第265話 シドフ、潜入(8)

 三階、四階を『でん部短槍男』を案内人にしてものの五分ほどで説得し終えた。

 その後、さらわれてきた女性と従業員の女性たちを引き連れて二階から一階へと続く階段へと差し掛かったところで聖女と目が合った。


「キツネさん、大体の情報は取れました」


「ありがとう。こっちも『でん部短槍男』さんがいろいろと教えてくれた」


 俺と聖女のやり取りを聞いた、さらわれた女性たちから「クスッ」と笑い声が聞こえ、俺の隣を歩いていた『でん部短槍男』が顔をしかめる。

 さらわれた女性たちは未だに恐怖と不安は拭いきれていない。いや、それ以上に自分たちの今の状況が呑み込めずに混乱している者の方が多かった。だが、それでも半数ほどは軟禁状態から解放されたことで幾分か落ち着きを取り戻していた。


「情報の刷り合わせをしたいな。それと、ソファーで休んでいる皆さんは俺たちに協力してくるのかな?」


「ええ、皆さん快く協力をしてくださるそうです」


 穏やかな笑みでそう切り出すと、聖女が一階のチンピラたちから集めた情報について階段を下りている最中の俺に説明してくれた。そして、俺自身が『でん部短槍男』と女性たちから入手した情報とを合わせる。


 このスラム街には三つの勢力があるが、最大勢力がこの娼館を経営しているグロッソ。そして違法奴隷の調達や売買の元締めもグロッソだ。

 今回の魔物の襲撃に便乗して町の住人をさらったのは主にグロッソの一味で、他の組織は出遅れたのと住民の抵抗が激しい地域に近かったため、さらったとしても少数だろうとのこと。


 何れにしても今回さらった女性や子どもは必ずグロッソのところに集まる。

 彼に隠れて違法奴隷や不法な人身売買を行う命知らずはこのスラム街には居ないそうだ。


 使い勝手が良さそうな男だな、グロッソさん。問題は仲間になってくれるかだ。


「じゃあ、これからグロッソさんに会いに行こうか」


 俺は隣で萎縮している『でん部短槍男』の背中を元気付けるように勢い良く叩いた。


 ◇

 ◆

 ◇


 娼館を出て道路を挟んだ真正面、白い石壁造りの洋館風の館がグロッソの屋敷だ。

 俺たちは娼館を出てグロッソの屋敷へと向かっている。娼館の扉からグロッソの屋敷の門まで距離にして五メートル。玄関までだと十五メートルほどか。


「随分と広い敷地だな。他にどんな商売をしているんだ?」


 俺は隣を歩く『でん部短槍男』に視線を向けることなく真直ぐに門の付近を見ながら聞いた。

 門も広い。幅四メートルくらいはありそうだ。


「大勢の奴隷にいろんな商売をさせてます。その、詳しいことは私も知らないんですよ」


 相変わらず狡賢ずるがしこそうな目をしている。面従腹背ってところか。


「さすがに目立ちますね」


 聖女が足を止めてこちらを見ているスラム街の住民たち見て苦笑する。


 本来、気にするべきは道行く住民ではなく目の前――グロッソの屋敷の周辺に集まりだした武装集団なのだろうが、聖女を見る限り意に介していない。


 仕方がない、この辺りの気配りは俺がするか。

 俺は足を止めて後ろを振り返ると、顔を蒼ざめさせて立ち止まっている救出したばかりの女性たち――さらわれてきた女性十五人と娼婦三十二人に声を掛けた。


「皆さん、大丈夫ですから。安心して付いてきてください」


 これから向かう先にいる武装集団の恐ろしさを知っているのか想像だけなのかは知らないが、娼館を制圧した程度ではなかなか信用してもらえないようだ。


 俺の心のうちを見透かしたかのような聖女の涼やかな声が響く。


「門のところに集まっている人たちを派手な攻撃魔法で一掃しちゃいましょうか?」


「そうだな、門の付近に集まっている連中だけで屋敷まで巻き込まないならいいか」


「え? 旦那方は光魔法以外も使えるんで?」


 俺と聖女のやり取りに隣を歩いていた『でん部短槍男』が驚きの声を上げた。


 彼だけじゃあない、一緒についてきた女性とチンピラたちの表情も変わる。誰もが驚きを隠せずに居た。特にチンピラたちの驚き方が凄い。こいつ等、グロッソの屋敷に攻撃をしかけた俺たちが返り討ちに遭うとか考えていたんじゃないだろうな。


