第352話 夜の森の迷宮(25)

「話は後よ、先に敵を殲滅せんめつしちゃうから。後、勝手に階段を下りちゃ駄目よ、危ないからね」


 足を止めて、一瞬だけ驚いたような表情を見せた白アリは、そう言い残すと黒アリスちゃんの後を追った。

 続いて俺の背後からエリシア、ミーナ、リンジーの声が響き、マリエルの声が遅れて届く。


「今の白姉ですよね?」


「ええー! 合流できたの?」


「皆いる? 無事?」


「あー、レーナだ! レーナが階段の下を飛んでいった!」


 声の様子に安堵と喜びが感じられた。

 喜びの声を上げる中、突然階下から突風が吹き込み、ベスのスカートを大きくめくり上げる。後方ではマリエルたちの悲鳴が響いた。


 突風?

 

 次の瞬間、俺が重力障壁を展開するのにわずかに遅れて水の精霊ウィンディーネの高笑いが響き渡り、濁流だくりゅうが展開したばかりの重力障壁を襲う。

 間に合った。危うく濁流の餌食になるところだった。


「どけどけ、どけー! まとめて押し流してやるー!」


 オリハルコンの盾をサーフボードのように乗りこなし、身の丈ほどもある戦斧を振りかざした水の精霊ウィンディーネが通過する。

 俺の左腕にしがみ付いていたベスが、抑揚のない口調でつぶやいた。


「オリハルコンの盾って水に浮くんですね、知りませんでした」


 浮く訳ないだろ。

 乾いたベスの声に続いて、抱き合って喜ぶミーナとリンジーの声が続き、そのすぐ後ろでエリシアが大きなため息とともに階段にしゃがみ込んだ。


「今のは白姉とウィンちゃんだよね?」


「黒ちゃんもいたよ。良かったー、皆と合流できたー」


 危険が迫っていた事を理解していない三人の事は取り敢えず放置して、階下から聞こえる斬撃と濁流の音、魔物たちの叫び声に耳を傾けながらベスの質問に答える。


「あれは水流で押し上げているんだ」


 ベスは事の重大さを理解しているようだ。目の焦点が定まっていない。


「うわー、大したものですねー」


 確かに魔術の方は大したものだが、やっている事はこの上なく雑だ。

 階下――濁流の向こう側から白アリと黒アリスちゃんの抗議の声が響く。


「ちょっと、ウィン! 早いって、水、早過ぎ! まだ敵を吹き飛ばしていないわよ!」


「私、まだ接近戦の途中!」


「黒様は退避を! 白姉様、水流と爆破の合わせ技で行きましょうー!」


「濁流で生き残った魔物はレーザー照射の実験台にするので、巻き込まれないように逃げてくださいねー」


 水の精霊ウィンディーネの上機嫌な声に続いて、聖女の涼やかな声が響く。

 何とも自由奔放なやり取りだ。


 白アリの爆裂系火魔法が発動したのか、爆発音に続いて空気と石壁を震わせて振動が伝わってくる。

 振動の中、聞こえたベスの言葉に背筋がて付いた。


「ミチナガ様、レーザーなんとかって、なんですか?」


「全員、後ろを向いて目を閉じろ!」


 刹那、俺はベスの質問に答える代わりに叫び声を上げていた。叫ぶと同時にベスの顔を自分の胸に埋め、マリエルの両目を覆うように抱きかかえる。

 同時に階下から射し込む強烈な光が階段を白く染めた。


 間に合ったか?


