第317話 残された貴族たち(6)

 朝食を終えたテーブルにベスの泣き声が響く。


「あ、ありがとうございます」


「そんな、泣く事じゃないわよ」


 白アリがベスの頭を優しくなでていた。ベスの方もすっかり安心した様子で、白アリの胸に顔を埋めている。

 すっかりベスを手懐てなずけてしまった。


「わ、私、こんな美味しいものを食べたのも初めてですっ。そ、それに、人に、こん、なに、優しくされた事もなくって……」


「ミチナガも優しくはしてくれたでしょう」


「はい、さっきまではとても優しくしてくれました。私、優しくされた事無くって……」


 ベスが言葉に詰まったタイミングですかさず聖女が傷口を広げに掛かる。


「フジワラさん、どんな風に優しくしたんですか?」


「嫌っ、聞きたくないっ!」


 耳を塞いで目をつぶっている黒アリスちゃんの事は一先ず置いておくとして、誤解を招く聖女の言葉をなんとかしないと。


「いや、普通だから、普通に接しただけだ。特別優しく接した訳じゃない」


「いえ、とても優しくしてくれました」


 ベスッ、お前何を言っているんだっ。ここは余計な口を挟まないで大人しくしていてくれっ。

 いや、俺が慌てちゃだめだ。


「まあ、人の優しさを知らない薄幸の少女からすれば、俺の対応はこの上なく優しく思えたかもな」


 よし、いいぞ。俺は冷静だ。


「まあ、ではフジワラさんは優しくされた事のない幼気いたいけな少女に、甘い言葉と見せかけの優しさで近づいたんですね」


「そうですね、ミチナガは根が優しいですからね。誤解されたんでしょう」


 聖女の誤解を助長させる悪意ある言葉に続いて、ロビンの微妙な援護が発せられると、口角を吊り上げた聖女がここぞとばかりに追い打ちを掛ける。


「騎士たちが噂していましたよ、ラウラ様付きのメイドと抱き合っていたって」


「抱き合っていた訳じゃない、落ち着かせようと抱きしめただけだ。普通だ、普通にやる事だ。そうだよな、ロビンッ!」


「やりません、私は軽はずみに女性を抱きしめたりしませんよ。それも大勢の騎士の前とか。絶対にラウラ姫の耳に入りますよ」


「その前にセルマの耳に入るんじゃネェのか?」


「ボギーさん、ボギーさんは普通に落ち着かせるためとか慰めるために抱きしめますよね?」


「坊や、それじゃあ、ダメだ。先にキスしてから抱きしめないとな」


「順番が逆でしょうがっ」


 俺がボギーさんに反論すると、すかさず聖女が交ぜっ返す。


「えーっ! フジワラさん、抱きしめた後にキスまでしちゃったんですかーっ。ベスちゃん、可哀想」


 可哀想ってなんだよ、俺に抱きしめられてキスされるとそんなに不幸なのか?

