第264話 シドフ、潜入(7)

 俺は普段あまり使わない長剣を横なぎに一閃させる。

 目の前に居た男の頭部がゴミの散らばったままの薄汚いスラムの路上に転がる。少し遅れて大量の血を噴き出しながら頭部を失った身体が、二体の死体に覆い被さるように崩れ落ちた。


 俺と聖女はあの後直ぐに、オークを撃退した場所から最も近いスラム街へと移動したのだが、三分と待たずに刃物をチラつかせた協力者が取り囲んでくれた。さすがスラム、迅速な対応だ。

 いや、正確には協力してもらうべく交渉をしている。


 俺は口から上が隠れるようなキツネのマスクを被ったままで語りかけた。


「もう一度言う、この場で殺されるか俺たちに協力するかだ。選べ」


 地面に転がる先ほどまで自分たちの仲間だった複数の死体を見つめる者、抜き身の長剣を携えた俺を見つめる者。先ほどまで残虐な光を宿していた目は恐怖が色濃く浮かんでいる。


 そのうちの一人が矜持を保とうとしたのか、後退りながらもこの場の雰囲気に抗うように言葉を発した。


「こ、こんなことをしてた、た、ただで済むと思って――」


 俺は長剣を一閃させて時間の無駄になりそうな男の言葉を中断させた。目の前の生き残りはあと三人。


「協力してもらう相手は別にお前たちでなくとも構わないんだ。どうする?」


「き、協力させて頂きます。どうか命だけは――」


 交渉成立だ。


 地面に座り込んで怯えている三人の男たちに向けて猫のマスクを被った聖女がわずかに覗く口元に慈愛の笑みを浮かべて語りかけた。 


「オーク襲撃のドサクサに紛れて女性や子どもをさらった方がいらっしゃいますよね? そちらへの案内、よろしくお願いします」


 ◇

 ◆

 ◇


「ここです」


 男たちに案内されたのは徒歩二分ほどのところにある大きな建物だった。建屋内を空間感知でサーチしてみると確かに若い女性で溢れかえっている。


「若い娘たちはここか向かい側の屋敷のどちらかに集められているはずです」


 俺たちの目の前の建物には『娼館』と書かれた看板が掛かっていた。振り返って向かい側の屋敷を見ると表通りにあっても違和感の無い瀟洒な白い石壁が特徴的な洋館が建っている。

 俺が向かいの洋館に目を向けると男はすかさず補足をした。


「向かいの屋敷にはガキも、あ、いえ、幼い子どもも一緒に集められてます」


 男の言葉通り、屋敷の中には大勢の女性たちと子どもが居た。様子からして幾つもの部屋に分けられて監禁されているようだ。


 娼館を見上げると窓の配置から四階建てであることが分かる。建物は大きいが四階建てと考えると各階の天井の高さは然程さほどでもないことが分かる。

 二階よりも上の階は長剣よりも短剣の方が戦い易そうだな。


 俺の正面に移動してきた聖女が三人の男たちに聞こえないようにとの配慮なのだろう、そのまま身体を密着させると俺の胸元でささやいた。


「魔術師が居たら、どうします?」


「ボス戦までは派手なのはなしな」


 俺のことを見上げる聖女に軽くウィンクしてそう返した。『向かいの館を襲撃するまでは魔術師であることがばれないように』と言外に語ったつもりだったが……聖女の口元に浮かんだ笑みを見る限り伝わったと信じよう。


 さて、それじゃあ潜入するか。

 俺は案内をしてくれた三人の男たちに娼館へ一緒に入ろうと声を掛けた。


「じゃあ、入るか」


 彼らが緊張しないよう、喫茶店に入るような軽い口調で誘ったのだが三人の男たちの反応がない。鳩が豆鉄砲をくらったような顔で俺のことを見返しているだけだ。


「ほらぁ、何をしているんですか、一緒に行きますよ」


 そんな彼らに聖女は笑み掛けると、彼らの腕を引いて扉の前までいざなう。彼ら三人が扉の前に立ったところで、俺と聖女は彼らの後ろから娼館の扉を蹴破った。


 ◇


 扉を蹴破って中に入ると二階までの吹き抜けとなったロビーのような空間に幾つかのソファーとテーブルが並べられているのが視界に入る。そして右手奥に目を向けると小さいがホテルのようにフロントがあった。

