第303話 ベルギウス城、潜入作戦

「――――では、ボギーさんと聖女で潜入工作の方をお願いいたします」


 俺の言葉にボギーさんと聖女の快活な返事が続く。


「おう、都市への工作は任せな。打ち合わせ通り仕込んでおくさ」


「任せてください。ちゃんとピックアップした貴族の皆さんが手柄を立てられるようにしますね」


 ここまで、都市への工作を中心に三人で幾つも案を出し合い、大まかな工作内容とそれを有効利用するための市街戦の戦術案、布陣案を話し合った。

 ベール城塞都市のような派手な工作は行わない。今回はグランフェルト陣営とリューブラント王国で必要となる人材に活躍してもらうという側面のある戦いだ。


 作戦内容を記入していた地図を三人で覗き込んでいると、俺の隣に座っていたベスが恐る恐るといった様子で声を上げる。


「あのー、私は席を外していてもいいでしょうか?」


「いいわけないだろう。今回の潜入作戦にはお前も参加してもらうんだ」


「いやー、その私が参加することも後で話し合いたい重要な部分なのですが……何というか、ここにいると人間の醜い部分を必要以上に知っちゃって、心が病んでしまいそうです」


「大丈夫だ、お前の心はそんなに弱くない」


 俺の励ましを聞き流してなおも食い下がる。

 

「弱いですっ。真っ白ですっ。このままだと心が穢れていく気がします」


「気のせいだ」


「いやいや、何を根拠に言っているんですか。私の心は弱いですよー。これでもか弱い乙女ですから」


「身代わりの嬢ちゃん、そいつは気のせいだ」


「そうそう、気のせいですよ」


 ボギーさんと聖女の援護にも屈することなく抗弁している。


「気のせいじゃありません。本人が言っているんです、間違いありません。それと、身代わりじゃありませんからね、影武者です」


「細かいことは気にするな、身代わりの嬢ちゃん」


「決して細かくありません。人として重要な部分だと思います。それから、私は影武者です」


「何をバカなことを言っているんだ。ほら、続けるぞ」


 ベスの申し出を円満却下したところで、再び地図へと視線を向けるとボギーさんが口を開いた。


「それで、都市の方は俺と光の嬢ちゃんがやるとして、ベルギウス城への工作は兄ちゃんと身代わりの嬢ちゃんだけでやるのか?」


 隣で泣きそうな顔をしているベスを一瞥してボギーさんに答える。


「はい、ベルギウス城への工作は大した事をする訳ではありません。嫌がらせ程度ですから問題ありません」


「分かった。それじゃあ、ベルギウス城の方は頼むぜ。もし応援が必要なら上空に火魔法を打ち上げるなり何なりして知らせてくれ」


 俺はボギーさんの申し出にお礼を述べると話題を変える。


「ところで、裏切るつもりでこちらに潜り込んだ貴族たちから何かしらの接触はありましたか?」

 

