第266話 シドフ、潜入(9)

 あの後、屋敷から飛び出してきた短慮な連中を何人か焼き払い、威嚇も兼ねて屋敷も半焼させることになったが、何とかグロッソ一味から協力を取り付けることができた。

 そして、動けるものは俺の依頼でスラム街へと散っている。今頃はスラム街を駆けずり回っているはずだ。


 今この屋敷に残っているのは動けないほどの重傷者と救出した人たち――若い女性と子どもたちだけだ。

 そのためか、うめき声とすすり泣く声が絶えない。


 俺が依頼を出してから小一時間。

 早い連中はそろそろ成果報告があってもおかしくないと思っていたが、当初予想していた以上に手間取っているようだ。全て終わるのに三時間ほどと考えていたが修正する必要がありそうだな。


 扉付近に伝令役として控えさせている娼館の支配人だった男に、聖女をこの部屋――グロッソの執務室へ呼んでくるように頼んだ。


「ルジェーロ、猫を呼んできてくれ。居間に居るはずだ」


「承知致しましたっ!」


 まるで逃げ出すように執務室から飛び出していったルジェーロから視線を再び正面へと戻す。

 目の前で長椅子に横たわっているグロッソ氏へと語りかけた。


「遅いな。まさかとは思うが、お前たちを見捨てて逃げた。とかではないだろうな?」


 右半身を焼かれたグロッソ氏が苦しそうな表情をこちらへ向ける。熱気で喉を焼かれて上手くしゃべれないためか、涙を浮かべてクビを振るだけだ。

 俺はグロッソ氏の隣のソファーに腰かけて、自身の両足を見つめて涙している男へと視線を移す。


「レンティーニ、どう思う? ボスは部下を信じているようだが?」


 俺の問い掛けにレンティー二、この組織のナンバー2が弾かれたように顔を上げた。

 彼は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げると、自身の両足がじっくりとローストされていたときのことを思い出したのか、恐怖と苦痛に顔を引きつらせながら即答する。


「し、信じてますっ! 皆、わ、分かったはずです。旦那方に、さ、逆らったらダメだって……」


 トントン

 

 軽やかに扉をノックする音に続いて聖女の声と扉が開く音が重なる。

 

「キツネさん、用事って何ですか?」


「早かったな」


「実は私も用事があってここへ向かっていたんですよ」


「俺の方は予定時間を延長する必要があるからその辺の刷り合わせをしようとしただけだ」


 そっちは? と促すと。


「お客さんが来ています。ロッシーニさん、ご本人です。今、門のところで待たせていますけど、どうします?」


 ロッシーニ?

 ああ、スラム街の対立組織か。確か新興の勢力だったな。


「分かった。そのままでいい。門のところで会おう」


 俺は聖女と一緒に対立組織のボスと会うため、執務室を後にした。


 ◇


 一階へと続く階段を下りるとうめき声とすすり泣く声が次第に大きくなる。


「助けた人たちの様子はどうだ?」


「皆さん、温かい食事を摂ったあとは居間で寛いでもらっています。今回さらわれてきた人たちは落ち着きを取り戻していますが、娼婦の皆さんは今後の生活も含めて不安そうにしていましたよ」


 まあ、そうだろうな。助け出されたところで今後の生活の保障なければ頼る先もない女性たちがほとんどだ。

 このまま放り出すわけにもいかないか。


「グロッソの組織から巻き上げる財産を娼婦たちに分配しよう。さっきグロッソとレンティー二から聞き出した資産なら、恐らく一年は暮らせるだけの資金を全員に渡せるはずだ。念のため、やつらが忘れている資産がないかも聞き出してくれ」


「分かりましたっ! ばっちり聞き出しますよー」


 急に声が弾みだした。横目に見ると幸せそうな笑顔を見せている。

 その笑顔から連想したことを無理やり意識から追い出して、本来の目的である来客について彼女に尋ねた。


「ところで、ロッシーニの用件は聞いたのか?」


「ええ、私たちに協力したいそうです」


 協力ねー。

 このタイミングで申し出てくる辺り、無能という訳ではなさそうだ。本人が直々に出向いてくるのも評価できるが、さて。


「ロッシーニ本人は腰も低く紳士的でした。感心したのは、グロッソ一味に出した指示を全て把握していたことですね。その上でさらに何かあると踏んで、私に探りを入れてきましたよ」


 そう言う聖女は悪女のような妖しげな笑みを湛えていた。

 なるほど。利用できそうな男という事か。


 しかし、こういう妖しげな笑みが似合うよなあ。

 いや、転移前はあのひいらぎちゃんの外見で中身がこんなだった、と考えるとちょっと恐いものがあるな。

 

