第355話 夜の森の迷宮(28)

 四十八階層の一画、バスケットコートほどの広さの部屋を占拠して野営をすることにした。

 ダンジョンアタック中の最大の楽しみ、食事。それも夕食は格別だ。料理を仕切る白アリの地球での食生活が影響して、夕食が最も手の込んでいるメニューが並ぶ。


 食欲を刺激する音と匂いが部屋の片隅から漂ってくる。

 包丁がまな板に当たる音、油のはねる音、何を焼いているのだろう、脂が炎にしたたり落ち、瞬時に蒸発する音が食欲を刺激する。


「おお! 音が! 匂いが! フジワラ様、もうすぐです、もうすぐ夕食ですよ! ――」


 欠食児、もとい、水の精霊ウィンディーネが大理石のテーブルに半ば身体を乗り上げて、女性陣が料理をしている一角を食い入るように見つめる。

 

「――それに、匂いが、ああ、なんて深い味わいのある匂いなのでしょう」


 目をつぶって意識を鼻に集中している水の精霊ウィンディーネ。テリーは彼女に向けて、この場で一番強い匂いを発する料理の名を口にした。


「これはウナギの蒲焼きだな」


「ウナギの蒲焼き? それ、私、まだ食べた事ありません!」


「熱々のご飯にタレをたっぷり塗ったウナギを乗せる。タレが浸み込んだご飯と一緒に山椒さんしょうの利いたウナギを頬張る。美味いぞー」


「ウナギの蒲焼き! それ、最初に食べます!」


 水の精霊ウィンディーネがテリーの説明に目を輝かせる。


「少なくとも、このダンジョンにいる間くらいは、あンまり口にした事のない料理が食べられるんじゃネェのか?」


「ボギー様、それはまことでしょうか?」


「そのはずダぜ」


「それは楽しみです!」


 ウナギのタレの匂いに隠れているが、米の炊き上がる匂いや思わず醤油しょうゆが欲しくなるような香ばしい匂いが漂ってくる。

 自分が日本人であることを思い出させる匂いが、食欲と鼻孔を刺激する。


 これ以上メニューを想像するのを躊躇ためらっていると、マリエルとレーナが調理中の女性陣のところから戻ってきた。


「偵察完了ー」


「ただいま、戻りました」


「ご苦労さん、どうだった?」


「お帰り、レーナ」


 俺とテリーのねぎらいの言葉に笑顔を返すと、マリエルとレーナが揃って口を開く。


「夕食もお肉はなかったよー」


「お野菜とお魚、貝もありました。あと、蛇にタレを塗って焼いていました」


 レーナ、それは蛇じゃなくてウナギだ。

 肉料理に興味のないマリエルとレーナの淡々とした報告に、俺とテリーは視線を交差させる。テリーの落胆した顔が映る。恐らく俺も大差ない顔をしているんだろうな。


 そんな俺たちの反応にボギーさんが楽しそうに、ロビンが半ばあきれた様子で、それぞれがたしなめる言葉を口にした。


「なンだ二人とも、そのがっかりした顔つきは? 間違っても料理を作ってくれた娘たちの前でそんな顔をみせるなよ」


「そうですよ、白姉たちの作った料理を食べられるって、もの凄く幸せな事じゃないですか」


 俺とテリーは二人に即座に降参して、


「絶対に不満を顔に出したり口にしたりしません」


「同じく。出された料理を笑顔で食べます」


 そう宣言した。


 ◇

 ◆

 ◇


 料理の盛り付けと片付けを始めた女性陣のキャイキャイとした、華やかな様子に視線をさまよわせていると、テリーが『知っているか、ミチナガ?』と話を切り出した。


「ミランダに聞いたんだけど、スープや煮物を作る際『同じ種類の野菜を同じ大きさに切る』、というのが母親から教わった家庭料理の秘伝の一つだそうだ」


「冗談だろ?」


 驚く俺にロビンが追い打ちを掛ける。


「本当ですよ。ライラさんも竹串のような鉄製の串を母親から貰ったと、『煮え具合を確認するための道具』だといって大切にしていました」


「年長組の、比較的料理の出来るあの二人でそうなのか……」


 いや、そんなものなのかもしれない。

 口元を綻ばせるテリーが、話をしたくて仕方がないといった感じで話を振ってくる。


「年少組の三人はもっと笑えるけど、聞くか?」


「聞くまでもなく、想像出来るよ。ゴート男爵の下に配属された頃は、白アリだけじゃなく聖女にまで注意されていたからな、あの三人」


 慣れてしまって感覚が麻痺していたが、異世界の食事事情は悪い。調味料が乏しいのも理由の一つかもしれないが、それ以上に調理方法が適当すぎる。


 肉でも魚でもぶつ切りにして鍋にぶち込んで煮込む。

 火力調整などという概念は一般市民にはない。ともかく焼く。

 そして炒める。

 米だけは例外でいていたな。


 俺の妹が伊勢海老の調理方法が分からないからと、調べもせずに味噌汁の具にした。

 ある意味近いものがある。

