第315話 残された貴族たち(4)

 ジュリア・パーマー士爵率いる分隊、五百名を伴ってマイラ市の市街地へと転移した。

 普段なら所狭しと店が立ち並ぶ広場だが、今日はまるで夜逃げをする集団のように、誰もが大荷物を抱えている。中には馬車での旅支度を済ませている者もいた。


 そんな住民を取り囲むように三十名ほどの衛兵が点在している。


「ベス、やれっ!」


「はいっ!」


 ベスのまとった魔力の濃度が高まる、意識を集中しているのが分かる。住民たちを取り囲むように広がっていた衛兵たちに向けて、闇魔法が発動した。

 住民を威嚇していた衛兵はおよそ三十人。


 黒アリスちゃんと同じ【闇魔法 レベル5】とはいっても、魔法操作のスキルがないためか、経験の差かは分からないが照準が甘かったようだ。

 全ての衛兵を魔法の範囲に捉える事が出来ていない。それでも半数程が崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込む。


「よくやった、ベスッ! ――」


 自身の魔法の成果を茫然と見ているベスを後ろから抱きかかえると、ジュリア・パーマー士爵へ指示を飛ばす。


「――ジュリアッ、後は任せるっ!」


「突撃ーっ! 敵衛兵を全員捕らえよっ! 間違っても住民に危害を加えるなっ!」


 間髪を容れずにジュリアの号令が響き、すぐに騎士たちの上げる声と走る音、武具の擦れる音が取って代わる。


 ベスの闇魔法を逃れた衛兵十数名など、完全武装の騎士団五百名の敵ではなかった。衛兵たちも何が起きているのか理解できずに、驚きと戸惑いの中で次々と騎士団により捕らえられていく。

 衛兵よりも住民たちの方が現状の理解が早かった。騎士団が衛兵を捕らえている最中に喊声かんせいが上がる。


 ジュリア・パーマー士爵率いる騎士団は、少なくとも眼前にる住民たちには喊声かんせいを以て迎えられた。


 ◇

 ◆

 ◇


 住民を包囲していた衛兵を鎮圧し終え、騎士団が住民の移住手続きに移ったところで、ベスと共に詰め所の襲撃フェイズに移る事にした。


 俺は建物の陰から、五十メートルほど前方にある衛兵の詰め所を覗き見たまま、ベスに問いかける。


「少し距離があるがここから試してみよう」


「はい、分かりました」


 振り返ると、ベスは不安そうな表情を浮かべてコクコクとうなずいた。


「先程と同じように闇魔法で眠らせる。ただし、今度はじっくり時間をかけて狙いを定めてみるんだ」


 緊張している彼女に『今度のターゲットは二人だけだ、気楽に行け』と背中を押す。


「では、行きますっ」


 ベスはそう言うと建物の陰から半歩踏み出し、ターゲットとなる二人の衛兵に視線と意識を傾けた。

 時間にして五秒程、不自然に崩れ落ちる二人の衛兵を見て、ベスが歓喜の声を上げる。 


「ミチナガ様、見てくださいっ、成功しましたっ」


「よーし、上手いぞ」


 この詰め所に来るまでに三回――市内を巡回中の衛兵たちに向けて、練習がてらに闇魔法で眠らせてから捕縛している。

 何れも大きな失敗をする事無く確実に仕留めていた。それだけじゃあない、市街地への突入時と今回を合わせても、わずか五回の戦闘経験で確実に上達している。


 俺はベスを伴って、彼女がたった今闇魔法で眠らせた詰め所の歩哨の近くへと転移すると、


「では、すぐに縛り上げます」


 そう言って取り出したロープで眠らされた衛兵を手際よく縛り上げていく。


 元来、もの覚えも良く、器用なのだろう。魔術の使い方だけでなく、衛兵を縛り上げる手際も、もの凄い速度で上達していた。


 加えて筋力だ。【身体強化 レベル5】によりナチュラルに筋力が高い。

 先程も縛り上げた五人の衛兵をロープで一括りにしたと思ったら、鼻歌交じりに容易たやすく引きずり回していた。

 

 ベスが衛兵を縛り上げている間、視覚と聴覚を飛ばして広場の様子を確認する。順調のようで、大半の住民が手続きを終えて馬車に乗り込んでいた。

 こちらが終わり次第、準備が完了している馬車から都市の外へ転移させて良さそうだな。


「ミチナガ様、終わりました」


 捕らえた衛兵を縛り終えたベスが指先で背中を突いて知らせてきた。


「ご苦労さん。さあ、ここからが本番だ」


 口を引き結んで小さく首肯するベスと、たった今彼女が縛り上げた二人の衛兵を連れて、詰め所の中へと転移した。


 ◇


 詰め所の中――おそらく食堂兼休憩所なのだろう、衛兵の大半が集まっている部屋へと出現する。

 出現すると同時に衛兵たちの前へロープで縛り上げた歩哨を転がした。

 

