第343話 夜の森の迷宮(16)

 ベスによって新た命を吹き込まれたオルトロスは、ゆっくりと起き上がると、小さく喉を鳴らして彼女にすり寄っていった。

 年少組の三人と奴隷娘三人から歓声が上がる。

 見れば、ベスが既に解放したアンデッド・オーガを解体して、素材の回収をしていたはずの彼女たちの手が止まっていた。


「ミチナガ様、成功ですっ。オルトロスを使い魔に出来ましたっ」


 歓声に続いて、ベスの涼やかな声がダンジョン内に響いた。気のせいか口調が軽やかで、弾んでいるように聞こえる。


「ご苦労さん。次はロックオーガを頼む――」


 アンデッド・オルトロスは確定として、盾役は六体欲しい。アンデッド・オーガ六体をアンデッド・ロックオーガ六体と入れ替えるか。

 ベスの使役出来る使い魔の上限は十五。都合、アンデッド・狐を一匹減らす事になるが問題ないだろう。


「――アンデッド・オーガは再度使い魔にする必要はない。アンデッド・オーガ五匹に加えてアンデッド・狐一匹をリリース。ロックオーガ六匹と入れ替えてくれ。アンデッド・オーガメイジはそのままだ」


「え? 狐の使い魔を減らすのですか?」


 アンデッド・オルトロスが増えた分、アンデッド・狐を減らすつもりでいたが、どうやら反対のようだ。

 ベスに続いて、リンジーとミーナから声が上がる。


「え? フジワラさん、狐は残しましょうよ」


「オーガメイジが役に立っていなかったから、オーガメイジを使い魔から外しませんか?」


 小さく手を挙げたエリシアが、


「あの、狐は小回りも利いて使い勝手がいいです。今の戦闘でもロックオーガの脚止めをしてくれました」


 狐の有用性を主張し、『それに、とっても可愛らしいです』とつぶやいた。


 まあ、最後の独り言はともかく、エリシアの言うように今回の戦闘でオーガメイジよりも狐の方が役に立ったのは確かだ。それにオーガメイジの魔法に頼る場面っていうのは想像できないか。


「分かった、オーガメイジを外して狐はそのまま。ロックオーガ六体を使い魔にしてくれ」


「はいっ! 分かりました」


 今度こそ本当に声が弾んでいた。


 ◇


 周囲を空間感知で索敵しつつ、オルトロスを引き連れて移動するベスに視線を向ける。

 狐を減らさずに済んだのが嬉しかったのか、オルトロスという強力な使い魔を手に入れたのが嬉しかったのか、鼻歌交じりに使い魔にするロックオーガを物色していた。


 ロックオーガの死体の間を縫うように歩く足取りが軽い。

 彼女を視線で追っていると、解体作業中のミーナとリンジー、エリシアの声が聞こえてきた。

 

「ロックオーガなんて初めて見たよ。考えていた以上に強かったね」


「私も。本でしか読んだことなかったけど、本当に皮膚が硬くなるのね」


「でも、これで硬いロックオーガを盾にできるよ」


 オーガとロックオーガの最大の違いは皮膚の硬質化。ロックオーガは任意で自分の皮膚を岩のように硬質化させる事が出来る。

 皮膚を硬質化させることで、物理的な攻撃力と防御力が格段に上昇する。


 この皮膚の硬質化とメロディが作成した防具を併用する事で、先程まで盾としていたアンデッド・オーガとは比較にならない程に盾役が強化されるはずだ。


「ご主人様、オーガ用に作成していた大盾が六枚完成しました」


 メロディの方を振り向くと、彼女の足元に巨大なタワーシールドが六枚並べられていた。

 アンデッド・オーガ用に作成してもらっていたタワーシールドだが、アンデッド・ロックオーガに転用できる。


 リンジーとミーナが立ち上がってメロディの足元にあるタワーシールドを覗き込む。


「大盾だっ!」


「これで防御が強くなる」


 騒ぐ二人の横でエリシアもホッとした表情を浮かべていた。


 圧倒的な戦闘力を持つオルトロスを筆頭に、盾役としてこの上なく安定しているロックオーガが六体。能力とは別のところで不安はあるが、索敵と機動性に富んだ狐が八匹。

 ベス配下のアンデッド軍団も随分と頼もしくなった。


「ありがとう、メロディ。引き続きロックオーガ用の戦斧を頼む」


 俺自身の言葉と重なるように、マリエルの若干緊張した声が響く。


「ミチナガ、なんか来た」


 マリエルの声に従って部屋の出口を見ると、一頭の牛が部屋に入ってくるところだった。

 空間感知では特に魔力を感じなかったので放置していたが、只の牛だったのか。


「なんでこんな所に牛がいるんだ?」

 

