第272話 ベール城塞都市潜入(2)

 朝食後に俺たちが真っ先にやったのはカズサ第三王女に関する噂の拡散だ。

 朝市で噂話を広げるのをティナとアレクシスに任せた俺たち三人は、犯罪者かそれに近い連中を求めて不衛生な路地裏へ侵入した。


 小汚い路地裏を聖女にうろついてもらうこと、およそ十分。

 中身はともかく見た目だけなら美女だ。チンピラを釣りだすエサとしては申し分ない。


 とは思っていたが……

 引っ掛かった。聖女という見た目だけのエサに予想以上にあっさりと喰い付いた。


 そして俺たち三人は、そのあっさりと喰い付いたチンピラたちのアジトに来ている。


「ど、どうぞ」


 今にも泣き出しそうな顔をしたメイドさんがカチャカチャと食器の音をさせながら、人数分――四人分のお茶のカップをテーブルの上に並べていく。

 気の毒に。こんなチンピラのアジトなんかで働いていたためにすっかり怯えてしまっている。


 俺は長椅子に腰かけた状態でメイドさんに同情の視線を向けていると、隣に腰かけていたテリーが感心したように目の前に座っているチンピラのボスへ話しかけた。


「戦時下だというのにお茶なんて貴重品が手に入るんだ」


「いえ、このお茶は戦になる前に買い込んだものです」


「ムーアさん、もしかして戦になるのを知っていて大量に買い込んだとか?」


「い、いえ。そんなことはありません」


 テリーの何気ない一言にチンピラのボス――ムーアはあからさまに表情を変えた。顔も引きつっているし視線が泳いでいるのを誤魔化すように、お茶へと視線を移して手を伸ばした。


「どうでしょうね、食糧庫もいっぱいでしたよ」


 チンピラを引き連れてアジトの中を調べていた聖女が戻るなり、ムーアに冷水を浴びせるような言葉と共に応接間へと入ってきた。


「いえ、そ、食糧庫は部下たちやその家族を食べさせるために、いつもいっぱいにしておくんです」


「あらまあ、そうなんですか?」


「はい、いつもやっていることです」


 聖女の言葉に泡を食ったのか、彼女の背後でしきりに何かを伝えようとしているチンピラたちの様子には気付かないようだ。

 そんな、いっぱいいっぱいのムーアに聖女が穏やかな笑みを浮かべて問い掛けた。


「ですが、持ち運びもし易いようにマジックバッグの類もたくさん置いてありましたよ」


 ムーアの表情が凍り付き、聖女の背後にいたチンピラたちが今にも泣きそうな顔に変わった。

 そんな傷心のムーアに俺は冷ややかな視線を向けて語り掛ける。


「ムーアさん、正直になりましょうよ。次に嘘を吐いたら両腕をもう一度失うことになりますよ」


 凍り付いた表情のまま何かに操られるように、ぎこちない動作で首だけを俺の方へと向けた。そんな彼に追い打ちを掛けるように言葉を付け足す。


「次は治療しませんからそのつもりでお願いします」


 ◇

 ◆

 ◇


「つまり、開戦の情報は半年以上も前に、王宮ご用達の商人から買っていたということか」


 半ばあきれながら聞き返した俺に、ムーアが力なくうなずいた。


 彼が言うには、懇意にしている商人が王宮に出入りしており、その商人から近々大きな戦があるらしいとの情報を買ったそうだ。

 その情報ではベール城塞都市が戦場になることは想定されていなかった。

 あくまで、カナンへの遠征軍のための食料や武器の供給拠点として機能するはずだった。最悪でもダナンの砦での国境防衛の補給基地だ。


 ベルエルス王国やドーラ公国が参戦しての大規模な侵攻作戦となればダナン砦ではまかない切れない。

 後方支援、補給の拠点としてベール城塞都市が選択されるのもうなずける。


 なるほど、俺たちが参戦していなければその通りになっていた可能性は高い。

 だが、いくら可能性が高いとはいえ、情報源が一ヵ所というのは信じ難い。大金が動くし戦となれば大ごとだ。裏も取らずに一人の商人の言葉を信じたとは思えない。嘘は言わないまでも何か隠していそうだ。

 

