第345話 夜の森の迷宮(18)

 皆がベスの背中を気の毒そうに見つめる中、部屋の中を覗き込んだベスが蒼ざめた顔で、口元を押さえながら魔物の正体を口にした。


「ミチナガ様、あれはミノタウロスではなく、ウェアキャトルですよ。確か毒を持っていたはずです」


 声は小さいがエリシアの驚きの言葉に続いて、ミーナとリンジーが自分の肩を抱くようにしてかぶりを振った。


「え? あれがウェアキャトルなの? 伝説の魔物じゃないっ!」


「ウェアキャトル! 嫌ー、子どもの頃の恐怖が蘇るーっ」


 三人とも毒の部分には反応していない。

 そんな三人とは対照的にベスがキョトンとした表情で聞き返し、


「ウェアキャトルって伝説になっているんですか?」


「ねぇ、ミチナガ。あの牛人間、不意打ちでやっつけようよ」


 マリエルが戦端を開こうとうながした。


「最後の晩餐ばんさんくらいゆっくり食べさせてやろう。先ずはウェアキャトルの事を聞いてからな――」


 マリエルを抱き寄せると、エリシアに向き直り小声で言う。


「――伝説で構わないから、ウェアキャトルについて知っている限りのことを話してもらえるか」


「ええ、でも――――」


 ウェアキャトルを気にするように部屋の中に視線を向けて、何か言おうとするエリシアを遮る。


「あの二頭なら食事に夢中でこちらに気付いていない。気付いてからでも十分に対処できる。知識不足で戦うより、伝説であっても知識のある方が助かる」

 

 俺の言葉にエリシアはうなずき、『伝説というのは今から三百年程前のバール市壊滅の伝説を指しています』と話し始めた。


「今から三百年ほど前にバール市という、町よりも少し大きい程度の都市が一夜にして滅びました。滅ぼしたのは、たった二頭のウェアキャトルです」


 エリシアの話にミーナとリンジーはもとより、奴隷娘の三人とメロディまで震えている。この反応からすると全員ウェアキャトルの伝説をしっているようだな。

 疑問を投げかけた俺が常識を知らない人間みたいだ。ちょっと寂しさと孤独感を覚える。


「まぁ、そんな事があったのですね」


「知らなーい」


 ベスとマリエルが正直に申告した。

 良かった、俺は孤独じゃなかった。


 皆の反応を確認するとエリシアがさらに続ける。


「どういった経緯かは分かりませんが、ある日二頭のウェアキャトルがバール市に突如現れ、市民に次々と襲い掛かったそうです。探索者ギルドと魔術師ギルドが中心になってウェアキャトルの撃退策を講じる一方、一人の若者が隣接する都市の騎士団に助けを求めて馬を駆けさせました――」


 リンジーとミーナが震えながらも食事中のウェアキャトルを確認しようと部屋の中を覗き込む。すると、エリシアも釣られるように話を切って部屋の中へと視線を向けた。

 ウェアキャトルが食事に夢中になっていることに安堵の表情を見せて話を再開する。


「――若者の求めに応じて騎士団がバール市に駆け付けたのは翌朝。ですが時すでに遅く、住民は一人も残っていませんでした」


「全滅したのか? たった二頭のウェアキャトルにか?」


「はい、騎士団を呼びに行った若者以外全滅だったと言い伝えられています――」


 探索者ギルドと魔術師ギルドの規模や戦闘力が今一つ分からないが、この部屋にいるウェアキャトル程度に全滅させられたのか。

 リューブラント国王の騎士団なら五十人もいればこの部屋のウェアキャトル二頭くらいは片付けられそうだ。そうと考えると探索者ギルドと魔術師ギルドの規模が小さかったのだろう。


