第316話 残された貴族たち(5)
マルセル子爵のおひざ元――マルセル領の領都であるダスティ市、そこから山を一つ隔てた十数キロメートル離れた森の中に俺たちは集結する事になっている。
ベスを伴っての空間転移で待ち合わせ場所に出現すると、朝食の準備をしている白アリと黒アリスちゃんの姿が目に飛び込んできた。
白アリが魚をさばき、黒アリスちゃんが葉物の野菜を切っている。
実にいいタイミングだ。二日ぶりに白アリの料理にありつけるかもしれない。
内心でそんな期待をしながら二人に声を掛ける。
「お疲れさま、マルセル子爵の様子はどうだ?」
白アリと黒アリスちゃんがそれぞれ調理をする手を止めると、アーマードスネークの鱗から切り出した包丁を片手にこちらを振り向く。
だが、真っ先に反応したのは野菜をかじっていたマリエルだ。
「ミチナガ―、寂しかったよー」
俺は飛んできたマリエルを迎えると、緊張しているベスに小声で伝える。
「安心しろ、虐められたりしないから。これまで通りに接していればいい」
俺の傍らで二人に向かって小さくお辞儀をするベスの顔はいつもより緊張しているように見える。
「ですけど、あの二人は怖いです」
そう言うと『特に白髪の方が』と震える声で絞り出だした。俺は左腕にしがみ付くベスをやんわりと引きはがして、耳元でささやく。
「ボギーさんたちだけじゃなく、あの二人にも伝えてあるから大丈夫だ」
ベスはビクンッと身体を震わせて俺の事を見上げる。
そう、俺たち七人が他人や魔物の所持する魔法を見抜く能力を持っている事をベスに明かした、と転移者全員に伝えてある。
ボギーさんと聖女、ロビンの三人とは既にその事に付いて会話をし、ベスも安心したようだ。
だが、伝書サンダーバードで報せただけの、白アリと黒アリスちゃんの二人と会話するのはまだ怖いらしい。
騙していたと思われるのがよほど嫌なのか、ずっとビクビクしている。
「本当に大丈夫でしょうか? 怒っていませんか? 二人とも。そのう、特に白髪の方……」
意外だな、白アリよりも黒アリスちゃんの方を警戒しているのか。
髪の毛を引っ張るマリエルと怯えるベスを気にしていると、黒アリスちゃんと白アリの声が聞こえてきた。
「お疲れ様です、ミチナガさん。朝食は済ませましたか? まだなら一緒に食べましょう」
「早かったのね、他の皆は?」
俺の髪の毛を引っ張りながら『ハチミツー』とつぶやくマリエルに『食事が終わったらな』と諭して、黒アリスちゃんに答える。
「ありがとう、黒アリスちゃん。移動の連続で、まだだったんだ。ありがたく頂くよ。ボギーさんやアイリスの娘たちも一緒なんだけど大丈夫かな?」
「大丈夫です。今、用意を始めたばかりですから」
にこやかにそう答える彼女にご馳走になる事を伝え、マリエルを頭から引きはがしながら白アリに視線を移す。
「皆もすぐに到着する。それで、マルセル子爵の様子はどうなんだ?」
「問題ないわ。領民たちも昨夜のうちに準備を済ませているから、きっと今頃は待ちくたびれているでしょうね」
クスクスと楽しそうに響く白アリの笑い声の中、黒アリスちゃんの辛辣な言葉が続く。
「つい、一時間程前に城内を確認してきました。マルセル子爵もぐっすりでしたが、彼と一緒に残された人たちも平和な顔をして眠っていましたよ」
そりゃあ何も知らないんだ、平和な顔で眠っているだろう。
ましてや、手はず通りなら昨夜は睡眠薬、今朝は黒アリスちゃんの睡眠の魔法を使って、目覚める間もなく眠り続けているはずだ。
「外部との接触は?」
俺の質問に黒アリスちゃんが即答する。
「気付かれた様子はありません。何組かの隊商や連絡馬車が領都に入ろうとしたので確保してあります――」
捕らえただけか? と思い確認しようとすると、
「――大丈夫です、支度金を渡して移住の了解も取り付けてあります。確保した人たちの中に、家族がマルセル子爵の居城で働いている人がいたので、その家族を連れだす段取りまでは済ませてあります」
にこやかな笑顔と共に期待以上の答えが返ってきた。
「それじゃあ、第一次移住計画の仕上げだな」
今回、ラウラ姫を子どもと侮って条件の吊り上げを画策してきた三人の貴族――マルセル子爵とパリー男爵、リーガン男爵。彼らには泣いてもらう事にした。
「ここが終わったら、パリー男爵とリーガン男爵のところかあ。なんとも地味な仕事よねー、嫌いじゃないけど」
「嫌いじゃないどころか、私、こういうの好きですよ」
白アリと黒アリスちゃんがキャイキャイと会話しているのを余所に、ベスが俺の後ろに隠れるようにしてうつむいている。
「出来れば、目が覚めた時のマルセル子爵の顔が見たいものね」
「それは、見たいかも。今度、映像を記録するような魔道具の開発とかも試してみましょうか」
「楽しそうね、それ。落ち着いたらリューブラント侯爵お抱えの匠たちを缶詰にしていろいろと開発してみたいわね」
「やりましょう。オリハルコンの武具を幾つか献上すればリューブラント侯爵は首を縦に振りますよ、絶対っ」
白アリも黒アリスちゃんもどこか口調が弾んでいる。
