第360話 夜の森の迷宮(33)

 瞬時に魔力による身体強化と魔法障壁を展開するベス。迎撃態勢を整えたベスの眼前で黒アリスちゃんの突き出した大鎌がゆらゆらと揺れる。


「生贄、今のセリフはどういう事ですか?」


 ベスが目だけを動かして動きを追う。


「ミチナガ様が『守ってやる』って言って下さったんです――」


 ちょっと待て、ベス。いや、一生がどうのこうのと言い出さなかっただけ良しとしよう。


「――『大切にしてやる』って」


 それ、記憶にないぞ!

 頬を染めながらのベスの答えに、黒アリスちゃんと白アリの言葉が重なる。


「ほう?」 


「そうなの? ミチナガ?」


 皆の視線が俺へと視線が注がれた。

 アイリスの娘たちやその他の奴隷娘たちまでもが、こちらの様子を穴の開くほど見つめ、聞き耳を立てている。


「生贄として連れてきたとは言っても、本当に生贄に差し出すわけじゃないだろ? 強敵との闘いを前にして、不安がるベスを安心させるためだ――」


 よし、俺の頭は十分に働いている。俺は冷静だ。『大切に』云々は地雷になる可能性がある。触れずにおこう。


「――どうしても彼女の助けが必要だった。いや、助けなんて必要なくても最初から彼女を守り切るつもりだった。闘いを前にそれを改めて告げただけだ」


「ふーん。まあ、いいわ。その話は後でもう一度聞くとしましょうか」


「そうですね。後で生贄に勘違いだったと分かってもらいましょう」


 納得はしていないようだが、取り敢えず白アリは引き下がったし、黒アリスちゃんも大鎌を収めてくれた。

 よし、しのぎ切った。


 話し合いは今夜だ。それまでにベスには冷静になってもらって、口裏を合わせておこう。

 今にも抱きついてきそうな、心細そうな表情を浮かべたベスの両肩を両手でガッチリと押さえて、身動き取れないようにしてから声を掛ける。


「ベス、そんなに気負う必要はない。お茶でも飲んで少し落ちつこうか」


 しかし、俺、何も悪い事していないのになんでこんなに焦っているんだ?


「はい。私、ちょっと驚いてしまって……」


「話し合いは――」


『夜を予定している』と続く俺の言葉を遮って、黒アリスちゃんのりんとした声が響く。


「別に夜まで待つ必要なんてありませんよね? 今すぐ話し合いを始めませんか?」


「そうね、あたしも黒ちゃんに賛成よ。今から始めれば時間もたっぷりあるから、納得がいくまでゆっくりと話し合いができそうじゃない?」


 黒アリスちゃんの提案に白アリが即答した。


 俺の横に回り込んだ聖女が、ニンマリと笑みを浮かべて俺の顔を覗き込む。


「だそうですよ、フジワラさん。どうしますか?」


 ダメだ、女性陣を味方に付けるのは難しそうだ。


 視線をテリーに向ける。

 四人の奴隷娘たちを抱きかかえたまま、『う・ま・く・や・れ・よ』と口だけを動かすのが見えた。

 ダメだ、当てにならない。


「そうだな、時間は無駄にしたくないよな――」


 ボギーさんなら。

 俺と目が合った瞬間、ソフト帽子を目深に被り直して視線を隠した。

 この人もダメかよ!


「――そうは言っても皆も疲れていないか? 少し休んでから話を始めた方がいい気がするんだけど、どうだろう?」


 口調も選ぶ言葉も弱気になっているのが自分でも分かる。


 最後の希望、ロビン。

 ダメだ。まるで俺を責めるような、冷たい眼差しがそこにあった。そして、ゆっくりと首を横に振る。


 メロディがいた辺りに視線を彷徨さまよわせるが、既にそこには誰もいない。

 いつの間にか、アイリスの娘たちと一緒に数メートルほど後退して身を寄せ合っていた。白アリの使役獣である白いシルバーウルフを抱えて目をつぶっている。


 ベスを見ると俺の事を信じ切った子犬のような目でこちらを見ていた。

 なんだか自分自身がテリーのような悪い男に思えてくる。そんな身に覚えのない罪悪感を刺激する眼差しだ。


「大丈夫よ。ベスちゃんも遅い時間に重い話を聞かされるよりもその方がいいわよね?」


 白アリの問い掛けに反射的にベスが答えた。


「はい、後悔は致しません」


「ミチナガ、本人もこう言っている事だし、向こうでベスちゃんに話して聞かせましょう」


 白アリはそう言うと部屋の一番奥、石碑のように人名が刻まれたレリーフのあった石柱付近を視線で示す。


「そうですね、聞こえないように距離を取るのには賛成です」


「さあ、それじゃあ、皆で出口の近くまで行きましょうか!」


 落ち着いた口調の黒アリスちゃんの声と聖女の軽やかな声が重なった。


「そうだな、向こうの扉の側まで移動しよう――」


 引き延ばしは出来そうにない。俺も腹を括ろう。何よりも俺を信頼しきっている、ベスのあの眼差しを不信の眼差しに変えたくはない。


「――ベス、一緒に行こうか」


「はい! ミチナガ様!」


 今は迂闊うかつな事は口にしない方がいいな。ここはゆっくりと話を進めながらアイコンタクトとベスの空気を読む能力に期待をして……

 

