第260話 シドフ、潜入(3)
聖女が大通りに面した大きな建物の前で不思議そうに看板を見上げていた。どうやら今の今まで商人ギルドへ向かっているつもりだったようだ。
「あれ?」
「どうした? 入るぞ」
「あれ、あれー?」
探索者ギルドの前で小首を傾げている聖女の横をすり抜けて扉をくぐると見慣れた光景が眼前に広がる。
ギルドの建物の構造はどこの町も大差なかったが、ここシドフの町も同じだ。
建物の中に入って直ぐに広がる一階は現代日本の銀行のような造りになっている。従業員側と顧客側――この場合は探索者側とが建物を二分するように設置されたカウンターで分けられていた。
そして探索者側のスペースには幾つかのテーブルと椅子が置かれている。
奥の壁に目を向ければ、依頼が書かれた紙が壁一面に貼り出されていた。壁に仕切りのような線が入っているのが見える。他の都市の探索者ギルドと同様に依頼の難易度によって貼り出される場所が区分けされているのだろう。
見知った構造に安堵を覚える。だが建物の大きさは違った。建物は同規模の町の倍近い大きさだ。それに伴って張り出されている依頼の件数も多い。
ギルド内に居る探索者の数はそれほど多くはないが、このギルドの規模と依頼の件数を見る限り相当数の探索者が活動しているのが容易に想像できた。
残っているわずかな探索者と職員の視線が俺に注がれる。だが次の瞬間には探索者たちから注がれていた視線が半減した。
当然の反応だ。
どこのギルドもそうだがよそ者は警戒もされるし注目もされる。特に探索者ギルドはそれが顕著だ。荒っぽさなら傭兵ギルドの方が上だが、あちらは攻撃に特化した連中がほとんど。
だが、探索者ギルドは特化する方向が千差万別で、ひと言で言えば曲者が多い。偽造証がもっとも多く出回るのも探索者ギルドで犯罪者の隠れ蓑になっている感もある。
探索者たちからすれば強力なライバルとなるか、自分たちの戦力強化になるかなどの見極めをしたいだろう。
職員の側からすれば犯罪やもめ事の原因になりそうか否かが最大の関心事となる。
今の俺の格好はおよそ探索者らしからぬものだ。腰に帯びているのは短剣と数本の投擲用のナイフだけ。腕と脚にアーマーを装着しているが革鎧の類は装着していない。さらに盾すら所持をしていない。
一目で非戦闘系の人間だと見て取れる。周囲の人たちには無害そうに映るはずだ。
取り敢えずこちらの思惑通りに無害認定されたのかここに居る探索者の半数ほどからは興味を示されなかったようだ。
それでも、職員さんと半数ほどの探索者たちが注目する中、『偽造証の出来が良い』ことを女神さまに祈りながら出来るだけ若い受付嬢――未熟そうな受付嬢を物色する。
真っ先に目に付いたのは若い探索者にからかわれながらも、必死の形相で書類仕事をこなしている犬人族の女の子だ。
素材は申し分ないのだが……アレはだめだな。
直ぐ隣にいる
ベテランの受付嬢の隣を避けてさらに奥へと視線を向ける。
狐人族だ。立ったらお尻を隠してしまいそうなほど、長くてボリュームのある栗毛色の髪をした美女。若いが慣れた感じでテキパキと仕事を片付けている。仕事が完全に作業になっていた。
あの受付嬢にしよう。
さて、第二関門だ。さすがに門番のときのようにはいかないだろうな。
「先ほど町に着いたのですが、門番の方からここで手続きをするように言われて来ました」
狐人族の受付嬢に二人分――俺と聖女のギルド証を提示しようとすると、『バンッ』という音と共に扉が乱暴に開かれる。いつもの調子を取り戻した聖女が衝撃に耐えた扉をくぐって駆け込んできた。
少し拗ねたような顔つきで俺の左側に並ぶと、そのまま俺の左腕を両腕で抱きかかえるようにしてしがみつく。
「ちょっと待ってくださいよー。先に一人で行っちゃうなんて酷いじゃないですか」
今まで見向きもしなかった人たちまで俺たちに視線を向けている。
美人の受付嬢ににこやかに話し掛けるよそ者。そこへ見知らぬ巨乳美女が追い掛けてきて腕にしがみつく。そりゃあ敵意の視線をむけるよな。俺が逆の立場だったらやはり
これ以上特定の敵意のこもった視線に晒されていてもろくなことになりそうにない。
俺は改めて二人分のギルド証を目の前にいる狐人の女性職員へと渡す。
「すみません。改めて手続きをお願いします」
「よろしくお願いしまーす」
「少々お待ち下さい」
狐人族の女性職員さんから笑顔と涼やかな声が返ってきた。
