第344話 夜の森の迷宮(17)

 空間感知を最大限に拡大したが、結局、飼育されている他の牛も見つからなければ、牛の群も見つからなかった。

 発見できたのは徘徊する魔物たちと何カ所かに点在する魔物の群だ。


 結局、『この仔は狼や犬の仲間なので嗅覚が優れています』とのベスの推薦でアンデッド・狐の嗅覚を頼ることにした。

 牛の匂いを憶えさせたアンデッド・狐に、牛の歩いてきた通路を遡(さかのぼ)らせること小一時間。見事に仲間の牛……だったものがいるところまでたどり着くことができた。


 ベスの推薦という事でアンデッド・狐で臭いを辿る案を受け入れたが、鑑定する限りアンデッド・オルトロスの方が視力・聴覚・嗅覚のいずれも上だ。

 大喜びでアンデッド・狐を褒めて抱きつく女性陣には黙っておくことにした。


 牛がいるとアンデッド・狐が主張する部屋の前までくると、入り口から部屋の中をそっと覗き込む。

 事前に視覚を飛ばして部屋の中を確認してはいるのだが、改めて見ると目を背けたくなるような惨状だ。

 

 牛は四頭、いずれも事切れていた。首筋を食い千切られたり、腹を食い破られたりしている。

 そして人間の身体に牛の頭を持った――ミノタウロスとよく似た魔物が二頭。夢中になって牛を食べている最中だった。


 体育館程の広間の入り口から室内を覗き込んでいる年少組の三人に小声で確認する。


「どうだ? 見えるか?」


「見えます。血まみれになって牛を食べていますね」


 真っ先に答えたエリシアは吐き気を我慢するように左手で自分の口元を押さえている。

 彼女の視線の先にはミノタウロスとよく似た二頭の頭が牛で身体が人間の魔物と、その二頭の魔物に食い散らかされている四頭の牛の死骸(しがい)があった。


 だが、今気になるのはエリシアの健康状態よりも牛がいた事だ。


「他にも牛がいるとは思わなかった」


「ベスちゃんの言うようにあの牛人間の魔物に飼育されていたと思いますか?」


「野生の牛よりは可能性がありそうな気がしてきたよ――」


 ここまでの道中と空間感知で周辺を調査した限り、五頭の牛の群が生きていけるだけの食料は見当たらなかった。

 それに、無力な牛がこんな危険なダンジョンで生き延びられるとも考えられない。


「――牧場が別のフロアにあって、ここまで運んで食事しているのかもしれないな」


「もし本当に飼育していたとしたら、相当高い知性がありますね」


 そう言うと、牛とミノタウロスもどきから視線をそらせて口元を手で覆った。

 エリシアに続いて一緒に部屋を覗き込んでいたミーナとリンジーがささやき合う。


「嫌なものみちゃったわ。牛が牛を食べているよー」


「げっ! 意外と腕力あるよ、両腕の力だけで牛のお腹を引き裂いたっ」


 両手で頭を隠すようにしてしゃがみ込んでいるベスが、ささやくような涙声を上げた。


「ヒーッ、聞こえません、何も聞こえません。私には牛が共食いする光景なんて想像も出来ませんーっ」


 涙を浮かべて激しく頭を振っている。どうやら想像しているようだ。


「うわっ、右のヤツは食い破ったお腹に頭を突っ込んだっ。あれって、内臓を食べているのよね?」


「あ、角を掴んで牛の頭をもぎ取ったよ、あの牛人間」


 わざとではないと思うが、ミーナとリンジーがベスの想像を手助けするような会話を続ける。


「猛獣が牛を襲うのを見るのは大丈夫だけど、牛人間が牛を食べるのはちょっときついわぁ」


「うへぇっ、かぶり付いたまま内臓を引き出したっ!」


「嫌ーっ、聞きたくないーっ、何も聞きたくありませんっ」


 俺の背後から、頭を抱えてしゃがみ込んだまま震えているベスと尻尾を丸めて涙目で震えているメロディの、押し殺したような泣き声が聞こえてくる。

 二人とも部屋を覗き込んでいないので、想像だけで震えあがっていた。


「あいつら、ミノタウロスじゃないの?」


「言われてみるとそうかも、ランバール市の『北の迷宮』にいた守護者とそっくりね」


