第311話 グランフェルト城の側で
グランフェルト城近くにあるクーデター派に属していた貴族の屋敷を接収して、ラウラ姫の臨時の居城としていた。
当然、屋敷の中では政務が執り行われている。
そして何の因果か、俺たちチェックメイトのメンバーも政務の手伝いに駆り出されていた。
今も四十畳程の居室を俺たちチェックメイトだけで占拠して、政務に精を出しているところだ。
因みに俺たちに割り当てられた仕事は、今回のグランフェルト奪還軍と途中から参陣してきた貴族や傭兵団、陣借りをしていた士官希望者の勲功を一覧表にまとめるという地味な仕事だ。
紙の上を走るペンの音とため息が時々聞こえていた室内に、突然白アリの苛立ちをはらんだ声が響く。
「テリーからの連絡はまだっ?」
いつもなら白アリと一緒にこの手の事務仕事を
仕事を押し付けている俺たちとしては強く出られない。
白アリの苛立った声に黒アリスちゃんが反応した。
「私の伝書サンダーバードを、昨日テリーさんの下へ向かわせたので、早ければ今日にも返信があるはずです」
「それでいつ頃戻ってくるのか分かる?」
幾分か口調が和らいだ白アリが黒アリスちゃんに尋ねると、適当にはぐらかせばいいのに黒アリスちゃんが律儀に答える。
「こればかりは、伝書サンダーバードが戻ってみないと分かりません――」
そこで一瞬言いよどむと『計算上での話です』と前置きをして続ける。
「伝書サンダーバードを私に戻すタイミングでこちらへ向けて出立したとして、伝書サンダーバードに遅れる事一日程度でしょうか?」
まあ、妥当な答えだよな。白アリが精神的に追い詰められていなければ。
「つまり、あと二日は帰らないってことね」
「二日だと最短だと思います」
気の毒に。
ロビンも聖女も我関せずと、最年少の黒アリスちゃんに白アリの相手を押し付けて、自分たちは受け答えどころか、視線を合わせないように仕事を続けているよ。
そしてボギーさんは白アリと対角に位置する扉のすぐ
そう、白アリと然程変わらない量の仕事を
ここまで行動を共にしていたが、ボギーさんがこれ程事務処理を
何となく分かったが、この人は自分の興味の向いた事以外、手を抜けるときは徹底して手を抜く気がする。自分がやらなければならない状況になって初めて本気を出す人だ。
皆の様子を見回していると白アリと視線が合った。
「ミチナガ、人員不足よ。仕事量を減らすか応援の人員を回してもらって。それでなければ、テリーをとっとと呼び戻してちょうだいっ」
黒アリスちゃんから俺に矛先が向いたようだ。
俺に矛先が戻ってくるのが早くないか? 先程、つい三十分程前にも、『これだけ仕事をさせておいて食事が不味すぎるのよっ!』『あたしたちに作らせるよう言ってきてっ』『肉の代わりに料理長を焼いてやろうかしら』とか、俺が散々愚痴を聞いていた気がする。
「分かった、すぐに増員してもらうようにする」
白アリを事務仕事から外して料理担当に回ってもらうよりも、余程現実的だ。何よりも、ごく自然に俺がこの場を後にして、セルマさんのところに向かえる。
俺が腰を浮かせたタイミングで扉がノックされた。
扉の近くで仕事をしていたボギーさんが面倒臭そうに扉へと向かうと、
「なンだあ? 今、立て込んでンだ。それなりの覚悟をして扉を叩いたんだろうなっ?」
普段以上に乱暴な口調でそう言い放ちながら扉を勢いよく開けた。
気の毒に。誰だか知らないが侍女だったら泣き出しかねないぞ。
扉の向こうにいる人に逃げ帰られても困るので、ボギーさんの後を追うように俺も扉へ向かう足を速めた。
俺たちにすっかり慣れたのか、特に泣くでもなく顔を蒼ざめさせるでもなく、普段と変わらないベスが立っていた。
ベスの姿にボギーさんも平静を取り戻したのか、からかうように問い掛ける。
「どうした、身代わりの嬢ちゃん」
「影武者です。タウンゼント男爵が報告にいらしてます――」
そう言うと、ボギーさんの脇から俺の事を覗き込むように身体をずらして、伺いを立ててきた。
「――ミチナガ様、こちらにお通ししても、よろしいでしょうか?」
ベスの言葉に続いて黒アリスちゃんと聖女の声が背後から聞こえてくる。
「誰でしたっけ?」
「ほら、あれですよ、助けてあげた。グランフェルト城の地下牢に閉じ込められていた貴族ですよ」
散り散りになっていた反クーデター派をまとめ上げて、ラウラ姫のところへ帰参するよう頼んでいた貴族たちの一人だ。
予想よりも早いが、貴族たちの取り込み成功の報告かな。
俺は皆に『一休みしようか』と休憩をうながすと、部屋の片隅に追いやったソファーとセットになったテーブルを指さしてベスに告げる。
「タウンゼント男爵一人か? 一人ならソファーの方へ通してくれ」
「はい、お一人でいらしてます」
ベスの返答に続いて、彼女の背後からタウンゼント男爵が書類の束を抱えて姿を現した。
「失礼致します。お久しぶりです、皆様」
抱えている書類の束を眼にした途端、気分が悪くなってきた。どうやら無意識のうちに書類に嫌悪感を覚えるようになっていたようだ。
