第305話 ルオアテン市、攻略戦
グランフェルト奪還軍は、ルオアテン市の正門から一キロメートル程隔てた平地に軍を展開していた。
ベール城塞都市を出発したときは一万の軍勢であったが、今では幾つもの貴族や職を失った騎士、傭兵が加わり二万八千余にまで膨れ上がっている。
威を示すように布陣する味方の軍勢を、ボギーさんが軍の中央付近から見渡して楽しそうに口元を綻ばす。
「壮観だネェ」
「布陣では揉めましたけどね」
当初計画した開戦時刻が目前に迫っているにもかかわらず、未だに完了していない軍の再布陣の様子をボギーさんの隣に並んで見やる。
「揉めたどころの話じゃあネェんだろう?」
揉めた挙げ句に一度決まった配置を金銭や貴族同士の話し合いとやらで変更された。しかも、軍務顧問である俺どころか、総大将であるラウラ姫の知らないところで配置が変更されていた。
今朝の会議での様子が俺の脳裏を過り、うんざりしながら答える。
「今朝は布陣の再確認くらいの軽い気持ちで聞いただけに、布陣が変わっている事には驚かされました」
聞けば、力の弱い貴族や格下の貴族が指揮官となった場合にはよくある事らしい。
その一事からも、ルウェリン伯爵やリューブラント侯爵の貴族としての格と実力をうかがい知ることができた。翻って、ラウラ姫がどの程度に思われているかも、如実に表している。
「配置を勝手に換えたのはどいつナンだ?」
「後から参陣した貴族たちです。戦後に少しでも影響力を得ようと、必死なのは分かりますが迷惑な事です」
今朝方の会議を思い出す。
▽
布陣を元に戻すよう再度指示する俺に向かって一人の年配の貴族が立ち上がって意見した。
年の頃は五十歳を少し超えたころだろうか。頭髪は半分程が白く変わっていたがまだ豊かであり、年齢を感じさせない張りのある声が響いた。
『お若い君たちには馴染みの無い事かもしれないが、これは戦場における貴族の慣例でね――』
その貴族が最後まで俺たちに向かって教示する事はなかった。
彼の頭頂部を襲った火球がナパームのように燃え広がり、頭頂部を焼かれた男の悲鳴と列席していた貴族たちの悲鳴とが一瞬にして会議の席に広がる。
その悲鳴の中、ラウラ姫の凛とした声が響いた。
「静かにしてくださいっ!」
ラウラ姫は自身の発した言葉で、悲鳴とどよめきが収まるのを待って話を再開する。
「ミチナガ様の言われたように、今すぐ配置を元の布陣に戻してください――」
そこまで言うと、彼女に向かって口を開こうとした貴族を一睨みして押し留めると、さらに語調を強める。
「――ここですぐに配置の修正に走らなかったり抗弁したりするようでしたら、参陣する必要はありません。作戦を混乱させ士気を乱すだけです。兵士を引き連れて何処へなりとも行ってくださって結構です」
ラウラ姫に対するなめた態度を許すつもりはなかったが、俺たちが何かを言わずとも、彼女のその一言で会議の席は収まった。
▽
再布陣が完了しようとしている軍勢を眺めながら、今朝の会議で貴族の頭頂部を焼いた白アリが満足気につぶやく。
「見た感じ、勝手に位置を変わっている不届き者は、もういないみたいね」
「それはそうだろう。ラウラ姫にああまで言われて、勝手に布陣の変更をする
貴族にしても頭頂部を焼かれたり、戦列から追い出されたりするのは願い下げだろう。
配下の者たちにしても、当主の頭頂部が焼かれるのは許容出来ても戦列から追い出されて手柄を挙げる機会を奪われるとなれば意見の一つも言うはずだ。
それを聞いていたボギーさんが、軍勢の突破口とする予定の正門へと視線を移動させ、口を開く。
「そうはいっても、勝手な事をしたヤツらにお咎めなしとか、姫さんも随分と寛大だな。敵兵士への対応の件もあるし、また、なめるヤツが出てくるんじゃネェのか?」
今回の作戦――ルオアテン市とベルギウス城の兵士や騎士に下剤を盛って弱体化させる作戦案は、『敵兵士を可能な限り無力化して双方の損害を最小限に留めたい』とのラウラ姫の希望を汲んで俺たちが立案したものだ。
ボギーさんはそれを指しているのだろう。
「それはあるかも知れませんね」
俺は作戦の締めくくりにラウラ姫の言った、『今は敵兵士であっても、彼らはグランフェルトの民です。その同朋に対して無用の殺生を行ったと判断した場合は厳罰に処します』との言葉を思い出した。