 何が起きているのか理解が追い付いていない様子の彼らに話しかける。


「働き過ぎじゃないのか? 入り口で眠っていたぞ」


「え? も、申し訳ございませんでした」


 素直にお礼を述べた衛兵もそうだが、その場に居合わせた衛兵たちは俺とベスのことを交互に見ているだけで、すぐに行動に移れる者はいなかった。


「申し訳ないがこの部屋に、詰め所に残っている全衛兵を集めてくれっ!」


「ちょ、ちょっと待ってください。急に言われても――」


 抗弁する衛兵を『口答えをするなっ、急げ!』と一括して黙らせると、マルセル子爵に対して上から目線でさらに続ける。


「マルセルの失脚に付き合って人生を棒に振るつもりなら何も言わんっ、好きにしろっ! マルセルのヤツにそこまでの義理立てする恩がある者は申し出ろっ、配慮するっ! ――」


 なかなか他の者たちを呼びに行こうとしない衛兵を軽く睨み付けてそういうと、周囲を見回しながらさらに続ける。


「――だが、そこまでの義理や恩が無いのならこの場に残って俺の話を聞け!」


 俺は『さっさと残りの衛兵を迎えに行け!』と付け加えると、睨み付けた衛兵が弾かれたように部屋をでていく。茫然と立っている衛兵たちに向きなおると彼らに座るよう促した。

 衛兵たちにしても何か釈然としないものが在るのだろう、 互いに顔を見合わせながら着席する。


 残りの者たちを呼びに行った衛兵と、彼に連れられてくるはずの衛兵たちを待たずに説明を始めることにした。


「噂くらいは耳にしていると思うが、ガザン王国は滅亡したっ! ――」

 

 正確にはガザン国王が昨日討たれた。そしてリューブラント王国建国の宣言が今日にも行われる。これは未明に帰還した黒アリスちゃんの伝書サンダーバードがもたらした情報だ。


「――数か月前にマルセルの寄親であるグランフェルト辺境伯の領主交代劇同様にクーデターだ」


 ここに至ってなお、惚けている者が大半で、察しのいい者たちは極わずかだ。

 

「リューブラント王国建国に伴い、このマルセル領も王国の一領地となる。そしてこの度、クーデターを引き起こしたアーロン・グランフェルトは配下の裏切りにより殺された。そして、新国王のお孫さんであるラウラ・グランフェルト辺境伯が見事にグランフェルト領を奪還された――」


 ラウラ姫が新国王の孫娘である、という下りで、ようやく危機感を認識したようだ。彼らの事をゆっくりと見回すが平静を保っているものはいない。

 俺は彼らの心に刻みつけるように殊更ゆっくりと語る。


「――マンセルのヤツが、クーデターに与しなかったのは良しとしよう。だが、グランフェルト奪還軍への参陣要請を無視し、あまつさえ近隣の領主と結託してラウラ・グランフェルト辺境伯に反旗を翻したっ!」


 俺が言葉を切ると、衛兵たちは慌てて口々に言い訳を言い始める。


「し、知らない。そんな事は聞かされていない」


「反乱なんて聞いていない」


「参戦要請だって、聞かされていないんだ」


「そ、そうだ。俺たちは何も知らない、知らされていない」


「戦争だなんて、聞いていない。私はこれでも準士爵だ。もし反乱をするつもりなら相談があるはずだ」


 ここで『知らない』とか『聞いていない』と言われても、俺としては取り合う訳にはいかない。

 何しろマルセル子爵ですら知らない事だ。彼も反乱など考えていない。ラウラ姫の事を小娘と小馬鹿にして、足元を見ているだけなので、反乱だの戦争だのを衛兵たちが知らなくて当然だ。


「マルセルはラウラ・グランフェルト辺境伯に勝つつもりでいるようだぞ。アーロン・グランフェルトが率いたクーデター軍を圧倒した、ラウラ・グランフェルト辺境伯の軍勢にな」