「ベッカー男爵を生贄とした昼食会以降は、裏切りを前提としてこちらに加わった貴族たちもすっかりおとなしくなった。情報提供を含めて非常に協力的だ」


 陣営内にいる裏切り者たちは、一応こちらの思惑通りに動いているのか。

 俺が裏切り者たちの行動に満足しているのを見て取ったのか、ボギーさんが話題を変える。


「それで、兄ちゃんの方はどうなんだ? 暗殺者の方はその後も現れたのか?」


「暗殺者が四人ほど来ましたが、それ以外はこれといって何もありませんね」


 俺の答えに驚いたベスが素っ頓狂な声を上げた。


「え? 暗殺者が来たっていうのは大ごとじゃないんですか?」


 どうやらベスにとって、この短期間で四人の暗殺者が現れたことは大ごとのようだ。


「四人とも忍び込むのを待ってからの即時捕縛です。四人目の暗殺者が現れたのが、この会議の一時間ほど前です――」


 俺の報告に喜色を浮かべている聖女に向けて彼女の希望を打ち砕くように付け足す。


「――捕らえた四人の暗殺者はローゼに、親衛隊に引き渡してある。諦めろ」


「酷いです、フジワラさん。私にあずけてくれれば、もっと上手く有益な情報を引き出せるのにー」


 口を尖らせている聖女の訴えなど聞こえなかったようにボギーさんが話を進める。


「暗殺者が四人てぇのは多いな」


「ですよねっ? 多いですよねっ? 絶対に多いですよねっ?――」


 ベスは突然椅子から立ち上がると、身を乗り出してテーブル越しにボギーさんへとにじり寄る。ベスの迫力に押されたのか、ボギーさんが『ああ、多いな』と生返事をすると次は俺へと振り返る。


「――ミチナガ様っ、暗殺者対策を強化してください。警護の兵士を増やしましょう。このままではいつか暗殺されちゃいます」


「いや、大丈夫だろ?」


「ベスちゃん、警備兵を十人増やすよりも、フジワラさんの傍から離れないでいる方が安全ですよ」


「いやいやー、大丈夫じゃありません。死んじゃいますー」


 俺の言葉も聖女の言葉も届いていないようだ。必死の形相で訴えている。

 最初の毒殺を試みた暗殺者を含めて、ここまでの五人。誰一人としてベスを仕留められそうな者はいなかった。心配することもないと思うがここでベスとの関係悪化は避けたい。


「分かった、分かった。セルマさんやローゼと相談して増やしてやるから安心しろ」


 確かに俺たちの予想以上に暗殺者が多かった。

 こちらの世界では敵軍の内部に暗殺者を送り込んで要人を暗殺するのが普通なのだろうか?


 さて、それならそれで利用させてもらおうか。

 俺はたった今思いついた嫌がらせをベルギウス城への工作に追加させるべく、ボギーさんと聖女へ頼みごとを伝える。


「それと暗殺者対策という訳ではありませんが、ラウラ姫が陣営内で暗殺されたと敵の内部に噂を流して頂けますか? 確実に現グランフェルト辺境伯にも伝わるようにお願いします」


