第262話 シドフ、潜入(5)

 夏も盛りが過ぎようとしている時期ではあるがまだまだ強い陽射しが降り注ぐ昼下がり、シドフの町に緊急事態を報せる警鐘が鳴り響いた。

 中央広場の中心にほど近い場所に設置された鐘が激しく叩かれる音が聞こえてくる。


 宿屋の窓から騒ぎが大きくなる様子を確認していると扉を叩く音の響きに続いて聖女の声が聞こえた。


「フジワラさん、準備はいいですか?」


「今行く」


 窓から聞こえてくる町の騒ぎを背に聖女と一緒にチェックアウトの手続きをするため階下へと向かった。


 一階へと続く階段の中ほどで階下の騒ぎを覗き込みながら口を開く。


「それにしても、アンセルム・ティルスさんでしたっけ? 『金色の狼』とか言われているから冷徹な戦略家で自宅の趣味も機能優先かと思っていましたが、意外と趣味の良いお屋敷でしたね」


「その話はそこまでな。下の騒ぎに加わるぞ」


 聖女との会話を打ち切って足早に階段を駆け下りると、カウンターの前に固まっている宿泊客の中に紛れ込んだ。

 

 ◇


 外から聞こえてくる騒ぎが次第に具体的な情報となって聞こえてくる。


「東門だ! 戦えるヤツは東門に向かえっ!」


「狼煙を上げろっ! 町の外に出ている連中に東門の危険を報せるんだっ!」


 東側に放ったオーガが発見されたようだな。発見される順番としては予定通りだ。次は西側のオーガを発見してくれよ。


「何があったんだ?」


「東門って聞こえたな」


「まずい状況みたいですね」


 カウンターの前に集まってきた宿泊客が外の様子を窓や扉の隙間からから覗き込んでいる。


 奥から出てきた宿屋の主人が扉から覗き込んでいる宿泊客の横をすり抜けて扉を大きく開くと宿屋の中を振り返る。


「お客さん方、ここでちょっと待っていて下さい。様子を見てきます」


 次の瞬間、叫び声と共に情報が飛び込んできた。

 

「オーガだっ! オーガが三体、東門に迫っているぞっ!」


 その声を聞いた一階に集まっていた宿泊客と従業員に緊張が走った。 


「今、『オーガ』って聞こえなかったか?」


「東門ってこれから私たちが向かおうとしている門ですよ」


 他の宿泊客に交じって聖女が不安そうな声をあげるとそっと俺の左腕にしがみついてきた。


 カウンターの向こうでは宿屋の女店員さんが、不安そうに外の様子を覗き込んみながら震える声でつぶやく。集まっている宿泊客を安心させようとしたのかもしれないが効果はなかった。


「まさか……ここ三年ほどオーガなんて出てないんですよ」


 そうだろう。オーガを捕獲するのに随分と遠出をしたよ。

 

「西門だーっ! 西門からもオーガが来た!」


「オーガだけじゃねぇ、オークも一緒らしいぞっ!」


 西門付近に放ったオーガとオークが発見されたようだ。そうなるとそろそろロバやグルムゴートを集めている辺りからも声が上がるか? 


 視覚を町の上空へ飛ばして町の様子を俯瞰する。激しく叩かれる鐘の音に急かされるように町中が急に慌ただしく動き出していた。

 どうやらここまでは上手く運んでいるようだ。


「オークだ! オークが町の中に侵入してきたっ!」


「何で町の中にオークが居るんだよっ!」


「防壁が破られたんだっ!」


「グルムゴートが逃げたぞーっ」


「バカ野郎っ! グルムゴートなんざ、どうでもいいだろうがっ!」


「そうだ! それよりも侵入したオークの撃退が先だ!」


 聞こえてくる声の様子が次第に切迫してきており、パニックの様相を呈してきた。

 自然、聖女と目が合う。


 そろそろ出るか。


「すみません、ちょっと出させてもらえますか」


 他のお客さんの間を縫うようにして出口へと向かうと、扉から外の様子をうかがっていた宿屋の主人が俺の前に出ていく手を阻む。


「ちょっとお客さん。外は危険です。宿の中に居てください」


「私たち治癒術師なんです。この様子だと怪我人とかも出そうですから、一度探索者ギルドへ出向いて指示を仰ぐようにします」


 聖女が俺の隣に立つと宿屋の主人に向けて穏やかな口調で話した。


 聖女の言葉に対応の迷いが出た宿屋の主人の横を俺と聖女は素早くすり抜ける。通りへ出た俺たちは困惑している宿屋の主人を後にして探索者ギルドヘ向けて駆け出した。


 ◇

 ◆

 ◇


 平和な町を襲った突然の凶事に探索者ギルドの中は騒然としていた。騒然としてはいたが機能不全に陥るほどの混乱はしていない。会話の様子からすると代官配下の騎士団の方がよほど混乱をしているようだ。

