第286話 小休止
快晴。雲一つない青空を、ワイバーンを駆って悠然と飛ぶ。爽快だ、実に気持ちがいい。
魔法障壁を自分の周囲に張り巡らせて、適度な防風と温度管理を行っているからこその快適さ。これが魔法を使えない普通の人間がやっていたら、いくら夏の陽射しの下とはいえ風圧と寒さで凍えていたことだろう。
このまま眼下に友軍を眺めながらいつまでも哨戒任務を続けていたい。
先程のラウラ姫の何か信じられないものを見ているような、そんな顔が脳裏をよぎる。
あの時はセルマさんの強引さに半ば呆れていたが……今になって思い返えすと俺自身何か酷いことをしたような、そんな理不尽な罪悪感に襲われる。
今頃はセルマさんから白アリたちに歪んだ情報が伝わっているに違いない。
聖女は面白がるだろうが、特に実害はなさそうだ。問題は白アリと黒アリスちゃんだ。二人ともあらぬ情報を吹き込まれてやきもちを焼くんだろうな。
今、下に降りたら何を言われるか想像がつく。
下に降りたくない。
「このまま空を飛んでいたい……」
「どうしたのー?」
どうやら声が漏れていたようだ。胸元のアーマーからマリエルが心配そうに顔を出していた。
そんなマリエル相手に己の迂闊さを愚痴る。
「どうやら策略にかけられたらしいんだ、迂闊だった。事前に手を打ってから空に上がるべきだった」
「ふうーん、大変だねー 。敵は頭がいいんだ」
分かっているようにコクコクとうなずいているが、俺の言っていることの半分も伝わっていない気がする。
「ああ、手強い。慎重に対処した方がいいだろうな。テリーがいないのが残念だが、ボギーさんとロビンは味方してくれるはずだ」
「んー? よく分からなくなってきた」
どうやらマリエルには難しい話だったようだ。眉間にしわを寄せて考え込むような顔をしている。
マリエルの頭にそっと手を置いて穏やかな口調で伝える。
「手強いけど何とかなるさ」
「うん、グランフェルト辺境伯なんてやっつけちゃえー」
元気付けようとしたのだろう、アーマーから抜け出すと俺の髪の毛にしがみついて耳元で陽気に叫ぶ。
どうも話が噛み合わないと思ったら、敵を勘違いしていたようだ。
そんなマリエルにお礼を言いながらアーマーの中に戻すと、俺は皆のもとに戻るべくワイバーンの高度をゆっくりと落としていくことにした。
◇
◆
◇
地上へ降りた俺を迎えたのは、行軍の小休止と仲間の冷たい視線だった。同席しなくてもいいはずのアイリスの娘たちまでいる。
白アリと黒アリスちゃんの後ろに並ぶ彼女たちの存在が無言の圧力となって襲ってくる。それはまるで『戦いは数だ』を体現しているかのようだ。
始まりは射殺さんばかりの視線のロビンから発せられた、吐き捨てるような一言だった。
「最低ですね、見損ないましたよっ」
味方と信じていたロビンのいきなりの裏切り。正直ショックではある。だがそれ以上に己の甘さを後悔した。
そこに白アリと黒アリスちゃんが追撃する。
「女心を分かってないわねっ。ラウラちゃんが可哀想じゃないのっ」
「さっきお見舞いに行ってきましたが、涙を流しながら放心していました。どんな酷い言葉を浴びせたらあんなになるんですかっ?」
いや、白アリ。『ラウラちゃんが可哀想』とか言っているけど、もし俺があのブレスレットを婚約指輪と認めていたら絶対にやきもちを焼いてたはずだよな。
というか、やきもちは焼かなくてもいいのか?
それに黒アリスちゃん。『お見舞い』って、ラウラ姫は怪我や病気じゃないから。いや、ちょっと病的なものは感じたけどさ。
それに君は俺のことが好きだったはずじゃないのか?