そんな俺の言葉にボギーさんの灰色の眼光が光り、
「姫さんが優しい分、周りが厳しくしないとならネェなー」
そのボギーさんのセリフに続いて、聖女が我が意を得たりといった様子で、妖しげな笑みを浮かべる。
「私たちを敵に回したらどうなるか思い知らせてやりましょう」
いや、ボギーさんの指しているのは俺たちじゃないはずだ。目下の奪還軍でいえば、セルマさんやローゼ、さらにはコロナ・カナリス嬢や親衛隊副隊長のミリアム・カナート辺りを指しているはずだ。
奪還後は内政に携わる者や有力貴族たちがこれに加わる。
だが、聖女のセリフを後押しするように白アリが、
「まあ、なめた行動を取った連中に報いを受けさせるのは当然として――」
そう言うと俺の方を振り返り、ルオアテン市とベルギウス城の偵察報告をしたときの事に話題を移す。
「――この異世界には騎士道精神とか武士道精神みたいなものは無いのね。敵兵士の半数程が『下痢と嘔吐で戦える状態じゃない』って、報告を聞いた時のあの嬉しそうな顔」
ルオアテン市の兵舎とベルギウス城、それぞれの井戸に投じた下剤により兵士たちが苦しんでいる事を作戦会議の席で報告すると、会議に参加している者たちのほとんどが口元を綻ばせていた。
白アリが半ばあきれたように『マーロン子爵なんて小さくガッツポーズまでしていたわよ』とボソリと付け加えると、ボギーさんが声を押し殺すように笑いながら答える。
「それ以上に勝利する事、生き残る事に必死ナンだろうよ」
そのセリフに続く、『それに変に現代日本の道徳心みたいなものを持ち出されても困るしな』とのつぶやきに、転移者である俺たちは無言で首肯する。
そう、下剤の効果は俺たちの予想を上回った。
今朝、白アリと黒アリスちゃん、ロビンの三人が兵舎と城内の様子を確認するために潜入してもらったのだが、それに先駆けて敵側の幾つかの傭兵団や貴族から寝返りの申し出が出ている。
「生き残るのに必死なのは敵も同じか、もっと切実なようです。夜が明ける前に寝返りの申し出が幾つもありましたからね」
俺が苦笑しながらそう言うと、その寝返りを申し出た連中と実際に潜入した際に折衝を行った白アリと黒アリスちゃんが続く。
「クーデター野郎も思ってた以上に人望が無かったわね。この土壇場で寝返りとか、可哀想ー」
「中核となるはずの現グランフェルト辺境伯軍もダナン砦でカナン王国軍に散々に打ちのめされて今では二万余しかいないそうですよ」
「敵グランフェルト辺境伯軍、二万余とそれに味方する貴族と、そいつらが無理やり集めた兵士が五千余。当初の予想からすれば随分と減ったじゃネェか」
ボギーさんの言葉に、俺はこの戦いが数の上からも優位にある事を告げる。
「それに比べてこちらは当初、一万だった軍勢が膨れ上がって今や二万八千です」
さらにここまでで、三千人近い兵士が寝返る予定だ。
昨夜の心理攻撃のことも考えると、クーデター野郎のヤツ、この戦いが終わったらノイローゼになるんじゃないだろうか。
俺とボギーさんのやり取りに聖女が小首を傾げるようにして問いかけた。
「何だか、クーデター野郎の動員兵力が少なすぎませんか? それともゴルゾ平原で叩いた敵の兵力が多すぎたのでしょうか?」
聖女の疑問にすかさず白アリが説明を始める。
「クーデター直後で単独での動員兵力が三万まで落ちていたの。それでも国境付近の領主貴族としては最大の動員兵力ね――」
コクコクと相槌を打つ聖女を見ながら、さらに補足を加える。
「――ルウェリン伯爵のところにあった資料だと単独での動員力が三万余。もっとも、これに直臣である有力貴族が五つ、それぞれ三千余の兵力が加わってさらに民兵と傭兵団。そうなると総数で五万ってとろかしら」
俺は白アリの言葉を引き継ぐ。
「ところが、クーデター直後にその五つの貴族――直臣が独立した。そのお陰でクーデター野郎はガザン国王にいいところを見せたいにもかかわらず、単独での動員限界である三万人を率いてダナンに向かわなければならなかったという事だ」
「それでボロ負けして、さらに兵数を減らして帰ってきたんですね」
コクコクとうなずきながら納得する聖女の隣でロビンが新たな質問を投げかける。