「目がー、目がー!」


「え? 何? 何が起きたんですか?」


「見えない、何にも見えない」


「いやー!」


 間に合わなかったか。リンジーと奴隷娘たちの叫び声が階段に木霊した。


「落ち着け! 危ないからその場を動くなよ。今、光魔法で治療する!」


 網膜を焼かれたな。

 あいつら、ここまで、この調子で戦っていたのか? このダンジョンをどれだけ破壊したんだ? 俺、後で女神さまに怒られるんじゃないだろうな。


 女神様への言い訳を考えながら、一番近くにいたリンジーの治療を始めると、茫然としていたベスが突然騒ぎ出した。


「駄目ですよ、ミチナガ様! 壊れちゃいます、あんな事を繰り返していたらダンジョンが壊れちゃいます!」


 ようやく我に返ったようだ。


『合流したら注意する。あんな乱暴な戦闘を続けさせたりはしない』そう言おうとした瞬間、ボギーさんの怒声が響き渡る。


「爆裂や濁流みテェな、後が面倒な魔術を使うなと言ったろが!」


 白アリとウィンを叱りつける怒声が響く中、飛翔の腕輪を使って空中を滑るように三人の少女が横切った。アレクシスを先頭に編隊を組むようにティナとローザリアが続く。


 階段の上り口を通過するときにティナが小さくこちらにお辞儀するのが見えた。

 相変わらず律儀な娘だ。


 ◇

 ◆

 ◇


 俺たちは再会の喜びもそこそこに、近くの小部屋で情報交換を兼ねて小休止をする事にした。

 腰を下ろすなり、ミランダが深々と頭を下げる。


「この子たち、ご迷惑おかけしましたよね。申し訳ございませんでした」


「あー、ミランダ酷い!」


「そうよ、迷惑なんて微塵も掛けてないよ。特にエリシアなんてもの凄く役に立っていたんだから」


 エリシアは、な。

 リンジーとミーナの言葉を全く信じていない様子のライラさんとミランダがエリシアを含めた三人を軽く睨みつける。


 すると、ミーナとリンジーは開きかけた口を閉じて視線を逸らした。

 俺が睨んだくらいじゃ平然としているのに、この二人に睨まれると途端に大人しくなるんだな。


「ライラさん、リンジーの言う通り、三人とも良くやってくた。特にエリシアは精神的にも戦闘技術的にも成長著しい」


「そんなに?」


「ちょっと、信じられませんね」


 目を丸くするライラさんと疑わし気な視線をエリシアにむけるミランダ。


「本当だ。戦闘でも頼りにさせてもらった――」


 ライラさんとミランダだけに聞こえるよう、声を落とす。


「――接近戦での戦闘能力や咄嗟とっさの対応を見る限り、エリシアの戦闘力はランバール市で見た四級の探索者以上だ」


 戦闘場面だけでなく、普段もミーナとリンジーを抑止するのに役立ってくれたがそれはここでは触れずにおこう。


 ライラさんがロビンと会話している最中のエリシアへ、チラリと視線を向ける。


「余裕があるときで構いません、エリシアに単独戦闘をする機会を頂けますか?」


「ああ、構わない。恐らくフォーメーションに幅が出来るはずだ――」


 声のトーンを落として、再びライラさんとミランダにだけ聞こえるように小声で伝える。


「――それと、ミーナとリンジーは再教育しておいてくれ」


「あ、やっぱりご迷惑をお掛けしましたか……」


「あの子たちったら……」


 二人して肩を落とした。口では『迷惑を掛けましたよね』と言っても、内心は役に立っていてほしかったというのは分かる。

 だが、うやむやにしては今後に影響する。ミーナ、リンジー、うらむなら自分の行いを恨めよ。


 肩を落とす二人をよそに、俺は話題を白アリたちに移す。


「いや、こっちの方こそ白アリが皆の精神をガリガリ削ったようで申し訳ない」


 先程のミランダの悲鳴にも似た叫びが蘇る。


「いえ、結果的には私たちの取り越し苦労ばかりでした。大事だいじに至らないどころか、白姉には助けられてばかりで感謝しています」


 疲れた顔をしている。


 白アリたちに助けられたのは本当だろうが、精神を削られたのも確かだろう。よくここまでくじけずに頑張ってくれたな。想像すると熱いものがこみ上げてくる。

 というか、傍らで苦笑いをしているライラさんと明後日の方を見ているビルギットの様子からすると、精神をガリガリ削られたのはミランダだけのようだ。


 この娘も大概苦労人だよな。

 是非とも幸せになってほしいと、心から応援してしまう。


「気持ちは分かる。普段俺が感じている事だからな」


「いえ、そんな……」


 無理に作った笑顔が引きつっていた。


 あー、今思い出した。

 確かテリーがミランダの事を狙っていたんだっけ。気の毒に。テリーに狙われている事を考え合わせると益々同情してしまう。


「兄ちゃん、いいか? ――」


 ボギーさんはそう声を掛けると、俺の了解を待たずに話を続けた。


「――はぐれていた間の情報交換をしようか」


 俺はボギーさんの言葉に静かにうなずいた。

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