「何を企んでいるんだ?」


「面白そうな匂いがしますね」


「企むなんて程の事ではありませんよ。単なる思い付きの嫌がらせです――――」


 その思い付きを伝えると、ボギーさんと聖女が口元が綻ばせ、ベスの顔が青ざめた。


 ◇

 ◆

 ◇


 ルオアテン市への工作はボギーさんと聖女の二人にお願いする事となった。聖女が暴走しそうになったらボギーさんが止めてくれる、との淡い期待を抱いての決定だ。

 ただ、ボギーさんと聖女がそれぞれ別のベクトルで暴走しそうな気がもの凄くしている。杞憂であることを願おう。


 空間感知でターゲットである現グランフェルト辺境伯の位置を確認する。

 居た。昼食の真最中のようだ。


 物陰から城内の様子を窺っていると、俺の背後からベスの声が聞こえる。


「ミチナガ様、本当にやるんですか?」


 不安そうにそうつぶやくベスは心臓と首とに短剣を刺していた。首から血を滴らせ、左胸からは流れ出し、ドレスは乾いた血がこびり付いていた。


「よし、ターゲットの位置も確認できた。先ずは軽く牽制と行こうか――」


 そう言い、ベスの方を振り向く。


「――ベス、心の準備はいいか?」


「ダメです。まったく準備できていません。心臓がバクバクいってます」


 両手を口の前で組んで顔を青ざめさせていた。心なしか足も震えているような気がする。


「何だ、その不安そうな顔は。どうせならもっと恨めしそうな顔をしろ。その方がそれっぽいだろう」


「あのー、本当に守ってくれますよね? 私、大丈夫ですよね?」


「安心しろ。お前ならそこら辺の兵士を数十人相手にしても楽勝だ」


「な、何を……何を言っているんですか? そ、そんな訳ありませんよ。私は、その、ちょっと力が他よりも強いだけの可憐な美少女なんですよ」


「そうか? まあ何かあったら俺が付いているから大丈夫だ。安心しろ」


「そこはかとなく安心できないんですけどー。何と言いますか……ギリギリのところまで見物されそうな、そんな気がします」


 意外と鋭いな。


「何を言っているんだ。俺が影武者とはいえ、可憐な美少女を見捨てるような事すると思うか?」


「見捨てはしないと思いますよ、その手前まではしそうだというだけです」


 俺は精一杯の笑顔を浮かべると、なおも懇願するベスを優しく諭す。


「時間だ、行ってこい」


 俺は叫び声を上げそうな表情のベスを転移させた。

 ベスを出現させた場所は現グランフェルト辺境伯の正面にある壁際、他者の視界の範囲外で且つ辺境伯の視界に収まる場所だ。


 俺はそのまま視覚と聴覚を空間魔法で飛ばした状態でベスとその周囲の観察を続ける。


 現グランフェルト辺境伯の動きが止まった。

 この角度、間違いなく壁際に出現したベスを見ている。


 首と左胸に短剣が刺さりそこから血が滴り落ち、血染めのドレスをまとったラウラ姫がそこに立っているように見えているはずだ。

 実際に立っているのは影武者であるベス。


 現グランフェルト辺境伯は弾かれたように勢いよく椅子から立ち上がると突然壁際を指差してつぶやく。


「ラ、ラウラ……」


「どうされました、辺境伯様」


 給仕をしていた執事が手を止めて訝しそうにするが、現グランフェルト辺境伯の視線は固定されたままで、顔は白みを増している。


「く、曲者だっ! 捕らえよっ!」


 現グランフェルト辺境伯はこの短時間で額に脂汗を浮かべて、壁際――ベスが立っている場所を指差した。

 だが、次の瞬間にはそこには誰もいない。他者が視線を向ける直前にベスを転移させた。


「ご苦労さん、クーデター野郎、随分と驚いていたようだな」


「見ていたんですか?」


「見ていただけじゃなく聞いてもいたぞ。空間魔法で視覚と聴覚を飛ばしてバッチリな」


「便利ですね。その能力」


「ベスもちょっと訓練すれば出来るようになるぞ。今度指導してやろう」


「え? そんな簡単にできるんですか?」


 顔を明るい笑みと明るい表情を浮かべて身を乗り出す、死者のメイクをしたベスに答える。


「ああ、空間魔法を持っていれば、あとは訓練次第だ」


「か、か、勘違いしているようです、すね、が、私、空間魔法なんて、も、持っていませんよ」


 引きつった笑顔がそこにあった。


 ◇


 その後も現グランフェルト辺境伯――クーデター野郎の視界にベスを転移させては騒ぎ出したところで呼び戻す、ということを繰り返した。


 通路の角を曲がったところやトイレで用をたしている最中、入浴中など。気の休まる間もない状態で、暗殺に成功したはずのラウラ姫の亡霊がクーデター野郎の視界に現れては消える、これを繰り返した。