 二階は頼りなさそうな細い手すりと、それとは対照的な頑丈そうなキャットウォーク状の廊下が横一線に走っており、廊下の中央に上下階へと続く階段があった。


 もちろん視界に映るのは設備だけではない。

 およそ接客業とは思えない鬼のような形相をした男たちが、抜き身の剣を手にこちらをにらんでいる姿も見える。


 一階に武装した男が十二人とカウンター内に受付が一人。全て目に見える範囲にいる。二階にも武装した男が七人。個室に一人と賭け事らしき事をしているのが六人。

 三階と四階には二人ずつ。軟禁している女性の監視役ってところだろう。


 俺と聖女に先駆けて突入した三人の男たちは床に座り込んだまま震えていた。

 俺はそんな彼らの間を通ってロビーの中ほどまで進むと出迎えてくれた武装した男たちを見回す。そして静かに彼らに告げた。


「さらってきた女性と子ども、全員ここに集めろ。手荒なことはするなよ」


「大丈夫か? お前」


「頭、おかしいんじゃねぇのか?」


 俺の正面にいた二人の男がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて近づいてきた。左側の男は剣を肩に担いでいる。右側の男は威嚇するように剣を俺の方へと向けていた。


「ここに軟禁されている女性はもちろん、スラムの人間がさらってきた女性と子ども、彼女たちも探し出して直ぐに連れてこい」


「無視してんじゃねぇよっ!」


「殺されたいようだなっ!」


 こちらへ向かって歩いてくる二人の様子から暴力が愉しくて仕方がない類の輩のようだ。


「待ちなっ!」


 吹き抜けとなった二階から鋭い声が響くと短絡的な二人の男の動きが止まった。

 見上げれば、手すりに背中をあずけた男が薄笑いを浮かべて背中越しに見下ろしていた。薄笑いを浮かべたままさらに続ける。


「そうだな。そっちの姉ちゃんはここで働いてもらうとして、お前ら四人は扉の弁償代ってことで奴隷落ちしてもらおうか」


 何がおかしいのか声を押し殺すように「クククック」と笑い声が聞こえた。


 ドンッ!


「ウワアー!」


 鈍い音に続いて二階から背中越しに見下ろしていた男の悲鳴が響き渡る。


 いつの間に長剣から短槍に持ち替えたのか、聖女が投擲した短槍が男の右でん部を貫通して向かい側の壁に男を縫い止めていた。


「テメェーッ!」


「ぶっ殺すっ!」


 短槍で壁に縫い止められた男の悲鳴が戦闘開始の合図となった。抜き身の剣を手にした男たちだけでなく、ソファーに座って様子を見ていた男たちまでもが一斉に臨戦態勢に入る。

 対応が早い。存外間抜けというわけでもないようだ。


 真っ先に動いたのは目の前の二人の男。

 右側の男が突き出した剣を下段から剣を振り上げて弾き飛ばす。そのまま剣を振り下ろして肩口から心臓へと切り裂く。次いで左側の男の斬撃をサイドステップで相手の右側へとかわすと、剣を持つ右腕を切り飛ばした。


「猫、三階、四階の見張りと一階の受付、二階に縫い付けた男以外は生かしておく必要はないっ!」


「分かりました。一階の左半分は任せてくださいっ!」


 聖女は即答するといつの間にか左右の手に長剣を持った状態でカウンターの前に居た二人の男の前に躍り出た。交差させた腕を左右に開くと二人の男の頭部がカウンターの手前に転がり落ちる。敵に反撃の隙すら与えなかった。


 そんな聖女の動きを目の端に捉えつつ腕を切り飛ばされて叫び声を上げている男に止めを刺す。


 止めを刺していると背後から剣が振り下ろされる。空間感知で把握しているので死角はない。背を向けたまま身体を捻ってかわすと左胸に剣を突き立てた。

 剣を左胸から引き抜くと同時に瀕死の男を突っ込んできた二人に向けて蹴り飛ばす。


 ちっ、かわしてきたかっ。

 一人は蹴り飛ばした男とぶつかって突進が止まったが、もう一人は男をかわして尚も迫る。俺の脇腹目掛けて剣を横なぎに一閃させた。


 横なぎの剣に重力魔法で重さを増した俺の剣を合わせる。

 キーンッ!


