第349話 夜の森の迷宮(22)

「ミチナガ様、左腕が、肩も、です。血が出ています。腕が千切れかかっています! ――」


 ベスの声は遠くに聞こえるのに、泣きじゃくる顔は眼前にある。


「泣、くなよ、俺なら、だ、ガハッ、いじょうぶ、だ」


 何だ? 喉(のど)に何か詰まっていたのか?

 咳(せき)と共に何かを吐き出した。


「何を言っているんですか! 全然、大丈夫ではありませんよ、これ!」


 よく見れば俺の左上半身を隠すようにベスが覆い被っていた。

 あれ? もしかして俺、倒れているのか?


「――ミチナガ様、魔法で、光魔法で早くご自身を治療して下さい!」


 いったい、何がどうなっているんだ? 詰まっていた何かを吐き出した喉の奥に熱いものが再び込み上げてくる。これは、血か? 


「だ、大丈夫、だ。ゴフッ、し、心配するな。それよりも、カハッ、青オルトロスは、どう、なった」


 血液が喉にあふれる。咳と共に口から血液が飛び出し、言葉が途切れ途切れとなった。


 肺と心臓の再生が始まっている?

 肩口を捉えられたと思ったが、肺を切り裂き心臓を掠める程の一撃だったようだ。


 まいった。【再生 レベル5】が無ければ死んでいたな、これ。


「何を言っているんですか! 治療が先です。ここは逃げましょう」


 俺は仰向けのままで頭をもたげ、青オルトロスを串刺しにした場所へと視線を向ける。


 なんて奴だ!


 ベスの肩越しに見えた青オルトロスは、水の刃を岩の槍に乱射し、岩の槍に串刺しにされた状態の己の身体が、更に傷つくのも顧(かえり)みず、狂ったように激しく揺さぶっていた。

 激痛に耐え、【光魔法 レベル5】と【再生 レベル3】による治療と再生にものを言わせて抗(あらが)っている。


 そして、結果を出した。


 無数の水の刃で削られ脆(もろく)くなった、己を串刺しにしている岩の槍。青オルトロスが身をよじるとその身体を空中に縫いとめていた岩の槍が折れる。

 満身創痍の青オルトロスが床に降り立った。


 だが、心臓を貫いていたはずの岩の槍も無ければ、再生と治療を妨げていた異物も、もうない。

 その姿からは力強さが伝わってくる。真直ぐにこちらを見つめる瞳には闘争心が溢れているように見えた。


「メンタルが強すぎるぞ、お前……」


 背筋に冷たいものを感じた。それは直感だったのかもしれない。再生途中の左腕の痛みを堪(こら)えてベスの背中へと回す。


 一瞬の出来事だった。


 瞬きする間もなく、ベスの背後に青オルトロスが出現する。

 転移した? いや、転移特有の魔力は感じなかった。痛みで鈍った俺の思考が、青オルトロスの動きについて行けなかっただけだ。


 意識が覚醒する中、血に染まった青オルトロスの右前脚が振り下ろされる。

 間に合ってくれ!


 転移する直前、涙を流していたベスの眼が大きく見開かれた。

 左腕に激痛が走る! 血しぶきが彼女の背後に舞う!


 次の瞬間、俺はベスを伴って部屋の奥へと出現した。出現と同時に土魔法を使って、青オルトロスとの間に岩で出来た五枚の壁を生成する。


「ベスッ!」


「わ、私より、も、ミチナガ、様の方が、重傷です、よ」


 直前まで泣いていた彼女が、必死に痛みを堪えて、無理に作った笑顔を向けた。

 致命傷は避けられた。


「黙っていろ、今すぐに治す」


 既に再生が始まっているベスの背中の傷を光魔法で治療する。さすが、【再生 レベル5】と【光魔法 レベル5】のコンボだ。

 右の肩甲骨(けんこうこつ)付近から左の腰骨の辺りへと大きく切り裂かれた傷が癒(い)えていく。


 俺自身の受けた傷も本来であれば致命傷となるほどの重傷なのだが、【再生 レベル5】により既に命の心配をする域は脱していた。


「わ、たしよりも、ミチナガ様の方が――」


「黙っていろ、お前が先だ!」


 青オルトロスが既に二枚目の岩の壁を突破したのを俺の空間感知が捉えた。

 これは左腕の完治までの時間は稼げそうにないな。


「ミチナガ様、もう痛みもありません。私なら、後は放っておいても治ります――」


 俺から身体を離そうとするベスの肩を抱く腕に力を込める。


「――私、昔から傷の治りが早いので、大丈夫ですよ」


『それは治りが早いんじゃなくて【再生 レベル5】、この世界で最高の再生・治癒能力によるものだ』とも言えずに曖昧にほほ笑む。


「もう少しだ、もう少しで完治する。じっとしていろ――」


 俺の腕の中で大人しくなった彼女の耳元でささやく。


「――済まなかった、ベス。こんな大怪我をさせちゃって……約束、守れなくて、ごめん」


「怪我くらい覚悟していましたから、大丈夫です。気にしないでください――」


 俺の胸に顔を埋(うず)めたベスの吐息が熱い。彼女の言葉が胸に突き刺さる。


「――それに、こうして治してくれています」


「ベスとずっとこうして抱き合っていたいが、無粋なヤツが壁一枚隔てた向こうまで来ている。さっさと片付けようか」


「え? だ、駄目ですよ。逃げましょう――」


 頬を染めて身体を起こしたベスの視線が俺の左腕で止まり、悲鳴へと続く。


「――キャーッ! ミ、ミチナガ様! 腕が、左腕がありません! な、なんで……」


「心配はいらない、青オルトロスを仕留める頃には完治している」


 再生まで五分ってところか。実際には再生前に決着をつけたいところだ。


「逃げましょう。プランBも放り出しましょう。逃げて完治させて、皆さんと合流してから再戦でいいじゃないですか」


「そんな事よりも、頼みがある。もう一度あのコボルドの死体の中に潜ってほしい」


「え? ええー!」

 