それは俺だけじゃなかった。
珍しく、聖女の険しい声と聞きなれた白アリの険を含んだ声が重なるようにして聞こえる。
「ちょっと、タウンゼント男爵。まさかその書類、ラウラ姫やセルマさんに届けるように言われた物じゃないですよね?」
「その書類はラウラちゃんから? セルマさんから? もしそうなら、タウンゼント男爵、貴方はこのままあたしたちの手伝い決定よ」
何かを察したようにタウンゼント男爵が慌てて否定する。
「ち、違います。この書類はフジワラ様との相談に必要な書類です」
「相談ですか? 報告ではなく?」
嫌な予感しかしない。絶対に問題が起きているだろう。自力で解決できずにこっちへ持ってきたな。
「報告が本来の目的です。少々、相談もあるという程度です」
「そうか、一先ず話を聞こうか」
絶対に少々なんかじゃない。タウンゼント男爵の視線が泳いだのを俺は見逃さなかったからな。
俺とタウンゼント男爵がソファーへと向かうと、白アリが聖女とラウラ姫のところに戻りかけたベスに、お茶の用意を手伝うよう声を掛けた。
◇
◆
◇
無言で書類に目を通す俺の正面で、タウンゼント男爵がすっかり冷めてしまったお茶に遠慮がちに手を伸ばす。その左隣では、帰り損ねたベスが自分のカップにお茶を注いでいた。
タウンゼント男爵がお茶を口に運んだタイミングで、彼の右隣に座ったボギーさんが口を開いた。
「この三人以外は姫さんの配下への取り込みに成功したンダな? それで、この三人が――」
タウンゼント男爵から手にした書類に視線を移して続ける。
「――まだ姫さんに
ボギーさんの不機嫌な声にタウンゼント男爵が慌てて答えた。
「
若い女性の当主ね。当主が『子ども』だと馬鹿にされている。そうズバリ言わない辺りは貴族社会だな。
人材不足は確かに深刻だ。だが、ここに至ってなお足元を見ているような連中は必要ない。そんな連中が要職に就いた日には腐敗が進みかねない。
俺は書類を見ながらタウンゼント男爵に念を押す。
「この三人の貴族が難色を示しているんですね? リストにあった他の貴族は、問題なく取り込めたという事で間違いありませんね」
男爵が二人に子爵が一人か。
俺たちの眼前で『間違いありません』と答えるタウンゼント男爵に目もくれず白アリが資料に視線を落とす。
「この三人、クーデターにも参加していなかったから、軍事力も十分にある上、領地の経営も安定しているのね」
「余計な争いには加担せずに自分の領地を繁栄させる。経営面だけを見れば領主として望ましい。だが、税率が高すぎる。自領の住民の生活レベルを周囲の疲弊した領地の住民の生活レベルに合わせて自分たちは私腹を肥やす。好きになれないな」
「つーか、気にくわネェな、こいつら」
まあ、気にくわないというだけで戦いを仕掛ける訳にはいかない。だが、このままいいようにされるのは面白くないな。
何か手立ては無いかと思案を巡らせようとする矢先、白アリが独り言を漏らす。
「攻めるには、それ相応の理由が必要ね」
書類をめくりながら『どこかに理由がないかしら』などと、不穏当なつぶやきが聞こえてきた。
白アリのつぶやきが聞こえたのだろう、聖女が弾む声で、
「理由なんて無ければ作ればいいんですよ」
と言うと、チラリと俺に視線を向けると『フジワラさん、得意ですよね?』と続いた。
「作った方が住民のためですよ、これ」
もっともらしい事をロビンが口にすると、白アリ、黒アリスちゃん、聖女と続く。
「そうよね、住民のためよね」
嘘つけ、微塵も思っていないだろう。
「重税に苦しむ住民を悪徳領主から解放する。ラウラちゃんの政策の第一歩としてはいいんじゃないでしょうか?」
言う程、重税じゃないのは書類を見れば明らかだ。ほとんど言い掛かりにしか聞こえない。
「さっさとダンジョン攻略に取り掛かりたいですし、適当に理由をつけて領地を没収しちゃいましょう」
本音が出たな。
まあ、出来るだけ早くダンジョン攻略に着手したいのは確かだ。俺の心の針が傾きかけたところでボギーさんが見透かしたように釘を刺す。
「まあナンだ。戦争が終わってすぐだ、乱暴なのはやめといた方がいいと思うゼ。穏便なのを頼むワ」
「そうですね、ちょっと穏便な策を考えてみましょう――」
俺はボギーさんに向けてそう言うと、タウンゼント男爵を含めた全員を見回して続ける。
「――夕食後に再びこの件で相談って事でいいかな?」
俺の言葉に、白アリ、黒アリスちゃん、ロビン、聖女と続く。
「いいわよ」
「分かりました」
「いつも作戦を押し付けちゃってすみません」
「楽しみにしていますね」
蒼い顔をしているタウンゼント男爵の隣で、ボギーさんが口元を綻ばせ、無言でサムズアップをしてみせる。
タウンゼント男爵を挟んだ逆側では、『私は関係ありませんよね?』と確認するよう俺から視線を離さずにいるベスがいた。
ベス、残念だがお前の怪力はきっと何かの役に立つ。
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