第361話 夜の森の迷宮(34)

 子犬のような眼差しを向けるベスからわずかに視線を逸らし、先人たちの名前が刻まれたレリーフへと意味ありげに目を向ける。

 視線をレリーフに固定したまま、威厳のある物言いを意識して語り出した。


「この世界は消滅の危機にひんしている。俺たちはこの世界を消滅から救うため、女神ルースに選ばれた者たちだ」


「は?」


 そう告げて彼女に目を向けると、どこか焦点の合わない眼差しを俺に向け、口をわずかに開いた状態で固まっていた。

 数舜前までそこにあった庇護欲をそそるような愛らしい表情はどこにもない。


「あんた、何を言っているのよ!」


 すかさず白アリの罵声が飛び、テリーがこめかみを押さえながらあきれた表情を浮かべる。


「ミチナガ、幾らなんでもそれはダメすぎるだろ」


「兄ちゃん、ウケ狙いか?」


「外しちゃいましたね、フジワラさん」


 からかうようなボギーさんと聖女の傍ら、ベスと同じように焦点を失った目をして固まっている黒アリスちゃんがいた。

 ロビン、背中を向けて肩を震わせるのをやめてくれ。


「ベスちゃん、ごめんなさい、今のはなしね。忘れて頂戴」


 白アリがベスの頭を軽く抱きかかえる。


「あ、その役は私が――」


 何を想像したのか知りたくないが、顔をニヤケさせてベスに近寄ろうとする聖女の耳をボギーさんがつまんで行動を阻止した。


「――痛い、痛いです、ボギーさん。耳が痛いです」


「いいから、お前さんは俺の傍でじっとしていろ」


「ほら、ミチナガ。真面目に話をしないとベスちゃんが可哀想でしょ!」


 俺は白アリに向かって小さくうなずき、緊張した面持ちのベスに問い掛ける。


「ベスは女神さまの存在を信じるか?」


「女神さま、ですか? 女神ルースさまの事でしょうか?」


「そうだ、その女神ルースだ。ベスは女神ルースの存在を信じるか? 実際に女神ルースが存在して、この世界を管理していると言ったら信じるか?」


「え? それは――」


 そこで言葉を切ると俺に向けていた視線をゆっくりと動かして、俺たち転移者全員の表情を探るように見回した。


「――でも……そうなんですか?」


 魔法が存在し魔物が跋扈ばっこし精霊までもが住まう世界の住人でも、女神が実在する事をにわかには信じ難いようだ。


「今だけでいい、信じてほしい」


「はい、信じます。ミチナガ様の事を信じます」


 俺に向かって一歩を踏み出した瞬間、彼女の目の前に黒光りする大振りな刃が現れた。黒アリスちゃんの大鎌だ。

 すんでのところで踏みとどまったベスは、踏み出した足に掛かった体重をゆっくりと蹴り足へと戻して刃から遠ざかる。


 ベス、気持ちは嬉しいが不用意に俺に近づいちゃダメだろ、危険すぎる。


 俺だけを真直ぐに見つめて『信じます』とか、実に可愛らしい。可愛らしいのだが……

 今一つ空気を読めないベスに説明を続ける。


「俺たちはこの世界の管理者である女神さまによって、地球と呼ばれるこことは異なる世界から連れてこられた者たちなんだ」


「ここと同じような世界が他にもあるという事でしょうか?」


「そうだ。俺たちが住んでいた世界がある」


「皆さんは同郷なのですね」


 ベスが俺たち転移者七人を見回すと、少し寂しそうな表情を浮かべた。


「確かに同郷だけど、この世界で初めて出会った。それまでは見ず知らずの他人だったんだ――」


 ベスを元気づけようと、そう告げてから話を戻す。


「――そして、ここと同じような世界がもう一つある」


「三つの異なる世界?」


「一つは女神ルースさまが管理するこの世界。もう一つが俺たちが住んでいた地球という世界」


「もう一つは?」


「もう一人の女神であるノールさまが管理する世界だ――」


 もしかしたら、もっと多いのかもしれない。だが、俺たちが知っている限りでは三つの世界がある。


「――今まさにこの瞬間も、女神ルースさまと女神ノールさまがお互いの世界の存続を懸けて戦っている。正確には俺たちが代理で戦っている」


「え? 戦っている? 存続って?」


 疑問だけを口にして当惑した表情で俺を見ている。


「異なる二つの世界が存続を懸けて戦っている。負けた方が消滅する」


 本当にどちらか一方が消滅しなければいけないのだろうか? 両方の異世界が生き残る方法は本当にないのか?


「戦うって? ミチナガ様の、皆さんの敵はどこですか?」


「戦うと言っても直接戦う訳じゃない。転移者同士は二つの世界に分かれて迷宮攻略をする。それぞれの世界に存在する迷宮を先に五十カ所攻略した側の勝利」


 新たな転移者を召喚する事で攻略済みの迷宮の数がリセットされる。


「戦うのは俺たち、地球という別の世界から連れてこられた者たちだ――」


 俺たちの代で決着がつかなければ何十年か、或いは何百年かはどちらの世界も消滅しないで済むかもしれない。


「――それぞれの女神さまが管理する世界に五十名ずつ配置された。死ねば強制的にもう一方の世界に転移させられる。二度目はない、一度だけならもう一方の世界に強制的に転移させられるが生き延びる事が出来る。一度死んでしまったら、再転移したもう一方の異世界が存続するために力を発揮するしかない。生き延びる術はそれだけだ」


 果たしてそうだろうか?

