第328話 夜の森の迷宮(1)
岩を削って作られた階段と革のブーツがぶつかる硬質な音がダンジョン内に反響する。
途中に広い踊り場が幾つも設けられた、親切設計の長い周り階段を降りきる。すると、壁と天井に密生した光る
アイリスの娘たちと一緒に先頭グループで階段を下りていたロビンが、自身の背後に延びた百メートル近くある直線の通路を親指で示しながら、第二グループの俺たちに向かって言う。
「第二階層もかなり広い通路ですよ」
衛兵から解放された俺たちは予定通り、『夜の森の迷宮』へと来ていた。
光魔法で光球を生み出して天井付近へと移動させると、光る苔とは比べ物にならないほどの明かりが通路を先まで照らす。
光球を第一グループが待っている場所よりも先へと移動させるが、俺たちの他に動くものは見当たらなかった。
先頭を行く第一グループをアイリスの娘たちとその奴隷。そこに万が一を考えて白アリと黒アリスちゃん、ロビンを配置。第二グループに俺とベス。その左右と背後をガードするようにして聖女、テリー、ボギーさん。最後尾の第三グループにメロディとテリーの奴隷四名。
マリエルとレーナはそれぞれ第一グループと第三グループに交じって索敵と連絡係を担当してもらっていた。
「見た感じ、第一階層と同じくらいの広さの通路だな」
俺とテリーの声とが重なる。
「広いとは聞いていたが、本当に広いな。今まで潜った迷宮の中で一番広いんじゃないか?」
白アリとロビンが足早に第一グループを追いかけるのをよそに、俺たち第二グループはゆっくりとした足取りで周囲を観察しながら進む。
天井を見上げていたボギーさんと聖女があちら側の異世界を含んだ経験を口にした。
「兄ちゃんたちと合流する前でも、これだけ通路が広いダンジョンは記憶にネェな」
「私も同様です。まだ下層階なら別ですが、低層階でこれだけの広さの通路があるダンジョンは初めてです」
真直ぐに延びた通路は幅十メートル以上、高さも八メートルくらいある。まだ第二階層なので判断するには早計だが、予想した以上に大規模なダンジョンの可能性が出てきた。
俺と同じ事を想像したのか、聖女とテリーがわずかに緊張した様子で言う。
「ミノタウロスが守護者だった迷宮も、低層階からかなり広い通路だったけど、ここはそれ以上かもしれませんね」
「他のパーティーが到達しているという第七階層まではともかく、それよりも下の階層は慎重に進んだ方が良さそうだな」
二人の反応に釣られて怯えたのか、俺の左腕にしがみ付いているベスの手にわずかに力がこもる。その手にそっと右手を添えると、不安気に見上げた瞳に安堵の色が現れた。
表情の和らいだベスに向けて、ゆっくりと、だが力強い口調で伝える。
「今回、俺の最優先課題はお前の護衛だ」
すると、俺の右側を歩いていた聖女が口元に手を当てて、からかうような口調でささやいた。
「本当、意外でしたよ。フジワラさんがベスちゃんの護衛を買って出るなんて」
「どういうことだ?」
「ラウラちゃんを連れてダンジョンに潜ったときでさえ、ラウラちゃんの護衛を他人任せにしていたくらいですから――」
悪戯っ子のような笑みを浮かべたかと思うと、肘で俺のわき腹を突く。
「――今回のベスちゃんの護衛は意気込みが違いますよねー」
「無理を言ってダンジョンに潜ってもらっているんだ、当たり前だろう」
良心の呵責もあれば罪悪感もある。
たとえ【再生 レベル5】を持っているとしても、無理を言って連れてきた女の子に怪我をさせるような事をしたくない。
「罪の意識からの行いかも知れないけど、立派な心掛けだと思うよ、俺は」
テリーは第一グループの中程を歩いている黒アリスちゃんの方へ視線を向けると、『そのお陰で黒ちゃんがカリカリしているけどな』と小声で付け加えた。
追い打ちを掛けるように聖女がささやく。
「フジワラさんは、白姉が大人しいのが気になりませんか?」
気になっているよ。でも、態度に出すわけにはいかないし、ましてやそんな事本人に聞けるわけないだろう。
答えに窮していたわけではないが、無言でいるとテリーが肩を叩いた。
「まあ、なんだ。頑張れよ、いざとなったら弁護してやるからさ」
弁護ってなんだよ。俺は何も悪い事はしていないからな。
テリーに抗弁しようとする矢先、聖女の忍び笑いに続いて弾むようなささやきが耳に届く。
「殺伐としたダンジョンアタックだと思っていましたが、人間味溢れるシーンが期待できそうですね」
俺の左腕を握るベスの手に先程とは比べ物にならない力が込められた。
もしかしたら、ベスはダンジョンの魔物よりも白アリと黒アリスちゃんの方が怖いのかもしれない。
◇
◆
◇
前方を歩く第一グループの足が止まると、すぐにアイリスのサブリーダであるミランダの声が響く。
「階段です。地図の通り、第三階層へ続く大階段がありました」
テリーは街で購入した地図を広げると大階段の位置を確認するように、地図と通路とを交互に見やる。
「ここまでは情報通りだな」
「ああ、第一階層と第二階層の地図は正確だったし、魔物も出現しなかった。地図も情報も正確だ」
