第267話 シドフ、潜入(10)

 結果から言えば、ロッシーニに現場指揮を任せたのは正解だった。

 単純に増員されたこともあるだろうが、ロッシーニを現場指揮に据えて以降、全体の動きが良くなり報告が密になった。


 グロッソ一味が自分たちよりも格下の組織であるロッシーニたちの指揮下に入ることで、何らかのトラブルが発生することを懸念していたが、特に問題もなく俺たちの依頼をこなしてくれた。


「風光のキツネ様、住民の避難、滞りなく完了致しました」


 ロッシーニがそう報告してきたのはつい三十分ほど前のこと。

 その言葉通りに乳飲み子から老人、重傷者や重病患者までもが、スラム街の一画に急遽用意したこの広場に集められていた。


 火魔法で焼き払い、風魔法で残骸を吹き飛ばして造った広場というのもあったのだろう。

 避難させられてきた人たちも避難させたチンピラたちも最初は驚いていた。


 この広場がどうやって造られたものなのか想像できない者たちは、その光景に驚き焼けた臭いに顔をしかめた。

 尋常ならざる火魔法と風魔法によりこの広場が造られたと想像できる者たちは、その光景に戦慄し恐怖を抱いたようだ。


 少なくともここへ連れてこられた当初は不安と恐怖で半ばパニック状態の者も少なくなかった。

 だが、今は違う。この急造の広場は混乱もなく落ち着いている。


 俺と聖女による光魔法を使っての重傷者や重病人の治療。

 そして、救出した住民と娼婦たちに頼んだ炊き出しにより空腹が満たされたことで、少なくとも表面上は落ち着きを取り戻していた。 


 集まってきたのはスラムの住民だけではなかった。

 一般の居住区との境に広場を用意したこともあって、一般の住民たちが続々と集まってきていた。その表情とささやき合う声から、皆が何事かと警戒しているのが分かる。


 部下から耳打ちするように報告を受けたロッシーニが、集まってきた町の住民たちに一瞬視線を走らせ、そのまま俺の方へ歩いてきた。


「スラムの住民以外もかなり集まっています。住民に交じって、少数ですが騎士団の姿も確認できました。騎士団も数が集まればこちらへ来ると思われます」


「そうだな、そろそろ始めるか」


 騎士団の介入を警戒するロッシーニに鷹揚にうなずくと、全身から魔力を放出させた。

 そして視覚効果を加える。光魔法で身体をわずかに発光させ、俺を取り巻くように風を起こし、ダイヤモンドダストを散らす。さらに無数の小さな炎とスパークする雷を断続的に発生させる。


 傍らにいたロッシーニだけでなく、遠巻きにしていたチンピラや住民たちが後退る。

 この場に居る者たちの視線が俺に注がれている。


 周囲の者たちが十分な距離を取ったことを確認した俺は、大量の魔力を注ぎ込んで火魔法を発動させた。

 イメージは地獄の業火を連想させるような灼熱の炎でできた長大な炎の壁。スラム街で最も高い建物を呑み込んで余りあるほどの高さに燃え上がらせる。


 炎の壁だ! 紅蓮の炎が発生する。

 燃え上がる炎の高さはおよそ三十メートル! 厚さこそ数メートルだが、その幅はスラム街の端から端までを横断する。


 俺に注がれていた視線が、一瞬にして炎の壁へと移ったっ。

 その場に居た者たちには瞬時に視界が炎に覆われ、まるで世界が炎に包まれたような錯覚を起こしたことだろう。


 幾つもの小さな悲鳴と息を飲む声とが聞こえたが、幸いなことに騒ぎ出したりパニックに陥ったりする者は居なかった。

 魔法障壁と重力障壁、風による障壁を張り巡らせているので炎の熱と強すぎる光が周囲に伝わる事はない。彼らには眼前の業火がどこか別世界の出来事のように感じたのかもしれない。


 魔力により作り出された炎の壁。スラム街の端から端まで届くような長大なそれは、さらに魔力を注ぎ込むことで白い光――本来なら直視できないような輝きへと姿を変える。

 摂氏二千度。地球であればほとんどの物質の融点を上回る温度だ。


 その高温の輝きは俺の意思を受けてゆっくりと縦断しながらスラム街を呑み込んでいく。

 光は石造りの屋敷も木造の家も等しく瓦礫へと変えていった。


 ◇


 スラムを焼き尽くし終えて振り向くと立っている者は数えるほどしか居なかった。避難民、住民、娼婦、チンピラ、騎士団の別なく大勢の人々が無言で涙を流していた。ロッシーニもその一人だ。

 それはまるで、心打たれる光景に感動し、無言で涙する人々のようにも見えた。


 まあ、実際のところは自分たちの常識の範囲を大きく逸脱した魔術を見て、混乱し放心をしているのだろう。


 そんな、見ようによっては感動が漂う空間に聖女が戻ってきた。

 彼女は空間転移で建物の陰に戻ると、そこから飛び出してこちらへと駆けてくる。

 

「キツネさん、スラム街の方は全員避難していました。人的被害はゼロです」


「ありがとう。こっちも粗方終わった」


 聖女には念のため避難しそこなった人が居たときのフォローに回ってもらったのだが、取り越し苦労だったようだ。


「それにしても、わずかな時間差で冷却までするなんて相変わらず器用ですよねー」


「日頃から複合魔法を使っているせいか、すんなりとできた。それよりも、ロッシーニの部下たちに指示を出して、皆がパニックにならないよう配慮してくれ」


「難しいことを、さらっと言いますね」


 俺は聖女を連れ立って無言で涙を流しているロッシーニへ向かって歩き出した。


「巻き上げたグロッソたちの財産はさらわれてきた人たちと娼婦たちに分配を頼む。町の復興資金その他はこれからロッシーニたちと話をする」


「代官相手にもうひと暴れするんですね」


「いや、暴れるまでもないだろう。駆けつけてきた騎士団も戦意を喪失しているようだ」


 俺の言葉に聖女が住民の陰に隠れてこちらをうかがっている騎士団を見て、酷薄な笑みを浮かべる。


「あいつら苛めてもいいですか?」


 視線を獲物じゃなかった、視線を騎士団に固定した聖女に『ほどほどにな』、と声だけ掛けてロッシーニへと向き直る。


「ロッシーニ、今後のことについて話をしたい」


 ◇

 ◆

 ◇


 避難させてきた人たちを集めた広場の一角にテーブルと椅子を用意して、そこで俺とロッシーニは会話を続けている。

 幸い、風も無く、広げた書類が散らばるようなことはなかった。


「――――ここまでは問題ないな?」


 俺はロッシーニの目の前で代官と騎士団の汚職の証拠を一つ一つ説明し、説明を終えた証拠書類をテーブルの上に積み上げていく。


 やはり視覚効果は抜群だ。

 ロッシーニは積み上げられていく書類の山が高くなるに従い、その目に生気を取り戻していく。先程までの惚けていた男はもう居ない。俺の目の前に居るのは若き野心家だ。


 そしてその野心家は探るように俺へ問い掛けてきた。


「これは……代官だけではなく騎士団もろとも壊滅させてしまうと、後々の治安維持に問題が発生致します」


「もう、答えは出ているんだろう? それとも、本当に分からないか?」


「いえ、私ごときの考えや判断は風光のキツネ様の――」


 ロッシーニの言葉を遮るようにして話す。


「構わない。俺と猫はまもなくここを去る。残された者たちが中心とならなければダメだ。お前の考えを聞かせろ。不足ならアドバイスくらいはしてやる」


 ロッシーニは俺の言葉に目を輝かせて話し出した。


「治安維持は探索者ギルドと共同、或いは探索者ギルドを中心に我々が協力する形で行うのが良いかと」


「ロッシーニ、お前たちから探索者ギルドに依頼の形をとって治安維持をさせろ」


「申し訳ございませんが、それでは資金が直ぐに底をつきます」


「資金はこれを使え」


 俺はそう言って、代官と騎士団の主立った者たちの資産状況を記した用紙を渡すと、ロッシーニは恐る恐ると言った感じで書類を手に取り中を確認しだした。

 食い入るように書類を見つめるロッシーニに向けてさらに話を続ける。


「今、猫がお前の部下を率いて代官とそこに名を連ねた騎士団員たちを拘束に向かっている。もちろん、財産の差し押さえも同時に行う」


 そこまで言って一旦言葉を切ると、今度は別の書類の束を彼の前に積み上げた。

 ロッシーニは今見ている書類から新たに積み上げられてた書類の束へと視線を移す。その目は未知の書類への期待で怪しく輝いている。俺は無言で書類の束を見つめる彼に向けて続ける。


「それは不幸にも消失してしまったスラム街を中心とした、シドフの町全体の復興計画書だ。スラムを焼け出されたり職を失ったりした者たちを中心に、復興に関連した職を斡旋できるよう、幾つか書き出してある」


 復興計画書を見るロッシーニの手が震えている。手の震えをそのままにすがるような目を俺に向けてくる。そんな彼に向けて言い切る。


「復興計画を大々的に打ち上げろっ! そしてそこに仕事があることを知らしめろ! これまでのイメージを払拭しろ! 代官と騎士団の汚職を暴いて不正をただし、町と住民の未来を示せば人の見る目も変わる」


 俺はロッシーニに新たな町の支配者となるよう示した。

 そしてそれは伝わった。


 熱に浮かされたような目をしている。

 ロッシーニの目は俺に向けられているが見ているのは突然眼前に広がった未来だろう。


「キツネ様っ! ご期待に応えてみせます」


 そう言うロッシーニは込み上げてくる感情を抑えるのに精一杯に見えた。


 希望の目を向けたのは彼だけではなかった。

 会話の要所要所を周囲に居る避難させてきた人たちや町の住民にも聞こえるように風の魔法で拡散させていたこともあって、水面に波紋が広がるようにざわめきとなって人々の間に広がっていった。

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