第295話 ゴルゾ平原会戦(5) 三人称

 ミチナガは聖女と別れた後、マリエルを伴ってアリス・ホワイトの下へと急ぎ移動した。

 聖女の異常行動にあてられたのか空間感知を怠っていたため、彼よりも先にアリス・ホワイトを見つけたマリエルの弾んだ声が響く。


「白姉ぇだ。あー、白姉ぇも目をキラキラさせてるー」


 そのマリエルの一言に不吉な予感を覚える。ミチナガはそれを無理やり抑えつけると、極力いつもの調子でアリス・ホワイトに声を掛けた。


「白アリ、遅くなって済まない」


「待ってましたーっ!」


 アリス・ホワイトは治療途中の怪我人などそこにはいないかのように勢いよく立ち上がった。そんな様子の彼女に身構えるようにして柔らかな口調で話を続ける。


「交代しよう、前線を頼む。攻撃のタイミングはボギーさんの指示に従ってもらえるか?」


「広範囲攻撃なら任せてよっ! ラウラちゃんの親族を皆殺しにした連中なんて容赦しないんだからっ!」


 アリス・ホワイトは口角を吊り上げてそう言うと、勢いよく飛び出していった。

 そんな彼女を不安いっぱいで見送ると『うんうん』などと、しきりとうなずくマリエルのつぶやきがミチナガの耳に届く。


「白姉ぇ、怒ってたもんねー。『ラウラちゃん可哀想、仇はあたしが討つ!』って言ってたよ」


 勢いよく飛び出していった白アリの後ろ姿を見て、『相変わらず好戦的な女だな』と思いつつも、ミチナガは自分の気持ちが落ち着くことに不思議な心地良さを覚える。

 そして『あいつに癒されるなんて初めてのことじゃないだろうか』、そんなことを心中つぶやいていた。


 ◇

 ◆

 ◇


 診療コーナーを飛び出したアリス・ホワイトは一気にボギーたちのいる中央戦線へと転移する。


「お待たせー!」


 中央の戦線でマーロン子爵率いる部隊の援護攻撃と敵味方及び軍馬の救出作業を続けていたボギーたちの下へ、アリス・ホワイトが快活な声と共に突然現れた。

 突然出現した彼女のいつにもましてやる気に満ちた様子だ。


 そんな彼女の勢いに、精度が低く火力の高い彼女の攻撃魔術が味方を巻き込みかねないと、ボギーの表情がわずかに引きつる。


「早かったじゃネェか。まだ、マーロンの部隊は最前線で交戦中だぜ」


「大丈夫よ、ターゲットは最前線じゃないから」


 彼女の視線はかつて渓谷だった場所、両側を切り立った崖――ゴルゾ双璧と呼ばれるほぼ垂直に近い崖に挟まれた敵の退路へと向けられていた。退路のすぐ横にはこちらの追撃を阻むためのバリケードが用意されておりいつでも街道を封鎖できるように準備されている。

 そして、崖の向こう側に控えている伏兵の存在も彼らチェックメイトは把握していた。


「あたしのターゲットは、あの退路とその向こうに隠れている伏兵。そしてその向こうで踏ん反り返っているお偉いさんよ――」


 アリス・ホワイトはほぼ垂直に切り立ったゴルゾ双璧の向こう側にいる見えない敵を自身の攻撃目標として、改めてチェックメイトのメンバーに伝えると怒りも露わに付け加える。


「――あいつらでしょっ、ラウラちゃんの家族を殺した、現グランフェルト辺境伯に味方をしたのはっ!」


 敵の退路を見つめるアリス・ホワイトにロビンがなだめるように話し掛ける。


「白姉、見た目にも派手な攻撃で仕留めるのが目的ですが、殺生はほどほどにお願いしますね」 


 そう話し掛けるロビンの脳裏に、『ここで伏兵を殲滅されたらスキルを奪う機会が減る』との思いがよぎった。

 そんなロビンの内心を見透かしたように口元を綻ばせてボギーがからかうように話し掛ける。


「いいや、それは違うぜ、コマドリの兄ちゃん」


 その声にロビンが振り向くとわずかに唇を吊り上げて話を続けるボギーが映った。

 