 聖女に反論しようと腰を浮かせた瞬間、白アリの冷ややかな口調が響く。


「ミチナガ、あんた、女神ルースに誓うとか、軽はずみが過ぎるわよ」


 そう、ベスの育った地域では男が女に向かって『女神ルースに誓う』と言うのは愛の誓いとか結婚の誓いとからしい。

 もちろん、大半の地域ではそんな信仰というか風習はない。


「そ、そうだな。それに関しては本当に反省している。ベス、本当に申し訳なかった」


 俺は白アリに抱き着いた状態でこちらを覗き見ているベスに向かって頭を下げた。なんだか白アリに頭を下げている気になるのは気のせいだろう。

 次の瞬間、大人しくしていた黒アリスちゃんの静かな声が聞こえた。


「メイド、さっきも言いましたが、ミチナガさんが口にした『女神ルースに誓う』と言うのは忘れなさい」


「はい、忘れます。綺麗さっぱり忘れます」


 黒アリスちゃんに向かって、何度も激しく首肯するベスをそのままに白アリの声がため息交じりに発せられる。


「本題に入りましょう。生贄の話よ」



「ああ、それか。何から話そうか――――」



 何から話そうかもあったものじゃない。面白がっていたのは俺だ。

 正直な事を言えば、ボギーさんも同罪の気がする。だが、ここでそんな事を主張しても墓穴を掘るだけなのでその事には触れない。


 俺は白アリにうながされて、ベスに生贄の詳しい説明はおろか、何の説明もせずにからかっていた事を白状した。



「――――という事で、生贄に付いては何の説明もしていない」



 先程に続いて、白アリがため息と共に半ばあきれたように口を開く。


「つまり『生贄』って言葉だけで、何一つ具体的な事も説明せずにベスを連れ出したって訳ね?」


「なかなか切り出せなくて、つい言いそびれてしまったんだ――」


 俺はベスに向き直ると謝罪の言葉と共に頭を下げた。


「――本当に申し訳ない」


 言えない、『ベスの反応が面白くて本当の事を伝えずにからかっていた』なんて、絶対に言えない。

 俺が頭を上げたタイミングで、一緒になってベスの事をからかっていたボギーさんの口から第三者視点のセリフが飛び出した。


「まあナンだ、兄ちゃんも反省しているようだし、そろそろ生贄の嬢ちゃんに、ちゃあんと説明しようや」


 すかさず、ロビンと聖女がボギーさんの言葉を後押しする。


「ミチナガも反省しているようですし同じ過ちは繰り返さないでしょう。私はミチナガを信じます」


「私もフジワラさんなら、やらかしてくれると信じています」


 白アリが三人の言葉に苦笑すると口を開く。


「説明していなかった事はもうどうしようもないもんね――」


 傍らに座ったベスに視線を向けると優しげな口調で続ける。


「――今から生贄について詳しく説明するから、安心しなさい」


「え? あのっ、生贄は決まりなんでしょうか?」


 白アリは必死の形相で彼女の腕を握りしめるベスの握力に、わずかに顔を歪めながら話を続ける。


「ベス、これは貴女にしかできない事なの。身の安全は保障するから協力して頂戴」


「でも、生贄ですよねっ?」


 疑わし気なベスの反応に白アリが、普段見せる事のない優しげな声音と表情で説得モードに入った。


「違うわよ、本当に生贄にする訳じゃないの。フリよ、フリ。生贄の真似事をしてもらうだけだから」


「フリ? 真似事? ですか?」


「そうよ、生贄のフリをしてあたしたちと一緒にダンジョンに潜ってもらうの」


「み、皆さんと一緒なんですね、私一人でダンジョンに潜らされる訳じゃないんですよね」


「そんな酷い事しないわよ」


 白アリの言葉を引き継ぐように、ボギーさんがもの凄く良心的な嘘をつく。


「それに、生贄の話だって眉唾もんだ。本当に生贄が必要なところに、幾ら能力が高いとはいっても嬢ちゃんみたいな娘を連れていくわけネェだろ」


 生贄の情報を知ったとき、真っ先に『身代わりの嬢ちゃんを生贄に昇進させよう』と提案した人の言葉とは思えない。


「そ、そうですよね。それを聞いて安心しました」


 言葉と表情は安心したようにみえるが、白アリの腕を握りしめる手はそのままだ。あれ? 白アリの腕、変色し出していないか?

