第339話 夜の森の迷宮(12)
アンデッド・オークに護衛されたリンジーの悲痛な叫びがダンジョンの通路に木霊する。
「オーガはいいよ、受け入れられる。でも、オークは嫌っ! 見るのも嫌ーっ!」
「まあ、まあ。オークって言ってもアンデッド・オークで、ベスちゃんの手下だから」
なだめるミーナも先程から自らを護衛するアンデッド・オークに近寄ろうとしていない。
気持ちは分からないでもない。オークはゴブリンと共に女性が嫌悪する魔物の双璧を成す。使い魔と化して襲ってこないと分かっていても感情面では納得できないだろうし、生理的にも受け付けないのだろう。
アンデッド・オークを嫌悪の目でみる二人の少女に対して、使い魔の制作者であるベスも、先程から申し訳なさそうにチラチラと視線を向けていた。
俺と目が合ったベスがこちらに身体を寄せると、ミーナとリンジーに聞こえないよう、小声で話しかけてきた。
「あの、ミチナガ様。やはり女性が多い職場でオークはまずいかと思うのですが……」
「仕方がないか。ベス、次に有用な魔物が出てきたらアンデッド・オークを使い魔から解除して新しい魔物を使い魔にするぞ」
先程から文句を言っている二人に聞こえるよう、少し大きめの声でベスに返答すると、すぐにリンジーとミーナが反応する。
「やったーっ! フジワラさんに私の気持ちが届いた」
「いやん、届いたのは私の気持ちよ」
「違うわよ、私の愛らしさに心が動いたんだって」
「何言っちゃってるのよ、私の可憐さにまいっちゃったのよ」
「お前ら、悪ふざけがすぎるとアンデッド・オークを抱きつかせるぞっ! ――」
尚も黄色い悲鳴を面白半分に上げている二人から、左側へと視線を向ける。すると、先程から周囲に気を配っているエリシアのオレンジ色のツインテールが揺れるのが目の端に映った。
ルオアテン市攻略戦辺りから彼女の成長は突出していたが、ダンジョンのトラップに掛かって皆とはぐれて以降、精神的にも技量的にも目覚ましいものがある。
よし、精神面の成長著しいエリシアを頼る事にしよう。
「――エリシア、あの二人をなんとかしてくれ」
「え? こういう場合って、パーティーリーダーのフジワラさんがしっかりするべきですよね?」
「年端の行かない女の子の扱いは得意じゃないんだよ」
「そんなこと言わずに、リーダーとして格好いいところを見せてください」
だめだ、エリシアはあてにならない。そうなると、残るは……
「ベス、お前から――」
「いやー、私に言われましてもー。私、そもそも人付き合いが苦手なので、説得とか絶対に無理ですよー」
話を最後まで聞かずに拒否したな、お前。
どいつもこいつもあてにならんな。仕方がない、俺が釘を刺しておくか。
俺がミーナとリンジーに話し掛けようとする矢先、偵察に出ていたマリエルの声がダンジョンの通路に響く。
「ミチナガー、この先に大きなお風呂があるよ。でも中は水が入ってる」
ダンジョンに風呂がある訳がない。貯水槽か何かだろうか? いや、貯水槽があるというのもおかしな話だ。
姦(かしま)しく悪のりする二人を注意するより、ダンジョンへの対応を優先しよう。
「マリエル、形状とか大きさ、周囲の様子をもう少し詳しく頼む」
「大きな部屋があって、部屋の中がお風呂みたいで、水でいっぱいだった」
空中で手足を大の字に広げているマリエルを見て、ベスが小首を傾げる。
「お風呂? 水? 水のお風呂ですか? それだと部屋から水が溢(あふ)れませんか?」
疑問は分かる。俺も同じ気持ちだ。
マリエルが持ち帰った情報に興味が移ったのか、ミーナとリンジーが普段の口調に戻って会話を始めた。
「白姉が前に言ってた水風呂ってやつかな?」
「ダンジョンに?」
「大体さあ、部屋が水でいっぱいなのに、どうして水が溢れないの?」
「さあ、やっぱり魔法かな?」
部屋の水が溢れださないように魔法で処理してある? なんだか、もの凄く非効率な仕掛けだな。
半ば考えるのを放棄したリンジーとは対照的にミーナが小首を傾げて誰とはなしに話し掛けると、
「部屋が水でいっぱいの訳はないから、きっと、お風呂みたいに床が一段低くなっているか、部屋に湯船があるんじゃないの?」
即座にマリエルが反応した。
「そうっ! 床が無いんだよ。床が水でいっぱい!」
ここで想像を巡らせても埒が明かない。
「ともかく、水が沢山ある部屋があるんだな? 現場へ向かおう」
◇
通路の先に、周囲の光苔(ひかりごけ)が放つ明かりで、一際大きな開口部が淡く照らし出されていた。
「あれだよ、水のお風呂の部屋」
「なるほど、水で満たされている。風呂というよりも巨大な貯水槽だな、これは」
開口部までたどり着くと、他の部屋とは明らかに違った作りである事が分かる。部屋には床の代わりに水面があり、三つくらいの階層をぶち抜いているようで、水深はゆうに三十メートルはあった。
