第362話 夜の森の迷宮(35)

 白アリに慰められ励まされて、なんとか泣き止んだベスがこちらを振り向く。すると彼女はすぐに笑顔を見せて胸元で小さく手を振った。

 良かった、平常心を取り戻したようだ。

 

 しかし、同時に目の端でとらえていた黒アリスちゃんの顔が強ばる。

 随分とベスの事を警戒しているな。勘がいいなんてもんじゃない。


 取り敢えずこれ以上黒アリスちゃんを刺激するのは避けよう。


「ベス、落ち着いたか? ――」


 当たり障りのない言葉を掛けると、ベスは笑顔を浮かべたまま小さくうなずく。黒アリスちゃんも威圧するような視線でベスを睨んでいるが、行動を起こす様子はない。

 よし、大丈夫そうだ。

 俺はベスに小さくうなずき返すと、彼女の向こう側でどことなく不機嫌そうな顔をしていた白アリと目を合わせる。


「――白アリ、任せちゃって済まなかったな」


「別にいいわよ。あんたに女の子を慰めさせる訳にもいかないでしょ」


「ありがとう。本当に助かったよ。どうも女性の扱いは苦手でさ――」


 白アリにお礼を言うや否や、俺のセリフを中断させるようにベスの声が響く。


「ミチナガ様、取り乱してしまい、申し訳ございませんでした!」


 そう叫んで俺の方に足を踏み出した。瞬間、俺とベスとの間に巨大な黒光りする刃が出現する。

 黒アリスちゃんの大鎌だ。


「ヒッ!」


 ベスの短い悲鳴を合図に、彼女の周りに次々魔物が出現する。


 真っ先に出現したのは、赤いたてがみと青いたてがみをそれぞれまとったライオンのような二頭の魔物。出現と同時にベスのかたわらにピタリと寄り添う。

 ルビーと名付けられた赤いオルトロスとサファイアと名付けられた青いオルトロス。


 ベスの使い魔の中でも、抜きんでた攻撃力と知性を有する魔物だ。

 見覚えのある魔物たちの出現に白アリと聖女の可愛らしい悲鳴が響く。


「ちょ、ちょっと! 何よ、この魔物!」


「ええー! 魔物?」


 二頭のオルトロスに続いて、薄っすらと炎をまとった二匹のフレイムキャットがしゃがみ込んだベスにすり寄り、足元にはプラチナのような輝きの銀蛇が三匹絡みつくようにしてうごめいている。