「先ほど光魔法で治療をして頂きましたが、剣術を修めていらっしゃるものだとばかり思ってました」

 

 そう言う『でん部短槍男』の顔に流れる汗の量が増している。

 どうやら返り討ちの可能性を考えていたようだ。そんな彼に向けて軽い口調で返す。


「まあ、なんだ。少しは剣が使えないと格好悪いだろう」


 嘘だ。日々鍛錬は積んでいる。

 だいたい、身体強化や付与魔法を使っていたとはいえ、ダンジョンの主であるミノタウロスとクロスレンジでやり合ったんだ、そこら辺の剣術使いにおくれを取るとは思えない。


「キツネさん、何だか大物ぶったいけ好かないチンピラが三人、こちらへ歩いてきますよ」


 聖女の言葉に視線を前方へと向けると抜き身の剣を持った男が二人と槍を持った男が一人、チンピラたちが三人を避けるようにして作った道を余裕の顔つきで歩いていた。


「あの三人は知っているか?」


「はい。グロッソさんのところの戦闘要員です。腕利きです」


 緊張した口調でそう解説した『でん部短槍男』の言葉通り、三人とも剣術なり槍術なりを高いレベルで修得していた。魔法スキルのレベルこそ大したことはないが、身体強化のスキルは高い。魔法障壁を展開していないのは魔力に不安があるのかこちらを舐めているのか。


「キツネさん、キツネさん。先制して私たちの魔法が如何に強力かを見せ付けましょうよ」


 攻撃魔法を使いたくてウズウズしているのがよく伝わってくる。


「俺があの三人の相手をする。猫はその間に忍び込んでさらわれた人たちの解放と交渉相手の確保を頼む」


「分かりました」


 俺の提案に聖女が若干不満気な視線を向けるが、承諾すると女の子たちに紛れるように後ろに下がった。直ぐに女の子たちを誘導する聖女の声が耳に届く。


「皆さん、危ないですから一旦娼館の前までさがりましょうか」


 聖女の言葉に従って俺と隣の『でん部短槍男』をのぞいた人たちが一斉に下がっていった。


 ◇


 グロッソの屋敷の門を挟んで俺と『でん部短槍男』が腕利き三人と対峙した。距離は四メートル余り。

 三人の中央に位置する長剣を携えた男があからさまに俺のことを無視して『でん部短槍男』へ質問を投げ掛けた。


「ルジェーロ、これはどういう事だ?」


「すみませんっ! こちらの旦那が娼館を襲撃して……その、今では娼館は旦那が所有をされていまして……」


 ルジェーロと呼ばれた『でん部短槍男』がよく分からない弁明をする。板ばさみ感が悲哀を醸し出していてなかなか良い感じだ。


「ああー? 店はお前が任されていたんだろうがっ!」


 槍を肩に担いだ男の怒声にルジェーロが「ヒッ」と小さな悲鳴を上げて首をすくめた。


 俺は抜き身の長剣を左右に携えてルジェーロを庇うように一歩前に出る。


「あんまりルジェーロを苛めないでくれるかな。ついさっき俺の味方をするって涙ながらに約束をしてくれたんだ。話があるなら代わりに俺が聞いてやらないでもないぜ」


「誰だお前?」


「見て分からないのか? キツネだよ。風と光の魔術師、『風光ふうこうのキツネ』って言えばガザンじゃ少しは知られているんだけどな。第五王子の懐刀としてな」


「『風光のキツネ』だあ?」


 記憶でも手繰っているのだろうか、俺の適当な名乗りに目の前に居る三人が怪訝な表情でこちらを見ている。


 風魔法を使って声を拡散させただけのことはある。助けた女性たちやグロッソの屋敷の庭に散っている敵だけでなく遠巻きにしているスラム街の住人たちまで、あちらこちらで『風光のキツネ』の二つ名をつぶやく声が聞こえてきた。


 そんな彼らを代表するように俺の後ろでルジェーロがつぶやく。


「旦那、凄い方だったんですね」

 