五十メートル四方程の部屋を見渡しながら、エリシアがつぶやく。
「お風呂というか、貯水槽を部屋の床いっぱいに作った感じですね。見た感じですと、深さは十メートルくらいありそうですから、下のフロアまで続いているかもしれません」
十メートルどころじゃなく、続いているよ。幸い、同一階層とみなしてくれているらしく空間感知が届く。
エリシアの後ろからミーナとリンジーがのぞき込んだ。
「天井がかなり低いですね、この部屋」
「この天井の高さってさ、水の中にいる魔物がジャンプして届く高さだったりして」
リンジー、多分正解だよ、それ。
「皆、落ちないように気をつけろよ、水深がかなりある。それと、体長七・八メートルのナマズみたいな魔物が潜んでいるからな」
「それって、気を付けるのに水深関係ありませんよね?」
ベスの疑問を受け流して、年少組の三人に説明を続ける。
「途中までしか把握できなかったが、空間感知で調べたところこの貯水槽みたいなのは下のフロアか或いはさらにその下のフロアまで繋がっている。それもかなりの広さだ」
「はい、はーい。ミチナガー、魔物はナマズみたいなのが一匹だけ?」
挙手の代わりのつもりなのだろうか、空中でピョンピョンと跳ねながらのマリエルの質問に答える。
「いや、ナマズみたいなのは、空間感知で把握できる範囲で十二匹いる。その他にも、もう少し小型の魚――二・三メートルほどの魚がナマズよりも速い速度で泳いでいる」
ナマズとか小型の魚と表現しているが、どう考えても適切じゃないよな。
俺の説明に表情を強張らせたエリシアが躊躇うように口にする。
「この部屋というか、この貯水槽を渡らないと先に進めませんよね?」
「『飛翔の腕輪』を使って、ナマズよりも高速で飛んで渡ればいいんじゃない?」
リンジーの能天気な提案にベスが若干顔を引きつらせた。
「天井、低いですね、ここ」
水面から天井まで三メートル余り。天井ギリギリを飛んで渡ろうとしたら、『待っていました』とばかりに水中から魔物が出てきて襲われる未来しか予想できない。
「ベス、アンデッド・オークを一匹泳がせてみよう」
「うわー、もの凄く凄惨な光景が予想出来ちゃんうんですけど」
「どうせ死んでいるんだ、気にするな」
「じゃあ、キルヒアイスちゃんに泳いでもらいましょう」
ベスの言葉に、キルヒアイスと名付けられたアンデッド・オークは、装備を外すと貯水槽へ飛び込んだ。
キルヒアイスが平泳ぎで数メートル進む。すると突然水面が持ち上がり、その中から巨大なナマズが出現してアンデッド・オークを丸飲みにしてしまった。
一瞬の出来事に皆が言葉を失う中、ベスが真っ先に口を開いた。
「あれが襲ってくる中、空中を飛んで向こう側に行くとか嫌ですよ」
ベスに続いてリンジー、エリシア、ミーナと続く。
「飛べない、絶対に飛べないっ」
「いや、飛んだら食べられちゃうよ。今のジャンプ見た? 天井にぶつかったのよっ!」
「アンデッド・オーク、君の犠牲は忘れない」
今のナマズの魔物、【水魔法 レベル4】を持っていた。
ナマズの魔物から【水魔法 レベル4】を奪う算段に思考を傾けている俺にエリシアが切羽詰まった様子で話しかけ、
「フジワラさん、考える事なんてありません。転移魔法で全員を連れて向こう側に移動しましょう。それか引き返すかです」
ミーナとリンジーが背後を振り返りながら小さく震える。
「引き返したらさっきのウツボがまた出るかも」
「幻影ウツボだっけ?」
強化を疎(おろそ)かにしていた水魔法、これはチャンスだ。この機会を逃したくない。幸いにしてエサとなるアンデッド・オークはまだいる。
冷却系の火魔法を使うか。
アンデッド・オークをエサにナマズの魔物を水面におびき出して、水面から数メートルの厚さを氷漬けにする。
数メートルの厚さがあれば、ナマズも氷を破って飛び出す事は無いだろう。
念のため俺以外は天井すれすれを飛んで対岸へ渡る。
「ミチナガ様、対岸に何か集まっています」
ベスが俺の左腕にしがみ付いてきた。左手の痛みで現実に引き戻された俺はベスの視線の先、対岸へと視線を移す。
犬科の魔物のようだな。
同時に背後からミーナとリンジーのやり取りが聞こえてきた。
「犬? かな? それとも狼?」
「耳と目が大きいよ、狐じゃないの?」
「狐って牙を剥きだして唸(うな)ったっけ?」
「肉食だからねぇ、牙くらいむき出しにするんじゃないの?」
「あの狐、全然可愛くないんだけど。メロディちゃんの方が百倍可愛いよ」
ミーナ、その意見には賛成だ。
さて、【水魔法 レベル4】を奪いつつ、貯水槽を飛び越えて安全に向こう岸に渡るための算段をするか。
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