第304話 ルオアテン市とベルギウス城への計略

 俺とベスの二人がベルギウス城への工作と、心ばかりの嫌がらせを終えて陣営に戻ると、戻ってきたばかりのボギーさんと聖女に鉢合わせた。

 時間は既に二十三時になろうとしている。


 先に戻っていると思っていたが、もしかして不測の事態でも起きたのか?

 首と左胸に突き立てられた短剣から血を滴らせているベスを伴って、ボギーさんと聖女に歩み寄り、どことなくげんなりした様子のボギーさんに声をかける。


「随分と遅いようですが、何か問題でも起きましたか?」


「ん? なあに、問題って程のもんじゃネェよ。少しばかり悪乗りが過ぎただけだ」


 乾いた笑いを伴ったボギーさんの答えとは対照的に、楽しそうな笑顔をたたえた聖女が、その答えを即座に否定する。


「何で悪乗りなんですか、楽しかったじゃないですか」


 察した。聖女のリクエストで何かやったんだ。思い返せば、事前の作戦会議の時点で随分と非道な要望を挙げていたよなあ。あのうちのどれかを実行したのだろう。詳細を聞くのが怖い気がしてきた。


「ミチナガ様、私は一足先にテントに戻って休んでいますね」


 聖女のセリフを聞くなり顔を強ばらせて、きびすを返して走り去ろうとしたベスの襟首を掴むと、苦笑しながらボギーさんをうながす。


「詳しいことは……聞くのが怖い気もしますが、ラウラ姫を交えて話をしましょうか」


「姫さんに聞かせるのは気が引けるゼ」


 諦めたような表情でかぶりを振るボギーさんを前に、なおも諦めずにベスが儚い抵抗を試みる。


「ラウラ様が出席されるなら私はその場所にいない方がいいですよね? ご本人と影武者が一緒に会議に出席とか、聞いたことありませんよ」


「何を言っているんだ。俺の傍を離れないように言われているんだろう?」


 大体、首と左胸に短剣を突き立て、血みどろの姿でベスにうろつかれたら、『ラウラ姫が暗殺された』との噂が信憑性を増して大騒ぎになる、どころの話じゃない。幽霊騒ぎに発展しそうだ。

 作戦の一環とはいえ、只でさえ『ラウラ姫暗殺』の噂で士気が低下しているんだ、明日の決戦を前にこれ以上士気を低下させる訳には行かない。


「ミチナガ様の傍はいいです。ですが、皆さんの作戦会議は出席したくありません。いえ、内容を聞きたくありません。人間が嫌いになりそうで怖いんですー」


 儚い抵抗というか、泣き真似までして逃げ出そうとしているベスに、元凶である聖女が優しく言葉をかけた。


「ベスちゃん、大丈夫ですよ。皆、優しいですから」


「いやーっ!」


 ベスの泣き声をベースに、ボギーさんのどこか哀れむような笑い声と聖女の楽しそうな笑い声が、軽やかな旋律を奏でていた。


 ◇

 

 ラウラ姫の待つ、衝立と陣幕で囲った野外の会議スペースに入ると、ラウラ姫と白アリたちの労いの言葉に続いて、セルマさんとローゼの小さな悲鳴に迎えられた。

 セルマさんもローゼも視線をベスにクギ付けにしている。


「ベ、ベスッ。そ、それは? いったい何があったのですか?」


 そう問いかけられた当のベスはというと、血の気の引いた白磁の肌に、首と左胸に短剣を突き立て、傷口にはすっかり乾いて固まってしまった血の跡が残っていた。

 

「えーと、ですね。これは、そのう、お化粧です」


「はあ?」


「セルマさん、事情は後で説明するから、今はそれ以上聞かないでくれる。ベスのお化粧は作戦遂行のために必要だったの――」


 それきり言葉が出てこないセルマさんへ向けて白アリがそう言うと、ベスへと向かって優しく微笑む。


「――ベス、申し訳ないけど化粧を落とすのは会議が終わったらね」


 その言葉に続いて露天風呂を用意してあることを白アリが伝えると、先ほどまで自身の不幸を嘆いていたのが幻だったかのように快活な返事が響く。


「はいっ、化粧なんて明日の朝でもいいです。ありがとうございます」


「風呂、好きなのか?」


 あまりのベスの変化に思わず聞いてしまった。


「はい、大好きです。お風呂いいですよねー。特に露天風呂は最高ーです」


 露天風呂一つで、先程まで我が身に降りかかっていた不幸が帳消しになるのか。まだまだ無理をきかせる事が出来そうだな。


 そんなことを考えながら会議の開始を宣言した。


「時間も遅いし、始めようか」


 ◇

 ◆

 ◇


「――――余計な事もしちまったが、ルオアテン市にある四ヶ所の兵舎、全ての井戸と小麦に下剤を投入した。予定通りなら明日の攻撃開始時に、まともに動ける兵士はいネェはずだ――」