 ところが、簡単に信じない者たちもいる。目の前の三人だ。このやり取りの間に両脇の二人が俺の左右に回りこむようにしてゆっくりと動いている。


 だが、このくだらないやり取りの時間の有効活用でいえば俺たちの方が一枚上手だ。

 屋敷内に転移した聖女が既に四階部分を制圧し終えるところだ。ショートレンジの空間転移を始め、魔術をフル活用しているとはいえ見事な手際だ。


「知らねぇな。適当なこと言ってんじゃねぇぞ」


 鋭い、正解だ。


「適当かどうか試してみるか? なに、命までは取らないから安心して掛かって――」


「終わりだっ!」


 俺のセリフが終わる前に中央の男が仕掛けてきた。

 風の刃、魔力の消費量に比べて威力は小さいが不可視の攻撃魔法だ。不可視の刃の後ろから中央の男が切りかかってくる。わずかに時間差をつけて左右に回り込んだ男たちも切り込む。


 不可視の攻撃を先行させて本命が時間差での斬撃。先ほどの火魔法を併用して攻撃した男といい単体での対人戦になれているな。

 だが、無意味だ。

 空間感知を展開している俺には風の刃の軌道が手に取るように分かる。牽制にもならない。


 右側から槍で突きを入れてくる男に向けて着弾と同時にナパームのように燃え広がる火球を放つ。左側で剣を振りかざして迫る男にへ炎をまとわせた長剣を、重力魔法を利用して高速で投擲。

 正面の風の刃を風魔法で霧散させ、振り下ろしの斬撃を長剣で受け止める。


 キーンッ!


 甲高い音を響かせて切り結ぶ剣の向こうに混乱を隠せずにいる男の顔がある。自分の放った風の刃が功を奏さなかったからか、俺が火魔法を使ったからか。

 いずれにしても混乱していても攻撃の手を緩めないのはさすがだ。


 剣を押し合うようにして男が俺の右側へ回り込むように飛び退る。左側の剣を持った男と俺を挟撃する位置取りだ。自分が牽制となり背後から一撃を浴びせるつもりか。

 炎に包まれて悲鳴を上げている俺の右側へと回り込んだ槍男を早速戦力外と判断したようだ。


 俺は剣から熱気が感じられるほどに加熱させて正面の男と再び切り結ぶ。剣の熱気に男も気付いたのか恐怖に顔が歪む。

 男が怯んだ隙に俺は斬撃を繰り出す。


 右からの振り下ろし。返しでの切り上げ。再び真上からの振り下ろし! 二合三合と切り結ぶ間に正面の男の狙い通り、背後から俺の背中に向けて振り下ろしの斬撃が繰り出される。

 タイミングを合わせてサイドステップで右側へと大きくかわす。


 ギィーン!

 

 正面の男と背後から切りかかった男の剣とが打ち合わさる。

 残念。相打ちにはならなかったか。


 焦りの表情から一転。怒り心頭といった様子で二人の男が振り返る。そこには先ほどまでの余裕は感じられない。

 そして、この間にも聖女は四階に続いて三階も順調に制圧を進めている。


「さあ、終わりにしようか」


 俺の言葉に二人は無言で動く。今度は俺の左右四十五度ほどの角度にそれぞれ位置した。先ほどの相打ち未遂で懲りたのか俺を挟んで直線上に位置するのを避けたようだ。

 次の瞬間、背後から切りかかってきた男が砂を生成、正面に居た男が突風を発生させ、さらに風の刃を放つ。それと同時に二人とも真直ぐにこちらへと迫る。


 敵が発生させた突風を凌駕する突風をぶつけて砂嵐を二人へ向かうように方向を修正する。飛来する風の刃をかわすように背後から切り掛かってきた男へ向けて踏み出す。

 視覚を奪われた男に肉薄するとそのまま過熱した剣で男の左肩から真直ぐに切り下ろす。


 目に涙を浮かべながらこちらへと切っ先を向けている残った一人へと向き直る。

 この状況で戦意を失わずにいるのは大したものだ。


 だが、終わりだ。

 俺は残った一人に向けて火炎系火魔法を放つ。次の瞬間、男は炎に包まれた。


「うわっ、うわーっ!」


 俺は炎に包まれながら苦しそうに悲鳴を上げる男の横を通って門を抜けた。

 

 眼前には茫然としたチンピラたちが居るだけだ。俺に攻撃を仕掛けるものはおろか、行動をとがめる者もいない。

 そんな戦意を喪失した彼らに向けて声を拡散させる。


「俺たちに協力するものはこの場にうつ伏せになれっ! 立っている者は焼き殺す!」


 俺の言葉が終わるや否や我先にと地に伏した。無関係の野次馬たちまで。

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