だが、一番納得がいかないのはアイリスの娘たちだ。
何も言わないが、白アリと黒アリスちゃんの後ろでアイリスの娘たちが二人に同調するように視線で俺を責めている。聖女はその横でニコニコと微笑んでいた。楽しんでいる傍観者だ。
ラウラ姫が泣いていたという事実とセルマさん率いる演技過剰の侍女たちに騙されている。
俺がここで慌ててはだめだ。
「皆、冷静になって聞いてほしい。そもそもブレスレットを婚約指輪と勘違いすることがおかしいと思わないか? それに俺は真実を伝えただけで間違ったことは――」
黒アリスちゃんが俺の言葉を遮るようにしてピシャリと言い放った。
「言い訳ですか? 男らしくありませんっ」
違うよ、黒アリスちゃん。大人はこれを状況説明と言うんだ。
言葉にはできないがそんな思考が頭をよぎると同時に白アリが頭(かぶり)を振りながらつぶやき、その横でロビンが大きくうなずいて続く。
「情けない。言い訳よりもラウラちゃんの気持ちを、もっと考えてあげたらどうっ」
いや、俺の気持ちは? 一番大事なのは俺の気持ちだよね?
ラウラ姫は子どもだし、利用する駒であって仲間でも恋愛対象でもないのは皆も同意していることじゃなかったか?
言いたいが言えない。
「泣いていましたよ、ラウラ姫。可哀想に……」
聖女が両手を胸の前で組んで祈るようなしぐさでつぶやく。いきなり参戦してきやがった。
ロビンが聖女の言葉に目頭を押さえる。
嫌な雰囲気だ。
突然背後に人の気配が現れ口笛の音が流れる。聞き覚えのある口笛、突然現れたのは空間転移。ボギーさんだ。
「おう、戻ったか、兄ちゃん」
背後から援軍の声が響いた。頼りになる大人の男。俺は振り向きざまに援軍を求めるように話し掛ける。
「ボギーさん、どうやら皆は少し感情的になっているようで――」
「バカじゃネェのかっ!」
またもや俺の言葉は罵声でかき消された。ボギーさんは罵声に続いてお説教モードに入る。そして周りの仲間たちの視線はさらに冷たさを増した。
「これから戦争しようってときに一番士気の高い部隊の士気を落とすだぁ? ましてや、総大将を落ち込ませるなんてことするんじゃネェっ!」
士気の高い部隊? ラウラ姫親衛隊か。
親衛隊の方はどうでもいいが、ラウラ姫を落ち込ませたのは確かにまずかったかもしれない。軍全体の士気にかかわると言われれば、その通りだ。
「ちょっと待ってください、じゃあ、どうするべきだったと言うんですか?」
ボギーさんは俺の背中を押して白アリたちから距離を取ると小声で話を再開した。
「『指輪は今度お渡しします』くらい言えるだろう」
「いやいやいや、それって婚約しちゃうじゃないですかっ?」
「婚約くらいしてやれよ、別に結婚する訳じゃネェんだから大丈夫だ」
何が大丈夫なんですか? 根拠なく大丈夫とか言ってますよね?
