第308話 娼館

 たった今、路地の奥で出すものを出し切った兵士の一人が、路地の入り口にしゃがみ込んでいる憔悴した様子の兵士たちに話しかける。


「おい、聞いたか?」


「てめぇの音だったら、他の奴のと混じって聞き分けられなかったぜ」


「くだらねぇ事を言ってんじゃねぇよ。俺たちを受け入れてくれる家の話だよ」


 その言葉に、路地に寝込んでいた兵士の一人が反応した。


「防壁沿いにある娼館の話か?」


「防壁沿いの娼館? 寝返りの話じゃなのか?」


「しぃっ! 言葉を選べ、馬鹿野郎」


 それは騎士や兵士たちの間だけでなく、市民たちの間でも公然の秘密としてささやかれている噂。


 曰く、『防壁沿いにある娼館、そこに行けばラウラ・グランフェルト軍が受け入れてくれる』

 曰く、『その娼館に行けば、ラウラ・グランフェルト軍が身の安全を保障してくれる』

 曰く、『安全に街を出ることが出来、支度金として金貨をくれる』

 

 要は現グランフェルト辺境伯を見限って、ラウラ・グランフェルト辺境伯に味方する者を手厚く遇するというものだ。


 自分の汚れたズボンを恨めしそうに見つめていた兵士の一人が言葉を発した。


「このまま攻め込まれたら間違いなく負けるぜ」


 それが引き金となって周りに居た騎士や兵士たちも口々に零す。


「ああ、城に立て籠もっているヤツらはいいかも知れないが、街にいる兵士で戦える者はほとんどいない」


「守るべき街のヤツらにも汚物とか言われ、きっと敵からも汚物扱いされるんだろうな」


「俺は嫌だぜ、こんな惨めな死に方は」


 下痢と嘔吐で気力と体力を失った騎士や兵士たちの目に、光が宿った。


 ◇


 防壁のすぐ脇に立てられた三階建ての大きな建物、今日の昼まで娼館として営業をしていた建物だ。


 その入り口付近で、四人の兵士がまるで初めて娼館の扉を潜る新兵のように、尻込みをして互いに押し合いっていた。


「ここだよな?」


「先月来たときと代わり映えしてないんだが……」


「お前、先に行けよ」


「よせよ、もし違ったら恥かくじゃねぇか」


 突然扉が内側から開けられ、少女が顔を出した。およそ娼館には不似合いな、革製のライトアーマーを装備した十四・五歳程に見える少女だ。

 少女――アイリスのメンバー、エリシアは四人の前に姿を現すと、オレンジ色のツインテールを揺らしてにこやかにほほ笑む。


「いらっしゃいませ。お求めは女性ですか? それとも身の安全でしょうか?」


 そこで兵士たちは初めて気が付く。エリシアが左右の腰に細身の長剣をいていることを。双剣、笑みを浮かべた少女は腕を交差させ、その手はそれぞれ左右の長剣の柄に添えられていた。

 兵士たちは瞬時にここが今までの娼館とは違うことを悟る。


 一人の兵士が慌てて両手を上げ、抵抗の意志がない事を示すと、早口に言う。


「身の安全だ。身の安全が欲しくてここへ来た」


 その兵士の言葉に他の三人も互いに視線を交差させて小刻みにうなずく。


「では、こちらへどうぞ」


 そう言うと、双剣を佩いた少女は先導するように建物の中に入っていく。

 兵士たちも慌てて少女の後を追って娼館の中へと飛び込むと、少女は見るからに娼婦然とした恰好の女性に、彼ら四人を指さして指示をする。


「兵士の人、四人です。説明と案内をお願いしますね」


 娼婦然とした女性はエリシアに向かって無言でうなずくと、四人の兵士たちに『こちらへどうぞ』と語り掛け、建物の奥へと先導する。そして、背後からついてくる兵士に向けて背を向けたまま語り掛けた。