 甲高い音を響かせて重さに負けた相手の剣が弾き飛ぶ。男は剣を持っていた手を襲った突然の痛みに顔を歪める。長剣を男の左脇腹から右肩へと重力魔法にものをいわせて振りぬいた。

 血しぶきの向こうに恐怖に顔を引きつらせて動けずにいる男と、蹴り飛ばした男の下から這い出てくる男の姿が見えた。


 この二人は後回しだ。

 左側面から迫る男へと意識を向ける。


 かなり大柄な男で両手持ちの大剣使い。いつでも突きを放てる姿勢で真直ぐに突っ込んできた。

 先ほどと同じように重力魔法で重さを増した剣で弾くように剣を合わせる。甲高い音を上げて大剣が吹き飛ぶ。男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。何が起きたのか理解できていない様子だ。


 男の首の高さで剣を横になぐ。

 驚愕の表情を浮かべたまま頭部が宙に舞った。


 後回しにした二人の男に視線を向ける。どちらも戦意を喪失しているように見える。死体の下から這い出してきた男に至っては武器すら持っていない。

 頃合いか。


「おい、お前と」


 棒立ちになっている男に切っ先を向けて語りかける。そして、その切っ先を床に座り込んでいる男の鼻先へゆっくりと移動させる。


「お前。俺たちに協力すれば命だけは助けてやる」


 戦意を喪失している二人にそう語り掛けてゆっくりと近づくと、二人は俺が近づいた距離だけ後退る。


 次の瞬間二階の廊下に男たちが姿を現した。賭け事に興じていた連中だ。出てきたのは四人。部屋に二人残ったか。


「騒がしいぞ、何があった?」


「おいっ! 襲撃だっ!」


「敵はどこの組織だっ?」


 三人が騒ぐ中、一人だけ俺に向けて魔術を発動させた。


「くたばれっ!」


 その言葉と共に放たれたのは火球だ。発動速度こそ速いが射出された火球の移動速度は遅い。時速八十キロメートル程度か、手で投げた方が速そうだ。


 突然火球が爆ぜる。炎が空中で燃え広がった。その燃え広がった炎の向こうから、たった今火球を放った男が剣を振りかざしながら飛び込んでくる。

 なるほど。炎をブラインドに使っての攻撃。本命は剣による斬撃。


 残念だったな。面白い戦い方だが俺には通用しない。空間感知を展開しているのでブラインドとなるはずの炎の向こう側の動きが手に取るように分かる。

 炎のブラインドを抜けてきた男の斬撃をわずかに身体をずらしてかわし、すれ違いざまに心臓を通過する軌道で横なぎに剣を一閃させた。重力魔法により、あり得ないほどの痛烈な斬撃が容易く男の身体を切り裂く。


 その瞬間、剣が甲高い音を上げて折れる。

 重力魔法の加重に耐え切れなかったかっ!


 折れた剣を牽制代わりに二階で騒いでいる男たちへと投げつける。代わりに足元に転がる大剣を拾うと、聖女へと切りかかろうとしていた男の右肩を踏み台にして二階の廊下へと飛び込む。

 階下では踏み台にした男が、おかしな形に陥没した右肩を押さえて悲鳴を上げていた。


 キャットウォーク状になっている二階の廊下へと飛び込んだ俺は大剣で正面の男とその後ろの男の二人を串刺しにする。

 手前の男が腰に下げていた長剣を鞘から抜くと、串刺しにした男たちを挟んで対峙する男をそのままに、彼らが出てきた部屋へと飛び込む。


 部屋へ飛び込むなり手前側の男の心臓を長剣で貫く。

 部屋の奥、慌てて剣を抜こうとしている男が視界に映る。心臓を貫いた男を奥で剣を抜こうとしている男へ向けて蹴飛ばしながら、彼が腰に差していた剣を引き抜く。


 身体強化と重力魔法を使って高速で投げつけた長剣は仲間の死体から逃れようと横にずれた男の眉間に突き刺さった。


 部屋の外へと出ると廊下に居た生き残りも戦意を失って床に座り込んでいる。短槍で壁にでん部を縫い付けられた男も涙ながらに命乞いをしていた。

 そして、一階からは涼やかな聖女の声が響いてきた。


「皆さん、私と会話をしましょう」


 どうやら三階と四階の制圧には参加せずに情報収集に移るつもりらしい。

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