第356話 夜の森の迷宮(29)

 悪気はなかったんだ。本当、ちょっとした悪戯心だった。


 エリシアたちには『落ち着いたところで話をしたいから』と、ウェアキャトルと遭遇した事を皆に口外しないよう口止めしていた。

 退屈な報告会にちょっとした刺激を求めただけだ。他意はない。


 ▽

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「落ち着いてからと思ってまだ報告していなかったが、伝説の魔物に遭遇した」


 俺が皆にそう切り出したのは合流直後の夕食――牛肉たっぷりのすき焼きとビーフシチューで、皆が腹を膨らませて一息ついた頃だった。


「伝説の魔物だって? 面白そうな話じゃないか。詳しく聞かせてくれよ」


 皆が唐突な切り出しにキョトンとする中、テリーが口元に笑みを浮かべて興味を示す。次いで、ミレイユたちへ振り返ると、食後のお茶の用意をするよう指示を出した。


 よし、打ち合わせ通りだ。

 話をスムーズに持っていくため、あらかじめテリーとだけは話す内容と大まかなシナリオの打ち合わせをしてある。


「伝説ですか? また大袈裟ですね」


 苦笑いを浮かべるロビンに続いて、白アリが答えにくいところを突いてきた。


「使役獣とか使い魔にはしなかったのよね?」


「仕留めるのを優先したんでテイムは考えていなかった。使い魔も、ちょっと無理だった」


 白アリの質問に言葉を濁して答えると、闇魔法の使い手である黒アリスちゃんとボギーさんが喰い付いた。


「へー、生贄でも使い魔に出来ないような魔物ですか? ちょっと面白そうですね」


「確かにな。生贄の嬢ちゃんで使い魔に出来ないなら、俺たちにも無理って事か。興味が湧くネェ」


 皆の顔を見回すと、『伝説の魔物』という単語に興味を惹(ひ)かれたのか期待に満ちた目をしている。

 よしよし、いい感じじゃないか。


 例外は年少組の三人と彼女たちの奴隷娘、そしてメロディとベス。

 全員が顔を強張らせている。

 ベスに至っては話を始める前だというのに、俺の左腕にしがみ付くと薄っすらと涙を浮かべて震えていた。


 ◇


 俺はエリシアの話してくれた伝説を改めて皆の前で語りながら、実際に目の当たりにしたウェアキャトルの話を織り交ぜることにした。


「今から三百年程前に町よりも少し大きい程度の都市が一夜にして滅んだ。都市の名はバール市。滅ぼしたのは、たった二頭のウェアキャトルと呼ばれた魔物だ――」


 予想通り、年長組の三人と彼女たちの奴隷娘の顔色が変わった。伝説を知っているようだ。

 だが、まだ恐怖の表情には程遠い。


「――俺たちはこのウェアキャトルと遭遇した」


 伝説を知っている者たちの息を飲む音が静寂の中に響く。続く白アリと聖女の声。


「かなり手強かったようね」


「今後も要注意の魔物という事でしょうか」


 俺の語り口調とアイリスの娘たちの反応から、尋常の魔物でない事を察したようで、声に緊張を孕(はら)んでいる。


「俺としては二度と遭遇したくない相手だ」


「まあ、ミチナガさんにそこまで言わせるなんて、余程の魔物だったんですね」


 ごく自然な流れといった感じで、黒アリスちゃんが俺の右腕に自身の左腕を絡ませてきた。

 すると、同時に左腕にしがみ付いていたベスの悲痛な叫び声が響く。


「黒様、鎌が! 大鎌の刃が! 刃が当たっています!」


 黒アリスちゃんの担いだ大鎌が、俺の背中越しにベスの首筋ギリギリのところにピタリと添えられていた。

 左腕を俺の右腕に絡めて、右肩に担いだ鎌で反対側に座っているベスの首筋に刃を当てるって、結構な技術だよな。


「騒がしいですよ、生贄。ミチナガさんがお話ししているんですから、少し静かにできませんか?」


「し、しまし、静かにしますから、大鎌をしまってください!」


「黒アリスちゃん、俺も落ち着かないし、ベスもああ言っているし、大鎌をしまおうか」


