第358話 夜の森の迷宮(31)
「ここに刻まれている人たちが俺たちの前に転移させられた人たち、という事だよな」
七十階層にあった巨大な石柱に刻まれたレリーフ、部屋の最も奥にあった二本の石柱に刻まれていたのは、合計七十三名にも及ぶ人の名前だった。
この七十三名の名前はおそらく本名だ。
「慰霊碑か墓標みたいですね」
黒アリスちゃんがどこか悲しげな響きを伴ってそう口にすると、テリーとロビンが寂しげな様子で続く。
「ここにある名前も、刻まれた時には大半がこの世を去っていたみたいだから、あながち間違ってもいないんじゃないか?」
「半数近くが半年も生き延びられなかったようですね」
「他の石柱に刻まれていたレリーフを見る限り、俺たちと同じ転移者だ。それも一世代前の転移者で間違いネェ。時代は明治時代の初期から末期に掛けて……同じ時間に集められた俺たち違って、随分と長い期間から集められてみたいだ――」
背後に並ぶ石柱を眺めていたボギーさんはそう言って振り返り、名前の刻まれたレリーフに視線を落とした。
「――ゲームやアニメの知識なんて無い人たちばかりだ。きっと何が起きたのかも理解できずに命を落とす人がほとんどだったんだろうな」
ソフト帽子を脱ぐと静かに黙とうを始め、転移者である俺たち六人もそれに
俺たちの前の転移者は明治時代に集められた人たちだった。初期から末期に掛けて数十年の時間を掛けて集められたにもかかわらず、同時にこの世界へと転移している。
実際に年齢の逆転した母と息子がいた事を示すレリーフもあった。
幼い息子を残して無念のうちに死亡したはずが、この異世界で成人した息子と出会う。
互いにどんな気持ちだっただろう。
そんな小さなドラマが少なからずあった事をレリーフは伝えていた。
しばし流れる無言の時間。
転移者たちの静かな息遣いと、少し離れたところで不思議そうにこちらをうかがっている、アイリスの娘たちと奴隷娘たちのささやくような声が耳に届く。
黙とうをする中、真っ先に声を発したのはロビン。
「レリーフに刻まれていたスキル構成……時代なのでしょうか、随分と剣術や槍術、格闘術といった武術寄りのスキルでしたね」
「ファンタジーや魔法の知識も乏しい時代だから、どうしても馴染みのある武術や職人のスキルになったんだろうな」
幾つかのレリーフに個人の取得していたスキルと思われる、魔法やスキルの一覧が刻まれていた。
特徴は一目瞭然。
魔法や『強奪スキル』のような特殊系統のスキルが少なく、ロビンが口にしたように武術系のスキルと生産系のスキルが目についた。
「言われてみれば職人を目指しているのかと思う、職人系のスキルと生産系のスキルが多かった気がするわ」
白アリがスキルを選ぶ姿を刻んだレリーフのあったあたりに視線をさまよわせると、黒アリスちゃんとテリーが首肯しながら続く。
「そうですね。魔法もそうですけど、癖のある特殊な系統のスキルも目にしませんでした」
「手間と時間が掛かって選べなかった可能性もあるな」
石柱にあるレリーフの一つにスキルを選ぶ場面が描かれていたな、そういえば。
俺と同じようにスキルを選ぶ場面が刻まれたレリーフの事を思い出していたのか、後方の石柱に視線を向けた黒アリスちゃんとテリー、二人の言葉が重なった。
「ファンタジーの知識がない上、あんな分厚い辞典のような書物に目を通して魔法やスキルを選んだのでは、まともなスキル選択が出来たとは思えません」
「明治時代だろ、俺たちの時代のようにファンタジーゲームや魔法に対する概念がないところにもってきて、あの分厚い本。まともにスキルも選べないよな」
二人が言うように百科事典のように大きく分厚い書物からスキルを選んでいる姿が刻まれていた。
「あれを見た瞬間、コンピューターのある時代に生まれて良かったとしみじみと思ったわ」
白アリの言葉に苦笑しながら『そうですね』と同意した聖女が、コクコクとうなずきながら言う。
「さすがにあの厚さの本を読破してスキルを選ぶなんて、想像しただけで嫌になります。それに、魔法や特殊系統のスキルなんて書かれている内容も、当時の人たちでは理解出来たかも怪しいですよね」
「理解も不十分なままに自分で選んだスキルと、本来の自分の経験と知識だけを武器にダンジョン攻略に挑んだ。大したものだと感心もするが、同情もするよ。相当に厳しい異世界生活だっただろうな」
その失敗の上に今回の俺たちの異世界転移があるのかもしれない。
