第258話 シドフ、潜入(1)

 俺たちはシドフの町から程近い森の中腹に潜んで町全体を眼下におさめていた。

 生い茂る草木でこちらの姿を見られる心配はほとんどないような所ではあるが、俺も聖女も大木に身体を寄せるようにして覗き込んでいる。


 昨日、俺が雲の切れ間から垣間見た町はシドフの町で間違いなかった。ただ、大きく勘違いしていたのは町の規模だ。


「国境付近の寂れた町、とか思っていましたが意外と大きいですね」


「ああ、こうして俯瞰ふかんする限りじゃ人口もかなりの数が居そうだ。探索者ギルドや魔術師ギルドだけじゃなく、商業施設や工房施設もそこそこ揃っているようだな」


 今は同盟国であるガザン王国が戦争中なので行商人の行き来が減っているはずだが、平時はベルエルス王国とガザン王国との交易の中継地点として栄えている町だそうだ。


 町の中央に大きな広場がありそこから放射状に道幅の広い道路が八本延びていた。

 その大通りを網の目のように細い道路が繋いでいる。慣れないと迷いそうな道路の敷き方ではあるが道は町の細部まで延びていた。


 外敵に対するそなえもしっかりしているように見える。町全体が数メートルほどの石造りの堅牢な壁で囲われていた。

 石壁の外で農作業をする人たちが散見される。少なくとも町の近隣の魔物は排除されているようだ。


「ところで、マリエルちゃんを置いてきちゃいましたけどいいんですか? あの町に転移者が居る可能性だってあるんですよ」


 聖女はマリエルの所持する特殊スキル、【同調 レベル5】のことを言っているようだ。

 なるほど、確かに転移者同士の戦いとなる可能性はある。そうなると俺がマリエルの【同調 レベル5】の支援を受けられるか否かは大きい。


「多少弱体化したところで今の俺ならそうそう後れは取らない。それに後がないお前を見捨てるようなことはしない。最悪でも逃がしてやる」


「おおっ! 頼もしいですね」


「それにいざとなったらマリエルを召喚で呼び寄せる」


 俺は強気の理由がマリエルをいつでも呼び寄せられることのように答える。すると聖女は笑顔を返し、直ぐに別の話題を持ち出した。


「で、どうします? プランAで行きますか?」


 聖女がシドフの町に視線を向けたままで問い掛けてきた。


 プランA。

 近くで魔物を捕獲してそいつらを町にけしかける。それを俺たちが颯爽と助けることで町の人たちから感謝と尊敬を受ける。そうすることですんなりと町の人々に受け入れられるという作戦だ。聖女が真っ先に提示した作戦。

 却下だな。


「いや、プランAは止めよう。というか、プランAってまだ作戦案として残していたんだな」


「当たり前ですよ。一番確実じゃないですか」


 笑顔で振り返り、自信満々に言い切る聖女に反論ができない。確かに一番確実かもしれない。


「何を躊躇っているんですか。町の人たちが怪我をする前に助ければいいんですよ。私たちならできます。それに万が一怪我をしたって治せますしね。無料で怪我を治してあげたらきっと感謝されるでしょうねー」


 両手を胸の前で組んで優しげな笑顔を浮かべている。

 マッチポンプもここに極まれりだな。


「じゃあ、プランBにしますか?」


 今度は打って変わってもの凄くやる気のなさそうな口調で聞いてきた。


 プランB。

 旅の商人兼治癒術師の設定だ。同盟国であり戦乱真っ只中のガザン王国に出稼ぎに行く途中に偶々たまたま立ち寄って必要な物資の買い込みをする。

 その際にあれこれと探りを入れるというものだ。


 実にオーソドックスな作戦だ。いびつなところはない。特に治癒術師というのは説得力がある。なにしろ戦場では引く手あまただ。普通に信じてくれそうだがインパクトに欠けるのも確かだ。


