第335話 夜の森の迷宮(8)
平衡感覚を失ったように視界が大きく揺らぐ。少女たちの悲鳴が耳を打つ。耳元ではマリエルの鳴き声が響く。
「うわっ! 目がっ」
「ええーっ! ちょっと、立っていられないよーっ」
「キャー、何、揺れてるっ!」
「ミチナガーッ! 変だよ、グルグルするよーっ!」
時間にすれば数秒にも満たない。
床から発せられた光と視界の揺らぎが収まると、そこは先程までいたダンジョンの通路となんら変わりのない光景があった。
天井と壁に密生した光苔が鏡の様に磨き上げられた大理石の床に反射して辺りを淡く照らし出している。
俺に抱きついているベスと髪の毛にぶら下がっていたマリエルの無事を確認すると、空間感知で周囲を探った。
幸い、すぐに遭遇しそうな距離に魔物は見当たらない。最も近い魔物で、五十メートル先にオーガと思われる群がいたが、小部屋から出てくる様子はなかった。
足元からエリシア、ミーナ、リンジーの声がし、続いて彼女たちの奴隷の呻き声が聞こえる。
「痛たた……」
「今のなに?」
「目がチカチカする」
運が強いと言っていいのか、なんとか全員無事のようだ。
まだ床に座り込んだままの彼女たちの無事を確認すると、その場にいる女性陣に向けて手短に状況を伝える。
「俺たちはチームごと、転移のトラップに引っかかったらしい」
自力で立ち上がったエリシアが、双刀を抜き放ち周囲に対して警戒態勢を取ると、俺に背中を向けた状態で話しかける。
「チーム全員が飛ばされたのは、不幸中の幸い……ですよね?」
「そうだな。これでさらに戦力が分散していたら、と考えると背筋が寒くなるよ」
エリシアに続いて自力で立ち上がろうとして、よろけるミーナとリンジーを右手で支える。
「ミチナガー、ここ、どこぉー?」
「さて、どこだろうな」
先程までいた、『夜の森の迷宮』のどこかである事は間違いないと思うが、階層や位置は皆目見当がつかない。
床に座り込んでいたメロディを抱き起こし、改めて全員を見やる。
「どこか怪我をしていたり、不調をきたしていたり、という事はないか? ――」
俺は各自に自身の身体をチェックし、続いて装備と所持品の点検をした上で装備を固めるように指示する。
「――『収納の指輪』や『収納の腕輪』の持ち物をチェックしてくれ。ダンジョンに潜る際に持ち込んだ状態から大きく不足している物があれば申告するように」
了解の返事が一斉に上がり、皆が持ち物のチェックを始めた。
ダンジョンに潜る際に、単独行動を余儀なくされても問題ないよう、十分な食料と暖を取るための魔道具を持たせてある。
ここまでの戦闘で大きな欠品がないのは分かっている。
念のための確認は建前で、皆に幾らかでも落ち着いてもらうための時間稼ぎが本当の理由だ。
◇
◆
◇
「ミチナガー、終わったよー」
真っ先に完了の報告をしたマリエルは、チェックする間に着替えまでしていた。
どこぞの民族衣装を模した服を着て得意気に笑顔を浮かべると、踊りを踊っているつもりなのか、俺の目の高さで揺ら揺らと揺れている。
マリエルに続いて、メロディ、ミーナの声が聞こえる。
「ご主人様、チェック完了しました」
「確認作業終わりました」
次々と確認完了の声が上がり、最後にエリシアが報告した。
「ミチナガさん、チェック終わりました。私で最後です」
「ご苦労様」
エリシアの報告に軽く左手を挙げて答えて、全員を見回す。すると、一人、エリシアだけが顔を強張らせていた。
チェックを命じた辺りから一人様子がおかしかったからな。この所持品チェックが自分たちを落ち着かせるための時間稼ぎだと、気付いたのかもしれない。
手を打ち鳴らして、皆の意識を自分に向けさせてから話し出す。
「さて、現状の説明からだ。空間感知で確認出来た範囲に味方はいない。さらに言えば、ここが第何層なのかも分からない状況だ――」
少なくとも第八層以下である事は間違いないだろう。
予想はしていたが、全員に緊張が走った。それでも、かなり厳しい状況である事を理解した上で尚、絶望の色は見られない。
「――ここから数十メートル先にある小部屋にオーガの群がいる。先ずはそいつらを蹴散らして、先へ進もう」
俺の言葉に目を丸くしたベスが、小さく挙手すると恐る恐る、といった感じで聞いてくる。
「あの、進むって……まさか下層階を目指すとかじゃありませんよね?」
「何を言っているんだ、最下層を目指すに決まっているだろう」
刹那、引きつった笑みが泣き顔に変わった。
だが、すぐに涙を拭(ぬぐ)うと、『私、よく分かりませんが』と前置きし、アイリスの娘たちに向かって助けを求めるように話し出す。
「こういう場合、その場を動かずに味方の救助を待つとか、再合流を優先させて安全な場所まで引き返す、とかが基本なのではないでしょうか?」
ベス、お前は間違っている。援軍が欲しかったのか、外堀から埋めるつもりだったのかは知らないが、そんな正論をエリシアたちに訴えたところで、彼女たちを困らせるだけだ。
この場合、本丸を攻めなきゃだめだ。つまり、説得すべきは俺だ。
