第333話 夜の森の迷宮(6)

 裂け目が消失したのを確認してから再開したダンジョンアタックも、既に数時間が経過しようとしていた。

 ティナたちとたった今行われた戦闘の後を確認していたテリーが、血痕に視線を落としてつぶやく。


「第七階層ともなると、さすがに楽勝とはいかないか」


 第四階層でオークの大軍を相手にした以外は、アイリスの娘たちとティナたちだけで魔物に対処していた。

 スケルトンの集団との戦いで、手傷を負ったエリシアの傷口を確認していた聖女が背を向けたまま口を開く。


「第七階層まで到達しているパーティーの平均的な戦力って――」


 治療を開始した聖女の言葉をロビンが引き継ぐ。 


「パーティーメンバーは十人以上、パーティーの半数以上が四級以上の上位クラスで構成されている、って話でしたね」


 聖女がロビンの説明に笑みを返すと、テリーに向けて言う。その表情はもう少し気を使えと言いたげだ。


「最高位がライラさんの七級ですから、十分以上の成果ですよ」


「分かっているさ。だけどそろそろ頃合いだろう?」


 エリシアの負傷は彼女の技量や注意力の不足によるものではない。

 ここまでの戦闘で魔力の消費が激しく、魔力不足に陥って『自動防御の腕輪』が発動しなかった事にある。他のメンバーも大差ない魔力量である事を考えれば、テリーの言う通り先頭グループを交代する頃合いだ。


 聖女にエリシアの傷が問題ない事を確認すると、革製のライトアーマーを装備しなおしているエリシアに声を掛ける。


「この短期間に随分と双刀の扱いが上達したな――」


 元々双剣の使い手だったのだが、刺突が攻撃の中心であった直剣から、切る事を攻撃の中心とした反りの入った片刃の刀に武装を換えていた。

 治療を終えたところで、不意に声を掛けられて驚く彼女に向けてさらに続ける。


「――先頭グループ交代だ。本当は休んでいてほしいんだが、エリシアの双刀はあてにしたい。申し訳ないが魔力を回復させたら、俺と一緒にベスの護衛を頼む」


「え? あ、ありがとうございます」


 慌てるエリシアに、俺の傍らにいたベスが小さくお辞儀する。


「よろしくお願いします」


「はい、頑張ります」


 エリシアはベスに笑顔でそう答えると、俺の差し出した魔力を溜めた魔道具――『魔力玉』を受け取り、疲れているはずなのに勢い良く立ち上がった。

 と同時に聖女の叱責が飛ぶ。


「エリシア、回復したばかりなんですからすぐに動いてはだめでしょうっ! フジワラさんも、もう少し気を使ってください」


 叱責と同時にエリシアの膨らみかけた胸に聖女の右手が伸びている。

 だが、その事には触れずに聖女とエリシアに謝ると、俺はベスを伴って白アリと会話しているライラさんのところへと移動した。


 ◇


「ライラさん、お疲れ様です。大分、魔法銃と『飛翔の腕輪』の扱いに慣れたようですね」


「ようやく、と言ったところですけど」


「こう言っては失礼でしょうけど、期待以上です。第七階層まで我々の援護なしで来た事を考えると、上位クラスのパーティー並みの戦力ですよ。十分に誇っていいと思いますよ」


 本人は『ようやく』などと言っているが、前衛をこなしながらの指揮振りはたいしたものだ。魔法銃や空中戦の特性やメンバーのそれらの熟練度も十分に理解しているのがうかがえた。

 照れるライラさんが俺から白アリへと視線を移すと、白アリが左手を口元に持っていき、ニンマリとする。


「丁度、そんな話をしていたのよ。戻ったら昇級試験を受けなさい、ってね」


「魔法銃をはじめとした、皆さんから頂いた魔道具があってこその成果です。自分たちの実力でないのは分かっています」


 実力は十分についているはずだ。少なくとも初めて会った頃の彼女たちの戦闘力とは比べものにならない。

 困ったようにはにかむ彼女に向けて、白アリが確信に満ちた表情で言い切る。

 

