第348話 夜の森の迷宮(21)
俺とベスに遅れて青オルトロスが部屋へと飛び込んだ。
部屋の入り口から青オルトロスが迫り、部屋の奥からはコボルドの上位種の群が押し寄せる。
「コボルドの上位種って、実は強いのでしょうか? サファイアちゃんにも怯(おび)えずにこっちへ来ますよ」
赤いたてがみのオルトロスが『ルビーちゃん』だったから、あの凶悪な青いたてがみのオルトロスの事なんだろうな。
「先程倒した感じじゃ強敵というイメージはなかったぞ」
オルトロスのいた部屋に突入する前に、入り口付近をうろついていた一匹を戦力確認の意味もあって倒していた。
「ミチナガ様、もしかしたら、あの一匹は大勢いるコボルドの上位種の中で最弱だったとか?」
「だとしたら、好都合だ」
もし、怒り狂ってこちらへと駆け寄るコボルドの上位種の一匹一匹が、青オルトロスの十分の一も強力だったとしたら、少しは楽になるんだがな。
「考えたくはありませんが、サファイアちゃんと協力して私たちを挟み撃ちにするつもりとか?」
「本当に考えたくないな」
異種の魔物同士が協力し合うなんてことがあるなら作戦の立て直しだ。それこそ戦うどころじゃない。
逃げ出す算段に切り替える必要がある。
「サファイアちゃんの魔法が来ます!」
魔法だけじゃなかった。青オルトロスが俺とベスに向けて水の刃を乱射させ、自らも跳躍すると乱舞する刃の中を潜りぬけるようにして一気に迫る。
本当に怖いのはあの牙と爪だ。複合障壁を切り裂いて、無防備となった身体まで届く。
「ちぃっ! 飛ぶぞ!」
転移する瞬間に置き土産として雷撃を放ったが、威力の大半が青オルトロスのまとう魔力障壁に阻まれ、弱り切った雷撃がその身に到達しても体毛を逆立たせるのが精一杯だった。
やはりあの魔力障壁は厄介だ。
時間をかけて魔力を注ぎ込んでいないとはいえ、俺の雷撃でさえ魔法障壁を突き破る際に魔力の大半が失われた。結果、静電気並みの破壊力まで落ち込んでしまう。
「コボルドが近いです!」
コボルドの上位種と青オルトロスとの中間地点に出現したつもりだったが、コボルドの上位種たちの移動速度が速い。
冗談ではなく、先程サンプルとして戦った個体は平均以下だったようだ。
「土魔法を使って、石畳で出来た床の形状を変える。ベスは青オルトロスの動きに注意してくれ」
土魔法で石畳の床に干渉すると、石畳の床が魔力で盛り上がり形状を変える。鋭利な頂点と辺とを備えた十センチメートル四方のピラミッド状の四角錐(しかくすい)となり、俺たちとコボルドの上位種との間の床を埋め尽くした。
四角錐の上に差し掛かるとコボルドの上位種たちの進撃速度が急激に減じる。
「ミチナガ様、サファイアちゃんとの距離、十メートルを切りました!」
ベスの言葉が終わらないうちに青オルトロスの放った無数の水の刃が部屋を照らす光球の光を反射させて飛来する。
その水の刃を盾とするように青オルトロス自身が迫る。
「賢いヤツだ」
遠距離からの魔法攻撃ではこちらにダメージを与えられない事を学習している。
青オルトロスの攻撃を回避すると同時に、ピラミッド状に変化した床に苦労しているコボルドたちの間近へと転移する。
転移すると同時に俺の首に腕を回したベスの叫び声が耳元で響く。
「近いですーっ! コボルドがすぐそこにー!」
振り返るまでもない。空間感知でコボルドの群がどこにいるのかは分かっている。
「安心しろ、作戦通りだ」
「それでも、怖いです!」
「コボルドが来る前に転移するから問題ない」
「嫌ー! 牙、牙を剥(む)いていますよ、コボルド!」
「怖いのは青オルトロスの方だろ?」
最も恐ろしいのは青オルトロスとコボルドたちが協力し合う事だ――だが、俺は祈るような気持ちで湧き上がった考えを否定する。
「サファイアちゃんも今は怖いですけど、もう少ししたら可愛くなります。でもコボルドは絶対に可愛くなりません! ――」
青オルトロスの魔力消費に利用されるだけでなく、ここまで毛嫌いされるとは気の毒に。
ベスは抱きつく腕にさらに力を込めると、コボルドから視界を逸らすようにして、青オルトロスを振り返る。
「――ヒーッ! サファイアちゃんが来ます!」
青オルトロスの事も、怖い事は怖いらしい。
ベスの叫び声に呼応するように、眼前に迫る青オルトロスに向けて雷撃を放ち転移した。
出現と同時にコボルドたちの背中越しに青オルトロスを視界に収める。
雷撃でわずかにダメージを負った青オルトロスがコボルドの群に向かって咆哮(ほうこう)を上げ、四角錐状の床に苦労するコボルドたちの動きが一瞬だが硬直する姿が映った。
さあ青オルトロス、コボルドと潰し合ってくれよ。
◇
青オルトロスが無数の水の刃を放つ。放たれた水の刃は乱舞するように、様々な軌道を描いてコボルドの群を襲った。
水の刃は四方八方からコボルドたちを切り裂く。乱反射する水と光の中、コボルドたちは空中に身を躍らせる。四肢が飛び交い、血しぶきが舞う。