「それでその独立した直臣はどうしているんですか?」
俺はテリーがやるように両手を大きく広げて大袈裟に肩を竦めてみせると、
「首をすくめて様子を見ている貴族が三家、この間参陣してきたのが二家だ。セルマさんの話だと参陣した二家はもちろん、様子見を決め込んでいる三家もないがしろに出来ないと
「グランフェルトを取り戻した後もいろいろとありそうですね」
俺の回答に、聖女はセルマさんたちと話し込んでいるラウラ姫に視線を向けた。
グランフェルトが前途多難なのは間違いないだろう。だが、俺たちもグランフェルトの内政に専念する訳にはいかない。
「まあ、貴族同士のドロドロとした策謀は関与しないで、俺たちはダンジョンの攻略を進めるさ」
俺はそう締めくくると、ラウラ姫のいる陣幕の中へと歩を進めた。
◇
◆
◇
緊張した面持ちのラウラ姫が、ルオアテン市とベルギウス城攻略戦の開戦を告げる。
「これよりルオアテン市及びベルギウス城攻略戦を開始しますっ! 全軍っ、前へ!」
ラウラ姫の発した号令は風魔法によって、ルオアテン市の外に展開している味方の軍勢の隅々まで届く。そしてその号令と共に先鋒を請け負った部隊が正門へと向かって一斉に動き出した。
先頭を駆けるのは中央のマーロン子爵が率いる二千の騎馬軍団。
そんなマーロン子爵の騎馬軍団を見ながらボギーさんが口角を吊り上げる。
「何の迷いもなく突っ込んでいくじゃネェか、あの腹黒の兄ちゃん――」
楽しそうに言うと笑い声を上げて、黒アリスちゃんとロビンを振り返り、力強く言い放つ。
「――じゃあ、俺たちも行こうかっ!」
マーロン子爵の部隊が正門に到着する前に俺たちが正門を吹き飛ばす。その作戦を微塵も疑っている様子のないマーロン隊の突撃。その姿にボギーさんは好感を持ったようだ。
黒アリスちゃんとロビンの返事が重なったところに、『派手に行こうかっ!』とのボギーさんの声も重り、三人が転移をした。
三人が転移するのと同時に頭上からマリエルの声が響く。
「ミチナガー、右側の騎馬隊も動き出したよ」
今回、初めて後方から右翼へと配置変更されたコロナ・カナリス嬢率いる一千の部隊を先頭に、複数の貴族が率いる三千余の混成部隊が都市の防壁へと向かって動き出していた。
「さあ、こっちはあたしの受け持ちね」
白アリは、そう言い残して上空を旋回させていたワイバーンの背中へと転移すると、アイリスの娘たちが操るワイバーン六匹と共に防壁へと向かって進路を取った。
「わー、白姉、張り切ってるねー」
飛び去っていくワイバーンを目で追いながらつぶやくマリエルに苦笑交じりに返す。
「まったくだ。この間、派手に爆裂系の火魔法を撃ちまくったのにまだ足りないようだな」
マリエルと一緒に飛び去るワイバーンを見ていると、聖女が背後から俺の背中を押して、楽しそうに言う。
「フジワラさんはラウラちゃんの護衛をしっかりお願いしますね」
「ああ、分かっている。そっちもほどほどにな」
「任せてください、死ぬほど後悔させてやりますよ」
俺の言葉は届いていないようだ。聖女はそう言うと、妖しげな笑みを浮かべた残像を残して転移した。
「マリエル、ラウラ姫の護衛だ。上空から索敵を頼む。ラウラ姫に近寄るヤツがいたら知らせてくれっ――」
マリエルがラウラ姫の頭上数メートルのところでホバリングするのを確認すると、親衛隊長であるローゼに声をかける。
「――ローゼっ! 敵側でまともに戦える部隊はない。最も警戒しなければならないのはラウラ姫への直接の刃だ」
「分かっていますっ! 親衛隊全てがラウラ様の護衛にあたっています」
そう答えると傍らにいた副官の青年騎士――ミリアム・カナートに視線を向ける。視線を向けられた副官の青年騎士は真っすぐに俺を見ると無言で首肯した。
まあ、カラフルと黒アリスちゃんの使い魔である、アンデッド・アーマードタイガーとアンデッド・フェニックスが傍にいる。万が一親衛隊を掻い潜って気くる敵がいても問題はないだろう。
青白い閃光が走り、辺りを明るく照らす。それに続いて、空気を切り裂く音と重低音の轟きが大地と空気を揺るがした。
ボギーさんたちの魔法が正門を吹き飛ばしたようだ。
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