「大丈夫よ、魔法銃や魔道具なしでも十分に中級以上の力はあるから」


 正直なところ、上級探索者や中級探索者の力量がどの程度なのかも分からない。それは目の前で太鼓判を押している白アリも一緒のはずだ。


「まあ、昇級試験の話はともかく、そろそろ体力的にも魔力的にも厳しいでしょう。先頭グループを白アリたちと代わって中間グループに入ってください」


「ありがとうございます。そうさせて頂きます」


 ライラさんの視線がティナたちに向けられた。

 戦闘回数こそアイリスの娘たちよりも少なかったが、後方グループのためそれなりに戦闘をしている上、人数も四人と少数なので彼女たちの疲労を心配したのだろう。


「ティナたちも半数ずつ休んでもらいます」


 後方グループにはテリーが入る。テリーの話では索敵に専念させていたレーナも戦闘に加えるつもりのようだ。

 先頭グループも後方グループも人数的には少なくなるが、戦力は大幅に向上する。


 その戦力の最大火力を担う白アリが地図を『収納の指輪』に格納すると、


「さあ、ここから先は地図にないわ。慎重に行きましょうかっ! ウィン、出てきなさいっ!」 


 白アリに呼び出された水の精霊ウィンディーネが眠そうな目で辺りを見回す。


「どこ? ここ……」


「昨夜説明したでしょ。『夜の森の迷宮』よ。さあ、今回は暴れさせてあげるからね」


 白アリの無責任な一言で眠気が吹き飛んだのか、瞳を輝かせた水の精霊ウィンディーネが、自分の身長ほどもあるオリハルコンで作られた大型の戦斧を片手で高々と振り上げる。


「待っていましたっ! 前衛はお任せくださいっ!」


 見た目、十歳くらいの美少女と大型の戦斧。どこに需要があるのか疑問のあるその光景をベスと眺めていると、背後から黒アリスちゃんの声が聞こえた。


「私もちょっと接近戦をしたかったところです。先頭グループの前衛は任せてください」


 冷ややかな口調のその言葉とともに、軽く振られた大鎌がベスの鼻先をかすめる。

 ここ数日、俺がベスに掛かり切りのためか、黒アリスちゃんの機嫌が非常に悪い。特にベスに対する当たりがきつい。

 

 よく悲鳴を上げなかった。偉いぞベス。

 悲鳴こそ上げなかったが、身体は硬直し、足は小刻みに震えている。抱きしめて落ち着かせてやりたいところだが、そんな火に油を注ぐ真似は出来ない。


 俺がベスと黒アリスちゃんとの間に身体を入れようとする矢先、ボギーさんが黒アリスちゃんとベスの間に現れた。


「黒の嬢ちゃん、そろそろ出発だ。前衛やるんだろう? 頼んだぜ――」


 黒アリスちゃんを前へ移動するようにうながし、俺を振り返る。


「――マリエルはそのまま前衛の索敵でいいんだな?」


「ええ、構いません」


「兄ちゃん自身、余裕がないのかもしれネェが、黒の嬢ちゃんはまだ子どもだ。もう少し気に掛けてやれよ」


 そう言って、先頭グループへ向けて歩き出した。


「あの、ミチナガ様?」


 ベスのか細い声に振り返ると、彼女は身体を強張らせて不安気な瞳を向けていた。

 肩を抱き寄せて耳元でささやく。


「怖い思いをさせてすまなかった」


「大丈夫です。ちょっとビックリしただけですから」


 まだ身体を強張らせているベスの肩を抱いたまま、アイリスの娘たちに隊列の指示を出す。


「エリシアとミランダをベスの左側へ配置――――」


 ◇

 ◆

 ◇


 甲高い鳴き声を上げて、天井付近を飛び交う百匹以上の迷宮毒蝙蝠ポイズンバットに向けて、黒アリスちゃんが穏やかな口調で語り掛ける。


「眠りなさい」


 次の瞬間、迷宮毒蝙蝠ポイズンバットは飛ぶことを忘れたように、床を這いまわる数十匹の迷宮蜘蛛の上に次々と落下した。

 突然降り注ぐエサに迷宮蜘蛛の動きが活発になる。


 だが、落下するエサなどに目もくれず、眼前に迫った侵入者に飛び掛かる個体があった。

 その個体を水の精霊ウィンディーネの振る大型の戦斧が捉える。哀れな迷宮蜘蛛は体液を飛び散らせて真っ二つになった。


「精霊をなめるんじゃないっ、あんたら、皆殺しにしてやるーっ!」


 続いて発せられた水の精霊ウィンディーネの物騒な言葉と呼応するように、突然発生した大量の水が渦を巻きながら、眠ったままの迷宮毒蝙蝠ポイズンバットもろとも、数十匹の迷宮蜘蛛を飲み込んだ。


「仕上げよっ!」


 白アリの言葉に続いて、渦巻く水流はその中に迷宮毒蝙蝠ポイズンバットと迷宮蜘蛛を取り込んだまま凍てつく。

 通路いっぱいに巨大な氷のオブジェが完成した。


 アイリスの年少組、ミーナとリンジーが光球に照らし出され、キラキラと輝く氷のオブジェを見上げてつぶやく。


「凄い、一瞬であれだけの数の魔物を……」


「今の、何の打ち合わせもなしにやったよね?」


 見れば、アイリスの他のメンバーも氷のオブジェに見とれていた。


 蝙蝠こうもり蜘蛛くも、中には蝙蝠こうもりに噛り付いている蜘蛛くももいる。それが氷の中に閉じ込められていた。

 幾ら光を乱反射して輝いていても決して見とれるような代物じゃない。


 得意気に氷のオブジェの前でハイタッチをする白アリと水の精霊ウィンディーネに向けてボギーさんの声が響く。


「バカ野郎ーっ。通路を塞ぐんじゃネェ! 少しは考えろ!」




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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


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