 涙目になって叫び声を上げる彼女の耳元で作戦をつぶやく。


 ◇


 激しい振動と破裂音と共に五枚目の岩の壁に亀裂(きれつ)が入った。


「き、来ます」


 抱きつくベスの腕に力が込められる。だが、先程のように顔を俺の胸に埋めるような事はない。視線は青オルトロスが突破してくるであろう、壁の亀裂に注(そそ)がれていた。

 そして、左手にはアサルトライフル型の魔法銃。


 俺もベスの肩へ回した手に力を込める。


「本当にすまない、大変な役割を頼んで」


「ミチナガ様のためなら、二人で生きて帰るためならなんだってやります――」


 いや、それはさすがに献身的すぎるだろ。

 

「――私、こんなに大切にされた事、ありません。こんなに優しくされた事も初めてです。生贄とか言っていても、凄く大事(だいじ)にしてくれますし、大怪我してまで守ってくれますし、私、私……」


「いや、それ以上はいいから」


 涙ぐむベスに掛ける言葉が見つからない


 この俺の扱いで『こんなに大切にされたことが無い』って今までどんな扱いをされてきたんだ?

 実家の話を聞く限り、決して貧しい家庭とは思えない。


 もしかしたら複雑な事情があるのかもしれない。後でベスの実家に連れていってもらって書物を読み漁るつもりだったが考え直した方がいいかもしれない。


 そこまで考えたところで思考が中断される。

 最後の壁を破った青オルトロスが休む間もなく跳躍した。


「やるぞ!」


「はい!」


 室内に炎の渦を巻き起こす。炎が空中にいる青オルトロスを包み込む瞬間、雷撃とタングステンの槍を放つ。

 ベスが手にした魔法銃からは大口径のタングステンの弾丸が乱射される。 


 雷撃が青オルトロスの魔法障壁に阻まれた。だが、俺の雷撃を防ぐことで威力の落ちた魔法障壁を、タングステンの槍とベスの撃ち出したタングステンの弾丸が突き破る。

 タングステンの槍と弾丸が青オルトロスに届いた。


 だが、それも半数ほどが弾かれる。【物質強化 レベル3】で強化された体毛と皮膚。想像以上の頑強さだ。

 続いて炎の渦が青オルトロスを包み込む。


 青オルトロスから悲鳴にも似た咆哮(ほうこう)が上がった。

 体毛が焼け、全身がケロイド状に焼けただれていく。


 それでも青オルトロスの突進は止まらない。全身を焼かれながらも、焼けた皮膚を【光魔法 レベル5】と【再生 レベル3】で治癒しながら、怯(ひる)むことなく突っ込んでくる。

 青オルトロスが俺とベスの残像を切り裂いた。


 再びコボルドたちの屍(しかばね)の上に出現する。今度は俺一人だけだ。


「オルトロス! こっちだ、時間が経てば俺の左腕は完治するぞ!」


 再生途中の左腕を高々と上げると、言葉など通じるはずのないオルトロスに自分の居場所を示した。

 右手には硬直の短剣。ただし、今度はアンデッドオーガの角で作ってものではなく、アーマードスネークの鱗を素材にメロディが作った失敗作。【変動誘発 レベル4】がプラスに振れた逸品だ。


 光魔法で状態異常となる硬直の効果を治癒できる事は分かった。それでもほんのわずかな時間なら動きが止まる。

 その瞬間に賭ける。


 炎の渦の中を青オルトロスが駆ける。先程集中砲火で与えたダメージは既に治りかけていた。

 こうやって敵に回すと痛感するが、【光魔法 レベル5】と【再生 レベル3】の組み合わせってのは反則だよなあ。


 青オルトロスが迫る。

 だが、妙にゆっくりと動いているように感じる。よし、大丈夫だ。俺は落ち着いている。


 高々と跳躍して斜め上から飛び掛かってくる。何度目かになる残像を青オルトロスの爪が切り裂いた。


 ショート転移。


 出現したのは青オルトロスの背。背中にまたがるように出現すると同時に、重力魔法で自分の体重を何倍にもする。

 コボルドの屍の上に落下する青オルトロスの背中に魔力を流し込んだ硬直の短剣を振り下ろす。


「ベスッ! ――」


 魔力を流し込んだ硬直の短剣は容易(たやす)く青オルトロスの皮膚を突き破り、筋肉を切り裂き、骨を断った。

 そして、硬直の効果が発動する。メロディの失敗作だからこその、五連続発動。


「――今だ! やれっ!」


 コボルドの屍の下からベスの白く細い腕が突き出されるのを空間感知で捉える。

 その可愛らしい小さな手が青オルトロスに達すると同時にベスの闇魔法が発動した。


 背中に突き立てた硬直の短剣が青オルトロスの動きを止め、そのわずかな時間にベスの闇魔法で魔力を吸収する。

 身動きとれぬわずかな時間に急速に魔力が失われる。


 その身を守る魔力障壁を失い、頼りとした水魔法による攻撃も光魔法による治癒する術も失われる。

 硬直の効果を治癒するだけの魔力を失った青オルトロスはその場に崩れ落ちた。


「強かったよ、お前は――」


 転移者や魔物を含めても、今まで戦った相手で一番手強かった。単純な攻撃力や魔術だけじゃない。メンタルの強さと戦闘経験、これが大切だと教えてもらった。


「――感謝している。成仏しろ」


 魔力を失った青オルトロスの頸椎に硬直の短剣を突き立てて、止めを刺す。

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