俺の受け答えに聖女の言葉が重なる。
「本当に第一階層と第二階層で魔物を見ないどころか、形跡もありませんでしたね」
「第七階層までは三十以上のパーティーが到達しているようだし、地図と情報を信じてもよさそうだな」
手にした地図をひらひらさせて、衛兵から入手した情報を口にしたテリーへと視線を向ける。
すると、背後からボギーさんの気怠そうな声が聞こえてきた。
「地図と情報が正確なのは歓迎するが、生贄の娘たちが無理やり連れてこられていた、ッテェのには感心しネェな」
確かにその通りだ。
なかには探索者と一緒に、この『夜の森の迷宮』に潜る事を仕事にしていた少女もいたが、大半は無理やり同行させられていた。
悪い意味で俺たちが予想もしていなかった事が起きている。
「女の子が犠牲になっているのは問題ですね」
首だけ巡らせてボギーさんにそう答える傍らで、テリーと聖女の会話が続く。
「ダンジョンが生贄を要求するなんて話、アイリスの娘たちも初めて聞く事だって言ってましたよ」
「アレクシスにも聞いたが、エルフ族にもそんな伝承はないそうだ」
「この迷宮の守護者は何を考えているんでしょうね?」
「魔物に生贄を要求するだけの知性があるかの方が興味を惹かれるね――」
脱線したテリーの言葉を遮るようにボギーさんが言う。
「まあなんだ、迷宮の守護者が何を考えているのかは知らネェ。だが、人間側の問題を挙げれば、幾つもの探索者パーティーが生贄を連れて潜っているのは間違いネェんだ」
ボギーさんの言葉にベスが顔を曇らせた。
「どうした? ベス」
「いえ、あんなに大勢の生贄の少女が保護されていた事に、ちょっと驚いてしまって……」
聖女がベスの様子を気遣ってか、速度を落としてボギーさんの横に並ぶ。
「確かに、大勢保護されていましたね」
「保護されていた生贄の娘があれだけ居たって事は、保護されずに迷宮に連れてこられた娘も相当数は居るって事じゃネェのか?」
抜けているようで意外としっかりしていた衛兵隊長を思い返す。
「何人かは衛兵の目を掻い潜ってダンジョンに連れてこられているでしょうけど、そう多くはないと信じたいですね」
俺たちは取り調べの後で、保護された少女たちに会わせてもらった。
偽名を使ったままではあったが、ラウラ・グランフェルト辺境伯からの依頼で『夜の森の迷宮』の調査に来た事を記した書簡を見せる事で、迷宮に関する情報を聞き出す事ができた。
また、その過程で少女たちとも会話をする事ができた。
分かっているだけでも、行方不明となった少女が八人。
うち五人はパーティーと一緒に行方不明になっているので、パーティー全滅の巻き添えになったとして処理されていた。
衛兵が把握していない者たちもいるだろうから、実際の犠牲者はもっと多いはずだ。
生きて帰った少女たちは生贄を必要とする場面には遭遇しなかったし、生贄にされた少女の話は噂話すらなかった。
あったのは、『夜の森の迷宮が生贄として銀髪の少女を要求している』という、出所すらも不確かな噂。
「だが、戦争も終わって落ち着けば探索者たちが戻ってくる。敗戦で食い詰めているだろうから、無茶をするかもしれネェな」
「探索者だけでなく、傭兵とかも来るかもしれません。放置しておくと被害は益々増えるでしょうね」
ボギーさんも聖女も予想もしたくないような事を平然と言うな。
俺は大階段の前で待っていた第一グループに追いついたタイミングで切り出す。
「それなんだが、予定していた『夜の森の迷宮』の規模や低層階から中層階で出現する魔物の調査を止めて、迷宮攻略に変更しようと思うんだがどうだろう?」
「えっ!」
ベスの驚きの声に続いて、ロビンが反応した。
「生贄の少女を要求するってのは許せませんね。不埒な守護者は退治しましょう」
「あのー、守護者が生贄の少女を要求しているとは限りませんよね?」
迷宮の守護者と会いたくないのだろう、守護者を擁護する発言をベスが口にする。
だが、ベスの思惑とは違う方向で聖女、黒アリスちゃんが続く。
「守護者でなくても、迷宮に居る他の魔物や勝手に住み着いた盗賊あたりが、奴隷として売り払うために少女を要求している可能性もありますよ」
「いずれにしても不埒者がいるのは間違いありません」
口をパクパクとさせるベスが目に入っていないのか、攻略する気満々のボギーさんが綻んだ口元に葉巻を持っていく。
「賛成だ、生贄の娘の事を考えたら、そいつが最善だろうナ」
「あたしも賛成よ。この迷宮が生贄を要求しているのか、勝手に住民が勘違いしているのかは知らないけど、被害者が出ているのは確かよ」
白アリが続いて賛成する横で、一人、賛成の言葉を呑み込んだテリーが苦笑しながら肩をすくめていた。
「ベス、心配するな。迷宮の守護者を前にしてもお前を生贄に差し出したりしない。絶対に守ってやるから」
「信じていますからね、私、本っ当にっ、信じていますからねっ!」
顔を蒼ざめさせて俺の事を見上げるベスの瞳は
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