第259話 シドフ、潜入(2)

 結局、銀貨の塔が五つほど出来上がる頃には、今回の潜入で入手したいと考えていた情報を全て入手することができた。

 だが、門番の情報を鵜呑みにする訳にも行かないので情報の裏を取ることと、追加情報を入手するために予定通り町へ潜入することにした。


 俺は歩きながら後方を振り返る。門番がまだ手を振っていた。愛想良く手を振ってくれる門番に向かって俺も手を振り返す。

 だが、もう笑顔を作る気にもなれない。


「取り敢えず、第一関門突破かな」


「第一関門というか、予定していた目的は見事に達成しちゃいましたね。ミッションコンプリートですよ」


 聖女が脱力感いっぱいといった感じで空を振り仰ぎながら返してきた。


 門番に教えられたとおり、俺たちは街道に面した門から中央広場へと真直ぐに延びる道を進んでいた。道幅は広く大型の馬車が余裕ですれ違えるほどだ。

 何日か前に雨が降ったのだろう、幾筋ものわだちの跡がまるで自然の山道のような歩き辛さを生み出していた。聖女などは先ほどから路面に対する怨嗟の言葉と路面整備をしない村人への不満を訴えている。


 俺は聖女の負の感情と言葉を無視して話しかけた。


「取り敢えず、大通りにある店を何軒か覗いた後で中央広場を少しうろつこう。その後、商人ギルドへ行って宿屋と食事処の情報を仕入れる。出来れば探索者が利用するような宿じゃなく行商人が利用するような宿に泊まろう」


「賛成です。探索者はガラが悪いですからね」


 一般的に町の外周部ほど貧困層が多い。だが、出入り口である門の周辺は町の顔でもあるので馬車や馬の預かり所、修理工房、宿屋、食事処といった旅人や行商人目当ての商業施設が多い。

 それはこのシドフの町も変わらなかった。


 しかし、その町の看板のひとつである大通りが全く整備されていない。

 先ほどの門番といいこの整備の行き届いていない大通りといい、町の治安に不安を抱かせる要素がこの短い時間に続けて出てきた。この様子ならまだまだ出てきそうだ。


 聖女と二人、大通りに軒を連ねている店を観察しながら中央広場へと向かう。 

 門から中央広場へと伸びる大通りの両端には商業施設が軒を連ねている。それらの商業施設の一つ一つは特に荒れた様子もなく、外から覗いた限りでは店内も小奇麗に保たれていた。


 何軒か覗いてみるか。


「適当な店に入って中の様子をみよう。何かリクエストはあるか?」


「フジワラさん、馬です! それなら馬を買いましょう、馬を」


 聖女は突然駆け出したか思うと『馬車・馬』と書かれた看板が掛かった店へと入っていった。


 本当に馬が好きだよな、あいつ。

 聞きこみもせずに馬だけ買いそうな勢いの聖女を追いかけるかたちで俺も馬屋へと駆け込む。


 店の中を抜けて裏手へと出ると野球グランドほどの広さの厩舎きゅうしゃがあり、数十頭もの馬とそれに倍する数のロバとそのロバとほぼ同数の山羊のような姿をした獣が繋がれていた。

 年配の店員の襟首を掴んで引きずるようにして馬を物色している聖女をそのままに、茫然と聖女を見つめている少年のような若い店員に声を掛ける。


「少し商品の説明を頼めるかな?」


「え? あ、はい」


 突然話し掛けられたからか聖女から視線をそらす羽目になったからか、一瞬だが迷惑そうな表情を見せた少年店員の胸ポケットに銀貨を滑り込ませる。


「馬を見にきたんだが、随分とロバが多いんだね。この辺ではロバの方が好まれるのかな?」


「あ、いえ。半年ぐらい前にロバの大口注文が入ったんです。それと代金は既に頂いているので引き取り待ちなんですよ、このロバたちは売りもじゃありません」


 ロバを大量購入? それも半年前だと?

