第270話 ベール城塞都市潜入、前日(2)

 テントの中ではルウェリン伯爵とゴート男爵が奥の椅子に座り、その二人と向かい合うように俺と聖女が入り口側の椅子に座っている。

 そして周りを囲うように七人の護衛兵が配置されていた。


 先ずはゴート男爵に挨拶をと訪問してみれば、それを聞きつけたルウェリン伯爵が自らゴート男爵のテントを訪れるという予想外のことが起きたためだ。


「なに、気にするな。必要ならどこへでも足を運ぶぞ、私は」


 などと当のルウェリン伯爵は軽い口調で言い放つ。随行していた護衛兵の苦笑いとゴート男爵は、やれやれといった雰囲気で頭を振っていた。その様子から察するによくあることのようだ。

 振り回されているんだろうな、護衛兵の皆さんは。


 まあ、自ら戦場を駆けまわる戦線指揮官、三十五歳の若い伯爵だ。戦乱の世の中と考えれば、それくらいの身軽さはあってもおかしくないのかも知れない。

 

 そんな圧迫感のあるテントの中で必要最低限と思われる報告だけをしていく。


「――――『金色の狼』が迫っているのであまり時間を掛けたくありません」


 カナン王国側が掴んでいなかったベルエルス王国軍、『金色の狼』率いる三万の軍勢について触れるとルウェリン伯爵とゴート男爵の顔色が変わった。

 リューブラント侯爵の比ではないくらいに嫌そうな顔をしている。


 二人が身を乗り出すようにして聞いてきた。


「アンセルム・ティルス将軍で間違いないのだなっ?」


「本当に『金色の狼』なのかっ?」


「はい、私が偵察中に直接見ております」


 聖女はそう切り出すと目撃した軍旗に剣を噛み砕く金色の狼が描かれていたことを伝えた。

 一瞬、渋面を作ったルウェリン伯爵が即答する。

 

「帰るか?」


「後は王弟殿下にお任せしましょう」


 続くゴート男爵が取りようによっては反逆罪に問われかねない発言をしていた。


「見ました? 今、腰を浮かせましたよ。席を立つつもりでしたよっ」


 俺は聖女の耳打ちを聞き流すと、内心の焦りを気取られないように穏やかな口調で二人に聞き返した。


「本気ではありませんよね?」


「半分以上は本気だ。まあ、リューブラント侯爵を焚きつけた義理もあるので軍は留めるが、『金色の狼』の立てこもるベール城塞都市を攻めるつもりはない」


 いや、『焚きつけた』って……『嵌めた』の間違いでしょう。それに正式に交わした同盟を義理とか……戦国の世の無常さを見た気がする。


「少々手柄を立てすぎて味方から恨まれているのが気になっていたが、ベール城塞都市に立てこもるアンセルム・ティルス将軍と戦うくらいなら、喜んで味方に恨まれようじゃないか」


 そう言い切るとゴート男爵は快活に笑い出した。

 戦国の世とはいえ酷い話だ。


 ルウェリン伯爵の命令でリューブラント侯爵に反乱と同盟を持ちかけた。だが、発案者であり実際に話を持ちかけたのは俺たちだ。ここで軍を引き返されたり参戦しなかったりしたら、俺たちの立場がなくなるな。

 リューブラント侯爵軍が負ければともかく、勝ちでもしたら後で何を言われるか分かったもんじゃない。


 仕方がない、少し情報を開示してその気になってもらおう。


「『金色の狼』とまともに戦うことは致しません、ご安心下さい。彼らには王都かベール城塞都市まで無駄足を踏んでもらいます――――」


 俺は眼前の二人に向けて自信満々で『金色の狼』へ仕掛けた小細工の幾つかを話し出した。


「――――今お話しさせて頂いた以外にも幾つもの次善の策を用意してあります」


「リューブラント侯爵もここが正念場のようだな」


「『金色の狼』には何度も手痛い目に遭わされているので協力したいところだが……恨みを晴らすよりも部下に手柄を立てさせる機会が欲しいものだ」


「話がかみ合っていませんね」


 ルウェリン伯爵もゴート男爵も表情の方は興味をしめしているが出てくる言葉は違う。

 聖女のつぶやきは無視してさらに続ける。


「もちろん、ベール城塞都市を短期間で落とす必要があります。その下準備として明日にもベール城塞都市へ潜入して調査をしてくるつもりです――――」


 その後、ベール城塞都市攻略の腹案とその確認のために潜入しての調査であることを説明し、最後に『金色の狼』への進軍遅延に話を戻す。

 