 そう言い、考えるような素振りを見せたボギーさんが覚悟を決めたのか報告を続けた。


「――ンで余計な事ってのが、騎馬と武器庫の武器を奪ってきちまったンダ」


 作戦では、下剤で腹を抱えた状態にするだけだったのだが、騎馬と武器まで奪ったのか。容赦ないな。というか、敵もそんな状況でどうやって戦うのだろうか、そっちの方が気になる。

 最後に『ちょっと気の毒になるくらいだ』と付け加えて報告を終え、補足を聖女に引き継ごうとしているボギーさんに白アリが尋ねた。


「それで、全部ですか? 他に余計な事というのをしてませんか? ――」


 そう言うと白アリはボギーさんから聖女へと視線を移動させ、声のトーンをわずかに落とす。


「――聖女ちゃん。あんたが、アイリスの娘たちに手伝わせてゴブリンの群を丸ごと捕獲したのは知っているのよ」


「そうなんですよねー。偶然、ゴブリンの群を発見しちゃったので利用しました」


 嘘だ、絶対に事前に探し回っていたな。ベール城塞都市での三角木馬もそうだったが、自分の愉悦感を満たすために、様々な準備をする労はいとわない。

 聖女のセリフに誰も突っ込みや疑問を口にする者がいない中、黒アリスちゃんが、あきれた口調で聖女に先をうながす。


「それでゴブリンの群を兵舎や詰め所に放ってきたんですか?」


「ええ、おなかを壊したゴブリンを大量に閉じ込めてきました」


 何だろう、微妙に答えがずれている気がする。

 突然、俺の傍らに座ったベスが驚いた様子で声を上げた。 


「ゴブリンにも下剤を盛ったんですか?」


「ちょっと強めの下剤みたいなものを盛りましたよ、ボツリヌス菌っていうんですけどね」


 それ、下剤じゃないだろうがっ、もはや毒じゃねぇかっ。何人かというか、ゴブリン、何匹か死んでいるんじゃないのか?

 ボツリヌス菌がどんなものか知らないはずのベスが、効果を聖女の言葉通り強力な下剤と勘違いすると、小さな身震いと共につぶやく。


「お腹を壊したゴブリンを大量に兵舎に放してくるとか、むごすぎますね」


「兵舎じゃなくて食料庫ですよ」


「うっわー」


 何かを想像したようだ。ベスが第三者のような顔つきで非難めいた声をあげた。


 食料庫の中で下痢と嘔吐に苦しむ三百匹のゴブリンの群、一瞬だが俺の頭の中で凄惨な光景が映像化された。

 酷い話だ、その食料は焼却処分だな。


「それって、目撃した兵士も信じられないでしょうけど、報告を受ける上司はもっと信じられないでしょうね」


 珍しく白アリがボギーさんのするようにこめかみを押さえてげんなりした表情で言うと、黒アリスちゃんが続く。


「その状況を想像すると気の毒になりますね」


「もっと気の毒なのはその後よ。明日の戦いは水を飲んでお腹を膨らませた兵士との戦闘になるんじゃないの? ――」


 ベスや俺と同じように情景を想像でもしたのか、白アリが身震いをしながら話を続ける。


「―― 嘔吐と下痢にまみれた大量のゴブリンが発見された食料庫。そこにある食べ物を口にする勇気はないでしょうからね」


「そうですね。その食料を口にする勇者がいたとしたらもっと酷い事になりそうですものね」


 白アリと黒アリスちゃんのやり取りに、ベスが『ウッ』と声を詰まらせてうずくまった。


「どうした?」


「いえ、その、いろいろな物と混ぜ合わさって、オートミール状になった小麦粉を口にする様子を想像しちゃいました」


 するなよっ、そんな想像っ! 本当に想像力の豊かな娘だな。


 取り敢えず会議を中断させる訳にもいかないので、足元にベスをうずくまらせた状態でベルギウス城の工作について説明をする事にした。


 ◇

 ◆

 ◇


「――――ボギーさんたちと同様、下剤を仕込んできた。ただし、こちらは井戸水だけでなく食料庫の穀物にも仕込んだ。もちろん、今日の夕食にその水と穀物が使われたところまで確認済みだ」


