第299話 貴族と刺客
行軍中の馬車の中、俺の目の前で膝を抱えて涙しているベスに声を掛ける。
「よく頑張ったな、偉いぞ」
三十分ほど前、ベスは皆が朝食を終えて行軍を開始するまでの時間で昨夜の顛末を、ラウラ姫をはじめとした側近――セルマさんとローゼ、チェックメイトのメンバーを前に涙ながらに語った。
解雇がかかっている、と脅したのもあってそれはもう熱心だった。身振り手振りはもちろん、そのときの口調まで再現しての小芝居交じりに報告する。
結果、その場にいた全員が笑いを堪えるのにもの凄い労力を必要とした。目を逸らすくらいは当たり前、顔を背けたり席をはずしたりする者まで出たほどだ。
聖女だけはその場にうずくまると声を押し殺して笑っていた。
今しがたまで膝を抱えていたが今は頭を抱えて身悶えをしている。先程、自分で演じた小芝居を思い出しているのだろう。
「ほら、泣くな。拗ねるな、ふくれるな。せっかくの可愛らしい顔が台無しだぞ」
半べそ状態のベスにハンカチを差し出すとハンカチと一緒に顔まで振って涙を拭いている。ダメだ、口元が綻んでしまう。
戦場で笑いを振りまいてくれるとか、貴重な人材だ。
俺が笑いを堪えているのに気付いたのかハンカチを握り締めて抗議の声を上げる。
「そうやって私のことをからかって遊んでいればいいんですよー」
ベスはすっかり拗ねてしまい、再び馬車の中で膝を抱えてしまった。そんなベスの様子にセルマさんが口元を引き締めて必死に笑いを堪えていた。
「あー、セルマ様まで私のことを笑い者にしている」
「ラウラ様、『セルマ様』ではありません、『セルマ』とお呼びください」
「そ、そうですね。セルマ、あなたは主人を笑い者にするのですか?」
「ええ、人目のないところでは思い切り笑わせて頂きますよ」
その言葉にベスが目を丸くする。だが、ベス、セルマさんはそういう女性だよ。主人であろうと
人生経験で明らかに負けているベスをフォローする。
「まあ、そう拗ねるなよ。さっきはよくやった。ご褒美と気分転換を兼ねてワイバーンに乗せてやるよ」
「え? ワイバーンってあのワイバーンですか? 空を飛べるんですか?」
「ああそうだ。どうだ、乗ってみないか?」
「乗ります、乗ります。わー、ワイバーンなんて乗るの初めてです」
まあ、乗用のワイバーンは高価なだけでなく数が少ない。さらに民間のワイバーンでさえ有事には徴発される。兵力としての側面が強いので乗ったことがない人のほうが多いのは間違いない。
「よし、昼食を終えたらな」
「はいっ」
チョロイな。ワイバーンに乗れるだけで先程まで絶望の淵に立たされたような顔をしていたのに、今は満面に笑みを湛えていた。
ウキウキした様子が面白いように伝わってくる。
吹き出しそうになるのが収まったからなのかベスが機嫌を直したからなのか分からないが、セルマさんがベスに着崩れした衣服を直すように指示しながら俺へと質問を投げ掛ける。
話題は刺客だ。
「ところで、刺客の動きは如何ですか?」
「今のところ仕掛けてくるどころか、近づいてくる気配もありません」
実際に名前の判明している刺客の動きだけでなく疑わしい者たちも含めて監視対象としているがそれらしい動きはない。
「そうですか。リストにあった貴族たちも特に動きは見られません。もしかしたらボギー様の言われるように、先日のアリス・ホワイト様の攻撃を目の当たりにして心変わりしたのかもしれませんね」
十分に考えられる話だ。
考え込むように目を伏せるセルマさんに多少の悪戯心が交じった提案を示した。
「どうでしょう、刺客の方は泳がせるとしてリストにあった貴族に揺さぶりを掛けてみるというのは?」
「揺さぶり、ですか?」
セルマさんが小首を傾げる。横で聞いていたベスも話に興味を持ったのか一緒に小首を傾げていた。
「ええ、リストにある貴族たちを招いて昼食会を開催しようかと考えていました」
目を丸くしているセルマさんをよそにベスがもの凄く嫌そうな顔で言う。
「なんだか居心地悪そうな空気が流れるんじゃないですか?」
「ベスには伏せていたが、今朝の朝食に使う予定だった山鳥の肉に毒が盛られていた」
当然、毒を盛った刺客は捕らえてあるし指示した貴族も判明している。
「手際がいいですね。本当に頼りになりそうです」
セルマさんのベスが怯えては、との配慮から秘密にしていたのだが当の本人はまったく意に介しているようすがない。
そればかりか、俺のことをそれほど信用していなかったことが今判明した。
「楽しそうだろう?」
「あれ? もしかして、その昼食会には私も参加するんですか?」
当たり前だ。主役がいなくてどうする。
「楽しい昼食会にするから俺の横で笑顔を振りまいていろ。簡単なお仕事だろ?」
「フジワラ様、その昼食会を楽しむおつもりですか?」
半ば呆れた様子で問い返すセルマさんに向けて肯定の返事をすると、移動中に走り書きをしたリストをセルマさんに渡す。