手続きを進める彼女の手元をカウンター越しに観察していると、仕事の手を止めた彼女と目が合う。
「少しお時間が掛かりますのであちらでお待ち頂けませんか?」
愛嬌のある笑顔でそう言い、示した先にはテーブルが幾つも並んでいるスペースがあった。
「分かりました。その前にもう一つ教えてください。手続きを終えたらいつから仕事を受けられますか?」
「手続きが終了したら直ぐにでもお受け頂いて構いません」
親切に奥の壁に依頼が貼り出されていることを教えてくれた彼女にお礼を言うと、左腕を抱きかかえたままの聖女を引きずって依頼内容が貼り出された奥の壁へと向かった。
◇
「おいっ、いい加減に離れろっ。いったいどういうつもりだ?」
依頼が所狭しと貼り出されている壁の前までくると聖女の耳元に小声で話しかけた。
「えー、あそこに居る年配の女性職員さんが私のことを睨んでいたのでちょっと煽ってみようかと」
俺の腕にしがみついたまま受付カウンターを覗き見る。聖女の視線の先には先ほどのベテラン受付嬢が居た。
「ああいうお局さまタイプは絶対に若くて美人で、それでいて男の人に媚を売る女性が大嫌いですよ」
ベテランの受付嬢を盗み見る聖女の口元がわずかに綻ぶ。
それで俺の腕にしがみついてきたのか。
ベテランの受付嬢以外の人たち――主に男の探索者なのだが、彼らの敵意まで買うことになったかもしれないことには触れず、ついでに聖女の綻んだ口元のことにも触れずに話題を切り換える。
「そんなことよりも貼り出されている依頼内容をチェックするぞ」
「もう、つまんないですね」
聖女はわざとらしく頬を膨らませてそう言うと俺の腕から離れて初級の依頼が貼り出されている壁の前へと移動する。俺も依頼内容の確認をするために聖女から離れて中級の依頼が貼り出された壁の前へと移動した。
◇
残っていた依頼が最も少ない中級のチェックを終えて聖女の隣に並ぶ。初級の依頼内容のチェックを続ける彼女の横で彼女が既にチェックを終えている依頼をざっと流し見る。
依頼内容が中級と被っているものも幾つかあった。どちらも食料調達と薬草採取が多い。
中央広場の様子から察するに食料が不足しているとは思えない。軍事物資か。薬もそうなのだろう。ロバや山羊と同じように『金色の狼』から事前に指示が出ている可能性が高い。
初級の依頼内容のチェックを終えてゆっくりと近づいてくる聖女に向かって話し掛ける。
「どんな感じだ?」
「食料と素材調達の依頼が沢山あります。それに薬草採取やその護衛がもの凄く多いですね」
「中級の方も似たようなものだ。宿を決めたら薬草採取にでも行ってみるか」
魔物の討伐依頼が少ない訳ではないが、初心者向けから中級者向けの掲示板には薬草採取に関連する依頼が異常とも思えるほど多く貼られていた。
先ほど俺が初級の依頼内容を流し見たように聖女が中級の依頼内容を流し見ている。
「軍事物資でしょうか?」
「その可能性が高い」
依頼内容を流し見ている聖女に『向こうを見てくる』そう伝えると彼女を中級者向けの掲示板の前に残し、ひとりで上級者向けの依頼が貼られている掲示板へと移動する。
さすがに魔物の討伐依頼が増えている。だが、注目すべきはグルムゴートの捕獲依頼が多数あることだ。
先ほどの馬屋の話では大口注文の数は既に揃ったと言っていた。それでもこれだけの依頼が未だに出ているということは、依頼主はグルムゴートがまだまだ売れると判断したということか。
中級者向けの掲示板からこちらへと移動してきた聖女がグルムゴート捕獲の依頼書を指す。
「これ、さっきの山羊ですね」
「山岳地帯での移動手段や運搬手段に適しているそうだ」
「大型ですが只の山羊の捕獲にしては難易度高すぎませんか? それに報酬も高額です」
グルムゴート捕獲の依頼書を見ながら『お得感ありますね』とつぶやく聖女と一緒に立っていると背後から野太い声が聞こえた。
「そいつを受けるつもりなのか?」
「いえ、先ほどこのグルムゴートを買おうとしたら在庫切れだと言われたんでちょっと見ていただけです」
声を掛けてきたのは革鎧を着込んだ軽戦士風の男だ。鑑定を行うと手熟れと呼ばれる部類の探索者であることが分かる。
「そうか、ならいいんだ。捕獲だからって簡単だと思って受けると痛い目をみるからな」
軽戦士風の男は自分の言葉に小首を傾げる聖女を見て苦笑したかと思うと親切にもさらに詳しい説明を続けてくれた。
「そいつが生息している地域が厄介な地形なのもそうだが途中に手強い魔物がいる。行きはいいが捕獲したグルムゴートを何頭も連れて魔物がいる地域を抜けるのが難しいのさ」
