第276話 攻略、ベール城塞都市(2) 

 鉄壁を誇っていたはずのベール城塞都市。轟音が鳴り響き、その高く堅牢な防壁が月明かりの中、土煙を上げながら崩れ落ちていく。


 リューブラント軍の本陣の隣に配置されたラウラ・グランフェルト軍の中央で歓声が上がった。

 普段の落ち着いた彼女からは想像できないほどに、興奮したセルマが頬を高潮させて歓喜の声を上げていた。その傍らではローゼが放心した様子で崩れ落ちる防壁を見ている。

 

「ラウラ様っ、やりました。やりましたよ、フジワラ様が!」


「凄い……本当に防壁が崩れ……ていく」


「ミチナガ様、ご無事で……」


 開け放った馬車の扉から身を乗り出すようにしていたラウラ・グランフェルトは、馬車から飛び降りると月明かりの中で崩れ落ちる防壁を真っすぐに見つめる。そして小さな両手を胸の前で組み、涙を流しながら安堵した。


 そのラウラ・グランフェルト軍と五百メートルと離れていない本陣中央では、防壁はいまだ崩れている最中だと言うのに突撃の号令を掛けそうになるのを必死に抑えているリューブラント侯爵がいた。

 侯爵は馬上で手綱を強く握り締めて口元に笑みを浮かべた。そして勝利を確信する。


「よくぞやってくれたっ!」


 轟音が止み、防壁の崩れる音も収まると高く舞い上がっていた土煙が薄れていく。次第にその全容が夜の闇に布陣しているリューブラント侯爵軍の将兵たちの目にも明らかになっていった。


 その光景に最も驚いたのはリューブラント軍の将兵たちだった。

 リューブラント軍の将兵の大半が『防壁破壊』など世迷い言だと思っていた。チェックメイトのミチナガ・フジワラから『防壁を破壊し兵舎までの道を作ります』そう聞いた諸侯や将軍たちでさえ半信半疑だったのだ。


 隊長から『防壁破壊するのでそれを合図にベール城塞都市へなだれ込み、兵舎を目指す』と言われて、これを信じなかったからと責めることはできないだろう。


 ベールに防壁が張り巡らされてから二百年余、その防壁は一度として壊れたことがない。門を突破されたこともない。鉄壁の代名詞ともされるベールの防壁が眼前で音を立てて崩れていく。

 その光景は将兵たちには伝説の崩壊のように映った。


「本当に防壁が崩れた……」


「嘘だろう……」


「信じられない……」


「バカな……」


「崩壊した……」


 放心する将兵たちを現実に引き戻すかのようにリューブラント侯爵の号令が響き渡る。


「全軍、破壊された防壁より突入せよっ! 目指すは都市中央の兵舎っ! ガザン国王、エドワード・ガザンの首級だっ!」


 その号令はベールのもう一つの信奉を崩壊させることを予感させた。

 ベールが建設されてから四百年、一度として占領されたことのない『不落の都市』という伝説が終わる予感だ。


 リューブラント侯爵軍の将兵たちの間を支配していた驚きと戸惑いは興奮と高揚感へと変わって広がっていく。


 そして弾かれたように将軍や部隊長の号令が各個に響いた。


「突撃ーっ!」


「手柄を立てるのはこの時をおいて他にはないぞっ!」


「目指すは都市中央だっ!」


「進め! 進め!」


 ◇


 リューブラント侯爵の号令のもと先鋒となる第一陣の中央を任された部隊が真っ先に崩れた防壁へと辿り着いた。


 防壁の向こうには焼け跡も生々しい迷路のような複雑な街並みが広がっている。ほとんどの者がそう信じて覚悟を決めて突入した。

 しかし、彼らの眼前に広がっていたのは中央兵舎へと続く真っすぐな道だった。


 その道の両側には完全に消失した街並みと恐らく、目の前に作られた道に転がっていたと思われる瓦礫が転がっていた。

 それを目の当たりにした先鋒部隊の動きが止まる。


「どけどけっどけーっ!」


 眼前に広がる光景に戸惑う先鋒部隊の横を、二十代前半と思われる青年が率いる騎馬の一団が駆け抜けていった。マーロン子爵率いる第一陣の左翼を任された部隊だ。


 ギラついた目で前方に広がる道を見据えるマーロン子爵の中に、ものすごい勢いで野心が燃え上がる。


 チェックメイトのミチナガ・フジワラ。ランバールの英雄。ヤツを信じて正解だった。

 攻城戦である防壁突破の第一陣にあって全軍を騎馬で参加させるなど、周囲から見れば正気の沙汰とは思えなかっただろう。実際に彼の側近も大反対をした。


『万が一馬が使えないようならその場で馬を捨てて走ればいい』

 