「分かりました――」


 しぶしぶといった様子でそう答えると、俺の胸の前辺りからベスの顔を覗き込む。


「――約束ですよ、生贄。今度は手元が狂うかもしれませんからね」


 ベスは大慌てで俺から離れると無言でコクコクと何度も首肯していた。

 諦めるのが早いぞ、ベス。


 俺のそんな寂しい気持ちを吹き飛ばすような科白が、口元に笑みを浮かべたボギーさんと聖女の口から飛び出す。


「兄ちゃん、痴話喧嘩は終わったかい?」


「ベスちゃんが負けて終わったようです。そろそろ話が再開すると思いますよ」


 二人にうながされるように俺は話を再開した。


 ◇


「どういった経緯かは分かっていない。ある日二頭のウェアキャトルがバール市に突如現れ、市民に次々と襲い掛かった。探索者ギルドと魔術師ギルドが中心になってウェアキャトルの撃退策を講じる一方、一人の若者が隣接する都市の騎士団に助けを求めて馬を駆けさせた――」


 この場に食事中のウェアキャトルがいないのが返す返すも残念でならない。

 臨場感に欠ける。

 俺の語りだけではあの時の恐怖を蘇らせるのは無理そうだ。


「――若者の求めに応じて騎士団がバール市に駆け付けたのは翌朝。時すでに遅く、住民は一人も残っていなかった」


「小さいといえ、都市一つを一夜で全滅させたのか。確かに手強そうだ」


 打ち合わせ通り、テリーがウェアキャトルの手強さに白アリたちの意識を向けさせると、ボギーさんが想定外の援護射撃をする。


「使い魔に出来なかったのは惜しいナ」


「それで騎士団は? 都市の探索者ギルドと魔術師ギルドが全滅させられたくらいだから、もしかして騎士団も……」


 心配そうな口調の白アリを安心させるように、俺は穏やかな笑みを浮かべて話を続ける。


「騎士団の規模や編成までは俺も知らないが、到着した騎士団は一頭のウェアキャトルを仕留め、残る一頭の捕獲に成功した――」


 白アリだけでなく、転生者たちの間から安堵のため息や緊張の解(ほぐ)れた表情が浮かんだ。


 アイリスの娘や奴隷娘たちは伝説を知っているので期待したような反応はない。

 この手の話が苦手なのか、ミレイユとアレクシスも目をつぶってテリーに抱きついていた。ベスなんて二度目なのに、ギャーギャーと騒いで俺の横を転げ回っている。


「それで終わり?」


 拍子抜けしたような口調の白アリに向けて、ゆっくりと首を振り『先程、全滅したと言ったが』と告げてから核心に迫る。


「人間だけでなく、馬や羊、犬といった家畜も一匹残らず消えていた。街中(まちなか)にはもの悲しげに泣く沢山の牛がいるだけだったんだ――」


 白アリ、黒アリスちゃん、聖女と何故かロビンまでが顔を引きつらせた。


「――その後、謎と疑問が持ち上がった。住民たちは家畜を置いてどこへ消えたのか? 突然現れた、たくさんの牛はどこから来たのか?」


「ち、ちょ、ちょっと、やめてよね。そん、な作り話」


 顔面蒼白で身体を小刻みに震わせている。傍目にも分かる、ギャーギャーと騒いでいるベスよりも怖がっている。

 このとき、俺の中の何かに火が着いた。


「罪人を使って確認をした結果、ウェアキャトルに噛まれると半日ほどで牛になってしまったそうだ――」


 皆の顔を見れば分かる。

 俺と同じだ。結論を自分の中の想像で補っている。


「――牧場を気持ちよさそうに歩き回る牛とは明らかに違う、もの悲しげに、何か訴えるように鳴き続ける牛もいたらしい」


 白アリの唇が紫色を帯びてきた。虚空を見つめる虚(うつろ)ろな目には涙が浮かんでいる。

 よし、いい感じだ。


 わざと白アリから目を逸らし、黒アリスちゃんと聖女に視線を向ける。


「この話は間違いなく事実だ。俺たちの故郷でもそうだろう? 伝承や伝説なら地域差が出てくる。だが、伝えられている国名や人名はどこも一緒。さらに、わずか三百年前の話だ。信憑性(しんぴょうせい)は高い――」


