第350話 夜の森の迷宮(23)

「終わったぞ、もう出て来ても大丈夫だ」


 足元に転がる青オルトロスのしかばねの、さらに下へと向けて声を掛けた。すると体重二百五十キログラム以上はありそうな、青オルトロスの屍が浮きあがる。

 右腕一本でその屍を押しのけて、涙目のベスがはい出てきた。


「ううー、コボルド嫌いですー」


 何と言うか、ひどいありさまだ。コボルドの血で頭の天辺から爪先まで血みどろだ。


「何もそこまで毛嫌いしなくてもいいだろ?」


「だってこの子たち、顔はワンちゃんかもしれませんが、身体はフォレストエイプみたいだし、とっても臭いんですよ」


 まあ確かに体臭のキツイ魔物ではあるな。

 空間感知を巡らせた限りでは周囲に敵もいないし、マリエルたちの周りにも敵らしき魔物はいない。一息つくか。


「ベス、水魔法で血を洗い流す、いいか?」


「あ、はい。お願い致します」


 水魔法で水を生成して重力魔法で俺たちの周囲に水の渦を作り出す。作り出した水の渦を火魔法で加熱し、適温にしてから渦の速度を緩めずに俺とベスを包み込んだ。

 洗濯機の要領で人間毎丸洗いしているので、水流の中でベスの長い銀髪と衣服が激しく乱れる。


 水流で乱れる長い銀髪と裂けた衣服、というのもいいものだな。

 ひとしきり鑑賞したところで水を四散させる。


「よし、こんなものだろう。さっさと着替えてマリエルたちと合流しよう」


「ありがとうございます。って……キャーッ! な、なんですかっ、これ! ――」


 青オルトロスから受けた一撃が、右の肩甲骨付近から左の腰骨へかけて、大きく斜めに衣服を切り裂いていた。

 その状態で激しい水流で揉みくちゃにされれば、そりゃあ、半裸にもなるよな。


 ベスに指摘される前に彼女へ背を向けると、俺もボロボロになった自身の装備の交換を始める。


「――う、後ろ! 後ろを向いてください!」


「もう向いている」


「そ、そうですね。って! な、なんで服を脱いでいるんですか? わ、私に、な、何をする気ですか? ――」


 相変わらず想像力の豊かな娘だ。


 身代わりになった夜、夜伽の相手をさせられると勘違いして、俺のベッドの上で頭を抱えて転がりまわっていた姿が蘇る。

 あの時はスカートがめくれあがって、下着丸出しで転がりまわっていたな。


「――だ、駄目ですからね。そのう、そんなに簡単ではありません、よ……」


 最後の消え入るような、か細い声が気になって視覚を飛ばして様子を覗き見れば、ほんのりと頬を染めてモジモジしている。


 吊り橋効果なのか、スキンシップに弱いのか分からないが、意外とチョロそうだ。放っておいたら悪い男にだまされる未来が待っていそうな気がする。

 いや、男に騙されるより先にセルマさんに騙されていいように利用されそうだ。


「ベス、お前は魅力的で可愛い。だが、今ここで何かするほど俺も馬鹿じゃない。生きて皆と合流しよう」


「そ、そうですね。すぐに着替えます」


 バツの悪そうな表情を見せると、そそくさと後ろを向いて着替えだした。


 ◇

 ◆

 ◇ 


「完全に死んでいますね、この子」


 恐る恐るといった様で、青オルトロスの屍を人差し指でつつきながらつぶやいた。


「先ずは、こいつを使い魔にしてくれ」


 ベスは『はい、分かりました』と明るく微笑み、愛しむような視線を青オルトロスの屍に向けると、そっと手を触れた。


「さあ、サファイアちゃん、仲間になりましょうね」


 サファイアと命名された青オルトロスの屍。その傷つきボロボロになった身体がみるみる治っていく。小さな傷はもちろん、致命傷となった頸椎けいついへの一撃も跡形もなく消えた。