「敵味方双方の損害を少なくするためにも、ここと、この後の二・三戦は敵を徹底的に叩く必要があるンダよ。結果的にその方が人的・経済的な損害が抑えられるからな」


 アリス・ホワイトは左手に持った輝く水晶球を、口元に笑みを浮かべて見つめる。


「この戦いでラウラ・グランフェルト辺境伯に楯突いたらどうなるか、見せしめになってもらいましょう」


 チェックメイトのメンバーが水晶球に気付いたときには、既に女神から授かった神器――銀色の十二個の球体が彼女の周囲に展開していた。

 十二個の銀色の球体と共に空高く舞い上がる。その姿を見上げるアリス・ブラックは顔に驚きの色を浮かべるとボギーに確認するように尋ねた。


「風魔法? ですよね、今の」


「ああ、以前よりも威力が上がっている――」


 ボギーもアリス・ブラックの傍らでアリス・ホワイトを見上げると、彼女の風魔法の急成長を確認するように目を細めて動きを追う。彼の目に映るアリス・ホワイトの魔法制御能力は、彼女に持っていた『細かな魔法制御が苦手』とのイメージを塗り替えさせた。


「――使い慣れてきたのか、レベルが上がったのか知らネェが、あの発動速度と精密な制御はたいしたもんだ」


 空高く舞い上がったアリス・ホワイトの左手に握られた水晶球がほのかに光を放つ。その光は昼の陽射しに溶け込むほどの弱々しい輝きだった。

 次の瞬間、アリス・ホワイトの左側にもう一人の彼女が出現する。


 幻影の宝珠、グランフェルト城の宝物庫にあった魔道具。

 使用者の幻影を作り出す。使用者と同様の魔術を行使できるだけでなく、質量があり物理攻撃まで可能でなお且つ使用者の意思で自在に動かすことのできる幻影を生み出した。


 その幻影の宝珠により生み出された幻影と共にアリス・ホワイトの最も得意とする火魔法が放たれる。


「第一射っ、行けーっ!」


 かつて渓谷であった場所――今はゴルゾ渓谷跡と呼ばれる、両側を切り立った崖に挟まれた街道に両手の指に余るほどの火球が撃ち込まれた。

 爆発音が空気を震わせ、爆風が不自然な衝撃となって戦場をよぎる。


 燃え上がる炎は用意されたバリケードごとゴルゾ渓谷跡を包む。その熱は視覚に訴える赤い炎と相まって敵味方の別なく死を予感させ、恐怖を掻き立てた。

 だがそれが援護攻撃――味方の魔術攻撃であると分かると、ラウラ・グランフェルト陣営からは驚愕の声が交じった歓声が上がる。


「続いて、第二射っ!」


 アリス・ホワイトのよく通るその声は味方の兵士たちの耳にも届いた。今しがたの爆裂と火炎魔法の威力を目の当たりにした味方の兵士たちは、その声が自陣営から発せられたものであることに安堵する。

