第288話 使者の帰還

 遥か遠くに日本で言うところのうろこ雲が俺の視界を横切るように遠ざかる。ワイバーンを大きく旋回させつつゆっくりと高度を上げる。風に流される雲と旋回するワイバーンの動きが作り出す浮遊感とが合わさって実に気持ちがいい。

 地表を見下ろすと出発前のグランフェルト軍の慌ただしい様子がよく分かる。

 

 出発までおよそ一時間。どの集団も朝食の片付けと出発準備に忙しいようだ。


 グランフェルト領へ向けての行軍はこの上なく順調だった。俺の婚約問題を除いては。

 まあ、その婚約問題にしてもメリットとデメリットを天秤にかければメリットの方が大きい。それに上手く立ち回れば危惧している足枷あしかせとなることもなさそうだ。まあ、何とかなるだろう。


 ワイバーンで上空を哨戒している最中にそんなことを考えているとマリエルが進軍方向を指差して叫んだ。


「ミチナガー、あれっ! お使いが帰ってきたのかも」


「随分と急いでいるようだな」


 マリエルの示す先へと視線を向けると、使者と思われる数頭の騎馬を駆る集団がかなりの速度で馬を走らせていた。朝食後間もない時間と考え合わせれば使者が急いでいることが予想できる。


「あ、あっちからも来る」


「急ぎの知らせかも知れない。降りてラウラ姫のところへ向かうぞ」


 最初に発見した使者たちの後方で騎馬を駆けさせていて集団は二つ。三人の領主から得た回答が急を要するものということか。俺はワイバーンを野営地へと向けて降下させた。


 ◇

 

 俺がワイバーンを着地させたときは、メロディたちがワイバーンを荷馬車へと誘導している真っ最中だった。

 予定よりも早く戻った俺の下へとメロディが駆け寄ってきた。


「随分と早いようですが、何か問題でもありましたか?」


「いや、ワイバーンに問題はない。よく手入れされていて調子がよかった。気持ちよく飛べたよ、ありがとう」


 降り立ったワイバーンの状態を調べようとしていたメロディにそう告げた。

 そして、やはり俺が予定よりも早く戻ったことが気になったのだろう、こちらへと歩いてくる白アリたちへと声を掛ける。


「派遣していた使者が三組ほど帰ってきた。どうやらかなり急いでいるようだ」


 俺がそれだけ言うと白アリが直ぐに反応し、続いて黒アリスちゃんと聖女が同行を求めてくる。


「ラウラちゃんのところね。あたしも一緒に行くわ」


「白姉、私も一緒に行ってもいいですか?」


「面白そうですね、私も行きます」


「聖女さん、ここはそっとしておいてあげましょうよ」


「いいじゃネェか。皆揃ってお姫様のところで話を聞こうぜ」


 さらにロビンが余計なことを口走り、結局ボギーさんの言うように皆揃ってラウラ姫のところへ行くこととなった。


 ◇


「ミチナガー、こっち、こっちっ!」


 お茶の用意をしている侍女たちの直ぐ横で、マリエルが元気よく空中でピョンピョンと飛び跳ねながら大声で呼んでいた。


 マリエルの声に陣幕の配置を指示していたセルマさんがこちらを振り向くと、深々とお辞儀をしてテントの中へと消えた。どうやらラウラ姫はテントの中で身支度を調えているようだ。

 そんなセルマさんと入れ替わるようにテントからローゼが一人の年若い侍女を伴って現れた。


 ローゼは既に武装を整えた状態だ。帯剣しカイトシールドを肩に掛けている。 彼女は俺たちの前まで進み出ると軽く会釈をして口を開いた。


「ラウラ様はお支度の最中ですのでいま少しお待ちください。以降のご案内とお世話は、このベスが致します」


 一緒に出てきたベスと紹介された侍女がローゼの傍らでお辞儀をすると、肩の辺りで切り揃えられた銀髪が揺れる。

 演技過剰の侍女とは違う新顔だ。黒アリスちゃんよりも少し幼いくらいに見える。少しおどおどしているところはあるが美しい少女だ。美しい容姿と輝く銀髪、将来の影武者候補か?