 そこで言葉を切った俺に、白アリが興味深そうに質問する。


「それで、クーデター野郎はどんな感じだったの? 怖がっていた? 驚いていた?」


 白アリだけでなく、皆の視線が吐き気の治まったベスに集まった。

 居心地悪そうにしているベスに変わって俺が説明をする。


「かなり怯えていた。パニックとまではいかなかったが、今頃はベッドの中に潜り込んでガタガタ震えているんじゃないのか? ――――」


 そこからは夕食の席から始まって寝室での騒ぎに至るまでの、クーデター野郎の醜態を一切の誇張なく伝えた。

 もちろん、フィクションの忍者のように自力で天井に張り付くなど、ベスの特殊な頑張りを伝えるのも忘れない。


「――――正直、あそこまで怯えてくれるんだったら数日かけて衰弱させても良かったかもな」


「衰弱って、さすがにそれは悪趣味では?」


 俺の言葉にロビンが眉をひそめるが、聖女、黒アリスちゃん、白アリと女性陣の黄色い声が続く。


「黒ちゃんの闇魔法を使ったらいろいろと出来そうですね」


「幻覚も見せられますよ。五感喪失の短剣を使って一時的に五感を失うとかすれば、きっとパニックになりますね」


「いいわねー。幻影の宝珠じゃ、あたしの分身しか作れないから面白くないわね」


 いや、白アリ。お前が二人になったら、敵は間違いなく怖がると思うぞ。

 そこから黒アリスちゃん、白アリ、聖女と続き、


「空間魔法で一歩踏み出す毎に、一センチメートルくらいの短い転移をさせて、左右や上にずれを生じさせたら体調不良とかを疑うんじゃないでしょうか?」


「延々と廊下を歩き続けさせるっていうのも地味に面白そうね」


「トイレに入ったつもりが調理場とか寝室とかで、いつまでたってもトイレにたどり着けないというのも、時間と共に辛さを増していく様子を見ることが出来て面白いかも知れませんよ?」


 それを皮切りに、しばし、女性陣の間で雑談に花が咲いた。


 女性陣といってもラウラ姫やセルマさん、ローゼは加わっていない。むしろ茫然とした様子で聞く側に徹していた。

 ベスはもう一歩進んで、両耳を押さえて目をつぶり、しゃがみ込んで耐えていた。その様子は何かに怯える小動物にも見える。


 もしかしたら最も同情すべきはこの娘かもしれない。

 こんな日々がしばらく続きそうだし、明日から毎晩露天風呂を作ってやる事にしよう。


 意識を女性陣の雑談へと戻すと白アリの弾んだ声が響き、それに続いて黒アリスちゃんと聖女の声が聞こえた。


「じゃあ、次のターゲットはベルエルス王国ねっ」


「アンセルム・ティルス将軍ですか? あの将軍は割と憎めないのでちょっと可哀想な気もしますね」


「ベルエルス王国の国王にしましょう」


 この戦争でガザン王国に滅んでもらったら、しばらくは戦争から遠ざかれるはずなので、将軍にしても国王にしても不幸になるのはまだ先の話だろう。


「さあ、先の話はさて置き、明日決行予定のルオアテン市攻略とベルギウス城攻略、この最終確認の会議を明朝行う――」


「――俺たちの残る仕事はこの会議に先駆けて今夜仕掛けた計略の結果――投入した下剤とボツリヌス菌を注入されたゴブリンの効果を確認して、明日の会議でその状況を周知することだ」


 ラウラ姫をはじめとした全員が静かに首肯するなか、聖女がそわそわしながらコクコクとうなずく。自分たちが仕掛けた計略の成果が気になるようだ。

 俺も別の意味で気になる。明日の会議でこの事を周知したときの貴族たちや指揮官たちがどう反応するか。


 ルオアテン市とベルギウス城への事前工作は別にして、攻略作戦と布陣は既に決まっている。

 今回の戦いで俺たちチェックメイトが市街戦や攻城戦に参加する予定はない。『自分たちが参加しないからと滅茶苦茶やっただろう』と思われないように、どう話を持っていくか今夜のうちに考えておこう。

 

「明朝の会議の席から、ベスは影武者の任を解いてラウラ姫に会議の議長と戦の指揮を執っていただきます」


 ラウラ姫を真っすぐに見てそう言うと、ラウラ姫は立ち上がって力強く言い切る。


「はいっ。ミチナガ様、皆様、お力添え、よろしくお願い致します」


 ラウラ姫だけじゃない、セルマさんとローゼも顔を紅潮させ、興奮しているのが伝わってくる。


 よし、明日一日でルオアテン市とベルギウス城を落としてこの戦いに決着を付ける。

 三日後にはグランフェルトだ。

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