「――因みに、人間だけでなく、馬や羊、犬といった家畜も一匹残らず消えていました。街中まちなかにはもの悲しげに泣く沢山の牛がいるだけだったそうです」


 おい、ちょっと待て。もの凄く続きを聞きたくないんだが……


「嫌ーっ、もの凄く嫌ーっ。想像したくないーっ!」


 想像を膨らませたベスが頭を抱えて騒ぎ出し、結末を知っているリンジーとメロディ、奴隷娘の三人が震え出した。

 今しがたまで一緒になって怖がっていたミーナとリンジーが、声を揃えて詩の一節のようにとうとうと口にする。


『速く、少しでも速く

 もたらされた凶報に、刹那の時を惜しんで騎士団が駆ける

 だが時すでに遅く

 彼らを待っていたのは、もの悲しげに響く牛の鳴き声だった』


 ミーナとリンジーが息もぴったりにはもった一節に


「うわー、うわー、私、だめなんです、こういうの、だめなんですーっ」


 ベスが再び頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「到着した騎士団は一頭のウェアキャトルを仕留め、残る一頭の捕獲に成功しました――」


 エリシアは震えるベスを見つめるのをやめると全員を見やり、一際声のトーンを低くした。 


「――その後、謎と疑問が持ち上がりました。住民たちは家畜を置いてどこへ消えたのか? 突然現れたたくさんの牛はどこから来たのか?」


 いや、聞かなくてもなんとなく想像できた。


「嫌ーっ、まれたくないーっ。ウェアキャトル、怖い!」


 ベスは叫び声と共に俺の左足にしがみ付いてきた。ものの数秒で骨が砕けた。次の瞬間には光魔法で回復させる。

 その繰り返しの中、エリシアの話はさらに進む。


「罪人を使って確認をした結果、ウェアキャトルに噛まれると半日ほどで牛になってしまったとか、なんとか」


 なんとか、じゃねぇよっ! 


「嫌ーっ、怖い、ウェアキャトル怖い!」


「牧場を気持ちよさそうに歩き回る牛とは明らかに違う、もの悲しげに何か訴えるように鳴き続ける牛もいたとか、いなかったとか」


 そこがあやふやって……目を背けたのか?


「いやーっ! こういうお話、だめなんです、私」


 ベスの声が次第に大きくなっている。だが、この状況で部屋の中のウェアキャトルはまだ食事に夢中だ。


「さらに恐ろしいのは後日談です」


 まだあるのか? 今度は何をした? いや、もしかして感染とかじゃないだろうな? 感染性のものだとしたら大ごとだ。


「捕獲されたウェアキャトルは、その後、国王直属の管理下に置かれ……貧しい農村にちょくちょく貸し出されたそうです」


「えええーっ! それって、それって、ンゴッ」


 ベス、騒ぐな、言うな。それ以上は聞きたくない。

 エリシアは口をふさがれたベスの目の前に人差し指を立てて力強く言う。


「いい話もあります。死刑が廃止されたそうです」


 貧しい農村の話と考え合わせると、奴隷制度が表向きは存続していたとしても、事実上廃止になってそうだな。


「それって、いい話なのか?」


 その部分は知らなかったのかミーナが驚いたように口にする。


「うっわっ。奴隷になる方がよっぽどマシじゃないの?」


 彼女の背後ではメロディと奴隷娘の三人が揃って、コクコクと首を縦に振っている。その横でリンジーがぽつりと言う。


「食料が増えた」


「食料にされたのか、農耕牛として一生を過ごしたのかは分かりません。一応、本の説明では牛にした後は余所へ売り払って、手に入れたお金で食料を買い入れた、と書いてありました」


 三百年も昔の話だしなー、何を基準に対象者を選んでいたか分かったものじゃない。

 もの凄い数の悲劇がありそうだ。


「その後、王国ではウェアキャトルが死亡するまで食糧難に苦しむ事は無かったそうです」


 ダメだろ、それ。

 人として越えてはいけない一線のような気がする。


 エリシアが『以上です』と締め括ると、言葉を発するものは誰もおらず、辺りは水を打ったように静まり返る。かすかに聞こえてくるのはウェアキャトルの食事の音だけだった。

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