 彼女と幻影が放った第二射――第一射と違って、明らかに数を増した火球が退路の両側にある切り立った崖までも呑み込むように降り注ぐ。


 両側の切り立ったゴルゾ双璧に吸い込まれるように着弾する無数の火球。

 第一射のときに響き渡った爆発音よりもさらに大きな音が威圧するように戦場全体に轟く。爆発音に数瞬遅れて腹の底に響くような地鳴りが響いた。


 ゴルゾ平原にいた敵兵士たちの退路にそびえる双璧が音を立てて崩れ落ちていく。戦場にいたほとんどの者たちが言葉を失い、崩れ行く双璧をただ見つめている。

 敵も味方も、もはや戦闘をしている者はいなかった。


「第三射ーっ!」


 新たに放たれた火球は爆裂系の攻撃によって崩れ落ちるゴルゾ双璧を飛び越えてその向こうに伏せている敵兵士たちへと降り注ぐ。


 伏兵たちは隠れるのをやめて崩れ落ちるゴルゾ双璧を茫然と眺めていた。


「バリケードが吹き飛ばされた」


「崖が崩れる……」


 最初の一言二言は眼前で起きている事実を言葉にしただけのものであった。

 だがそれはすぐに感情のこもった叫びへと変わる。


「まずいっ。ここにいたら巻き込まれるぞ」


「撤退だー、撤退しろーっ」


 驚き、恐怖、混乱。そんな感情が入り交じった叫びが兵士たちの間に急速に伝播でんぱんしていく。


 混乱した伏兵部隊から誰にともなく叫び声が上る。


「何が起きているんだっ」


 力なくそう叫んだのはこの伏兵部隊の隊長だった。彼の中で急速に膨れ上がる疑問とやり場のない怒りと恐怖。


 味方の騎馬隊が撤退した後で追撃してくる敵兵を叩く。こちらの主力は強力無比な魔術師を擁する、グランフェルト領内でも有数の攻撃力を誇る騎馬軍団。

 決して困難な任務ではなかったはずだ。


 だが先ほどから、もたらされる報告は信じられないものばかりだった。

 味方騎馬隊の左右両翼壊滅の報告から始まって、精強な中央の騎馬隊を含めた味方壊滅の報告までをただ茫然と聞いていた。


「なぜなんだ? なぜこんな事が起こっているんだ……」


 隊長が口にしたそれは疑問だったのか、不満だったのか。


 崩れ落ちるはずのない天然の要害。何百年と姿を変えることなくそこにあった双璧がみるみるうちに形を変えていく。


 爆裂系の火魔法。恐らく、そうなのだろう。

 だが、そう呼ぶには彼らが知っている攻撃魔術とはあまりにも違いすぎた。神話に出てくる英雄が使うようなそんな非現実的な破壊力。それが目の前で起こっている。


 その崩れ落ちる崖を飛び越え、高速で何かが飛来するのを伏兵隊の隊長を含めた何名もの兵士が目撃した。


 死神の足音と呼ぶにはあまりにも激しい破壊音が周囲に響き渡る。

 反乱軍であるラウラ・グランフェルト軍を迎え撃つべくここに陣を敷いたファジオーリ士爵の本陣へ向けて爆発が真っ直ぐに伸びてくる。


 アリス・ホワイトとその幻影が放った火球は導火線のように敵の本陣へ向けて真っ直ぐに発現していた。轟音を伴って無人の大地を抉り取り土砂を巻き上げてこの陣の総大将であるファジオーリ士爵の本陣へと伸びていく。


 ファジオーリ士爵の耳に誰かの声が響いた。


「もの凄い速度でこちらへ迫っていますっ!」


 ファジオーリ士爵の胸を幾つもの疑問が去来する。


 何が迫っているんだ?

 あれは攻撃魔術なのか?


 勝てる戦だったはずだ。徹底抗戦するのではなく有利な地形、得意な戦術、圧倒的な火力と速度での先鋒部隊を叩いて撤退する。

 追撃してきた敵の部隊を天然の要害であるゴルゾ渓谷跡で迎え撃ち、さらに深追いをしてきたところを伏兵で叩く。


 ましてゴルゾ渓谷跡からさらに一キロメートルほども離れた本陣で待機する者たちにとっては戦勝報告を聞くだけのはずだった。

 一当てして撤退する。それだけの作戦だったはずだ。


 そんな彼らの思いをあざ笑うように火球はファジオーリ士爵の本陣へと到達した。到達した瞬間、爆炎となって陣営を呑み込む。その爆炎は圧倒的な力で敵兵士たちをなぎ払った。

 爆音は聴力を奪い混乱に拍車を掛ける。混乱する中で燃え広がる炎の海は兵士たちに恐怖を抱かせるのに十分だった。


 かろうじて生き残った敵兵士たちは誰もが混乱と恐慌に襲われていた。

 自分たちに起きたことが理解できずにいた。だが、決して戦いを挑んではいけない相手に戦いを挑んだのだということだけは漠然と理解していた。


 わずかに生き残った兵士たちの中に降り立ったのは腰まである黒髪をそよぐ風に揺らし、白を基調としたドレスアーマーをまとった美しい少女だった。

 混乱と恐慌の中にあった兵士たちの多くが彼女を天使と見間違える。

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