 ダメだ。この娘、空気を読むのが下手すぎる。

 ベスが読めるような空気になる前に白アリと黒アリスちゃんが勘付く。


 ◇

 ◆

 ◇

 

 予定していた石柱の側にたどり着くや否や、黒アリスちゃんの静かな声が流れた。


「答えなさい、生贄。私たちとはぐれていた間にミチナガさんと何があったの?」


 いや、話をするのは俺たちであって、ベスじゃないだろ?


「何って、何もありませんでしたよ? ――」


 何故疑問形なんだ? なぜ俺に確認を求めるんだ? 


「――私はミチナガ様と一緒にサファイアちゃんを倒すのに協力しただけです」


 顔を引きつらせてこちらを見ている。助けを求めるような、なんとも庇護欲を刺激する視線と仕草だ。


「合流したときも話したと思うが、あの手強い青いオルトロス――」


「サファイアちゃんです、ミチナガ様」


「そのサファイアちゃんとの戦闘で予想以上の苦戦を強いられた。俺一人の力ではどうにもならなくてベスに加勢してもらった。そのとき、ベスには怖い思いをさせてしまったんだ――」


 不安そうな表情を浮かべて俺に寄り添っているベスの肩に優しく腕を回すと、わずかに体重をあずけてきた。

 よし、俺に任せっきりになっているな。

 ベスが口をつぐんでいる以上、俺が適当な事を言ってボロが出てはまずい。余計な事は口にしないようにしよう。


「――そこから先は先程の話の繰り返しになるから、これ以上は言わない」


 白アリと黒アリスちゃんの視線がベスの肩に回した俺の左手に注がれた。

 彼女たちが何かを言おうとした瞬間、ボギーさんの言葉がそれを妨げる。


「そりゃあ、男の立場としては優しくケアをしなきゃならネェよな――」


 ベスを白アリと黒アリスちゃんの視線から隠すようにボギーさんが立ち位置を変えた。


「――実際あの面子でそれだけの強敵を倒したんだ。大したものじゃネェか」


「ベスちゃんの協力が無ければ倒せなかったんだろ? ミチナガ」


 最後の最後でボギーさんが味方をしてくれたと思ったら、テリーお前もか。いいヤツだな。


「ああ、ベスの協力が無ければ、正直なところ五分五分だったと思う」


「ミチナガ様はお優しい方ですから」


 ベス、頬を染めるな。恥ずかしそうにうつむくな。もっと堂々としてくれ、お願いだ。

 ボギーさんのお陰で白アリと黒アリスちゃんから見えないのがせめてもの救いだな。


「吊り橋効果で怖がらせてからの、『俺が守ってやる』と優しく接するという、二段構えの攻撃ですね」


 聖女! お前は何も言うな!


「俺もアレクシスから信頼を得るのにやったからよく分かるよ」

 

 聖女のおとしいれるような言葉にテリーがさらりと反応する。

 いや、お前と一緒にするなよ。

 前言撤回だ。


「テリーさんが悪い男だというのは知っていましたが、まさかフジワラさんまでとは思いませんでした」


「聖女、人聞きの悪い事を言うなよ」


「私、別に騙されていてもいいんです――」


 まずい! ベスの言葉を遮って言う。


「ベス! 俺はお前を騙したりはしていない。本当だ、女神さまにかけて誓う!」


 瞬間、ベスの表情が輝くように明るくなった。


「ミチナガ様! 信じます!」


 何か誤解が発生したような気がするが、この場は仕方がない。


「あの女神かあ、今一つ信用できないのよねー」


「白姉も、ですか? 実は私もどこか信用しきれないところがあります」


 白アリと黒アリスちゃんの言葉に聖女が反応した。


「あっち側の女神さまよりは信用できると思いますよ。ね、ボギーさん」


「ん? まあ、向こうの女神は向こうの女神で可愛いところはあったじゃネェか」


「そんな風に思っているのはボギーさんだけです」


 このままうやむやのうちに話が終わってくれればいいのだが、そうもいかないよなあ。


「いいわ! そろそろ本題に入りましょうか――」


 白アリの声が響き、視線が俺を真直ぐにとらえた。


「――ミチナガ、責任者はあなたよ。ベスちゃんにちゃんと説明しなさいよね」


 何を?

 思わずそう問い返したくなる勢いと目力だった。

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