俺と聖女が親切に説明をしてくれた軽戦士風の男にお礼を述べていると女性の声で俺たちが用意した偽名を呼ぶ声が聞こえた。
「バロウさん、パーカーさん。手続きが完了しました」
振り向くと、俺たちの手続きをしていた受付嬢がカウンターの向こう側で立ち上がって呼んでいる。
俺は親切な軽戦士風の男に再度お礼を述べると聖女に声を掛ける。
「ボニー、行くぞ」
「はい。依頼はどうします?」
「一旦宿屋を決めて、それからまた戻ってこよう。時間はまだあるんだ」
俺たち二人は先ほどの女性職員さんの待つカウンターへと向かった。
◇
受付嬢の手元には俺たち二人の偽造ギルド証の他に見慣れた手続き関係の書類とそれに倍するほどの書類が束ねてあった。
国や都市が変われば手続きも変わるのかもしれないが、それにしても書類が多いな。
気にはなったが偽造証を手に受付嬢が話し出したのでそちらに意識を集中する。
「クライド・バロウさん。出身はガザン王国のベール市で登録もベール市で間違いありませんね。続いて、ボニー・パーカーさん。出身はガザン王国のラナ村で登録はこちらもベール市。こちらも間違いありませんでしょうか?」
彼女の確認に俺と聖女が『はい』と肯定すると愛嬌のある笑顔が広がった。
「シドフの町へようこそ」
そう言って受付嬢が笑顔と共に差し出した偽造証を受け取る。自然、俺と聖女にも笑顔が広がる。
さすがガザン王国の王室が発行した偽造証だ。いや、正確にはギルドの職員を抱きこんで発行させたものだ。
先ずばれる心配はないと思ってはいたが、そこは後ろめたさもあって気の休まる間もなかった。だが、これでようやく安堵できる。今夜は宿でゆっくりと休もう。
第二関門突破。
ひと仕事終えた気分の俺たちの内心など知るよしもない受付嬢が笑顔でさらに続ける。
「お二人とも四則計算ができるとありましたが……」
「ええ、できますよ。得意です」
「よかった」
「実は計算が出来る人が不足しているんです。もしご迷惑でなければお仕事を受けていただけると助かります。幾つかあるんですよ。これは――――」
受付嬢の手元に束ねてあった見知らぬ書類、それを手に取ると一枚一枚丁寧に説明を始めた。
四則計算が要求される依頼。受付嬢が説明をする中、俺と聖女の視線が交差する。
食料に武器、ロバとグルムゴートのエサだと? 軍事物資の帳簿つけの依頼だ。願ってもないような依頼。
「――――どれも数が多く複雑なのですが大丈夫でしょうか?」
受付嬢が説明をする間、口元が綻ばないようにするのが大変だった。
説明の最後に不安そうな表情で俺たち二人を交互に見る受付嬢に向けて、俺と聖女は満面の笑みで答えた。
「ええ、どれも問題ありません」
「私たち計算得意なんですよ、もっと大きなお店の帳簿付けなんかもお手伝いしたことがあります」
そう、聖女が言う通り計算は得意だ。いろいろな計算が出来る。
もっと大きなお店というのは嘘だ。正確にはリューブラント侯爵軍の出発準備の際に兵站全般のアドバイスを行なった。明かす訳にはいかないが実績としては十分だろう。
「良い方がきてくださって助かります」
愛嬌のある笑顔で本当に嬉しそうな顔をしている。椅子の向こうで太い尻尾がもの凄い勢いで振られている。
「喜ばせておいて申し訳ございませんが」
俺がそう切り出すと尻尾の動きが止まる。
「先ほど依頼書を見ていたら薬草採取の依頼がたくさんありました。この辺りは薬草が豊富そうですし、自分たちが使う分の薬草を採取したいのです。その後でよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです。お待ちしております」
勢いよく立ち上がったかと思うと太い尻尾をもの凄い勢いで振りながらさらに続けた。
「お話は変わりますが、お二人ともガザンへ戻られて戦争に志願されるのですか?」
「はい。出来ればベール市に戻って治癒術師として貢献したいと思っています」
「戦時なので私たち治癒術師にとっても出世のチャンスなんですよ。戦争で出世するか大金を稼ぐつもりです」
遠慮がちに俺が語った偽りの志を聖女がにこやかに上書きしてくれた。
その後、この町での注意事項など含めて暫らくの間彼女と世間話をしてから宿屋へと向かった。
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