 この異世界とあちら側の異世界は間違いなく繋がっている。アイテムや魔物の死体が往来できるのだから、俺たち転移者があちら側の異世界へ行ける可能性――なんらかの方法があるのかもしれない。


「つまり、一度も死ななければ、他方の世界が勝利を収める直前に自害する事で生き延びられるんですね」


「他方の世界が勝利する瞬間が分かればな――」


 だが、そんな事をするつもりはない。


「――俺たちは何としてでもこの世界を存続させる。そのために相手よりも先に五十カ所のダンジョンを攻略する」


 このダンジョンの攻略だけで終わると思っていたのだろう。

 ベスの顔が蒼ざめる。


「これからもダンジョンを攻略し続ける、という事でしょうか?」


 本当はどちらか一方でなく、どちらの異世界も救いたい。二人の女神が争うことなく手を取り合って二つの世界を繁栄させる事は出来ないのだろうか?

 俺の中で幾つもの疑問と叶わぬ希望とが去来する。


「そうだ、二年以内に五十カ所のダンジョン攻略の目処を立てる。目標は三年掛りで五十カ所のダンジョンを攻略してこの世界と女神ルースさまを守る事」


「そのう……もう一つの世界の人たちは、私たちのように何も知らない人たちはどうなるのでしょう?」


 嫌なところを突いてくる。

 俺がすぐに言葉を発せないでいると、白アリが口を開いた。


「これは戦争よ。それも負けた方は消滅するしかない戦争」


「何も知らない人たちは、戦争の犠牲者だ」


 白アリの言葉を引き継ぐように言い切る。

 両方の世界が存続する条件はないのだろうか? 何か見落としている事はないか?


「女神さま同士で和解は出来ないのですか?」


「どちらか一方が生き残り、もう一方は消滅する」


 女神さま同士が和解してくれるなら、それが最善の結果だろうな。

 果たして本当にどちらかの異世界が消滅しなければならないのか? どちらの異世界も存続する方法はないのか?


「このレリーフは俺たちよりも前に、二つの異世界に連れてこられた者たちが造ったものだ――」


 俺は石柱に描かれたレリーフの一つに触れ、ベスの視線をレリーフに誘導した。


「――俺たちと同じように地球から連れてこられた人たちが、やはり世界を懸けてダンジョン攻略を競い合い、結局決着がつかなかった事が描かれている」


「ミチナガ様たちよりも前から二つの世界で、二人の女神さまの間で争いがあったのですね」


「結局、決着がつかなかったからどちらの世界も消滅せずに残っている――」


 自分の拳で左胸を軽く叩く。


「――で、決着を付けるために俺たちが呼ばれた」


「前に連れてこられた皆さんのように決着がつかないまま時間切れにして、数百年後にまた誰かが連れてこられる、というのを待つのはダメなのでしょうか?」


「俺たちが引き分け狙いでダンジョン攻略をしなかったとしても、向こう側に連れてこられた者たち――転移者たちが同じように考えるかは分からない」


 俺のセリフに続いて、あちら側の異世界に転移した一部のメンバーに恨みがあるボギーさんが冷たく言い放つ。


「意思疎通が出来ればいいが、そいつぁ無理な相談だ。仮に連絡が取り合えたとしても、疑心暗鬼になって隠れてダンジョンの攻略を進めるのが落ちだ」


「ベスに伝えたかったのは、俺たちが別の世界から連れてこられた者たちだという事だ。そして――」


「――それを知った上で俺たちを信じてほしい」


 一通り俺の話を聞き終えたベスが


「信じます。もちろん信じます! ありがとうございます。お話しくださって、とても嬉しいです!」


 そう言って、大粒の涙を流した。

 本来ならベスの肩を優しく抱いてやるところなのだろうが、間違ってもそんなことは出来ない。


「ベスちゃん、どうしたの?」


 俺が躊躇していると白アリがベスの肩を優しく抱いた。

 白アリにうながされながらも、言い難そうな様子で再び口を開く。


「あの、私にも秘密があるんです! 本当はここで皆さんにお話し出来たらいいのですけど――」


 再びそこで口をつぐむ。

 突出した能力値の事か。或いは出身の村の事か。


「――まだ決心がつかなくて。もう少しだけ待って頂けませんか?」


 鑑定スキルを所有している俺を含めた転移者である七人全員が視線を交錯させた。

 全員が静かに首肯する。今無理に話させる必要はないと言っていると判断しよう。


「ベス、どんな秘密かは知らないが、無理に話す必要はない。お前の中で気持ちの整理が付いたら話してくれ」


「いいのですか?」


「構わない」


 白アリの腕の中にいるベスに微笑みかけると、


「ミチナガ様が秘密を明かして下さったのに私だけ隠したままだなんて」


 そう言って白アリの胸に顔を埋めて泣き出した。


「ベス、無理に話す必要はない――」


 頼むから余計な事は言わないでくれよ。俺は白アリに抱きついているベスにゆっくりと近づく。


「――今は何も話すな。落ち着いたら、決心が付いたら話してくれ」


 黒アリスちゃんの位置からは死角になる位置からベスの美しい銀髪に右手を伸ばす。だが、絶妙のタイミングで身体を入れ替えた白アリの背中に阻まれてしまった。

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