 アンセルム・ティルス公爵――『金色の狼』が半年前に描いた戦略はどのようなものだったのか。そして状況が変わった今、そのときに用意した布石の一つを別の形で再利用する。


 グラム山脈の抜け道がこの近くにあるのかもしれない。『金色の狼』は抜け道を使って山脈越えをする可能性が高くなってきたな。


「それとあの山羊みたいな大型の獣、初めて見るんだけど何て獣か教えてもらえる?」


 妙に大きい角を持った馬ほどの大きさの獣を指差す。


「あ、あれも人を乗せての移動や荷物の運搬に利用するんです。馬みたいに長い距離は走り続けられませんが険しい山道や荒れた道をものともしません。ここらじゃグルムゴートって呼んでるんですがグラム山脈に野生してるのを捕まえたんです」


「へー。じゃあ、この辺りじゃロバよりもグルムゴートの方が利用されているんだ? 馬とは別に運搬用でグルムゴートもありだな」


「申し訳ないですがグルムゴートも売り物じゃないんですよ。ロバと同じで既に売れちまってるんで。もしお時間を頂けるようでしたら、探索者に捕獲の依頼を出しときますけどどうします?」


 ロバとグルムゴート、それぞれ百頭あまり。三万の軍勢の輸送を担うには数が足りないが不足分は歩兵が運べば何とかなる。いよいよ以て山脈越えが濃厚になってきた。


「残念だけど、明後日には出発するんで馬で我慢しておくよ。それよりも、この辺の人たちはグルムゴートを馬代わりに利用しているんだ」


「ええ、そうです。この辺りは道が荒れてるんで――――」


 その後も聖女が馬を買って戻ってくるまでの間、俺は銀貨を胸ポケットに滑り込ませるごとに口の軽くなる少年店員としばし会話を続けた。


 ◇

 ◆

 ◇


 馬は翌朝に探索者ギルドへ届けてもらうことにして、サッカーコートの四倍ほどもある広場に向かった。森の中腹から俯瞰ふかんしたときに町の中央に見えた広場だ。

 その中央広場に所狭しと露天商が立ち並んでいる。ここから見る限り並んでいる露天商は特に区画分けされて配置などされておらず、雑貨屋や食料品を扱う店などが雑然と並んでいた。


 そんな露天商の立ち並ぶ広場を聖女と二人、並んでいる店をひやかす振りをして周囲に聞き耳を立てながら歩いていく。

 もちろん、途中途中で適当な店の店員やお客に話しかけては買った品物を手持ちのマジックバッグへと放り込む。小一時間も歩き回ったこともあり、マジックバッグの中には結構な量の品物が溜まっていた。


「雑然としていますね。目的の商品を探すだけでも大変です」


 聖女はそう言うと、今しがた買った山鳥のもも肉を焼いたものにかぶりつく。


 不思議だ。

 聖女がかぶりついたところから肉汁が溢れ出てくるのを見ながら思う。


 さきほどから食料品の露天商――それも肉系の食材を、直ぐに食べられるように調理して販売している露天商を的確に探し出しては買い食いをしている。

 探し出すのに苦労をしている様子が見られない。


「情報もある程度入手出来ましたし、そろそろ商人ギルドへ向かいませんか? 宿屋を確保して少し休みたいですしね」


 聖女はそう言いながら、五キログラムほどありそうなワイルドボアの燻製肉を満足そうにマジックバッグへ押し込んだ。


 ◇


 中央広場の向こう側、商人ギルドがある区画へと繋がっている大通りへゆっくりと歩を進める。

 露天商にフラフラと寄り道をしながら向かっていると中央広場を行き交う人々の喧騒の中、聖女が日本語で語りかけてきた。


「それよりも気になっていたことがあるんですけど」

 

 普段とは違う――弾んだ感じのない落ち着いた口調。振り向けば、先ほどとは打って変わって真剣な、少し悲しげな眼差しを向けていた。

 見知らぬ街並み、行き交う人々と喧騒の中で語りかけられる日本語。突然の日本語というのもあったのかもしれないが郷愁が込み上げる。


「ボギーさんから聞きましたがガイフウさんとケイフウさんという双子の姉妹のことです。転移者ですよね、その双子」


 真直ぐに見つめる聖女に俺も日本語で答える。


「断言はできないが転移者だと思う。いや、俺の中ではほぼ確定している。ただ、鑑定が出来たんだ。ちゃんとスキルが見えた」


「それ、【偽装】とかその辺りのスキルですよ、きっと」


 聖女が間髪を容れずに返すと、わずかな時間目を伏せたが直ぐに俺へと視線を向けて話を続けた。


「ケイフウちゃん――双子の妹の方ですが、私とボギーさんはあちら側の異世界で会っています。彼女はかなり早い段階で同じ転移者に殺されてあちら側の異世界に飛ばされました。それがどんなカラクリでこちら側の異世界に戻ってこられたのか分かりませんが、間違いありませんよ」


 ちょっと待てよ。それってありえないだろう。女神さまたちが用意した法則から逸脱している。ケイフウはイレギュラーってことか?