 そんなことを考えながら俺は聖女と一緒に屋敷の扉を潜った。


 扉を開けると門の外に居た男たちがこちらに気付いたようで、七人の男の視線が一斉に俺たちに向けられた。

 二人はこちらが用意した門番。グロッソ一味のチンピラだ。


 護衛役四人を引き連れての訪問か。

 俺が四人を観察していると隣を歩いていた聖女がささやく。


「あの左端にいる長身の青年がロッシーニです」


 若いな。どう見ても二十代前半だ。外見は聖女好みのどこか冷たさを備えた、金髪に緑色の瞳をした美形だ。

 この若さでのし上がったのか。


 軽装の革鎧とレガースにガントレット、腰には長剣を差している。この異世界の一般的な探索者の装備と変わらない。ただ、装備品の一つ一つは上等な部類だ。

 周囲を固める護衛のうち二名は比較的重装備の上、大型の盾を背負っている。残り二名はロッシーニ同様に軽装だ。特筆すべきはロッシーニを含めて全員が何らかの属性魔法を所持している。


「わざわざ訪ねてきてくれたそうだが、グロッソでなく相手は俺でよかったのかな?」


 確認もそこそこに右手を差し出すと、ロッシーニは護衛の四人をその場に控えさせたまま、迷うことなく俺の右手を取った。


「初めまして、ロッシーニと申します。噂を聞いて是非ともご協力をさせて頂こうと思い、参上致しました」


「俺は風と光の魔術師、『風光のキツネ』だ。そしてこっちが相棒の『黒いドロボウ猫』」


「誰がドロボウ猫ですかっ! それに黒って何ですかっ! 白ですよ、ほらっ、白猫っ」


 俺は白猫の仮面を被った聖女の抗議の声を適当に聞き流してロッシーニとの会話を進める。


 ロッシーニが不思議そうに俺と半焼した屋敷を交互に見ている。


「『風光のキツネ』さん、ですか?」


「どうした?」


「いえ、どうやったらあんな風に燃やせるのかと不思議に思いまして」


 ロッシーニの言葉に、半焼した屋敷を一瞥すると苦笑交じりに答える。


「ああ、あれか。風魔法と光魔法を使ってな。詳しいことは秘密だ」


「そうですか。ではこれ以上は聞きません」


 明らかに疑っている目だ。無理もないか。


 ロッシーニは特に表情の変化は無かったが護衛の四人は違った。いまさら驚愕の表情を浮かべるようなことは無かったが、終始表情は硬かった。

 半焼した屋敷から、こちらが桁外れの火力を持った魔術師であることを理解しているようだ。


「ところで、協力と言っていたがどんな協力をしてくれるんだ?」


「話し合いはここで?」


「ああ、本来ならお茶でも出して話し合いをしたいところだが、なにぶん、ひと様の屋敷なんでな」


「承知致しました」


 軽く会釈をしながらそう言うと、ロッシーニは俺に視線を固定して話し出した。


「実は、グロッソさんのところの若いのが血相を変えて私どもの店に駆け込んできまして――――」


 グロッソ一味を瞬く間に配下に治めたこと。

 やったのはこれまで見たこともないような強力な二人の魔術師であること。

 今回の騒動に乗じて町からさらってきた人を保護しようとしていること。

 さらにスラム街の住民全てを一時的に避難させようとしていること。


「――――そして、グロッソさんの屋敷を占拠しただけでなく、配下の者たちを使って何かをしようとしている方がどのような人物なのかを見極めに参りました」


 ロッシーニは穏やかな笑みを浮かべると悪びれる様子もなく言い切った。


 度胸もあるし頭も切れる。これなら利用するに足るか。

 俺がそんなことを考えているとロッシーニがさらに続ける。


「私の縄張りにおりました、さらわれてきた人たちは探し出してお連れしました。もちろん、娼館も今日限り閉鎖するつもりで、従業員も連れてきております」


 ロッシーニはそう言うと、曲がり角に控えていた男に合図を送った。

 

 やるじゃないか。俺は思わず傍らに居る聖女と顔を見合わせた。

 聖女の口元が綻んでいる。いや、自分の口元も綻んでいるのが分かる。単に利用するだけではもったいないような男が現れた。


 再び曲がり角へと視線を向けると大型の馬車が五台、連なるようにして出てきた。


 俺は改めてロッシーニに向き直る。


「お前たちの掴んだ情報に抜けがあるので補足する。スラム街の住人はスラムの外れにある広場に――全て一ヵ所に集めろ。スラムに残っているやつらの命は保証しない。その場合、連れてくる事が出来なかったお前たちも命はないと思え」


「承知致しました」


「組織の人数をどれだけ割ける?」


「全て動員可能です」


「ロッシーニッ。お前に現場の指揮を任せるっ! 今、スラムに散っているグロッソの組織の者を使って俺の指示を履行しろ!」


 俺の言葉に小さな声で「ご期待に応えてみせます」と発しながら深々と頭を下げた。

 俺からは見えないと思ったのか、計算通りに事が運んで気を緩めたのか。俺は視覚を飛ばすことでロッシーニが下げた頭の下で、したり顔をするのをはっきりと見ることができた。

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