 静まり返ったお茶の席、俺はさらに声のトーンを落とす。


「――ウェアキャトルのヤツ、このダンジョンの魔物を牛にして食べていた。俺たちは実際に目撃した」


「いやー! 思い出したくありませんー!」


 ベスの騒がしい悲鳴に交じって、白アリの小さな悲鳴が聞こえた。

 騒ぐベスには見向きもせずに黒アリスちゃんが恐る恐る聞いてくる。


「さっきの話だと、そのウェアキャトルって、外見は小さなミノタウロス、ですよ、ね?」


 よし来た! いい質問だ、黒アリスちゃん。


「あの光景は、まさに共食い、だったよ。俺の感覚からすると、草食獣同士の共食いという、シュールで怖じ気(おぞけ)のする光景だった――」


 黒アリスちゃんの顔が引きつった。闇魔法を操り、アンデッドを使い魔とする黒アリスちゃんでも共食い系の話は苦手なようだ。

『共食い』というキーワードを皆に認識させたところでいよいよ話の肝に触れる。


「――ウェアキャトルに罪人や奴隷を噛ませて牛にしてから人間が食べるのが仮に共食いだとしても、見た目には牛を貪り食うウェアキャトルの方が衝撃的だろうな」


 ビジュアルはそうかもしれないが、倫理観と想像力が前者に対する忌避感を増大させる。

 絶妙のタイミングでテリーがアレクシスの耳元とでささやいた。


「どっちが本当の共食いだろうな?」


「いやーっ! テリー様、だめです、私、苦手なんです!」


 アレクシスには珍しく取り乱している。ボロボロと涙を流しながらテリーに抱き付いているあたり、ミレイユはいつも通りだ。


 白アリは自分で自分の両肩を抱きかかえて震えていた。

 聖女がここぞとばかりに怯える振りをして白アリに抱き着いているが、いっぱいいっぱいの白アリは成すがままだ。しまった、こういう流れは想像していなかった。


「だがな、この話でもっと恐ろしいのは後日談だ。捕獲されたウェアキャトルは、その後、国王直属の管理下に置かれ……貧しい農村にちょくちょく貸し出されたそうだ」


 頭を抱えて墓穴を掘るように騒ぐベスと、白い顔をさらに白くしてテリーにしがみつくアレクシス。


「嫌ー! 人間を牛にして、ガブリッ! 嫌ー、考えたくないー!」


「テリー様、見た目は牛でも中身は人間ですよ、私、だめです」


「だが安心してほしい、いい話もある――」


 穏やかな口調が功を奏したのか、そこで言葉を切って女性陣を見回すと、幾分か血の気を取り戻していた。白アリと黒アリスちゃん、聖女が安堵の表情を見せる。


「――死刑が廃止された」


 白アリの口から乾いた笑いが漏れ、目からは大粒の涙が零(こぼ)れた。

 エリシアが慌ててフォローする。


「で、でも、食料にされたのか、農耕牛として一生を過ごしたのかは分りません。伝説では牛にした後は余所へ売り払って、手に入れたお金で食料を買い入れた、とありますから。その、そんな牛を食べたとは思えません。皆さん、ちょっと考えすぎですよ」


 自分で言っていて無理があると思っているようだ。仮に売り払ったとして、その後そいつはどうなるんだ?

 どれ、助けてやるか。


「その後、王国ではウェアキャトルが死亡するまで食糧難に苦しむ事は無かったという話だ」


 俺のフォローに白アリが反応した。


「もう寝ましょう! そういう話は昼間にするものよ」


「ダンジョンの中なんだから昼も夜もないだろう?」


 俺の言葉なんて聞いちゃいない。俺の傍らに座っている黒アリスちゃんに視線を向ける。


「黒ちゃん、もう寝ましょう。一緒に寝ましょう」


「白姉、なんでしたら私が一緒に寝ましょうか?」


「そうね、この際だから聖女ちゃんでもいいわ。一緒に寝ましょう」


 恐怖のあまり正常な判断力を失っているようだ。


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 その後二日間、食卓に肉料理が上ることはなく、未だに継続中だ。

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