第332話 夜の森の迷宮(5)
皆が息を呑むのが分かった。
別に隠していたわけではないし、誰かが責めるような目で見ているわけではないのだが、なんとなく気まずさが胸を締め付ける。
俺が次の言葉を発せず皆の顔を順番に見回していると、目が合った瞬間にテリーが口を開いた。
「日付からするとまだカナン王国を行軍中の時期だろ。ボトルレターって事は、どこかで川か何かに流したのか? ――」
俺の意図を汲み取って日本語で話を進める。
「――いや、この周辺からカナン王国に通じる川はあるけど、流れが逆だったよな?」
俺も国境付近の地図を思い浮かべるが、結論はテリーと一緒だ。
この土地からカナン王国側へと注ぐ河川は大小含めて三つほどあるが逆はない。何れの河川もこちらが上流でカナン王国側が下流だ。
「これを流したのは川じゃない――」
テリーの質問に手短に答え、逆に皆に向けて問い掛ける。
「――メロディがマジック
皆が記憶の糸を手繰るように思案気な表情を浮かべる中、黒アリスちゃんがパッと顔を輝かせた。
「憶えています。白姉が『ごみ袋にしましょう』って言っていたヤツですね」
目を丸くしたロビンが勢いよく白アリを振り返る。
驚くよな、俺も驚いたよ。
「どこに繋がっているかも分からないのに、ゴミ袋にしようとしたんですか?」
ロビンの口調と表情は非難しているというよりも、あきれながらも
ボギーさん以外の詳細を知っている者は、『
「素敵なアイディアでしょ――」
魅力的な笑顔だ。思わず見惚れてしまいそうになる。だが、これまで彼女と過ごした時間がそれを許さない。
「――放り込んだら消えちゃうのよ。とっても環境に優しいと思わない?」
不法投棄という意識はないんだな。
それ以前に、どこかの空間に繋がっているかもしれない、という可能性を深く考えなかったようだ。
皆のなんとも言えない視線が白アリに向けられる。
当の白アリは俺が感じていたような気まずさはないようで、得意げに満悦の表情を浮かべていた。
念のため説明する事にしよう。
「ごみ袋になりそこなったマジック
白アリとボギーさん以外のメンバーから同情の視線が向けられる中、テリーが俺の手にある手紙と小瓶を見やる。
「そのマジック
「間違いない。これは俺が放り込んだボトルレターの一つだ」
俺は小さくうなずくと、これまでにあの
皆が考え込むように押し黙る中、テリーと聖女が口を開く。
「三十個以上のボトルレターを放り込んで、ここにあるのは一個だけか」
「あんまり嬉しくない状況ですね」
「毎回違う場所に繋がるというのは歓迎しませんね」
「繋がる場所がランダムだという可能性もそうですが、もっと悪いのは複数の異世界へランダムに繋がる事ですよね」
確かにその通りだ。だが、その可能性は低いと俺は見ている。
おそらくはあちら側の異世界、競争相手であるもう一方の異世界に繋がっているはずだ。
皆が視線を交差させるなか、ボギーさんは裂け目を振り仰いでつぶやく。
「つまり、その
裂け目から俺へと視線を戻すと、ソフト帽子を目深に被りなおして片方の目だけを覗かせた。
「――願望が混じっているのかもしれネェが、二柱の女神と二つの異世界の関係を考えると、あっち側の異世界に繋がっているような気がしてならネェなあ」
そうつぶやいたボギーさんの寂しそうな瞳は、今にも『ちょいと、借りを返してくるワ』と言い残して、目前の裂け目に飛び込んでしまうのではないかと想像させた。
後先考えずに行動するような人ではないと分かってはいても、不安を掻き立てる。
「あくまでも可能性です。そう判断するのは早計です――」
判断するには材料が少なすぎる。だが、俺の直感はボギーさんの考えが正しいと告げていた。
何の根拠もない。それでもあの裂け目はあちら側の異世界に繋がっている。問題は生きて裂け目を抜ける事が出来るか、だ。
明らかに迷いが見えるボギーさんの灰色の瞳を真直ぐに見返し、さらに言葉を連ねる。
「――よしんば、あちら側の異世界にだけ繋がっていたとしても、安全な場所である保証はありません。それに、この小瓶が裂け目から出てきたと断じる事は危険です」
ボギーさんが口を開こうとする矢先、白アリが確認するように俺に問い掛ける。
「それに『生きたまま裂け目を通過することは出来ません』、って女神さまが言っていたんでしょう?」
白アリの言葉にボギーさんは苦笑し、