「メンバーはこちらです。このメンバーにマーロン子爵とコロナ・カリス嬢、さらにマルゴ士爵とパーマー士爵を招きたいと思っています」
「分かりました。ではラウラ様の後ろに控えさせて頂きます」
嫌そうな顔をしているベスを見やると同じように嫌そうな表情で『楽しくなるとは思えませんが』とこぼした。
昼食会に乗り気でない二人をさておき、馬車の窓を開け併走している一人の騎士を呼び寄せる。
「すまないが、マーロン子爵とマルゴ士爵、パーマー士爵、コロナ・カナリス嬢を急ぎ呼んできてくれ」
騎士は敬礼をするとすぐに前方へと馬を駆けさせて行った。
こちらの考えを大体のところは察したであろう、セルマさんが小さく頭を振っている。それとは対照的にベスが不思議そうな表情を浮かべて聞いてきた。
「ミチナガ様、何をなさるおつもりですか?」
「ん? 毒殺をもくろんだヤツを使って、ちょっとクギを刺しておくだけだ。何もしやしないさ、向こうが何もしなければな」
そう言う俺に向けてベスとセルマさんが疑惑に満ちた視線を向けていたが、そのことには触れずに昼食会の席とメニュー、そして案内状の文面を話し合った。
◇
◆
◇
使いを出してすぐにラウラ姫専用の馬車へと駆け付けてきた、マーロン子爵とコロナ・カナリス嬢、マルゴ士爵、パーマー士爵の四人と騎馬を並べていた。
ラウラ姫専用の馬車と俺たち五人を遠巻きに取り囲むようにして親衛隊が周囲を固めている。
俺たち五人以外に話し声が聞こえることはないだろうが、それでも声をひそめて話し出す。
「驚いたり質問したりは無しで俺の話を聞いてくれ――」
四人は怪訝そうな表情を浮かべながらも、すぐに了承の返事をした。それを待って話を続ける。
「――ファジオーリ士爵から恭順を装った貴族たちと彼らが雇い入れた刺客の情報を手に入れた。今日、その偽りの恭順をしている貴族たちを招いて昼食会を開く。四人にはその席に参加してもらいたい」
そこでファジオーリから聞いた貴族たちと彼らが雇った刺客のリストを四人に渡す。そして今朝方、朝食に毒を盛ろうとした刺客を既に捕らえてあることも明らかにした。
さすがに実行犯が出たことに四人の顔色が変わったが構わずに話を再開する。
「目的の第一は、彼らが偽りの恭順をしていることを知っていると分からせること。次がそのまま恭順していればお咎め無しであると分からせることだ。間違っても糾弾や捕らえることが目的ではない――」
もっとも、毒殺を試みた一人を許すつもりはないがな。
「――それと同時に、君たち四人が今後はラウラ・グランフェルト辺境伯の下、ひいてはリューブラント王国においてそれなりの地位と発言力を持つことを知らしめる。現時点での爵位に意味がないと分からせる」
改めて三人を見やり、『これはその手始めだ』と付け加えると、マーロン子爵の表情が一瞬だけ変わった。口元にわずかな緩みが見えたがすぐに取り繕って厳しい顔つきを演出している。
その横でマルゴ士爵、パーマー士爵が驚きの表情を浮かべていた。
マーロン子爵と違って、この二人はここまでにさしたる実績はない。驚くのも無理はない。
驚きの表情を浮かべたまま、アラン・マルゴ士爵がすぐに反応をした。
「フジワラ様、私たち――」
自分とパーマー士爵を申し訳なさそうに見やり、すぐに俺へと視線を戻すと不安そうに話を続ける。
「――はまだ大きな功績を挙げていません。その、今回参陣されている皆さんに比べて年齢も下ですし爵位も下です。果たして納得いただけるでしょうか?」
アラン・マルゴ士爵、二十歳。ジュリア・パーマー士爵、十七歳。確かに若いが、若すぎるという事はない。
それを言ったらローゼなんて十五歳で親衛隊隊長だし、リューブラント侯爵の懐刀――ネッツァーさんの孫娘とはいえ、コロナ・カナリス嬢は十五歳だ。
だが、彼の横でパーマー士爵も困った表情でうなずいていた。
困惑する二人に手柄を立てる機会はすぐに用意すること、併せて二人を取り立てようとしている理由を伝える。
「グランフェルト奪還軍への参陣を自ら申し出てくれたことにラウラ姫は深く感謝している。何としてもそれに報いたい。それが理由だ」
二人の顔から困惑が消えた。その表情からは、わずかな緊張と興奮が伝わってくる。
まさか本当のことは言えないからな。
『二人ともまだ若く実績がありません。能力は未知数ですが、マーロン子爵の動きを見て配置変更を即座に願い出るあたり目端は利くようです』とはセルマさんの推薦の言葉だ。
そして、ラウラ姫の次の一言でアラン・マルゴ士爵とジュリア・パーマー士爵の引き上げが決まった。
『今は一人でも信用できる者が必要です。信用できる者が来るのを待つのではなく、可能性のある者を多少強引でも引き立てて忠誠を得ましょう』
続く、二人の感激と感謝の言葉の受け答えをしながら、昼食会のすり合わせを進めた。
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