 緊張しているのだろう、少し震えているのが分かる。というか赤い大きな目をキョロキョロと動かして俺たちの誰とも眼を合わせようとしない。透けるような白い肌だと思ったのは血の気が引いていたから、って落ちじゃないだろうな。

 いったいどんな風に俺たちのことが伝わっているのだろうか。後でセルマさんと少し話をする必要があるかも知れない。


 いつの間にか隣に来ていた聖女がその豊かな胸を俺の腕に押し当てるようにして耳元でささやく。


「そんなに見つめたら可哀想なことになっちゃいますよ、彼女」


「可哀想って何だよ、そんなんじゃないって。お前は俺のことをどんな目で見ているんだ」


 聖女の胸がどんな状態なのか見たい、確認したい。絶対に胸がグニュッとなって形が変わっているよな。


「違いますよ、フジワラさんが興味を持っていると勘違いされたら、彼女が解雇されたりラウラちゃんから遠ざけられたりするかも知れない、と言っているんです」


 なるほど。ラウラ姫がそんなことをするとは思えないが、他の侍女たちが何か吹き込むなり意地悪をするなりはあるかも知れない。

 俺は聖女の言葉にうなずいて、ベスへのあからさまな視線を控えることにした。


 ローゼは俺のことを少しだけ睨むと、皆へと視線を向けて口を開く。


「皆様、私は使者を迎える準備に付きますので」


 彼女を紹介するとローゼはそう短く告げて周囲を固めている親衛隊の騎士たちと向かって去っていった。


 そんな立ち去るローゼを見ながらボギーさんがつぶやくと、侍女を気にするようにロビンがすかさずフォローを入れる。


「随分と物騒なお出迎えだネェ」


「彼女も張り切っているんですよ。念願の騎士、それも領主の親衛隊隊長ですから」


 そんなロビンのフォローを無にするように白アリと聖女がキャイキャイと会話を始める。


「気持ちは分かるけど、ちょっと神経質すぎじゃないの? あたしたちが傍にいるんだから危険なんてそうそうないわよ」


「ええ、任せてください。刺客がいたら捕縛して根掘り葉掘り情報を引き出しちゃいますよ」


 満面の笑みでガッツポーズをする聖女に『頼もしいわね、頼りにしているからね』などと白アリも笑みを返してさらに続ける。


「まず無いでしょうけど、怪我くらいあっという間に治せるしね」


「そうですね。首を切り落とされても直ぐにだったら元通りに治療できますよ」


 切り落とされた首を元通りにするのも治療と言うのだろうか?

 疑問に思ったのは俺だけじゃなさそうだ。俺の目の前を歩く侍女のベスがビクンッと反応している。


「そうよね、ミチナガと聖女ちゃんがいれば、生きてさえいれば何とかなるものね」


 白アリのセリフに聖女がコクコクとうなずきながら物騒なことを口走る。


「いろいろと実験できましたから、出来ることと出来ないこともかなり分かってきました」


「もし死んでしまっても私やボギーさんがいますから、心配要りませんよ」


 いや、黒アリスちゃん、それは違うだろう。


 取り敢えず女性陣のことは放っておくとして、先ほどから足取りにぎこちなさが出ている侍女の様子が気になったので、悪趣味とは思ったが視覚を飛ばして表情を覗き見た。

 案の定、透き通るような白い顔は病的に蒼ざめ唇が紫色になっている。うっすらと汗ばんでいるように見えるのは冷や汗だろうな。そして大きな赤い眼には大粒の涙を浮かべていた。気の毒に。


 ◇

 ◆

 ◇


 使者を迎えるためにコの字にされたテーブルに案内された俺たちはベスの指示に従ってそれぞれ席に着いた。

 上座は俺一人だけだ。左隣は空席になっているがどう考えてもここにラウラ姫が座る。そして空席がもう一つ。ボギーさんの正面、左手の最もラウラ姫に近い席。ここにセルマさんが座るのだろう。


「失礼致します」


 聞きなれない声と共に三人の侍女が現れた。あの演技過剰な三人組だ。


 お茶の用意をする彼女たちに白アリが何気ない口調で聞く。


「さっきの侍女、ベスちゃんはどうしたの? あの娘が私たちに付くと思ってたんだけど?」


「ベスでしたら、荷物の搬入をしてもらっています。あの娘、ああ見えてもとっても力持ちなんですよ」


 演技過剰侍女の一人がにこやかにそう言うと、聖女が胸の前で両手を組むと天を仰ぐようにして嘆く振りをする。


「あーあ、フジワラさんの責任ですよ。可哀想に」


 聖女の言葉が突き刺さる。『後で慰めてあげようかな』という聖女の弾んだ独り言はこの際無視しよう。

 気のせいだろうか、聖女だけはなく他のメンバーも俺に責めるような視線を向けている。


 いや、確かに俺もうかつなところがあったのは認めよう。先程のことを思い返すと、たった今発せられた聖女の言葉が俺の良心を改めて抉る。


「すみません、先程の侍女、ベスでしたか。ローゼからの話もあるのでもう一度こちらへ来るように伝えて頂けませんか?」


「はい、承知いたしました」


 演技過剰侍女は少し驚いた様子ではあったが直ぐに気を取り直してお辞儀と共に了解の返事をした。


 さて、呼んだとしてどうごまかそうか。まあ、美少女だったし目の保養と考えるか。

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