マルセル子爵とパリー男爵、リーガン男爵、彼らの領地の領民たちを、新たに用意したラウラ・グランフェルト辺境伯の直轄地へそっくり移住させる。
彼らが気付いたときには領民は全ていなくなっている、という算段だ。
俺は会話中の二人に声を掛ける。
「午後にはリーガン男爵領に向かうからそのつもりでいてくれよ――」
パリー男爵、リーガン男爵の領地にいる住民も後三日のうちにそれぞれの領地から脱出させる。
これが終わったころにはテリーが合流するはずだ。
「――それが終わったら、新たにラウラ姫の直轄地となる領地にあるダンジョン――『夜の森の迷宮』を攻略するからな」
ほとんど手付かずのダンジョンで四層目までしか探索が進んでおらず、ダンジョンの特性や水平規模――階層あたりの広さも分かっていない。
ダンジョン攻略の話に、白アリと黒アリスちゃんが真剣な顔つきとなる。
「早々に終わらせてグランフェルト領に以前からある『山岳の迷宮』も一気に攻略しちゃいましょう」
「ようやくダンジョンアタック再開ですね――」
黒アリスちゃんはそう言うと俺の背後に隠れているベスを覗き込む。
「――いつまでもミチナガさんの後ろに隠れているメイド、そこであなたの出番ですよ」
ベスの身体がビクンッと反応するのが伝わってくる。
「は?」
キョトンとしているベスに白アリがにこやかに語り掛ける。
「本当、能力が高いだけあって度胸があるわ。怖がって逃げ出すんじゃないかと思っていたのよ」
しまったっ! 『まだ早い、その話はこれからする』、それをどう言い
「聞いていないの? ――」
白アリが『おや?』という様子で俺の顔を一瞬見やるが、すぐにベスを覗き込み確信に触れる。
「――生贄よ、生贄」
「生贄? ボギーさんの言っていらしたお話でしょうか?」
「なんだ、聞いているんじゃないの」
ベスは俺の背後から傍らへと移動して俺と白アリの顔を交互に見ると、不思議そうに小首を傾げて俺を見上げる。
「あのー?」
「ベス、順を追って説明するから落ち着いて聞いてほしい」
そんな俺の勇気と配慮を黒アリスちゃんが打ち砕く。
「『夜の森の迷宮』はなんでも銀髪の生娘を生贄に要求するそうですよ」
「え?」
混乱するベスに向かって白アリが追撃する。
「そこに貴女と一緒に迷宮に潜るのよ」
「え? えええーっ! ――」
白アリの止めとなる一言に混乱をしたのか、ひとしきり叫び声を上げたと思ったら俺に掴みかかってきた。
「――ミ、ミチナガ様ーっ。酷いっ、騙したんですね、私のこと騙したんですねーっ」
いや、人聞きの悪い言葉は慎もうな、ベス。周りの騎士たちがこちらを盗み見ている視線がヒシヒシと伝わってくる。
不味いな、風聞が悪すぎる。
「落ち着けベス、大丈夫だ、任せておけ。一昨日も言っただろう、必ず守ってやる。俺を信じろっ!」
「この状況で何を信じろと言うんですか? それに一昨日って、あれはこういう事だったんですか? 酷いっ! そっちの方が酷いですっ!」
俺を見るベスの顔が泣きそうな表情から不信の目に変わっていく。なんだろう、なんとも言えない罪悪感が襲ってくる。
その罪悪感を更に刺激するように黒アリスちゃんの声がした。
「お取り込み中申し訳ありませんが、ミチナガさんはこのメイドをどんな風に騙したんですか?」
「騙していない、本当だ。騙してなんていない、女神ルースに誓う」
そうだ、言っていなかっただけで騙した訳じゃない。
「どうせ、あんたの事だから何にも言わずに連れ出したんでしょう?」
白アリの的確に俺の良心を抉る一言が響く。
声のした方へ視線を向ければ、いつの間にか俺のそばを離れて白アリの後ろに隠れているベスが、コクコクとうなずいていた。
いつの間に移動したんだ? 【身体強化 レベル5】は伊達じゃないな。
そのとき、俺の後方――兵士たちが休息している空き地で魔力が膨れ上がった。振り向くと同時に聖女とメロディが騎士団を伴って転移してきたところだ。
助かった、取り敢えずこの場を切り抜けられそうだ。
「ボギーさんたちが到着したようだな」
「そうね。ボギーさんはともかく、聖女ちゃんとロビンからあんたがこの娘にどんな酷い事をしたのか聞き出してからこの続きをしましょうか」
「そうですね、朝食を摂りながらお話をしましょうか」
助かっていない、全然助かっていないよ。切り抜けるどころか、言い逃れ出来そうにない状況が待っていそうだ。
それに朝食を摂りながらするような話じゃないような気がするんだが……言えないよなあ、そんな事。
白アリがボギーさんたちの到着した場所から彼女の背後にいるベスに視線を移して笑顔を向ける。
「ベス、貴女も食事の支度を手伝って頂戴。一緒に食事をしながらいろいろと聞かせてね」
黒アリスちゃんはアーマードスネークの鱗から削りだした包丁を微妙にベスに向けたまま、彼女を臨時の調理場へ向かうようにうながす。
「いろいろと聞きたい事がありますが、今は食事の支度を進めましょう」
「は、はいっ」
そう返事をベスは視線を黒アリスちゃんの手にした包丁の先から外すことなく、小さく何度も首肯をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます