第269話 ベール城塞都市潜入、前日(1)

 ワイバーンを駆って眼下に雲を望みながらグラム山脈を越えたところで、俺と聖女はワイバーンの高度を落とし厚い雲の中へと進入する。


 視界が悪い。身体強化で強化された視力とはいえ、それに頼って厚い雲の中を高速で飛行するのは厳しい。展開していた空間感知の範囲を拡大する。

 周囲に障害はない。斜め後方でワイバーンを操る聖女だけだ。


 厚い雲を抜けると視界に濃い緑が飛び込んでくる。大地を覆う森と平野、そして人の手により切り開かれた農地。わずかな平野に貼り付くように人の住む街が点在する。

 進路をベール城塞都市へ向けて修正し水平飛行へと移る。


 ◇

 

 見えたっ!

 周囲を天然の要害に守られ、都市自体も堅牢な防壁に囲われた巨大都市、ベール城塞都市。


 そのベール城塞都市から延びる三つの街道のうち二つを塞ぐようにして軍が配置されていた。

 ベール城塞都市の南の街道を封鎖するように配置されている軍はカナン王国軍。北西へと伸びる街道を背にしてベール城塞都市をにらんでいるのがリューブラント軍だ。


 リューブラント侯爵の軍は予定通りに到着している。あれ以降、手こずるような奇襲はなかったようだ。

 ルウェリン伯爵軍所属と思われるワイバーン部隊――竜騎士団がベール城塞都市にあるガザン王国軍を挑発するように周囲を飛び交っていた。


 俺と聖女はリューブラント侯爵軍とカナン王国軍へ対して、チェックメイトの帰還を知らしめるようにベール城塞都市の外周を大きく旋回する。

 両陣営の布陣を確認し終えた俺は聖女へと着陸の合図を出す。


 着陸目標はリューブラント侯爵軍にあるラウラ姫の陣だ。

 散々考えて挨拶をする順番を決めた。先ずは何をおいてもラウラ姫、次いでリューブラント侯爵だ。


 その後にカナン王国軍へと移動してゴート男爵のところへ赴く。さらにルウェリン伯爵に会ってノシュテット士爵だ。

 最後にテリーとカズサ第三王女のもとへ向かう。


 恐らくこれが最も波風を立てない順番だ。


 俺と聖女はラウラ姫のテントであることを示す、総大将の旗が掲げられたところから程近い空き地へと降り立った。

 リューブラント軍全体ならいざ知らず、リューブラント侯爵陣営とラウラ姫の陣営には、俺のワイバーンが着地するのをとがめだてする者は居ない。


 ◇

 ◆

 ◇


 俺と聖女は陣営への帰還を報告するためラウラ姫のテントを訪れたあと、リューブラント侯爵の陣幕へと向かっていた。


 先ほど挨拶をしたラウラ姫のテントからここまで、終始もの言いたげな表情をしていた聖女が、十分距離が離れたと思ったのか明後日の方を向いたまま切り出す。


「ラウラちゃんのところは随分とあっさりでしたね、ちょっと冷たすぎませんか?」


 去り際に悲しそうにしていたラウラ姫の顔が蘇る。


「戦争が終わればグランフェルト領の復興もあるし、ダンジョン攻略もある。何よりもベール城塞都市を攻略した後、俺たちは王都へ向かわずにラウラ姫を推したててグランフェルト奪回へ向かう。彼女とは後でいくらでも時間が取れる。今はベール城塞都市攻略を急ぎたい」


「うわー、事務的ですねー。ラウラちゃんはフジワラさんのことをあんなに心配していたのに。無事に再会できたことをあんなに喜んでいたのに」


 わざとらしく両手を胸の前で組んで頭を振っている。悲痛な表情まで浮かべている。

 俺と聖女の無事を涙して喜んでいた。そんな彼女の顔が追い打ちをかけるように脳裏を過ぎる。


「ラウラ姫に少し近づきすぎた。ラウラ姫を最優先とするのはよいとしてももう少しバランスを考えないと――」


「これでラウラちゃんが落ち込んだりしたら軍の士気ががた落ちでしょうね。ただでさえ、テリーさんがカズサ第三王女なんて爆弾を持ち込んでいるのに」


 バランスは確かに大切だが、決戦を目前に控えているんだし士気はもっと大切だよな。それにテリーか……バカなことをしていないと信じたいが……


「フジワラさんは知らないかもしれませんが、侍女たちも泣いていましたよ。必死に涙をえて笑顔をみせるラウラちゃんにたまり兼ねたのか、テントの裏手で抱き合うようにして泣き崩れていましたよ」


 聞こえてたよ。敢えて見なかったけどな。

 侍女劇団は健在だった。いや、隠れて泣き崩れる辺り芸が細かくなっていた気がする。わずか数日で随分と成長したものだ。


「明日の作戦前に顔をだすよ」


「気の毒ですよね、ラウラちゃん。涙ぐんでいたのは気のせいでしょうか? あと、去り際にセルマさんがちょっと睨んでいたのも気のせいだと思いたいですよねー」


 わざとらしくハンカチを目に当てるなよ。

 確かにちょっと涙ぐんでいた気もする。


「分かった。後でもう一度ラウラ姫のところへ顔を出す。時間も取るようにするよ」


 結局、浮かんでは消えるラウラ姫の幻影と聖女の言葉に負けた。


 ◇

 ◆

 ◇


「――――シドフの町をベルエス王国に対する橋頭堡きょうとうほとして利用するのであれば若干のてこ入れで何とかできます。取り込むとなるとさらに資金と時間、周辺の町まで含めた工作が必要となるでしょう」


 俺と聖女は対面に座った侯爵に向けてシドフでの出来事について報告をしていた。


 リューブラント侯爵の陣幕内、百名ほどが列席できる空間に今はリューブラント侯爵と俺、そして聖女の三人だけで同席者は居ない。

 報告する内容が内容だけに公にするのは憚られるとの判断からだ。


「あの辺りはランバールと違い取り込んでも統治が難しい。付近にダンジョンもあるしグラム山脈や周辺の森林など資源が豊富とはいえ、欲張るほどのものではない。橋頭堡きょうとうほとして利用するに留めよう」


 ロッシーニがバッサリと切り捨てられた瞬間だ。

 リューブラント侯爵の興味は『金色の狼』に向いていた。口元を緩めながら俺たちがばら撒いてきた『金色の狼』への嫌がらせに話を戻す。


「それにしても、ベルエルス王国と『金色の狼』に対して随分と面白そうなことをしたのだな」


「数こそ幾つも仕掛けてきましたが、どれも嫌がらせや小細工です。果たして効果があるか」


「『金色の狼』とて人間だ。嫌がらせが続けば腹も立つだろう。そう考えるだけで愉快になる」


 目の前でリューブラント侯爵が笑っている。込み上げてくる笑いというのはこういうのを指すんだろうな。

 聖女がそんなリューブラント侯爵を目の前にして半ば呆れたような口調でささやく。


「ラウラちゃんとは対照的で随分と楽しそうですね」


 罪悪感を煽るのはやめてくれ。

 

「物理的な足止め工作はボギー・ハッカイダとアリス・ホワイトを中心とした実行部隊が赴いています。とはいってもこちらも相対する訳ではなく、あれこれと工作を仕掛けて進軍速度を鈍らせる程度です。時間稼ぎの域はでません」


「分かっている。だが、そちらも早く報告を聞きたいものだ。いや、楽しみだ」


 リューブラント侯爵はそう言うと、「ハハハハ」と実に楽しそうに笑い出した。その様子から察するにボギーさんや白アリたちの講じる嫌がらせ……ではなく、足止め作戦への期待が非常に高いようだ。


 今回の戦争の肝はベール城塞都市を如何に短時間で攻略するかだ。もっと具体的に言えば『金色の狼』が到着する前にベール城塞都市を占拠できるかがポイントとなる。


 ここには三つの軍がある。ひとつはカナン王国軍。ひとつはガザン王国軍。ひとつはリューブラント侯爵軍。

 このうち命運が掛かっているのはガザン王国軍とリューブラント侯爵軍だ。カナン王国軍はここで敗退しても戦争としては勝利している。ここで無理をする必要はない。


 ガザン王国軍とリューブラント侯爵軍、敗戦は即滅亡だ。

 俺の目の前で楽しそうに笑うリューブラント侯爵は、とても命運の掛かった勢力のトップとは思えない。



 ガザン王国軍とリューブラント侯爵軍がそれぞれの命運をかけて決戦の地『ベール城塞都市』で対峙する。

 ベール城塞都市。そこは歴史を振り返っても陥落したことのない鉄壁の砦。

 立てこもるはガザン王国の最精鋭軍。

 対峙するは反旗を翻した、かつての『王の剣』名将リューブラント侯爵率いる反乱軍。

 追い込まれたガザン王の起死回生の一手。

 当代随一の知将、『金色の狼』アンセルム・ティルス将軍が迫る。

 間に合えばガザン王国軍の勝利。間に合わなければ反乱軍の勝利。



 後の世に映画にでもなればそんなナレーションが聞こえてきそうな、そんな場面で楽しそうに笑っていられるのはある意味大物なのかもしれない。


「ところで、『ベール城塞都市潜入』の許可を頂きたいのですけれど、よろしいでしょうか」


「おお、そうだったな。存分にやってくれっ! 期待している」


 いえ、ただの潜入調査の予定です。あらぬ方向への期待はやめてください。高らかに笑うリューブラント侯爵に向かって内心でそうつぶやいた。

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