 安堵した様子のベスを一瞥して、黒アリスちゃんが話を再開する。


「なんでもそのダンジョンは銀髪の生娘を要求するそうです。分かっているのはそこまでです」


 自分の腕を握りしめるベスの手に軽く左手を乗せると白アリが口を開く。


「そのダンジョンの中や付近で、銀髪の少女や幼女を何人もの探索者が目撃しているの。それで、そのダンジョンが生贄に銀髪の生娘を要求しているって噂になったようなのよ」


「噂なんですね、噂だけですよね?」


 念を押すように白アリに聞き返すベスに向かって、聖女が本当の事を伝えた。


「生贄として銀髪の生娘を連れていって、その先どうなるかは現地で確認ですね」


「え? どうなるか分からない……」


 焦点のあっていない目で聖女を見つめ、消え入るようにつぶやくベスに額に脂汗を浮かべた白アリが話しかける。


「大丈夫よ、そのダンジョンが本当に生贄を欲しているのかも分かっていないくらいだから。それに何にも無いかもしれないでしょう?」


「え? その銀髪の少女や幼女はどうなったんですか?」


 そこに気付いたか。意外と賢いな、ベス。


「それが分からないの、どこ行っちゃったのかしらね」


「いやいやいや、それって一歩間違ったら本当の生贄になっちゃうヤツですよね?」


 ベスの握力がさらに上がったようだ。白アリの笑顔が歪む。


「そうならないために、あたしたちが一緒に潜るのよ」


 逆だけどな。俺たちがそのダンジョン――『夜の森の迷宮』に潜るからベスを連れていく。


 なおも危機感を抱いたままのベスに聖女、ボギーさん、黒アリスちゃんと援護が続く。


「それに私たちが一緒なんですから何も怖いものなんてありませんよ」


 続く『死なない限り、何度でも元通りに治してあげますよ』との聖女の言葉にベスが嫌々するように首を振る。

 ベス自身、【再生 レベル5】なんてアンデッドのようなスキルを持っている。俺と聖女の【光魔法 レベル5】があれば、それこそ一瞬で脳を全て破壊しない限り助かりそうだ。痛い事は痛いだろうけど。


「俺たちゃ、既にダンジョンを一つ破壊して、一つ攻略している。ダンジョンの破壊と攻略、どっちの実績もある探索者なんざ、世界中探したってそうはいネェぞ――」


 さすがにボギーさんのこの情報には驚いたのか、ギョッとした表情で固まった。


「いざとなれば、ダンジョンを破壊してでも貴女を連れて脱出できます」


 黒アリスちゃんの言葉にベスの表情が和らぐ。すると突然ベスの背後に高笑いを伴って水の精霊ウィンディーネが出現した。


「ご安心くださいっ! そこいらの木っ端ダンジョンなんぞ、私一人で水没させてみせます」


 いや、それはだめだろう。ベスまで水の底じゃないか。それに女神さまにまた怒られるかもしれない。

 突然のウィンの出現にベスが『ヒッ』と小さな悲鳴をあげると、その握力に白アリが顔をしかめながらもベスをなだめる。


「大丈夫よ、この娘は水の精霊ウィンディーネでウィンっていうの。食いしん坊だけど、とってもいい娘よ――」


 そう言い、水の精霊ウィンディーネに視線を移すと


「――どうしたの、突然? 朝食なら済ませちゃったわよ」


 アイテムボックスからクッキーを取り出して水の精霊ウィンディーネの眼前に広げた。


「おおっ! さすが白姉様、分かっていらっしゃるっ」


 文字通り飛びついてクッキーを貪るように食べる水の精霊ウィンディーネともの凄い勢いで減っていくクッキーとをベスが興味深げに見ていた。

 そんなベスに白アリが口元を綻ばせて語りかける。

 

「ベス、クッキーを食べた事無いの? もしかして見るのも初めて?」


 減っていくクッキーの山を見つめたまま、無言でコクコクとうなずくベス。


「もしよかったら、貴女も食べる? まだたくさんあるわよ。数もだけど種類もたくさんあるの。食べ比べてみる?」


 黒アリスちゃんと聖女が示し合わせたように、優しげな笑顔で白アリを援護する。


「白姉の作るクッキーはもの凄く美味しいんですよ」


「私たちは余程の事がない限り食べ物の質が落ちる事はありませんよ。先程の朝食が低い基準ですね。それにお菓子もクッキーだけでなく、甘いものがたくさんあります」


 水の精霊ウィンディーネが取られまいと抱え込んでいるよりも、数も種類も上回るクッキーがベスの前に差し出される。


「先ずは食べてみようか」


 ベスは白アリから両手を離すと、差し出されたクッキーを恐る恐る口にした。


「美味しいです。こんな美味しいもの食べたことっ……」


 言葉に詰まったベスがボロボロと泣き出した。


「ほら、泣かなくてもいいのよ、ゆっくり食べなさい」


 そう言うと白アリは勝者の笑みを浮かべた。黒アリスちゃんと聖女も『してやったり』と言わんばかりのいい表情をしている。

 どうやら、生贄の件は落着したようだ。


 ◇

 ◆

 ◇


 ベスと水の精霊ウィンディーネの食後のデザートが終わったところで、俺たちは行動を開始した。

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