「他の情報の仕入れ先についても話してくれ。隠し立てするとためにならないぞ」


 俺はそう言うと長椅子の背にもたれるようにして天井を仰ぎ見る。

 ムーアの家族を一室にまとめて避難させている。それがこの部屋のちょうど真上あたりだ。


「ご指摘の通りです。何箇所からか戦に関する情報を入手してます」


「情報を入手したのはお前たちだけじゃないよな? 他にも情報を入手したと思われる連中や組織を全て教えてくれ」


 俺の視線の意味を勝手に拡大解釈したのか、明らかに声の調子が変わったムーアに対して俺は天井へ視線を向けたまま伝えた。


 ◇

 ◆

 ◇


「腐っていますね」


 ムーアの話を一通り聞き終えた聖女が溜め息混じりにつぶやくと、テリーも同様にあきれた様子で言う。


「頻繁に戦争が行われている弊害なのかもしれないが、酷いものだな」


 テリーの言うように頻繁に戦争が行われているせいなのかもしれないが、戦争に関する情報が軍事機密ではなく金儲けの道具になっていた。

 情報でさえそうなのだから戦争そのものとなればなおさらだ。


 作戦内容が商人たちの間で普通に売り買いされているそうだ。当然、情報を売っているおおもとは軍部だ。

 今回の作戦内容の販売元は今この都市で防衛の要となっている『王の剣』と『王の盾』らしい。最精鋭部隊と思い込んで警戒していた自分が情けなくなってきた。


 精鋭部隊として名高かった『竜騎士』の名前が一瞬だが脳裏をよぎる。


「まあ、いい。それよりもやってもらいたい事があるんだ――――」


 俺は本来の目的であるカズサ第三王女の噂を拡散させる依頼について切り出した。


 内容は昨夜話し合った『カズサ王女復権作戦』そのままだ。


 第三王女の双子の弟である第七王子が夭逝ようせい

 この第七王子夭逝ようせいの際に、実の母親である第二側室と周囲の大人たちの思惑により、死亡したのは第三王女のカズサ王女と発表。

 当の第三王女は第七王子の身代わりとして王子として生き続けることに。


 もちろん、その裏には『王子に死なれては困る。死亡したのは第三王女にしておけ』というのがガザン国王の意向があったのは言うまでもない。

 幼いカズサ第三王女にはそれに抗う術もなく、涙を飲んで第七王子として彼の身代わりとなった。


 この悲劇の元凶は現ガザン国王を筆頭とした権力欲に塗れた大人たちである。

 幼く、何の後ろ盾もないカズサ第三王女は被害者なのだと。


 そればかりではない。秘密を守るために第三王子一派と第五王子一派が戦争の混乱に乗じてカズサ第三王女の暗殺を企てた。

 あわやというところ、これをリューブラント侯爵配下のチェックメイト遊撃隊が阻止。

 それ以降、カズサ第三王女はリューブラント侯爵配下のチェックメイト遊撃隊の庇護下にあると。

 

 カズサ第三王女は被害者なのだと、周囲の大人たちの権力欲と保身のために彼女は犠牲になったのだと。


「――――もちろん、報酬ははずむ」


 テーブルの上に大きな革袋を置く。革袋は口が開いていたためテーブルと床にその中身の一部が散らばった。


 金貨だ。

 ガザン王国金貨、この間ガザン王城を見学させてもらった際にお土産に貰ってきたものだ。


 ムーアとチンピラたちの目の色が変わった。

 

「こちらが納得できる成果が得られればこれをもう二袋、この倍をやろう」


 ムーアは視線を金貨にクギ付けにしたままコクコクと無言でうなずいていた。


「欲張るなよ。その金でチンピラを雇って噂をばら蒔き、成果報酬として受け取る金は全額お前らのもの、とした方が得だと思わないか?」


 俺の言葉にムーアがはたっと気付いた表情を浮かべる。


「はいっ。その通りにします」


 どうやら何も言わなければ自分たちだけで頑張るつもりだったようだ。


「何だかお前らに頼みごとをするのが不安になってきたよ」


 心底げんなりした様子でムーアを見やるテリーをなだめて、俺たちは彼らのアジトを後にした。


 ◇

 ◆

 ◇


「さあ、次は騎馬の下見ですね。それが終わったらいよいよ突入ルート確保の下準備っ!」


 騎馬の鹵獲をするつもり満々の聖女を苦笑交じりに見やりながらテリーが語りかけてきた。


「出来れば明日にでも仕掛けたいが、まあ、明後日だろうな」


「さすがに全軍を動かすとなれば準備に一日は必要だろう? それにここらでカナン王国軍とリューブラント侯爵軍とで、戦功に大きな差をつけてもらわないとな」


「ルウェリン伯爵とゴート男爵から文句が出そうだな」


「その二人からはないだろう。十分に手柄を立てているし、戦後の見返りも予想以上みたいだったぞ」


 ルウェリン伯爵とゴート男爵との会話を思い出しながらさらに付け加える。

 

「今あの二人が欲しいのは自分たち以外の貴族向けの手柄だよ」


「ドーラ公国への進軍ルート確保をリューブラント侯爵が認める約束でもすれば満足しそうな感じでしたよね」


 聖女もルウェリン伯爵とゴート男爵との会話を思い出したように話し出した。


「それよりも、カナン軍は王都まで攻め上るつもりですよね? 私たちは王都への参戦放棄で本当に大丈夫でしょうか?」


「趨勢の決まった王都攻略戦にいまさら俺たちが参戦するよりも、グランフェルト伯爵領をラウラ姫が取り戻す方がリューブラント侯爵にとっては価値があるさ。国境を接しているカナン王国としてもグランフェルト領が落ち着くのは歓迎する」


 諸侯の嫌がらせがない限り問題は発生しない。

 懸念する嫌がらせも可能性が低い上、効果も低いとなればよほどの間抜けでもない限り大人しくしているはずだ。

 

「むしろ、俺たちが参戦しない方が手柄を立てるチャンスが巡ってくると喜ぶんじゃないか?」


 俺はそう言うとティナとアレクシスとの合流地点へ向けて足を速めた。

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