「一応、進軍の足を鈍らせる目的でチェックメイトの別動隊が動いています。国境を越えた辺りから大きな策を数度にわたって、小細工は至るところで仕掛ける予定です」


「君たちのことだ、何らかの成果をだすと期待はしている。ところで、『金色の狼』が率いているのは三万ほどか。一騎当千の君たちなら撃退できそうなものだが?」

 

 そう問いかけるルウェリン伯爵は最後に『難しいかね?』と口元を綻ばせる。

 まだ信用してないな。


 いや、楽しんでいるんじゃないのか? これ。

 これは、煽って働かせようって魂胆か? まあ、いい。ここは乗ろう。


 俺たちだけで三万の兵を撃退って期待し過ぎにもほどがある。そこら辺の間抜け相手ならやれそうな気もするが本物の知将相手に真っ向勝負なんて願い下げだ。


「さすがにそれは買い被りすぎです。それに『金色の狼』には王都まで来てもらいましょう。願わくは占領後のベール城塞都市まで来てもらいたいくらいです」


 俺の話にルウェリン伯爵が視線だけで先をうながす。小さくうなずき先を続ける。


「兵糧を消費してもらいます。兵士にも疲労してもらいます。出来れば兵士も削りたいところです」


 少しの間、ベルエルス王国には大人しくしておいてもらいたい。

 リューブラント王国の建国と体制強化を図る時間が欲しい。もっともドーラ公国がほどなくちょっかいを出してきそうだが。


「ベルエルスにはしばらく大人しくしてもらうということか」


 ルウェリン伯爵と続くゴート男爵の口元が綻ぶ。


「我々としてもベルエルスとドーラ公国の両国を相手取りたくはないので歓迎だ」


「『金色の狼』が逃げ帰ってくれるなら見逃してやろう。我々はリューブラント王国の領土を抜けてドーラ公国へ向かう」


 強気だな、ルウェリン伯爵。

 その後に続く伯爵の話では、国境を越える際の戦闘でほとんど被害を受けなかったこともあり、ドーラ公国への進軍が出来るように準備を進めているそうだ。

 手際の良いことに既に補給物資は手配済みらしい。


 当然といえば当然なのだが、リューブラント侯爵もルウェリン伯爵もしたたかだ。

 もっとも俺たちも独自でいろいろと計画を進めてはいる。


 ベルエルス王国と『金色の狼』に仕掛けた幾つかの嫌がらせについては、目の前の二人だけでなくリューブラント侯爵にも報せていない。

 アンセルム・ティルス公爵が帰国したら内戦なり公爵の更迭なりが起きてくれれば望外なのだが、さて。


 最後に、カズサ第三王女が俺たちチェックメイトの庇護下にあり、現在リューブラント陣営に滞在していることを告げる。

 二人ともこれには驚いたようで、何やら話したそうにしていたがそのまま退出させてもらった。


 ◇

 ◆

 ◇


 ノシュテット士爵のもとを退出してテリーのとこへ向かう途中、俺と聖女はそれに気付いた。

 ルウェリン伯爵のところへ向かうときにはなかったはずだ。


「なにをしているんだ? あいつは……」


「さあ。テリーさんの思考は分かり易いようで意外と斜め上を行きますからねー」


 テリーだよな。どう考えてもカズサ第三王女の仕業じゃないよなあ。

 俺と聖女の見上げる視線の先には一際高い位置でガザン王家の旗が翻っていた。穏やかな風に揺れるその旗を聖女が指差す。


「あれ、カズサ王女の名前が刺繍されていますね」

 

 よく見れば、ガザン王家の紋章を大きく斜めに切り裂くようにして『カズサ』と金糸で刺繍されている。

 あれ、刺繍だったのか。破けた旗を裁縫の下手な侍女あたりが修復したのかと思っていた。


「内情を知っていると何とも意味ありげな刺繍だな」


「デザインもテリーさんだと思いますか?」


 あんな挑発的なデザインするやつはテリーしか居ないだろう、あの面子なら。


「なあ、よく見たらガザン王家の紋章だけじゃなく『7』の数字が薄っすらと見えないか?」


「見えますね。『7』とガザン王家の紋章の二つを切り裂くように『カズサ』の文字が刺繍されていますよ」


 あの『7』は夭逝した第七王子だよな。過激な旗だなあ。


「テリーだな」


「テリーさんですね」


 俺たちはそうつぶやきながらテリーのテントへと入っていった。

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