「違いネェ。他にあてがないわけじゃあネェんだ、もう少し慎重になるか」
そう言って、再び裂け目を振り仰いだ。
魔物の湧きが終息してから三十分ほど、裂け目が次第に小さくなっていた。大きな裂け目だから小一時間は警戒しないとならないかもしれないが、程なく裂け目が消滅する。
裂け目を見つめるボギーさんの背中に聖女が穏やかな口調で語り掛ける。
「ケイフウがこちら側の異世界で殺されて、あちら側の異世界に強制転移させられたのは事実です――」
ガイフウとケイフウの双子の姉妹。
銀髪たちの話と聖女の話を総合すると、こちらの異世界に転移させられてすぐに妹のケイフウがヤツらに殺された。あちらの世界に強制転移させられたケイフウはボギーさんや聖女と一緒だったと聞く。
そのケイフウがいつの間にかこちらの異世界に戻っていた。
聖女の言葉にボギーさんが振り向く。
無言で彼女を見つめるボギーさんに向けて、聖女がなおも語り掛ける。
「――どんな手段を使ったのかは知りませんが、再びこちら側へ生きて戻ってきたのも事実です。彼女たちは安全に二つの世界を往来出来る方法を知っている可能性があります」
「確かにな。あの双子の姉妹とコンタクトを図るのが正解だ。衝動で分の悪い賭けに出るなんて愚か者のやる事だ」
「それに裂け目を生きたまま抜けるのは無理だ、って女神さまも言っていたんでしょう、ミチナガ」
「ああ、確かにそう言っていた」
「女神さまネェ」
含むところがあるような表情と口調で、つぶやくボギーさんにロビンが尋ねる。
「どうかしましたか?」
「そんなに信用してもいいのかネェ」
黒アリスちゃんが困ったように苦笑いを浮かべると、言い難そうに口を開く。
「まあ、あちら側の女神さまはいろいろと暴走気味ですし、信用したくなくなるのも分かります」
「あっち側の女神さまだけじゃネェ、俺はどっちの女神さまも信用してネェよ」
そう言うと火の付いていない葉巻を咥えたまま、『兄ちゃんたちは信用しているのか?』と口元を綻ばせて付け加えた。
「信用していますよ」
初めて俺の前に顕現した夜、湖の
「女神さまって言うわりには、どっちも神々しさが足りネェんだよな。なんつうか、人間臭いってか、俗物な感じがしネェか?」
それは俺も毎晩のように感じている事だ。
だが、ここで同意を求められても困る。
ボギーさんの言葉にロビンと白アリが反応する。
「自分の世界を存続させるためにもう一方の世界を亡ぼす、というのは確かに女神さまとしてどうかと思いますね」
「あちら側の異世界の住人からすれば、こちら側の女神さまは邪神か悪魔にしか見えないでしょうね――」
立場の違いってあるよな。
そして俺の立場からすると、こちら側の女神さまの味方をしないわけにはいかない。大人の事情もある。
女神さまの笑顔を思い返していると、突然白アリが俺に話を振った。
「――ミチナガはどう思う?」
「今は信用して迷宮を攻略するしかないだろ。先に五十ヵ所の迷宮を攻略すればこの世界は救われる。更に俺たち自身も、突然あちら側の異世界に強制転移させられる不安と恐怖から解放される――」
問題は信用出来るか、否かじゃない。戦いに勝利する事で手に出来るものがなんなのか、だ。
俺たちが住む世界、繋がりや
「――これが信じられないとなると俺たちの行動も根底から見直さないとならない」
俺の事を見つめていたボギーさんが、ふと口角を吊り上げて、一際大きな声を響かせる。
「まあ、今ここでグダグダ考えても仕方がネェ。先ずはダンジョンの攻略だ」
「そうですよ、あれこれ考えるにはもっと情報を集めないと」
「そうですね。今はダンジョン攻略に専念しましょう」
「あれこれ考えて時間を無駄に過ごすよりも、出来る事を着実にこなしましょう」
続くボギーさんの、『無理やり異世界に連れてきたヤツらを簡単に信用するナ』とのつぶやきは、聖女とロビン、黒アリスちゃんの声でかき消され、俺にしか届かなかった。
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あとがき
■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有
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