互いの顔を見合わせて何も言えずにいるアイリスの娘たち。その反応に再び引きつった笑みを浮かべるベスに向かって、俺は余裕の笑みを浮かべて返す。
「心配するな、手強い敵が出てくるようなら方針転換して上層階へ向かう」
ベスとは対照的に何か悟ったような穏やかな顔つきに変わったエリシアが小さく挙手をする。
「オーガの群って何体いるのでしょうか?」
「全部で七体だ。六体は俺が受け持つ。残る一体をエリシアたち三人で討ち取れ――」
そして今回はベスにも攻撃に参加してもらう。
「――ベスは俺の傍らか離れずに、エリシアたち三人を魔法銃で援護だ」
顔を蒼ざめさせてはいるが、それでも首肯すると、はっきりとした口調で答える。
「はい、分かりました」
「マリエルは周辺警戒と索敵を頼む」
「了ー解っ」
俺たちはオーガの群がいる小部屋へと向かって移動を開始した。
◇
◆
◇
マリエルが曲がり角から顔を覗かせて、通路の奥にあるオーガの群がいる小部屋を確認する。
気になって仕方がないのだろう、リンジーがマリエルの背中に向かってささやくように聞く。
「どう? マリエルちゃん」
続いて曲がり角から顔を覗かせようと首を伸ばしたところを、エリシアに襟首をつかまれて引き戻された。
「く、苦しい、苦しいよ、エリシアちゃん」
「余計な事をしないのっ」
「えー、だって、フジワラさんだって止めなかったんだよ」
「そういう問題じゃないでしょう。油断するなって、言ってるのっ」
いつもミーナやリンジーと一緒になって馬鹿な事をしでかしては、年長組の三人に叱られているエリシアがリンジーをたしなめている。
学生時代に聞いた『先輩を作るのは後輩だ』という言葉を思い出した。
俺はエリシアとリンジーのささやき声でのやり取りをよそに、オーガの群がいる小部屋に接近するよう、マリエルにハンドサインで伝える。
マリエルが天井付近まで上昇して通路を進むのに合わせて、視覚をマリエルに先行して飛ばして小部屋の中の様子を探った。
先程の空間感知では分からなかったが、一体だけ異質な個体がいる。身体の大きさも他の個体と然程変わらないか、幾分小さいくらいだ。それに色も変わらない。ただ、雰囲気が違う。
警戒しておくか。
マリエルが引き上げた後も、室内の様子とオーガの位置を確認していると、すぐに耳元でマリエルの声が響いた。
「偵察完了でーす」
「どうだった?」
「ミチナガが言った通りだよ、オーガが七体で全部雄だった」
「一体だけ、何かちょっと違う感じのするオーガがいなかったか?」
「いたっ! あいつ、魔力が大きいよ。もしかしたら魔術を使ってくるかもしれない」
オーガが魔術を使えるのか?
もし、そうだとしたら厄介だな。それにどの程度の魔術を使えるのかも気になる。
俺がエリシアたちに視線で問い掛けると、ミーナが即答する。
「魔術を使えるオーガの話は聞いたことがあります。どこかのダンジョンの、それもかなり下層で遭遇したって話です」
「私も同じ事しか知りません」
「すみません、私も同じです」
ミーナに続いてリンジーとエリシアが申し訳なさそうな顔をした。彼女たちの奴隷とメロディに視線を向けるが首を横に振るだけだった。
視認して鑑定をするのはやめだ。安全策を採って、魔術を使う可能性のある個体は不意打ちで真っ先に叩こう。
前進の指示を出そうと向きなおると、お腹の辺りからベスのか細い声が聞こえた。
「魔術を使うオーガですけど、私の一族の記録にあります――」
視線を落とすとベスが真直ぐに俺を見つめて話を続ける。
「――純粋魔法と土・水・火・風の四属性のうち一つから四つを使えるそうです。光・闇・空間・重力を使ったという記録は残っていません」
「ありがとう、ベス。それは有益な情報だ。助かる」
記録にないというだけで、光・闇・空間・重力の属性魔法を使ってこない保証はない。やはり、不意打ちで真っ先に叩こう。
警戒を新たにする俺の側で、リンジー、エリシア、ミーナが騒ぎ出した。
「へー、ベスちゃんの一族って魔物の事に詳しいんだね」
「そんな記録が残っているってのが凄いよ」
「その記録、ギルドに持っていったら高値で売れるよ、ベスちゃん」
彼女たちの会話を止めるため、俺は手を一つ打ち鳴らして、即座に号令する。
「さあ、突入だ。先程の作戦通り行くぞっ!」
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あとがき
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新作です
こちらも応援頂ければ幸甚です
『魔王を継ぐもの ~異次元の超科学と別世界の魔法でダンジョンマスター始めました~』
https://kakuyomu.jp/works/16816927859315526816
どうぞよろしくお願いいたします
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