 リンジーとミーナの会話にエリシアが割り込んだ。


「でもかなり小さく見えない? 『北の迷宮』の守護者はもっと大きかったでしょ?」


「エリシアの言う通りね。ミノタウロスに比べると、顔つきとか体つきとか、なんとなく全体的に貧相じゃない?」


「装備とかもなんだかボロボロだよ」


 ミーナとリンジーの会話をよそにエリシアが聞いてきた。


「距離があるのでよく分かりませんが、それほど大きくありませんよね? それにあの牛人間は牙を持っていませんか?」


 エリシアの発した『牙』という単語にベスが反応した。


「牙ー、牙ーっ、牛なのに牙ーっ!」


 顔が草食獣の牛で、開かれた口からは肉食獣の牙が覗いている。


「オークよりも少し大きい程度だ。身長は二メートルってところだな。エリシアの見た通り、肉食獣並みの牙をもっている」

 

 俺の説明にエリシアが緊張した様子で確認するように問いかけた。


「では、あれはランバール市にあった『北の迷宮』の守護者ほど強くはない、と考えていいでしょうか?」


 鑑定で分かっているが、『北の迷宮』の守護者であったミノタウロスとは所持スキルがまるで違う。

 脅威となりそうなスキルはない。敢えて言えば毒を警戒するくらいだ。


 エリシアの問いかけミーナとリンジーだけでなく、メロディと奴隷娘の三人までもが耳を傾けていた。

 魔物の所持スキルを教えるわけにはいかないので適当にぼやかす。


「見た目は似ているかもしれないが、エリシアの言うように大きさや肉食獣のような牙、それにまとっている魔力がまるで違う――」


 俺の言葉に皆が安堵で胸を撫で下ろす。

 さて、毒があるとも言えない。これも適当にぼやかそう。


「――ただ、どんな魔法や特技を使ってくるか分からない。うかつに近づかないのは当然だが、防御には細心の注意を払ってくれ」


「了解です」


「畏まりました、ご主人様」


 エリシアとメロディの了解の返事が重なり、奴隷娘三人が無言で首肯する中、リンジーとミーナが会話しながら首肯する。


「北の迷宮の守護者は大きかったからねー」


「私たちは見ているだけだったけど、怖かったよ」


 さて、ここまでで分かった事はあのミノタウロスもどきが何者なのか年少組の三人も知らないという事だ。

 この三人よりも魔物に関する知識の少ないメロディや奴隷娘の三人が知っている可能性は低い。となると、残るのは……


「ベス、ちょっとあの魔物を見てほしい。実家で読んだ本に載っていなかったか思い出してもらえないか?」


「載っていませんよ。見た事もありません」


 目をつぶって後ろを向いているじゃないか。見てないだろ、お前。 


「ちょっと、覗いてみようか」


「私、共食いとかだめなんですっ」


「大丈夫、明らかに種類が違う。顔は牛だけど牙も生えているし、身体は人間だ」


「牙の生えた牛もだめなんですっ」


 そんな牛はここにしかいない。

 ち、仕方がない。


 俺はしゃがみ込んでいるベスをお姫様抱っこで抱きかかると、『キャッ』と小さな悲鳴を上げるベスの耳元でささやく。


「今から、あのミノタウロスもどきのところまでゆっくりと歩いていく」


「はい?」


 一瞬、ベスの目の焦点が定まらなかった気がするが大丈夫のようだ。


「よし、いい返事だ。ベスが実家の本で読んだ憶えがあるかどうか、思い出したところで引き返そう」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」


 涙を浮かべて暴れるベスをしっかりと抱きしめて、彼女を安心させるように落ち着いた口調でささやく。


「大丈夫、俺が一緒だ。じゃあ、行こうか」


「わ、分かりました。入り口から覗きます。覗きますから許してくださいっ」


「聞き分けのいい娘は大好きだ。じゃあ、頼む」


 俺はお姫様抱っこをしたベスに笑顔を向けると、部屋の入り口へと下ろした。

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