 愛娘が作ってくれた味噌汁の中に、刺身で食べるつもりだった伊勢海老を発見したときの親父の顔。あの悲しげな顔はいまだに忘れられない。


「リューブラント侯爵の屋敷の台所を白姉たちが占拠したときも、『酵素を使って肉を柔らかくする』ことや『二度揚げ』に料理長が目を丸くしていましたよ」


 ロビンが口にしたたとえにテリーとボギーさんは吹き出すと、楽しそうに言葉を続ける。


「いたね、気の毒な料理長」


「そういや、占拠してたな、台所。いやー、あンときの料理長の顔は、今思い出しても笑いがこみ上げてくるぜ」


 そんな事をしていたのか、あいつら。


「そんな事よりも、料理が出来たようですよ!」


 椅子の上に立ち上がった水の精霊ウィンディーネの一言に、マリエルとレーナが即座に反応した。


「野菜だー」


「甘い野菜だ!」


 いや、それ果物だから。野菜じゃないから。

 彼女たちの視線の先、ミーナが運んできたトレーには葡萄ぶどうとメロン、柑橘類が山のように積まれていた。


 ◇

 ◆

 ◇


 大理石の大テーブルの上に出来上がった夕食が次々と並べられていく。

 グランフェルト領が内陸に位置する事もあって海の幸は少ない。食材のほとんどが農耕や家畜、狩猟で得た獲物。魚介類は大河やその支流に生息する淡水魚が中心だ。


 ウナギの蒲焼き、岩魚っぽい川魚の塩焼き、マスっぽいヤツのムニエル。野菜炒めに白身魚と野菜のスープ。

 久しぶりに見た、大型のマスっぽい魚の皮を焼いた料理。確か身はあまり美味しくないけど、焼いた皮は美味かったのを憶えている。

 野菜の天ぷらとワカサギみたいな小魚の天ぷら。鯉のような魚だろうか? 割と大型の魚の切り身のフライ。

 正体不明の魚の薄造り。ここまで跡形なく調理されるとどんな姿をしていたのかも分からない。


 次々と運ばれてくる野菜と魚の料理の数々。確かにどれも美味そうだ。それこそ一国の王侯貴族でも口に出来ないようなメニューだろう。

 だが、肉がない。


「やっぱり肉料理はなかったか」


「肉が食べたい」


 最後に肉料理を食べたのは二日前。合流してすぐの夕食だった。それ以降、野菜と魚介類中心のメニューが続いている。


「さて、魚と野菜を食べるか」


 即座にテリーが恨み事を口にする。


「ミチナガ、お前が文句を言うな」


「俺のせいだってのか? ――」


 半分は俺のせいかもしれないが、テリー、残る半分はお前の責任だ。面白がってアレクシスたちを脅かしていたお前の責任も見過ごせない。


「――知らなかったんだから仕方がないだろ? それにテリー、お前も途中から加担したじゃないか」


 白アリが虫を嫌いなのは知っていたが、まさかホラーまで苦手とは知らなかった。


 そう、ウェアキャトルの話を夕食の後――牛肉たっぷりのすき焼きと牛タンシチューを食べ終えた後に話した。

 ちょっとした、悪ふざけ程度の軽い気持ちだったんだ。


「俺はアレクシスとミレイユが怖がるのが面白かっただけだ」


 俺とテリーの会話を聞いていたロビンが、


「どっちもどっちですよ」


 かぶりを振りながらそう言うと、ボギーさんもあきれたようにかぶりを振っていた。


 悪気はなかった。

 ホラーが苦手なのは知らなかったが、すぐに苦手なのだと分かった。分かっても止められなかった。


 引きつった笑みで、物音ひとつにもビクンッと反応する白アリが面白かったし、ちょっと可愛かったから、つい調子に乗っただけだった。


「本当に悪気はなかったんだ」


 話をしているうちに涙目になってきて、自分で自分自身を抱きしめるように両肩を抱いていた。あれ、よかったな。胸が押し上げられて。


「俺も悪気はなかった」


「テリー、怯える白アリの胸にお前の目が釘付けだったのを俺は知っているぞ」


「あれは良かったよな、胸が押し上げられてさ。こんどミレイユにもやらせてみるよ」


 まったく反省していないな。

 

「少なくとも、アレクシスとミレイユ、それにミランダをからかって喜んでいたよな」


「ミランダも可愛らしかったなあ」


 ウェアキャトルの伝説を知っているはずのミランダも派手に怖がっていた。


 対照的に白アリは一見すると落ち着いていた。だがよく見れば、手足はおろか身体全体が小刻みに震え、顔は蒼白、唇は紫色、目には薄っすらと涙。

 震えを抑えるためか誤魔化すためかは知らないが両腕で自分自身を抱きかかえる姿はあの大きな胸がさらに押し上げられて……素晴らしかった。


 胸が強調された格好、顔面蒼白、涙目で怯える。

 俺の中では、白アリのベストショットだ。


 だが、代償も大きかった。

 翌日から肉料理が食卓から姿を消した。

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