 さらに黒スケルトン、虎程の大きさの二頭の迷宮狼と凶悪そうな狐が二頭、そしておよそ役に立ちそうにないリスの魔物がベスの周囲を固めるようにして出現した。

 合計十五体の魔物。


 ボギーさんとテリー、ロビンの声が出現した魔物がベスの使い魔である事を告げる。 


「嬢ちゃん、ところ構わずに使い魔を出現させんな!」


「ベスちゃん、落ち着いて! 魔物をしまおうか!」


「ミチナガ、ベスちゃん、パニックを起こしていませんか?」


「ベス、ともかく落ち着くんだ。今そっちへ行くからな」


 ベスのかたわらへ向かおうとした瞬間、視界の端に突如フェニックスが出現した。

 見覚えがあるぞ、このフェニックス。


「こっちにも魔物!」


 聖女が悲鳴を上げるかたわらで、巨躯きょくのロックオーガが四体、壁の様に黒アリスちゃんの背後に出現し、彼女の傍らには黒スケルトンが守護するように立っていた。

 よく見ると黒アリスちゃんの四肢にそれぞれ一匹ずつ、合計四匹の銀蛇が絡みついている。

 足元には四匹のフレイムキャットとリス、迷宮亀。上空には真っ先に視界に入ったフェニックスとワイバーン、サンダーバードが旋回していた。


「黒ちゃん、落ち着いて!」


「黒の嬢ちゃんまでかよ!」


 テリーとボギーさんがそう言いながら巻き込まれないように距離を取った。


 総勢十四体。

 ラウラ姫のところに置いてきたアーマードタイガーを除く全戦力が、いつの間にか距離を取っていた黒アリスちゃんの背後に並ぶ。


「二人合わせて二十九体の使い魔か、壮観だな」


 テリーの言葉通り、階層の一画に全部で二十九体の使い魔が集まり、互いに睨み合うようにして対峙していた。


 なかには戦力外の魔物もチラホラと交っているが、この『夜の森の迷宮』をここまで降りてくる間に、より強力な魔物へと入れ替えされた使い魔たち。

 双方ともに、ちょっとした国の軍隊なら短時間で殲滅できてしまいそうな面子を揃えていた。


「魔獣大戦争みたいですね」


 聖女が感心したように魔物たちを見上げる傍らで、彼女とは対照的に幾分か焦っているロビンが大きな声を発する。


「ちょっと、ミチナガ、止めて下さいよ」


 簡単に言ってくれるな。


 俺から見て左側の使い魔たちの先頭には、腰まで伸ばした白髪をなびかせ、肩に大鎌を担いだ黒アリスちゃん。

 右側の使い魔たちの先頭はいつの間にか移動していた青オルトロス。

 合計十五体の使い魔に守られるように、魔物たちの中心にベスがいる。黒アリスちゃんの方に背中を向けてしゃがみ込み、頭を抱えて震えている、ベス。


「使い魔の戦力は生贄の嬢ちゃんの方が上だが、指揮官の格が違いすぎるな、こリャ」


 使い魔たちの隙間からガタガタと震えるベスの様子を見ながらボギーさんが独り言をこぼし、テリーが同意を示す。


「戦う前から勝負あった、って感じですね」


 戦っちゃダメだろ。


「生贄! ミチナガさんが同情して優しくしてくれるからって甘え過ぎです!」


 黒アリスちゃんの凛とした声が響き、震える声でベスが答える。


「は、はい! も、申し訳、あ、ありません」


「分をわきまえなさい」


「はい、わきまえます。黒さんの前でミチナガ様に甘えたり、近づいたりしません!」


「私の目が届かないところでも、です」


「えー!」


 いや、ベス。そこは演技でも嘘でもいいからこの場を切り抜ける事を最優先しよう。震えながらあからさまに嫌そうな表情を浮かべるなよ。


「なかなか骨があるじゃネェか、生贄の嬢ちゃんも」


 骨があるんじゃなくてナチュラルに空気が読めていないだけですから!


「これは序列を賭けた一戦が始まるかもしれませんね」


 聖女、笑顔で恐ろしい事を言うんじゃない。それに序列ってなんだよ!


「戦うまでもなく黒ちゃんが一位だろ?」


「ダメですねー、テリーさんも。そんなんじゃ、カズサ元第三王女に嫌われちゃいますよ――」


 彼女の言葉に不思議そうに振り返ったテリーの耳元で聖女がささやく。


「――序列一位は白姉ですよ」


 聖女のそのささやきにテリーが得心がいったとばかりにうなずく。


 そこで何故白アリが出てくる? そもそも序列って何の序列だよ、聞きたくないが。

 それに、そんなものが存在するとしても『一位は女神さまだから』、とは口が裂けても言えない。


 皆が好き勝手な事をささやく中、黒アリスちゃんが一歩進み出した。彼女の使い魔たちも歩調を合わせるように進み出る。

 逆にベスの使い魔たちは同じ距離だけ後退した。気の毒に……中心でしゃがみ込んで震えているベスはそのままだ。ルビーと名付けられた赤いたてがみのオルトロスだけが、辛うじてベスの傍らから離れずにいる。


 真っ向から対峙しているベスの使い魔たちが、こころなしかやる気を減退させているようにも見えるな。


 一歩また一歩と黒アリスちゃんが歩を進め、ベスと二頭のオルトロスを残して彼女の使い魔たちが後退する。

 気が付けば、黒アリちゃんとベスが直接対峙する状態にまで双方の魔物たちが移動していた。対峙とはいっても、ベスは背中を向け、頭を抱えたまましゃがみ込んでいる。


「使い魔ってのは主人のメンタルを感じ取るのかネェ。強いはずの個体まで尻込みをしているぞ」


「メンタルが影響するかはボギーさんの方がよく知っているのでは?」


 テリーの問いにボギーさんが肩をすくめる。


「生憎と細かい事は気にしてないんでな。よく分からネェよ」


「でもこの状況を見ちゃうと、絶対にメンタルの影響を受けていますよね」


 ダメだ。聖女だけでなく、ボギーさんとテリーも頼りになりそうにない。


 白アリに目を向けると、射抜くような視線を向けていた。

 やっぱり怒っている。


 残る転移者は一人、俺はロビンに視線を移した。

 ロビン、お前だけは味方だよな?


