第326話 どこにでもある買い物の風景(2)

 朝市を行きかう人々のざわめきを聞き流しながら、雑踏をかき分けるようにして歩いていると、突然、幼い少女のものと思われる悲鳴が響いた。続いて聞こえてくる怒声と罵り合う声。

 まずいな、この悲鳴の大きさだとかなり広範囲に聞こえたはずだ。


 ロビンや白アリが駆けつけるよりも先に行って大ごとにならないようにした方が良さそうだな。

 俺とベス、メロディ、アイリスの娘の年少組の三人は互いに視線を交錯させる。思いはそれぞれ違うだろうが、揃って悲鳴が聞こえた方へと駆け出した。


 先頭を走っていた俺にメロディが並走して話しかけてくる。


「ご主人様、血の臭いがしてきました」


 すでに流血沙汰か。

 メロディに向かって小さくうなずくと、左目の視覚を上空へと飛ばして、悲鳴が聞こえてきた辺りを俯瞰した。


 すぐに争いの現場が目に飛び込んでくる。


 人ごみの中にぽっかりと円形状に空間が出来、探索者風の男女十数人がすぐに戦える間隔を維持して広がっていた。

 彼らと対峙するように、みすぼらしい恰好をした十歳前後の少年と少女を含む、二十人近い少年たちとが睨み合っている。


 どちらも抜き身の剣を携えて臨戦態勢だ。


 その少年たちの背後、血の海の中に右腕を切り落とされた少女が倒れ、その傍らで十代半ばと思しき少年がしゃがみ込んでいる。

 少女の体格を考えると出血量が多い。次の瞬間、俺の脳裏を『出血性ショック』という単語が過る。


「先に行く。メロディ、ベスと年少組の三人を連れてきてくれ」


 俺はメロディの『畏まりました』との言葉を聞きながら倒れた少女の傍らへと転移した。


 ◇


 少女は、よし、まだ息がある。


 俺は切り落とされた少女の右腕を拾い上げると同時に光魔法を発動させた。

 右腕を再接続させつつ、ショック状態を回復させて血液を補充する。


 まるで逆再生された映像のように、切り落とされたはずの少女の右腕がつながり、瞬く間に傷口が塞がっていく。並行して増血と体力の回復を行ったので、顔には血色が戻り呼吸が安定する。

 光魔法の発動から、時間にして三十秒も経っていない。


 よし、もう大丈夫だ。


 回復した少女を抱きかかえて立ち上がると、そこで初めて、傍らでしゃがみ込んでいた少年が安堵の表情を浮かべて、放心したように地面に座り込む。

 それとほぼ同時に異変に気付いた探索者風の男女が、睨み合っていた少年たち越しに話しかけてきた。


「今の光魔法だろ? あんたも探索者か?」


「あんた、凄腕だな」


「ああ、俺じゃあ、あの傷は治せないからな、助かったよ」


「あんたの腕なら歓迎するぜ。臨時で構わないからパーティーに入らないか?」


「お兄さん、腕もよさそうだし顔もいいから、いい目見させてあげるよ」


 続いて周囲の野次馬たちが騒ぎ出す。


「おい、あの女の子、右腕を斬られてなかったか?」


「でも、繋がっているぞ」


「斬られたって、あの血がそうだろ」


「あたし、見たよ、あいつらが女の子の腕を斬り落としたのをっ」


「じゃあ、なんで腕があるんだ?」


 最後に反応したのは睨み合っていた探索者たちから、少女を守るようにして立っていた少年たちだ。

 周囲の反応に何事だ、といった様子で次々と振り向く。


「お前、何者だっ!」


「キャロルから離れろっ!」


「ちょっと、その子に酷い事しないでよ」


「その子を返してっ」


 もの凄い形相で睨んでいるな。


 余裕の感じられる探索者とは違って、みすぼらしい恰好の少年少女たちは妙に殺気立っていた。

 気絶している仲間の女の子を抱きかかえた、見知らぬ若い男。そりゃあ、警戒もするよな。


 俺は探索者たちと少年たちをゆっくりと見回して、余裕の笑みを浮かべて口を開く。


「そう、殺気立つなよ。双方、言いた事があるなら聞いてやる。落ち着いて話し合いをしようじゃないか」


 次の瞬間、意識を回復させた少女が、俺の腕の中で悲鳴を上げた。


 ◇

 ◆

 ◇


 腕の中で少女が悲鳴を上げた直後、メロディを先頭にベスと年少組の三人が、それと同時に別方向から大勢の衛兵がそれぞれ駆けつけてきた。


 若い男に先導されて五人の衛兵が姿を現す。

 双方合わせて三十人以上の揉め事を治めるにしては少ないが、それでもすぐに衛兵が駆け付ける辺り、この街の治安の良さがうかがえる。


 衛兵が姿を現した瞬間、少年たちの間から声が上がった。


「まずいっ! 逃げろっ!」


「バラバラに逃げるぞっ」


「散れっ、 集合場所は例のところなっ!」


 リーダー格らしき年長の若者三人がそう叫ぶと少年たちが、蜘蛛の子を散らすように一斉に駆けだす。

 次の瞬間、周囲にいた野次馬たちや屋台の店主や従業員たちが、駆けだす少年たちを取り囲むように立ちはだかった。突然正義感に目覚めて立ちはだかった大人たちも抜き身の剣を携えている。


「ガキども、逃げられると思うなよ」


「この、悪ガキがぁっ!」


「おいっ、手加減しねぇからなっ」


 衛兵の姿を見て強気になったのか?