 オーガに意識が向いて町の中の治安維持が疎かになっている。


「東門と西門は騎士団と腕利きのパーティーで何とか食い止めているっ! それよりもオークだっ!」


「オークの排除に回れるパーティーはそっちを頼む」


「スラムの連中が便乗して動き出しているっ! 治安維持もだ」


「町の中はどこへ向かえばいいんだっ!」


「知るかよっ! ともかく騒ぎになっている所へ向かえっ!」


「おいっ! 先ずは商店街からだ! スラムの連中を叩きだすぞっ!」


「バカ野郎っ! 最優先はオークだろう?」


「何を言っているんですかっ! 最優先は町の人たちの安全ですっ!」


 概ね予定通りに計画が進んでいる。最初に確認された襲撃であることと防衛拠点が明確なため人員を投入し易いと予想していた。思惑通り、東門と西門――オーガの襲撃があったところへの対応は出来ている。

 ここまでは予想通りだ。

 予想と異なったのはオークへの対応とそれを阻害するスラムの動き。


 思考を中断して傍らの聖女に小声で話し掛ける。


「東門と西門は既に動員されている人たちに頑張ってもらって、俺たちは町の治安維持と怪我人の治療にあたろう」


「賛成です。治安維持があまりにお粗末過ぎます。ここまで酷いと町の人たちに同情しちゃいますね」


「それにスラム連中の動きが良過ぎる。荒らし回っているスラムの連中を排除した後でスラムに乗り込むぞ」


 うなずく聖女を視界の端に捉えながら喧騒の中で大声を張り上げているギルドの職員さんのもとへと移動した。

 

「俺たち二人、町の治安維持と怪我人の治療のためこれから町へ出ます。何か必要な手続きとかはありますか?」


「え? あ、治癒術師の方ですね。助かります。それとこれを――」


 職員さんに手渡されたギルドの紋章が入った二枚の証書と職員さんへ交互に視線を向けると職員さんが説明を始めた。


「今お渡しした証書はギルドの緊急依頼であることを証明するものです。お一人一枚ずつお持ち下さい――――」


 なるほど。

 今回の場合、治安維持にあたって、ある程度の裁量が与えられるわけだ。例えば治安維持に必要と判断した場合、町の中で殺人を行ってもその場で拘束されたり尋問されたりすることは無い。

 通し番号の振ってある証書を提示するだけだ。


 騎士団や治安維持にあたっている探索者たちも通し番号を控えておき、緊急事態終息後に審議に掛けられる。

 穴だらけのシステムだが事態の収束を最優先と考えれば合理的か。


「――――今日の十八時までにはその証書をお持ちになってギルドへいらして下さい」


「ありがとうございます。では直ぐに動きます」


 説明を終えたギルドの職員さんにお礼を述べると、横で退屈そうにしていた聖女へ向き直り『行くぞ』とうながす。


「あ、お待ち下さい。護衛を――――」


「護衛は必要ありません。二人とも、これでも剣には自信がありますので大丈夫です」


 ギルドの職員さんの言葉を遮るように発した俺の言葉に、待機していた探索者の何人かが若干怒気をはらんだ視線を向けてきた。


 まあ、気持ちは分かる。

 光魔法を使えるというだけで怪我や病気の治療をして高額な報酬を要求している。治癒術師として登録している連中はまずダンジョンへは潜らないし、戦闘も極力避ける。

 ダンジョン攻略をする探索者、特に戦闘系の職業を生業とする人たちには俺と聖女は軟弱で生意気な若造と小娘に映ったことだろう。


 この町の探索者との関係を修復している時間はない。

 俺と聖女はこちらを睨んでいる探索者たちの視線には気付かなかった振りをしてそのままギルドを飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る