「先ず、湯浴みをして頂きます。綺麗に身体を洗ったら、光の聖女様が皆さんの体調不良を治してくださいますよ」


 四人の兵士たちが湯浴みの用意された部屋へ入ると、屋敷のさらに奥から感謝にむせぶ男たちの声が聞こえてきた。


「ありがとうございますっ、聖女様っ」


「感謝したしますっ、光の聖女様っ!」


「はは、は。治った。嘘だろう。腹だけじゃなく、諦めていた左手が動くぞっ!」


 ◇


 感涙に咽ぶ男たちを前に穏やかな笑みを湛えた瑠璃色のライトアーマーを装備した美しい女性が静かに言う。


「光の聖女たる私なら、体調不良だけでなく、古傷や部位欠損も治すことが出来ます。もし、お知り合いにそのような方がいらっしゃるなら是非とも教えてあげてください」


 光の聖女の前で男たちが平伏する。


「ありがとうございます」


「聖女様、感謝申し上げます」


「光の聖女様、すぐに仲間の下にこの奇跡を知らせに行きます」


 そんな男たちに向けて銀色の髪を結い上げた、やはり探索者風の革製のライトアーマーを着用した女性が声をかける。


「皆さん、聖女様は忙しいですからそのくらいにしてくださいね――」


 急かすように手を叩き合わせる。


「――さっさと手続きをしないと金貨は無しですよ。さらに手間を掛けさせるようならラウラ・グランフェルト辺境伯様の陣営での受け入れもご破算です」


 部屋の奥で受付をしている黒髪を三つ編みにした女性と金髪の女性に向けて、銀色の髪を結い上げた女性――アイリスのメンバーである、ビルギットがその灰色の目でウィンクをして合図を送る。


 急き立てられるように三人の男たちは受付へと向かった。


 歩み寄ると、黒髪を三つ編みにした女性――アイリスのリーダー、ライラが朗らかにほほ笑む。


「いらっしゃいませ、寝返りの受付はこちらです」


 続いて、その隣に座った金髪の女性が、彼女の前に集まっている十数名の兵士たちに向けて、穏やかな口調で説明する。


「手続きが終わりましたら金貨をお渡し致しますね。もし、同様に寝返りを勧めたい方がいるようでしたら、こちらの勧誘書をお渡しいたしますので、お名前をご記入ください――」


 そう言うと、一枚の書類を手に説明を始めた。


「――この書類を持って寝返り手続きをされた方は通常金貨一枚のところ、金貨二枚を差し上げます。さらに勧誘をされた皆さんにも後程、加入した人数一人当たり一枚の金貨を差し上げます」


 金髪の女性――アイリスのサブリーダーである、ミランダの説明を中断するように二人の男が質問をした。


「え? その、二人勧誘したら金貨二枚を余分に貰えるという事ですか?」


「家族は、家族を勧誘しても金貨を頂けるのですか?」


 その質問にミランダが満面の笑みで答える。


「はい、そうです。十人の方を勧誘されたら金貨十枚を差し上げます。ご家族の方でもちゃんと勧誘された人数に数えるのでご安心ください。是非、大勢の皆さんを勧誘されて共に幸せな未来を手に入れましょう」


 説明を聞いていた者たちの表情が変わった。目には生気がみなぎり、欲望が見え隠れしている。


 ◇

 

 ミランダの説明を受けている男たちの少し先では、およそ室内で使うには適していないような大鎌を抱えた白髪の少女が、数名の娼婦然とした女性に指示を出して男たちの対応をしていた。

 勧誘のために書類の束を抱えた者たちを街中へと通じる通路に通し、勧誘をせずに早々にラウラ・グランフェルト軍に合流を望むものを別の扉へと誘っている。

 

「街中へ戻る方は私が出口まで案内をするので付いてきてください」


 一人の娼婦然とした女性が書類の束を手にした男たちに向かって声をかけると、そのまま歩き出した。

 そして金貨だけを手にした者たちも別の娼婦然とした女性に先導される。


「では、皆さんには裏口から都市の外へと出て頂きます。外にはラウラ・グランフェルト軍の使いの方が待っているので後はその方の指示に従ってください」


 彼女の言葉にささやくような疑問の声が幾つか上がった。


「裏口?」


「裏口を出てから通用門へ向かうのか?」


「都市の外まではどうやって行けばいいんだ?」


 そんな疑問のささやきを続ける男たちを従えて、女性は一番奥に位置する部屋の扉を開けた。


 扉の向こうに見える光景に男たちが絶句する。

 彼らの視線の先、扉の向こうに部屋は無かった。いや、街すらなかった。一面広がる平地とその向こうに広がる丘陵地帯。さらに遠くを見れば月明かりに照らされた森や山のシルエットが見えた。


 

 別に奥の部屋の扉と防壁の外を空間魔法でつないだ訳ではない。物理的に破壊して繋いだのである。

 占拠した娼館の一番奥の部屋を破壊し、ついでに外壁を破壊して娼館から防壁の外へと出られる構造になっていた。


「これは?」


 一人の男の疑問に女性が艶っぽい笑みを浮かべて答える。


「ルオアテン市の外です――」


 そう言うと、大勢の人が集まっているところを指さして言う。


「――あちらに、ラウラ・グランフェルト軍の兵士の皆さんがいらっしゃいます。彼らの指示に従って移動してください」


 彼女の言葉に従って、扉を抜けて街の外へと向かう途中、一人の男がその場の全員の気持ちを代弁した。


「ここから軍勢を送り込めば簡単に落ちるんじゃないのか? この街……」

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