 ダメだ、視線が異様に冷たい。


 藁にもすがる思いでアイリスの娘たちが待機していた方へ振り向く。

 そこには誰もいなかった。


 アイリスの娘たちは奴隷たちと一緒に柱の裏に身を隠して、顔だけ出してこちらの様子をうかがっていた。

 ダメだ、誰も頼りにならない。


 仕方がない、俺が犠牲になろう。

 小さな紙に走り書きをし、対峙する黒アリスちゃんとベスの間へと進み出た。


「黒アリスちゃん、落ち着いてくれ。今からベスにもちゃんと説明をするから――」


 黒アリスちゃんに向けてそう告げ、しゃがみ込んでいたベスの手を取って立たせる。そのときにそっとメモを彼女の左手に握らせる。


「――ベス、色々と誤解をさせるような事を言ったようですまなかった」


「誤解?」


 背後で黒アリスちゃんのつぶやきが聞こえた。

 黒アリスちゃんに向き直り、ベスを背後に隠すように位置取る。


「生贄の件はベスにちゃんと伝えた。最初から犠牲にするつもりはなかった事と、全力で俺が守ると彼女に伝えてある」


「守るのはミチナガさん一人ではありませんよ、全員で彼女を守るはずです」


 拗ねた様子で黒アリスちゃんが視線をそらした。

 飛ばした視覚に俺の背後にいるベスの様子を映し出す。俺が手渡したメモを読もうと、握りしめた左手をそっと開く姿が映った。


「分かっている。でも皆とはぐれてしまって、俺しか彼女を守れる者がいなかった訳だし、リーダーの責任として守ると約束したんだ」


「それはまあ、仕方がありませんね」


「ベスを甘やかしたように映ったのも、俺自身が彼女に助けてもらったからというのもある。必要以上に優しく接したのかもしれない――」

 

 メモを読むベスの顔に喜色が広がった。

 おい、ベス! 顔に出すんじゃない、顔に! 彼女に背中を向けている俺の必死に思いが伝わるはずもない。


「――ベスには何の責任もない。むしろ感謝をしている。本当にギリギリの戦だったんだ。ベスの助けが無ければ危うかった」


「それは……聞きました」


 黒アリスちゃんの声のトーンが落ち、気まずそうに視線を逸らした。

 よし、この調子だ。

 嬉しさのあまり叫び出しそうになるベスを背後に隠して、拗ねながらも徐々に機嫌を直していく黒アリスちゃんの説得を続ける。


「繰り返しになるが――――」


 そう前置いてはぐれている間のベスの貢献を語った。


「――――分かりました。私も少し大人げなかったと思います。ごめんなさい――」


 勢いよく俺に向かって頭を下げると、照れくさそうに言葉を続ける。


「――今回は不幸な行き違い、誤解の積み重ねという事で納得します」


「ありがとう」


「でも、今回だけですよ」


「ああ、もちろんだ。俺も不要な事は今後しないと約束するよ」

 

 視線を恐る恐る白アリに向けると、貼りつけたような笑顔で怒気を孕んだ視線を向けている。


 白アリのところからはベスに渡したメモもベスの反応も丸見えだったものな。

 後で何か言われそうだ。


 次いで視線を移動させると悪魔のような笑みを浮かべている聖女がいた。

 その隣ではロビンが冷ややかな視線を向けている。ロビンに小言を言われるのは良しとしよう。問題は聖女だな、これは懸案事項として持ち越そう。


 テリーへと視線を向けたところで、


「今日のところはこのフロアで英気を養って、明日、一気に最下層を目指すってのはどうだ?」


 そう言ってボギーさんが俺の背中を叩いた。


「俺もそれに賛成です。ミチナガも疲れているようですし――」


 テリーがウィンクをしてそう言うと、すぐに柱の陰に隠れているアイリスの娘たちを見やる。


「――アイリスの娘たちや奴隷娘たちも今は精神的に不安定でしょう。皆でゆっくりと食事をして一晩休めば落ち着くんじゃないですか?」


「そうだな。仲直りの食事会を開こうか」


 黒アリスちゃんと聖女が不思議そうな顔を俺に向けると、シレっと口にする。


「嫌ですよ、ミチナガさん。仲直りも何も、誰も喧嘩なんてしていないじゃないですか」


「そうですよ、フジワラさん。変なこと言わないでくださいよ」


「やーねー、ミチナガったら――」


 口ではとぼけているが、白アリだけは目が怒っている。その怒った目もベスに向けたときには、穏やかな眼差しへと変わっていた。


「――ね、ベスちゃん」


「はい、白姉さま」


 和気あいあいとした女性陣の雰囲気と貼り付けたような笑顔が怖い。

 これ、一歩間違ったら……俺、刺されるんじゃないのか?


 ロビンとテリー、ボギーさんと順に視線を巡らせる。

 かぶりを振るロビンと肩をすくめるテリー。ボギーさんはこれ見よがしにソフト帽を目深に被って視線を逸らしてしまった。


 なんだろう、この四面楚歌感。

 深いため息を吐くと、女神さまの優しい笑顔が脳裏をよぎった。


 癒やしが欲しい。贅沢は言わない、今夜の夢に女神さまが現れてくれる事を祈ってマリエルと一緒に少し離れたところで寝よう。

 そんな事を思いながら皆と一緒に野営の準備に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る