 それにしてもいい大人が子ども相手に衛兵の威を借りて凄むのはなんとも情けないな。


 慌てて逃げ出そうとした少年たちとは対照的に、探索者たちは慣れた様子で剣を収めると早々に無抵抗の意志を示していた。


 身分証のある者と無い者との違いか?

 探索者と少年たちとの対照的な対応を観察していると、メロディとベスが叫ぶようにして駆け寄り、 アイリスの娘たちの年少組が続く。


「ご主人様、テリー様たちも、まもなく駆け付けます」


「ミチナガ様、お怪我はありませんか?」


 メロディとベスに無事である事を告げ、空間感知に意識を向けるとテリーたちだけではなく、大勢の衛兵が空間感知に引っ掛かった。

 二十数人、眼前の衛兵と合わせるとざっと三十人といったところか。


 エリシアがこちらへと歩いてくる衛兵と周囲の野次馬たちを見回してつぶやく。


「ちょっと逃げ出せる感じじゃありませんね」


「逃げ出す必要はないだろ?」


 とは言っても事情聴取くらいはされそうだな。改めて衛兵と周囲の野次馬、当事者である探索者と野次馬たちに何人か取り押さえられて、ようやく大人しくなった少年たちを見やる。

 

「じゃあ、今から偽名ね」


「わあ、一度やってみたかったのよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべてささやき合うニーナとリンジーを、エリシアが小声でたしなめる。


「二人とも、遊びじゃないんだからね」


 それとほぼ同時に年配の衛兵が気怠けだるそうに口を開く。


「兄ちゃん、その女の子たちを大人しく引き渡してくれると、楽で助かるんだけどなあ」


 彼の言葉が終わると、後ろに控えていた若い衛兵二人が俺の腕から女の子を、傍らからベスを、それぞれ強引に引き離した。


 驚いて抵抗しようとしたベスを俺は視線で制し、年配の衛兵に向かって問い掛ける。


「これはどういう事でしょうか?」


「申し訳ないねぇ、これも仕事でさあ。通報があったんで、俺たちとしても対応しない訳にはいかないんだよ」


 これは、俺を探索者グループの一員と勘違いしているパターンだな。


「誤解があるようですね。私はその少女が腕を斬り落とされていたので、治癒を施した善意の探索者です。彼らのどちら側の仲間でもありません」


「まあ、なんだ。そっちの言い分もちゃんと聞くから。本当に申し訳ないんだけど、ちょっとばかり付き合ってよ」


 年配の衛兵は全く悪びれる様子もなくそう言うと、血だまりへと視線を向ける。

 するとその向こう、野次馬の最前列にテリーとティナたちが姿を現した。五人とも慌てる素振りもなくこちらの動向を観察しだす。対処としては正しいのだがなんとなく釈然としない。

 

「ここで事情聴取ですか? それとも詰め所に同行すればいいんですか?」


「さすがにこの人数を詰め所に連れてはいけないからね。ここで簡単な事情聴取をさせてもらって――」


 取り囲んでいた野次馬たちの間に喊声が上がり、後続の衛兵たちが駆け込んできた。

 年配の衛兵はそれを大げさに振り向いて確認すると、『良かった、応援が間に合ったよ』と、やはり大げさに胸を撫で下ろしてから話を再開する。


「――それでも足りないようなら、或いは抵抗するようなら、申し訳ないんだけど詰め所にきてもらう事になるかなあ」


「別に抵抗するつもりはありませんし、聞かれた事には正直に答えますよ。ですから、その前に――」


 俺はガザン王国時代のリューブラント領で発行された、自分の身分証を年配の衛兵に差し出し、若い衛兵に腕を掴まれているベスを視線で示して続ける。


「――その女の子を、ガラシャ・ホソカワを解放してもらえませんか?」


 年配の衛兵はベス指さし、不思議そうな顔をして『こっちの娘さん?』と聞き返すと、無言で首肯する俺に向かって、静かに首を横に振る。


「それは出来ない相談だなあ。こっちの娘さんだけじゃなく――」


 そう言うと、彼の左後ろで若い衛兵に震えながら抱きついている少女を振り向きもせずに右手で指さす。さらに左手で右後ろで若い衛兵に腕を掴まれているベスを指さす。


「――こっちの娘さんについても通報があったんだ」


「ちょっと待ってくれ、その娘が何をしたって言うんだ?」


 通報だ? 何を言っているんだ、こいつは。

 さらに話を続けようとする俺のことを左手を上げて制すると、視線を俺の身分証から顔へと移して残念そうな顔で言う。


「シゲタダ・ハタケヤマ君。こちらの娘さんを仲間だって言っちゃったし、詳しい話を聞かなきゃならなくなっちゃったよ」


 さらに、もの凄く嫌そうな顔で『仕事、増やしてくれちゃってさあ』と、公衆の面前で堂々と愚痴を零していた。


「その子、ガラシャは何にもしていません。今朝俺たちと一緒にこの街に着いて、朝市を見て回っていただけです」


 ベスを視線で示して『彼女はずっと一緒でした』と付け加えた。


「いやあ、通報されたのは君だよ。『生贄の少女を連れ歩いている探索者風の男たちがいる』ってね」


 なるほど、今、理解した。朝市で感じた視線はこれだったのか。



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        あとがき

■■■■■■■■■■■■■■■ 青山 有


下記作品も併せてよろしくお願いいたします


『無敵商人の異世界成り上がり物語 ~現代の製品を自在に取り寄せるスキルがあるので異世界では楽勝です~』

https://kakuyomu.jp/works/1177354055170656979

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