛けると、ベスは小さく首肯して即答した。


「はい。他の階層は危険だから、と足を踏み入れることを禁じられていました」


「嬢ちゃん、外出するときは親父さんといつも一緒だったのか?」


「小さい頃はいつも一緒でした。十五歳を過ぎた頃から森へは一人で出してもらえるようになりましたが、人の住むところへ行くのは父と一緒でした」


「そのときに探索者や狩人、村人と会ったんだな」


 テリーがさもありなんといった体でピシャリと左手で自分の額を叩いて天井を仰ぐ。


「会ったというか、チラッっと見かけた程度です。お互いに顔も憶えていないくらいではないでしょうか」


 不思議そうに答えるベスを前に聖女があきれたように言う。


「ベスちゃん、可愛らしいからチラッと見ただけでもそうそう忘れたりしませんよ」


「そのときは上の階層を通過したでしょ? お父さんと一緒のときは魔物は出なかったの?」


 白アリの疑問はベスの父親が迷宮守護者で、このダンジョンの魔物を意のままに操れることを示していた。


「父は『次元の門』という魔法を使用して、この階層と森の中を直接繋いで外との行き来をしていました」


「『次元の門』? それはスキルなのか?」


「スキルってなんですか?」

 

 俺の突然の問い掛けにベスが少し驚いた様子で答えた。

 そうか、この異世界の人たちはスキルという概念がなかったんだ。


「その『次元の門』というのは魔法なのか? それとも魔法と似たようなものなのかな?」


「魔法です――」


 即答してから少し思案するような表情を浮かべると、上目遣いでおずおずと言う。


「――いえ、ずっと魔法だと思っていましたが、もしかしたら魔法と似たようなものなのかもしれません」


 ベスの言葉に俺たちの視線が交錯する。

 もう疑う余地はない。彼女の父親がこのダンジョンの守護者だ。


 短い沈黙をテリーと聖女が破る。


「ベスちゃんって魔物だったのか?」


「人型の魔物ですか?」


「ミチナガさん、この生贄、やっぱり成敗しましょう」


 黒アリスちゃんがセリフと共に手にした大鎌を肩に担ぎあげるのを見ると、ベスが小さな悲鳴を上げて俺の胸に顔をうずめた。


「黒アリスちゃん、ちょっと落ち着こうか」


 逆効果な気もするが、ベスを抱きしめながら黒アリスちゃんを言葉で押し留める。

 俺が手を前に突き出すタイミングで黒アリスちゃんが一歩を踏み出した。


「黒ちゃん、成敗はいつでも出来るでしょう。ともかく今はベスちゃんのお話を聞きましょう」


「さあ、黒ちゃん。落ち着こうか」


 白アリが羽交い絞めにし、テリーが前に回って黒アリスちゃんの視界から俺とベスを隠した。

 黒アリスちゃんの姿が隠れたところで、ベスをうながすと俺の腕の中から黒アリスちゃんに訴えるように口にする。


「魔物じゃなくて魔族です、私」


 魔族か。人間と変わらない外見と知性。

 他の魔族もベスと同じように魔術に長け、魔力や筋力など基本的な能力は人間を凌駕りょうがしていたとしたら……


 聖女が『脱線するけどいいですか?』と前置きいてベスに聞く。


「ベスちゃんは自分とお父さん以外に魔族を見た事は……ないんですよね?」

 

 聖女の質問にベスが無言でうなずく。


 圧倒的な能力を持つ少数種族。そんなのが人間に交じって普通に暮らしていると知られたら魔女狩りならぬ魔族狩りが横行しそうだ。

 その場合、真っ先に疑われるのは俺たち転移者だな。

 魔族は注意して生き延びてきた歴史がある。だが転移者にはそれがない。なかには注意深い者もいるだろうが大半はガードが甘い。異世界に溶け込めずに浮き上がる。


 そうなれば被害者は現地の人間だ。


 俺と似たような事を想像したのか、ボギーさんが渋い顔をして口を開く。


「この際だ、他の魔族のことはどうでもいいじゃネェか。問題は嬢ちゃんの親父さんだ。せっかく対話が出来る守護者なんだ、さっさと話し合ってダンジョンコアを譲ってもらおうぜ」


「俺もボギーさんに賛成だ。俺たちの目的は迷宮守護者の討伐じゃなくってダンジョンの攻略だ」


「そうね。ミチナガが夢の中の女神さまから聞いたって話を信じるなら、ダンジョンコアを破壊するなり外へ持ち出すなりすれば攻略した事になるんでしょ?」


「ああ、そう聞いた」


 ダンジョンを攻略するのに守護者を倒す必要はない。ダンジョンコアを盗み出せれば十分だ。


「だったら、決まりだ。彼女の親父さんと話し合いだ。さっそくこのダンジョンで試してみようゼ」


 首を捻ってボギーさんを凝視しているベスに声を掛ける。


「ベス、お前のお父さんがこのダンジョンの守護者である可能性が出てきた――」


 ベスの視線が再び俺へと戻る。


「――お父さんと戦うつもりはないし、お前の家を壊すような事はしない。お父さんと話し合いをさせてもらえないか?」


「キャー! ベスちゃんのお父さんにお話ですって? キャー、フジワラさんったら大胆ですね!」


 聖女! お前頭膿んでるのかよ! この場面でなんてことを言ってくれるんだ!


「ミチナガさん! いつの間にそんな話になっていたんですか!」


 白アリの羽交い絞めを振りほどいた黒アリスちゃんがテリーを力で押し退けた。

【身体強化 レベル5】は伊達じゃない。近接戦闘だったら、白アリやテリーよりも上だよな、この娘。


「なってない! なってないから! 落ち着いて、黒アリスちゃん」


 にじり寄る黒アリスちゃんを言葉で制そうとすると、うんざりとした様子のボギーさんとロビンが割って入る。


「黒の嬢ちゃん。頼むから話し合いが終わるまでは大人しくしていてくれ」


「ここで黒ちゃんとベスちゃんの戦なんてやめてくださいよ」


 二人の説得する声に俺の言葉が重なる。


「ベスのお父さんにお願いするのはダンジョンコアを譲ってほしいって事だけだ。それ以外の事で話し合いをする事もなければお願いをする事もない」


 ボギーさんとロビンの言葉が功をそうしたのか俺の言葉がに耳を傾けたのかは分からないが、取り敢えず黒アリスちゃんの動きが止まった。 

 渋々と引き下がる黒アリスちゃんから胸元のベスに視線を戻すと不信の目が俺を見上げていた。


 いやいや、ベス。最初からお前のお父さんに会いに行くような話はなかっただろ!

 とも言えず、彼女にしか聞こえないように耳元で優しくささやく。


「ベス、皆の前で言えない事もあるんだ。後で二人きりで今後の事を話し合おう」


 その一言で頬を赤らめてうなずいた。

 チョロイ、チョロすぎるぞ、ベス。


 なんだか自分がどんどんと悪い男になっていく気がする。そのうち刺されるんじゃないだろうか。

 少しだけ身の危険を感じていると、ベスの声が胸元から響いた。


「私の父は一年程前に他界しました」


 彼女の父親の死を喜ぶわけではないが、少しだけ心の負担が減った気がした。

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