 高額な騎馬をいとも簡単に捨てると、そう言いきる年若き主君にほとんどの家臣が頭を抱えた。

 それでも彼は強行した。その結果がこれだ。


 騎馬を駆けさせながら興奮していた。『俺は賭けに勝った』まだ決着は付いていないがそう思わずには居られなかった。


『チャンスだ、千載一遇のチャンスだ。これをものにするっ!』


 マーロン子爵率いる百余騎の騎馬軍団が中央兵舎へ向けて、はばむもののない道を駆ける。


「追えっ、追うんだっ!」


「後れをとるなーっ」


「走れ、走れー!」


 マーロン子爵率いる騎馬軍団の後ろ姿に我を取り戻した各部隊の隊長たちが慌てて号令を掛けた。


 ◇


「何があったっ!」


 ベール城塞都市内部、市街地で発生している火災の消火活動を指揮していた騎士団の部隊長が轟音の方向へと視線を巡らせた。

 そして、言葉を失う。


 彼だけではない。消火活動をしていた者たちのほとんどがその光景に目を奪われ、作業をする手を止めた。

 辺りからは戸惑いと疑問の言葉が力なく響く。


 彼らの目に映ったのは想像すらしていないかったこと。

 遠目にもはっきりと分かる。防壁が崩れ落ちていく。その光景を目でとらえても頭で理解するのは難しかった。


 混乱の中、伝令がもたらされた。


「敵襲ですっ! 防壁を破壊して反乱軍が市内に傾れ込みましたっ!」


 だが、その伝令の言葉に即座に反応する者は居ない。

 自分たちの目に映っていることと伝令がもたらした情報は一致する。だが、彼らの中にある神話にも似た、ベール城塞都市への絶対の信頼がそれを認めることをはばんでいた。


 それでも最初に反応したのは隊長だった。


「分かった、迎撃に向かうと伝えてくれ」


 彼は目に映る光景と伝令がもたらした情報を無理やり信じるよう自身に言い聞かせると、消火活動にあたっている騎士団へ号令を掛けた。

 

「この場の消火活動は市民に任せる。我々は敵の迎撃に向かう。第三回廊付近で迎え撃つぞっ!」


「ん? どうしたっ! 迎撃すると直ぐに戻って自分の部隊長へ伝えろ」


 騎士団を急かせていると、いまだに伝令がその場で棒立ちとなっていることに気付いて叱責するような口調となった。


「いえ、それが……」


 伝令は言いにくそうに言葉を濁したが、それでも意を決したように真っすぐに隊長を見て告げた。


「既に第三回廊は突破されています。恐らく第二回廊も既に抜かれているかと」


「何を言っているんだ?」


 ベール城塞都市の街並みは迷路状となっており、大軍での侵入を容易に許すことはない。それを迎撃部隊と交戦しながらこの短時間で抜けるなどありえない。そんな思いが隊長の胸のうちを支配する。


「破壊された防壁から中央兵舎へ向けて一本の道が出来ています。敵はその道を通って真っすぐに中央兵舎へ迫っています」


「ばかな……」


「本当です」


 言葉を失った隊長にそう言うと伝令兵は一枚の紙を差し出した。


 ベール城塞都市の地図だ。

 その地図には破壊された防壁から中央兵舎まで真っすぐに延びた線が手書きで書き加えられていた。


 隊長はその地図を見て初めて伝令兵の言わんとしていることを理解した。そう先ほどの三箇所でおきた火災のひとつ。それがこの地図に書き加えられた道だ。


 なるほど、火災の跡を利用して中央兵舎へ向かっているのか。地図からそう判断した隊長が伝令へと確認する。

 

「だが、火災の跡も酷くてとても大軍が移動できる状態ではないはずだ」


「やはり爆破系と思われる火魔法で瓦礫は吹き飛ばされて、途中に行軍をはばむものは何もありません」


 伝令の回答に一瞬思考が停止した。そして、精一杯の努力で言葉を搾り出す。


「……俺たちはどこへ向かえばいい?」


 その問い掛けに伝令兵は泣きそうな顔で首を横に振るだけだった。


 ◇


 リューブラント侯爵のもとに前線の様子を報せる馬が次々と訪れる。そのうちの一騎、マーロン子爵の抱える伝令が誇らしげに報告をしていた。


「第一陣のマーロン子爵軍、全軍を騎馬編成とし中央兵舎を目指しております。第三回廊を抜けて間もなく第二回廊へ迫ります。第一陣の他の部隊も間もなく第三回廊へ差し掛かります」


 その報告にリューブラント侯爵の口元が綻んだ。

 歳若いマーロン子爵がリューブラント侯爵の予想以上にミチナガ・フジワラのことを信用して立ち回ったこと。そしてそれによって他の頭の固い連中をだし抜いたことが愉快でたまらなかった。


「マーロン子爵には働きを期待していると伝えてくれ」


 伝令は即座に最敬礼をして礼を述べると他の軍団の動きも報せた。


「それと、第一陣の中から幾つかの部隊が予定にないルートへ逸れています」


「どちらへ向かった」


 直ぐに『王の剣』と『王の盾』のことを思い浮かべて、彼の質問に答えようとした伝令を手で制した。


「いや、東側にある臨時の厩舎方面か?」


「はい、仰せの通りです」


 その答えにリューブラント侯爵は苦虫を噛み潰した表情を見せる。

 一兵も持たぬ将軍。もはや名前だけの、その名前すら地に落ちているかもしれない二人――『王の剣』と『王の盾』にどれほどの価値があるのか。それが分かっていない連中に苛立ちを覚えた。


 その様子に今まで黙っていたネッツァーがリューブラント侯爵に小声で問い掛けた。


「引き返させますか?」


「いや、構わん。伝令兵がもったいない。そのまま放置しておけ」


 そして、改めてネッツァーに向けて指示を出す。


「今はベールを陥落させることを最優先とせよっ! くれぐれも市民に危害を加えないようにもう一度周知をしておけ」


 ネッツァーは深々とお辞儀をすると、マーロン子爵配下の伝令兵と共にその場を後にした。

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