 最初の亡霊の出現からわずか数回で表情と言動に異常をきたしていた。


 その表情は何かに怯えているかのようで、声は上擦り、視線が定まらずに常にキョロキョロとさせている。

 発する言葉も意味不明なものが目立つようになった。


 クーデター野郎はベスを目撃する度に警護の人数を少しずつ増やしてく。警護の人数がそのまま恐怖のバロメーターと考えるとこの嫌がらせ、思った以上に効果があったようだ。

 こんなに効果があるなら、数日かけて衰弱させれば良かった。


 ◇


 憔悴した顔のクーデター野郎が、疲れ切った様子で寝室へと入っていくのを確認できたので、その様子を含めてベスに伝える。


「よし、眠ったようだ。かなり消耗していたようだし、これで終わりにして陣営に戻るか」


「あのー、私、殿方の寝室に忍び込むのはちょっと……」


「行ってこい」


 空間転移でベスを現グランフェルト辺境伯の寝室――ベッドの上空、天井付近へと転移させる。


 さすがベスだ。まるで忍者のように、手の指と足の指の力だけで天井に張り付いている。

 実際には身体強化された手足の指の力と重力魔法を使ってのことなのだが、それでもなかなか出来る事ではない。褒美代わりに、またワイバーンに乗せてやろう。


 さて、先ずはクーデター野郎の寝室を風魔法の結界で覆い外部へ音が漏れないように準備をする。

 次に、用意しておいたワイルドボアの血を天井付近に転移させる。転移した血は重力にしたがってクーデター野郎の顔へと一滴、また一滴と落ちる。


 本当に疲れていたようで五滴目が落ちるまで眠っていた。五滴目の血で目が覚めると自分の顔に落ちてきたものが何なのか確認する前に叫び声を上げた。


「うわーっ!」


 どうやら天井に張り付いたベスを目撃したようだ。クーデター野郎は訳の分からない事を叫びながらベッドから転げ落ちた。


「た、助けてくれっ」


 涙を流して許しを乞うクーデター野郎の傍らにベスが音もなく舞い降りると、静かな口調で言い放つ。


「叔父上、貴方の欲望のためにどれだけの人々が犠牲になったか ――」


 ベスは自分の足元で震えているクーデター野郎に向けてさらに恨み言を連ねる。練習しただけの事はあった。この間の演技とは大違いだ。俺はベスの演技に感心しながら成り行きをうかがう。


「――父の恨み、母の恨み、弟の恨み、妹の恨み、そして味方してくれた者たちの無念、全てまとめてお前が受け取れ」


「違うんだっ! 陛下だ、陛下に指示されたんだっ! 平時とはいえ敵国と交易をする兄が悪かったんだっ!」


 意外な事実。出任せかもしれないがありそうな話だ。それにこれは真偽は別にして後々利用できそうな証言だ、記憶に留めておこう。

 出来ればもう少し情報を引き出したいところだが、ベスにアドリブを期待するのは酷だろう。


 ベルギウス城への工作自体は既に完了している。

 もう少しだけ、クーデター野郎の醜態とベスの頑張りを見たら撤退するとしよう。


「全ては貴方ご自身の我欲を満たすために、卑劣な手段を用い罪もない人々を陥れた」


「お、俺じゃない、本当に俺の、い、意思だけじゃないんだ。へ、陛下から見れば、平時ばかりか、せ、戦時も、て、敵国と交易して物資を渡す兄は、う、裏切り者に等しかったんだっ!」


 嗚咽交じりに弁明するクーデター野郎に向けてベスの言葉がさらに突き刺さる。


「父は平和を愛し、この国を、このグランフェルト領を愛した。それなのに……貴方は無益な内乱をもたらした」


 おや? 糾弾している内容が微妙に噛み合わなくなってきたな。

 現国王からの指示でクーデターを起こした真事実が明らかになったにもかかわらず、ベスが用意したシナリオ通りにセリフを続けているのだから無理もない。


「助けてくれ、暗殺するつもりなんてなかったんだ。そ、そうだ、あれは寄子の下級貴族たちが勝手にやったことだ。本当だ、俺は何も知らない」


「その結果、何の罪もない人々が奴隷の身分に落とされ、貴方に味方した者たちに面白半分になぶり殺された」


 前言撤回だ。やはりこの娘は大根役者だった。

 ベスも自分の話しているセリフが噛み合わなくなってきていることに気付いている様子で、セリフと仕種の端々に戸惑いと焦りが見られる。そこには先ほどまでの演技力は見る影もなかった。


 このままではクーデター野郎におかしいと気付かれるのが早いか、ベスがぼろを出すのが早いかだ。

 俺はベスを早々に呼び戻してベルギウス城を撤退することにした。

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