立て続けに放たれた水の刃は崩れ落ちるコボルドたちをさらに切り刻み、一瞬だが辺りに真っ赤な霧が立ち込めたような錯覚を起こさせた。
発動した魔法は二回。
たった二回の水の刃の乱舞でコボルドの上位種は全滅。何体ものコボルドたちが重なり合うように身体の部位を積み上げていた。
「サファイアちゃん、こんなに強かったのですね」
誤算だ。コボルドの群を相手に魔力を消費させ、あわよくばコボルドに意識を向けたところを不意打ちするつもりだった。
だが現実はたった二回の魔法攻撃でコボルドを全滅させてしまっている。
今の魔法攻撃で果たしてどれだけの魔力を消耗させることが出来たのか……
「ベス、プランA´に変更する」
「に、逃げましょう、ミチナガ様――」
わずかに身体を離して真直ぐに俺の事を見上げていた。目に涙を浮かべている。震えている。彼女の肩に回した俺の手に震える様子が伝わってくる。
先程まで騒いでいた彼女とは違った。
「――危険を避けて下層へ向かいましょう。皆さんと合流してから再戦しま、あんぐっ」
ベスが口を大きく開いたところで、彼女の口を塞いだ。
唇に伝わる柔らかく温かな感触。舌先にはさらに柔らかく熱い感触。この状況でよくやると自分でも感心する。
青オルトロスと目が合った。
その瞳の奥に怒りを見た気がした。
青オルトロスが咆哮を上げて距離を詰める。床に転がったコボルドたちの身体の一部を蹴散(けち)らして跳躍した。
俺たちに牙と爪が届く直前、入れ替わるようにして積みあがったコボルドたちの屍の上へと転移する。
挑発するように直前で転移したのが功を奏したのか、青オルトロスはさらに大きな咆哮を上げた。
「来いよ。もう逃げも隠れもしない、真向勝負だ。どちらの力が上か、ハッキリさせようか」
言い終わるや否や、咆哮と共に水の刃が乱舞する。先程までとは明らかに異なる軌道。回り込むようにして俺たちの背後へ――まるで出口への道を塞ぐように降り注ぐ。
青オルトロスは流れるように俺たちへ向けて水の刃の第二射を放つ。その輝きの後を追うようにして飛び掛かってきた。
「ヒッ」
ベスが小さな悲鳴を上げる。
だが準備は万端だ。こちらも転移と同時に幾つものタングステンの弾丸を生成している。
俺の放ったタングステンの弾丸が青オルトロスの放った水の刃を切り裂いて、跳躍した青オルトロスに襲い掛かる。
水の刃の幾つかはタングステンの弾丸を切り裂いて迫る。
だが、青オルトロスの放った水の刃が俺たちに届くことはなかった。複合障壁がすべてを弾く。
こちらの放ったタングステンの弾丸も青オルトロスが纏(まと)う魔法障壁に、そのほとんどが弾かれた。辛うじて届いた弾丸も威力を減じられ、かすり傷程度しか負わせられない。
オルトロスとの距離が一メートルを切った。
眼前に迫るオルトロスの牙。
オルトロスの牙は俺の残像に突き立て、爪は俺とベスの残像を切り裂く。
転移と同時に床の形状を槍状に変形させて岩の槍を青オルトロスの腹部へと突き立てる。
魔力を込めた一本が青オルトロスの腹部を突き破り背中へと抜けた。
苦しそうな咆哮が辺りに響き渡る。
オルトロスは俺たちを完全に見失った。
俺は真っすぐに硬直の短剣を突き上げる。
コボルドの上位種、その死体の隙間から目の前にあるオルトロスの左胸に突き立てた。
十分な魔力が込められた一撃。青オルトロスが身体の周囲に展開していた【純粋魔法 レベル5】の魔法障壁を突き破る一撃。
青オルトロスの動きが止まった。
よし! 仕留めた!
コボルド上位種の死体の下から転移で抜け出す。青オルトロスまでの距離は五メートル。
万が一の場合でも対処できる距離だ。
オルトロスは心臓を貫いた最も魔力を注ぎ込んだ岩の槍。他の岩の槍もその体を空中に縫いとめるように貫いている。
「まだ生きていますね」
「心臓が再生を始めている。再生能力と光魔法だろうが、大したものだ――」
だが、貫かれた心臓は岩の槍が邪魔して再生できない。
「――だが、ここまでだ」
オルトロスにとどめを刺すために黒いブレードの日本刀を取り出すと、ゆっくりと歩いて近づく。
銀髪の仲間から奪った神器。
本来の能力は敵の魔力を拡散させるものなのだが、魔力を流すことで俺が所持する武器の中で最も固く、切れ味が良くなる。難点は魔力消費が大きい事くらいだ。
後二歩の距離に足を踏み入れると、オルトロスが突然飛び掛かってきた。
回復している? 馬鹿な?
いや、それどころじゃない! かわさないと! 間に合うか?
転移と同時に左肩に激痛が走る。辛うじて牙からは逃れたがオルトロスの右の爪が肩口を切り裂いた。
「ミチナガ様っ!」
「大丈夫だ」
「で、ですが、左腕が肩から千切れかかっています!」
傍にいるはずのベスの悲鳴にも似た声が、遠くで響くように聞こえた。
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