「それにラウラ姫は子どもですよ」
「子どもとは言っても相手は貴族だ。こっちの異世界の貴族なら婚約なんて普通にしている年頃だ。しかも周りには耳年増の侍女が付いている」
そう言えば最近変な侍女たちが増えてたな。あの侍女たちは警戒した方がいいかもしれない。
俺がセルマさんを筆頭とした新規に雇い入れた侍女たちのことを考えているとボギーさんがさらに続ける。
「それに子どもと言っても、黒の嬢ちゃんだって見た目も中身も高校一年生だ。子どもじゃネェか」
「誤解があるようですが、手は出してませんからね。ときどき服の上から胸や脚を見ているだけですから」
たまに素肌が見えたりするがそこは触れないでおこう。
「少しは色男を見習えよ、こそこそ盗み見なんてしてネェぞ。それに第三王女をすっかり虜にしてる。後は第三王女の首を縦に振らせるだけだ」
葉巻を揺らしながら『ありゃあ、見事な手際だ』と感心している。
いや、あいつ守備範囲広いから。
「テリーを基準に考えないでください。それに婚約とか簡単に言いますが、将来グランフェルト領が足枷になるかもしれないんですよ」
「んなもんは、こっちの用が済んだら破棄しちまえばいいんだよっ。簡単なことだ、悩むようなことじゃネェ」
意外とゲスなことをサラリと言うな。いやいや、そのゲスな事をするのは俺か? 外聞が悪すぎるだろう。
何よりも、他人事だと思ってもの凄く適当なこと言ってないか? この人。
「リューブラント侯爵だっているんですよ。絶対に簡単じゃありません」
「逃げりゃいいんだよ。どうせ地の果てまでなんて追ってこれやしネェ」
追ってきそうな気がするのは俺が弱気になっているからだろうか。それに地の果てまで逃げなければならない俺の身にもなってほしい。
我が身の不幸な将来を想像していると、ボギーさんが左手でサムズアップをする。
「大丈夫だ。兄ちゃんなら逃げ切れるっ!」
◇
◆
◇
俺はラウラ姫の簡易テントでラウラ姫と二人きり、向かい合うようにして椅子に座っていた。今回はこちらから『ラウラ姫と二人きり話がしたい』とセルマさんにお願いして外してもらっている。
外は小休止を終えて出発準備に走り回る人たちの作り出す慌しげな音が響いていた。
俺は目の前にいる暗く沈んだ表情のラウラ姫に優しく声を掛ける。
「先程は急ぎの任務があったとはいえ配慮が足りずに申し訳ございませんでした。もしかしたら、落ち込ませてしまったのではないかと気になっておりました」
瞳がわずかに動いたが返事はない。
あの後皆で話し合い、俺以外全員一致でラウラ姫に指輪を渡して婚約を仄(ほの)めかすこととなった。
「実はまだ作成途中のものですが――」
そう語り掛け、虚ろな瞳をしたラウラ姫の前で小箱を開ける。そこに納めてあるのはアーマードスネークの鱗から削りだした指輪だ。
ブラックダイアモンドのように透き通る黒。
「――この後で、ブレスレットと合わせるように全体を銀で装飾致します」
ラウラ姫の瞳が大きく見開かれる。頬を紅潮させているが先程の勘違いしたときのように取り乱したりはしていない。両手で押さえた口から嗚咽が漏れる。アイスブルーの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
今ひとつ判断できない。先程のことがトラウマになって、指輪を見ると呼吸が乱れるとか涙が流れるとかではないことを祈ろう。
そのまま魔道具である指輪の機能説明を続ける。
「これは雷撃の魔法が封じ込められた魔道具でもあります」
聞いている様子がない。彼女の前に差し出しているのだが手を伸ばすこともせずに、ただ泣きながら指輪を見つめていた。
「ラウラ姫」
「はい」
ようやく返事があった。小さな声だ。声音から震えているのが分かる。
「どのような扱いになるかは貴女のお祖父さまである、リューブラント侯爵とご相談させて頂く必要がありますが、これを受け取って頂けますか?」
「ミチナガさま……わ、わたく、私……」
涙を流しているが嬉しそうな顔だ。驚きと戸惑いで自分の気持ちを上手く伝えられないようだ。
「可愛らしい貴女に受け取ってほしいのです」
つい小一時間前にどん底に突き落として、そんなことなど無かったかのように愛を仄めかす。
もの凄い罪悪感が襲ってくる。
「あ、ありがとう、ございます。大切に、い、致します」
指輪の入った小箱に手を伸ばした彼女の腰に手を回して立たせると、恥ずかしさと驚きで半ばパニックになっている彼女の指に指輪をはめた。
歳の割に大人びた印象を与える、そのアイスブルーの瞳からボロボロと涙が溢れる。
腰に回した手を肩へ移動させて彼女が泣き崩れるのを抱きかかえるようにして支えると小さく震えているのが分かる。
可愛らしい少女だ。
五年などとは言わない。あと三年もすれば目を奪われるほどの美しい女性になるだろう。その美しい女性にこれほどまで慕われる。
この異世界を救う。そんな責任を負っていなければ……違った未来もあったのかも知れない。
ラウラ姫はセルマさんが入ってくるまで俺の胸に顔をうずめて泣いていた。
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