 すっかり傷のえたアンデッド・青オルトロスがゆっくりと起き上がる。

 ベスの使い魔になったと分かっていても身構えてしまう。


「大丈夫なのか? 成功したんだよな?」


 のどを鳴らしてベスにすり寄るサファイア。彼女はその新たな使い魔の首に抱きつくと、たてがみに顔を埋めて幸せそうに微笑む。


「はい、成功しました。これでこの子も頼もしい仲間ですよ」


「頼もしいか――」


 確かに手強い敵ほど仲間になったときは頼もしく感じる。


「――光魔法と再生能力の組み合わせは手強かったからな。単独戦闘でこれほど有効な組み合わせはそうはないんじゃないのか?」


 無いものねだりだが、これで高レベルの闇魔法があれば魔力枯渇も防げる。

 俺がテイムするなら、再生はともかく、光魔法と闇魔法の両方を所有した魔物が理想だな。


「ミチナガ様も光魔法と再生能力、両方持っていますよね?」


「え? ああ、そうだ。よく気付いたな」


「それは、気付きますよ。私と一緒でちょっとした傷どころか、大怪我だって光魔法で治療しなくても治っちゃうんですから――」


 俺の左腕に視線を移すと、穏やかな笑みを浮かべた。


「――左腕、もう完治しています。これって光魔法と再生能力の合わせ技ですよね?」


「ああ、そうだ。だが、サファイアみたいな無茶な戦い方はしないけどな」


「全身を炎に焼かれる端から治療して、激痛に耐えて戦っていましたね、サファイアちゃん」


「俺はそんな戦いは願い下げだ。楽な戦いしかしないのが信条だ」


「無茶をしますよ、ミチナガ様は、きっと」


「する訳ないだろ。俺が楽をするために事前準備を頑張るのをしっているだろ? 苦労するのも痛いのも嫌だからだ」


「それでも、必要なら、誰かを助けるためなら、無茶をします。先程も左腕を犠牲にして、私のことを守ってくれました――」


 突然、大粒の涙が流れ落ちた。嗚咽おえつは聞こえない。ただ、涙だけが頬を伝って流れ落ちていく。


「――私なら傷を負っても放っておけば治ります。後から光魔法で治療するのでも十分でした。あの場面、ミチナガ様の戦闘力が落ちる事の方が、取ってはいけない選択肢でした。それなのに左腕を……」


 まいった、苦手なんだよ、こういうの。

 努めて明るく返す。


「左腕一本なくなったって、それこそ光魔法と再生能力があるんだ――」


 左手を肩の高さに上げて拳を握ったり開いたりしてみせる。


「――ほら、この通り元通りだ。皮膚何て前よりもツルツルで瑞々しいくらいだ。それに戦闘力の低下も問題ない。左腕が無くなったところで青オルトロスになんて後れは取らない」


「それでも、です。私なんかのために、ミチナガ様が傷つくのを見たくありません。傷ついてほしくないんです」


「ありがとう。俺の事を気遣ってくれて。でもな、自分の事を『私なんか』とか言うな。実家の親御さんだって悲しむぞ」


「父は多分死んでいます。母を見た事はありません。私、ずっと実家に閉じもっていて……本ばかり読んでいました。ある日父が居なくなって、なんとなく死んでしまったのだな、って分かって。その時、初めて外に出ました――」


 ちょっと待て。父親が死んでから初めて家の外に出たって?

 なんだか、壮絶な人生だな。ベスの能力を危険視した親が外に出さなかったのだろうが、聞いていて腹が立ってくる。


「――外は仄暗ほのぐらい森で、木の実を採ったり、鳥とか獣を捕まえたりして飢えをしのいでいました。そうやって生活をしていたら、突然いろいろな人に追い掛け回されて。やっつけたら、もっとたくさんの人が武器とかいっぱい持ってきて、追い掛け回されました」


 人さらいか違法な奴隷商人の類だろう。

 この娘の能力ならどんな魔境でも生きていけそうだし、村人どころか高ランクの探索者も一蹴いっしゅう出来そうだよな。

 

「それでも、こっそりと森を抜け出してラウラ姫様付きの侍女として採用してもらいました。人と一緒に生活できるのが嬉しかった。役に立てるのが嬉しかった――」


 鴨鍋に舌鼓を打つセルマさんの幻が見えた気がする。


「――でも、それ以上にミチナガ様や皆さんに優しくされて本当に幸せでした。空を飛ばさせてもらいました。銃とかも撃たせてもらえました。買い物も……私、買い物をしたのも初めてです」


 穏やかな表情でほほ笑んでいるのに、頬には涙が伝っている。


「もう、いい。それ以上言うな――」


 抱き寄せ、泣き顔を俺の胸に軽く押し当てる。これ以上、ベスの泣き顔を見ていられなかった。


「――そんな事くらいで幸せを感じて有頂天になっていたら、悪い男に騙されて泣くことになるぞ」


「ミチナガ様になら騙されても恨みません」


 俺が悪い男なのか? 俺を悪い男の基準にしたら、世の中極悪人だらけになるな。


「約束を破って怪我をさせた罪滅ぼしだ。信用出来る男が現れるまで俺が騙してやる。ちゃんと騙されろよ」


「はい、よろしくお願いします」


「勘違いするなよ、騙すんだからな」


「別に騙されるのはいいんです。ずっと騙し続けてくれるなら、それで満足です――」


 いいのかよ、それで。

 俺の事を見上げるベスの瞳に涙はなかった。少し照れたような、はにかむような笑みを口元に浮かべている。


「――ですから、一生、騙し続けてくださいね」


 俺の背中に回された腕に力が込められたのがすぐに分かった。

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