 誰にともなく問い掛けたつもりの言葉に、誰も反応しない。


 あれ? もしかして牛ってダンジョンにも普通に生息しているものなのか? 不思議な光景だと思っているのは俺だけなのか?

 奇妙な孤独感に襲われ、無言で牛を見つめていると、


「おや?」


「牛……」


 小首を傾げるベスと言葉を失ったメロディに続いて、リンジー、ミーナ、エリシアが作業の手を止めてつぶやく。


「あれって、牛? だよね?」


「牛? なんで?」


「牛だね」


 良かった。俺は孤独じゃなかった。

 彼女たちも不思議に思っている。いくら異世界といってもダンジョン内を、牛が一頭でうろつくというのは、やはりおかしいようだ。


 でもなかった。


「ご馳走だね」


「だねー、牛肉だよ」

 

 食べる気かよ、あからさまに怪しいだろっ、この牛。

 文字通りご馳走を見るような目で牛を見ている、食べ盛りのリンジーとミーナにエリシアが言う。


「ダンジョンで出会った牛を食べるの? なんだか怪しくない?」


 怪しいよな、ふつうそう思うよな。


「ダンジョン内に牛が一頭でうろつくというのは、どう考えてもおかしいだろ?」


「ミチナガ様、もしかしたら魔物の飼っていた家畜が逃げ出したのかもしれません」


 ベス、普通にありそうな事のように、シュールな事を言うなよ。

 それに刺激されたのか、メロディがハタと気付いたように、顔を明るくさせて口にする。


「ご主人様、群で暮らしていたうちの一頭が迷子になったのかもしれません」


 メロディ、お前もか。


「地上で飼われていた牛が迷い込んだんじゃないの?」


「はいっ、はいっ、フジワラさんっ! 女神さまがお腹を空かせた私たちのために、あの牛を遣わしてくれたんだと思います」


 ミーナとリンジーの意見に、エリシアが今にも怒鳴りだしそうな顔をしている。

 俺は『分かった、もう十分だ』と一言告げ、それ以上皆の意見を聞くのを中断した。


「今から空間感知の範囲を最大限まで拡大する。それで飼育されている他の牛や群が見つかったら、あの牛は魔物に返すなり群に戻すなりしてやろう。見つからなかったら処分する。それでいいな?」


 はなから食べる気はない。飼育されている牛や群を見つけても知らん顔するつもりだ。出来れば問答無用で消し炭に変えたい。


「はい、ご主人様。それでよいと思います」


 メロディ、お前本気で言っているのか? 魔物に返しに行くとか群に戻してやるとか、ちょっと人がすぎるぞ。


「はい、私もフジワラさんに賛成です」


 お前もメロディと一緒だ。

 小気味よい返事をするエリシアに続いてミーナとリンジーがぼやく。


「飼育されている牛だったら魔物に返しに行かなくてもいいのに」


「もう、食べちゃいましょうよー」


 お前たち二人はライラさんに報告な。厳しく再教育してもらえ。

 ベスに視線を向けると、憧れの存在を見るように瞳をキラキラと輝かせていた。


「ミチナガ様は本当に優しいですね。私、そういうところが大好きです――」


 ごめん、ベス。なんだか、本当に、ごめん。


「――きっと、皆さん良い方ばかりなのは、ミチナガ様が優しくて思いやりがあるからですね。だから、そんな人たちばかりが集まるんですね」


 いや、俺と一緒にいる仲間は俺の嘘に気付かないお人好しか、何も考えていない人たちだ。或いは、お互いに納得し合った上で利害関係が一致したり、思惑を胸に秘めて利用しあったりする人たちばかりだよ。

 

 俺はなんとも言えない罪悪感とわずかばかりの切なさを心の奥底にしまい込んで、空間感知の範囲を拡大した。

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