必要な知識があり、有用なスキルを選択することが出来る。それが可能な時代からプレーヤーを集めた。
「想像に難くないな」
しんみりと同意するテリーと俺の意見を、間髪を容れずに白アリが否定する。
「私たちが選んだスキルだって十分に理解して選んだつもりでも、次に来た転移者が見たらあきれるかもしれないけどね」
「次は無しにしたいな。俺たちの代で決着を付けよう」
「決着を付けるのはいいが、その前に解決しなきゃならん問題が二つある。一つはここの守護者への対応だ。もう一つは――」
ボギーさんはそう言うと部屋の中央に集まっているアイリスの娘たちを横目で見やり、
「――あの娘っ子たちに俺たちの事をどこまで話すか、だ」
目深に被ったソフト帽子をずらして、ひさしの奥から覗かせた灰色の瞳で俺を見つめる。
まるで『どうするつもりだ?』と問い掛けられているようだ。
転移者六人の顔を順々に見回す。誰も言葉を発さず、まるで俺の言葉を待っているようにこちらを見ている。
「もう皆も、薄々感じているでしょうけど、俺はここの迷宮守護者が、俺たち人間と意思疎通が出来る可能性が非常に高いと思っています――」
ボギーさんの口元が綻ぶ。
俺は整然と並んだ石柱へ視線を巡らせながら、大袈裟に両手を広げてみせた。
「――そうでなければ、こんな大掛かりなレリーフなんて遺せないでしょう?」
俺の言葉と仕草にテリーが反応する。
「そうだな、迷宮守護者の目を
左手の拳で石柱に刻まれたレリーフを軽く叩く。
「――迷宮守護者が黙認した、と考えるよりも、交渉して作らせてもらったと考えた方がしっくりくるよな」
「もしかしたら、迷宮守護者が味方かも知れませんよね?」
聖女はそう言うと、俺とテリーを交互に見てほほ笑む。
「味方か、いいネェ。争う事なくダンジョンコアを手に入れられれば言う事なし、だな」
火の付いていない葉巻を左手でもてあそびながらそう口にしたボギーさんに続いて黒アリスちゃんと白アリが笑顔で言う。
「それは助かりますね」
「じゃあ、迷宮守護者とお話をしに行きましょうか」
先程までの沈んでいた妙な雰囲気が消えた。
「レリーフに刻まれた情報通りなら、最下層は七十五階層、あと五つ――」
ダンジョンが拡張されていなければ、だ。いずれにしてもあと少しで迷宮守護者に会える。
「――今日はここでゆっくり休んで一気に最下層を、迷宮守護者を目指そう」
◇
さて、そうなると残る問題はアイリスの娘たちとベス。メロディを含めた奴隷娘たちだ。
果たしてどこまで話していいものか。
「俺たちの事についてどこまで話すか、皆の意見を聞きたい」
それだけで通じる。
口元が引き締まり、顔から笑みが消えた。六人全員が真剣な面持ちで真っすぐに俺を見ている。
「あたしは、全てを打ち明けた方がいいと思うの。彼女たちの理解を超える部分があったとしてもよ――」
迷いがない。白アリらしいきっぱりとした口調。
一瞬、視線がアイリスの娘たちに向けられた。
「――信じて裏切られたら、そのときはキッチリと報復しましょう」
実に白アリらしい。彼女のそのセリフに黒アリスちゃんと聖女が吹き出すように笑みを漏らして口を開く。
「そうですね。信じて、ダメだったら始末しちゃいましょう」
「どうするか悩むよりもその方が私たちらしいですよね」
女性三人の会話にテリーが苦笑いを浮かべて肩をすくめ、ボギーさんが声を立てずに笑う。
二人とも反対するのがバカバカしいといった様子だ。
視線をロビンに移すと、テリーと同じように口元に笑みを浮かべて肩をすくめる。
決まりだ。
「彼女たちには――」
部屋の中央部に集まっているこの異世界の女性たちに視線を向けた。
美しい銀色の髪に目が行く。
今回の一番の被害者だ。本来ならラウラ姫付きの影武者として、平穏な生活が待っているはずだったのに、完全に巻き込んでしまった。地上に戻ったら出来る限りの事をしてやろう。
次いで大きく真っ赤な尻尾に視線を移す。
戦争が終結したら、奴隷から解放してあの爺さんのところに連れていこう。
リューブラント陛下に頼んで、アイリスの娘たちには貴族の地位を用意してもらおう。
「――今夜にでも、石柱に刻まれたレリーフの解説をしながら説明をしよう」
俺の提案に皆が静かにうなずいた。
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