 いや、もしそうなら、大変なことだ。特にボギーさんと聖女にとっては何を差し置いても理由を、手段を知りたいはずだ。

 胸が締め付けられる。


「何で今まで黙ってたんだ?」


 俺の問いかけに聖女がうつむく。しかし、今度は顔を上げることなくうつむいたまま搾り出すようにして話し出した。


「ほら、私とボギーさんは一度死んでいるじゃないですか。次に死んだら本当の死が待っています」


 そう言い終えると、わずかに上げられた彼女の顔には普段見せることのない、どこか悲しみをたたえた表情があった。


 不思議な錯覚。

 人々の喧騒が遠くに聞こえる。聖女の口がゆっくりと開かれる。ささやくような彼女の声が響くように耳に入ってくる。彼女の言葉が胸に響く。胸に……突き刺さる。


「もし、死んでも本当の死から逃れてあちら側の世界に戻る方法があるなら――ケイフウちゃんのようにもう一度チャンスがあるなら、異世界を生きたまま移動できるなら。その方法を知りたい。ですが、それは私とボギーさんの望みで皆さんの望みではないので今まで黙っていました。というかボギーさんに『迷惑になるから黙っとけ』って言われていたんですよ」


 違う。

 胸に突き刺さったのは彼女の言葉じゃない。


 俺たちが……いや、俺が今まで目を背けていたこと。俺自身の思いが、後悔が良心に突き刺さったんだ。


 そうだ、彼女とボギーさんは俺たちと違って後がない。分かっていた。いや、分かっているつもりだった。

 だが、どこかで目を背けていた。


「言ってくれてありがとう」


「ボギーさんは何としてでもあちら側の異世界に行って、復讐をしたいと思っています」


「復讐か」


「私も恨みはあります。ですが、こちらの異世界で結構愉しくやっているので、別にいいかな、と」


 聖女に笑顔が広がる。無理やり作ったような笑顔だ。

 そんな彼女の笑顔をだまって見ていると、その笑顔を急にかげらせてまた顔を伏せた。


「ボギーさん、多分ですがベール城塞都市の攻略戦が終わったら、ケイフウちゃんを追い掛けるために別行動を取ると思います」


 目の前に復讐に手が届くヒントがあった。それにもかかわらず、ここまで俺たちに協力してくれている。その事実に言葉が詰まる。

 そうだな、ボギーさんはきっと出て行く。確信めいたものが心の内に広がる。


「それにしても、何でこんな喧騒の中でついでのように話すんだよ、そんな重要なことを。そういうのはな、静かなところで時間をとって話をすべきだろう」


 分かっている。こんなところで話をしたのは聖女の優しさだ。

 そして彼女の弱さと強さ。

 自分自身が甘えてしまうことを知っているから、敢えてこんなところで話したんだ。再び胸を締め付けられる感覚に襲われる。


「何を言っているんですか。そんなことしたら……静かなところで、二人きりでそんな話をしたら優しくしちゃうでしょう? フジワラさんは」


 奇麗な横顔がそこにあった。穏やかな風が散らした前髪をかき上げる仕種と、悲しそうな表情も相まって思わず見惚みとれてしまう。


「お前に優しくなんてしないから心配するな」


「嘘ばっかり。優しくされて私が惚れちゃったらどうします? 応えてくれますか?」


 口元にはわずかに笑みを浮かべているが、その眼差しはどこか寂しそうだ。


 また、言葉に詰まる。

 聖女の問い掛けに何も言えずただ見つめていると、寂しそうな眼差しを覆い隠すようにわずかに笑顔が戻る。


「それでいいんです。応えたりしたらパーティー崩壊ですよ」


 いつものあの優しそうな笑顔でそう言い切ると、直ぐに踵を返して俺に背を向ける。そして妙に弾んだ口調で話題を変えた。


「それにしてもここうるさいですね。さっさと商人ギルドへ向かいましょう」


 そう言うと足早に探索者ギルドへと続く大通りへ向かって歩いていってしまった。


『そっちじゃないぞっ!』俺はその言葉を飲み込み聖女の後を追う。彼女と二人、探索者ギルドへと続く大通りへと向かった。彼女との距離を詰めることなく。

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