 顔を蒼ざめさせる衛兵たちに向けて『もっとも戦うのは本人ではなく、お前たちだ。随分とあてにされたものだな』、薄ら笑いを浮かべてそう告げる。

 すると、衛兵たちの間に再び動揺が走った。


「ファジオーリ士爵の悲劇が再現するのか?」


「ゴルゾ平原……」


「ゴルゾ双璧は形を変えたっていうじゃないか」


「じょ、冗談じゃないっ。ゴルゾ平原の事は知っている。ふ、双子の魔女なんかと戦えるかっ」


 双子の魔女? 白アリと黒アリスちゃんの事を指しているのか? いや、幻影の水晶を使った白アリのことか。

 なるほど、ルオアテン市の攻防は結果しか伝わっていないようだが、ゴルゾ平原での戦いは、それこそ尾ひれ背びれが付いて伝わっているようだ。


 利用させてもらおうか。


「その双子の魔女が既にこちらに向かっている」


「なんだってっ!」


「ちょっと待ってくれ、なんとかならないのか?」


「そ、そうだあんたたちは、そのために来たんだろう?」


「助けてくれっ」


 実にいい反応だ、好戦的な者は一人もいない。


 俺はテーブルの上に大量の銀貨が入った袋を無造作に放り出した。銀貨は袋からあふれ出すとテーブルに広がり、魅力的な金属音を立てて床になだれ落ちる。

 床になだれ落ちる銀貨と俺の顔を無言で眺めている彼らに向けて話す。


「マイラ市の住民は既に支度金を受け取って、ラウラ・グランフェルト辺境伯の用意した新たな都市へ移住する決断をしたっ! 今まさにこの都市を出ようとしているっ――」


 ほとんどの衛兵が驚きの表情へと変わる中、一部の者は期待に目を輝かせている。


「――この銀貨はお前たちの支度金だ。ここに残って双子の魔女と戦うか、支度金を受け取ってラウラ・グランフェルト辺境伯の臣下となるか、今この場で選べ」


 互いにけん制し合うようにしている彼らに向けて、『そうそう、今日、何人か休んでいる者がいるだろう?』と、思い出したように語りかける。


「具体的に言うと家族のいる者たちだ。衛兵とその家族は優先して移住の手続きをしている――」


 これは事実だ。住民たちが新たに用意した土地へ移動する際に、こちらの騎士団と共に魔物からの護衛を務めてもらうのだからそれくらいの優遇はする。


「移動する住民を魔物から護衛する気概のある者は申し出ろ、どうように優遇しようじゃないか」


 その言葉が終わるや否や、一人の衛兵が片膝をついて頭を垂れた。臣下の礼だ。


「ラウラ・グランフェルト辺境伯様に忠誠を誓いますっ!」


「我らが正統なる主君、ラウラ・グランフェルト辺境伯様に忠誠を誓います」


 即座に二人目の衛兵が続いた。


 そこからは早かった。

 後から食堂へと連れてこられた衛兵たちも抗弁する様子もなく流されるように次々と臣下の礼を取り、忠誠と引き換えに銀貨を受け取った。


「ご苦労さん、広場に戻ったら住民の移動を開始する。ベスは広場で休んでいていいぞ」


 そう告げると、ベスを伴って広場へと転移した。


 ◇


 戻ると広場は、住民対応に追われて走り回る兵士たちと、混乱気味の住民たちとの喧騒に包まれていた。


「手続き完了の用紙と銀貨を受け取った方は、荷物をまとめて指定された馬車へ搭乗してください」


「自前で馬車を用意している方は、馬車と一緒に指定の場所へ移動をお願いします」


「だから荷物が多いって言っただろうっ」


「全部必要なものなのよ、無かったら向こうで困るでしょっ」


「十一号馬車へ搭乗される方は私に付いてきてください」


「騎士様っ! 子どもが迷子なんです」


「出発はいつ頃になりますか?」


「皆さん、道中必要となる水と食料は十分に用意してあります。規定した以上の荷物を持っていく場合は、ご自分たちで馬車を用意するか、馬車を持っている方にお願いしてくださいっ!」


 多少の混乱はあるが、手続きの方は順調に進んでいた。受付手続きに並ぶ人の列はかなり短くなっている。

 俺の視線の先を追うようにベスが受付の列を見て言う。


「もう少しですね」


「ああ、少しだけだが休んでいろ――」


 ベスを近くの木陰に誘導し、メロディをジェスチャーで呼び寄せると、駆け寄ってきた彼女に向かって告げる。


「メロディ、これから準備が整った馬車から都市の外へと転移させる。手伝ってくれ」


「はい、畏まりました」


 いらつきだした住民を満載している馬車へと向けて、メロディと共に転移した。

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