 俺が押し黙って考え込んでいる聖女がさらにやる気のなさそうな口調になる。


「プランCですか?」


 そう言い、木の枝に飛び乗るとメロディに作成をさせた単眼鏡を取り出して町へと向ける。


 俺の目の高さに聖女のふくらはぎがある。視線をそのまま上へと移動させると魅力的な太腿ふとももから形の良いお尻のラインが視界におさまる。

 実に良い眺めだ。


 良い眺めなのだが、もの凄い後悔の念が襲ってくる。

 俺は今回のパートナーに何故聖女を選んでしまったんだ。白アリにしておくべきだった。そうしたら夫婦とか恋人とかの設定を強引に盛り込んで同じ部屋に泊まれたかもしれないのに。


「人の太腿ふとももを見ながら溜息ためいきとかつかないで下さい」


「え? ああ、済まない。別にお前の太腿ふとももは関係ない。ちょっと考え事をしていただけだ」


「それでどのプランで行くんですか?」


「え? ああ、そうだな」


 プランCのことなんてすっかり思考の外にあった。さてどうするか。

 聖女が怪訝そうな表情を向ける。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。プランBでいこう。それで初日の成果が芳しくなかったらプランAに変更だ。こっそり森に魔物を捕獲にくればいいだろう」


 自分でもプランAを捨てきれない辺りにモヤモヤしたものを感じるが、ここは敵国の国民ってことで納得しよう。


「そう気にすることありませんよ。所詮は敵国の国民です。それに聞けば今まで一度も奴隷狩りや戦場になったことのない町だそうじゃないですか。これを機会に少しは危機管理を学んでもらいましょう」


 敵国の国民を教育するのかよ。

 だいたい、『所詮は敵国の国民』ってところから『危機管理を学んでもらう』ってところまで何の繋がりもないんじゃないのか?


「それにプランAは私たちにお似合いですよ。正義の味方じゃないですからねー、とっ」


 いつもの朗らかな口調でそう言うと、木の枝から飛び降り俺の傍らへと降り立つ。


 聖女の言葉が胸を抉る。

 確かにその通りだ。俺たちは正義の味方じゃない。単に自分たちの身の安全のために動いている。この異世界を救うことだって偶々たまたま手段が一致しているというだけだ。


 考えてみれば割と酷いことをしてきているような気もする。

 割り切りというか、自覚を持ってそれやっている分、聖女の方が覚悟ができているのかもしれない。


 この異世界に生きる人々と少しかかわりすぎたのかもしれないが、『この異世界を救いたい』という気持ちに嘘はない。

 いや、思い上がりかもしれないが、『救うことができるのは俺たちしかいない』とさえ思っている。

 

「ああ、正義の味方じゃないが目的はこの異世界を救うことだ。それは間違いない。さあ、行こうか」


「まだ捨てきれていませんねー。もっと自分の欲望に素直になりましょうよ」


「いいから行くぞっ!」


 聖女のからかいとも本音とも取れそうな言葉を背中で聞きながら、連れ立って眼下の町へと向かった。


 ◇

 ◆

 ◇


 一応、行商をしながら旅をしてきたことを装い、ガザン王国へと続く街道をシドフの町へ向けて歩いていく。

 町の出入り口まで五百メートルの距離にあるが、俺たちの前後に人影はない。


 俺たちが森の中から偵察をしている間――朝の六時から九時過ぎまでのおよそ三時間、シドフの町へ入っていった集団は仕事帰りと思しき探索者のパーティが六つと行商人が三つ。行商人は三つとも大型の馬車一台の小規模なものだった。


 俺たちが町を囲む石壁を右手にして緩やかなカーブを少し進むと、高さ七・八メートルくらいありそうな木製の扉を備えた堅牢な門が見えてきた。

 門の外には門番が二名立っている。彼らの傍らには書類手続き用の机が一脚と門番の詰め所と思しき小さな建物があった。少し大きめの町ならよく見る当たり前の光景だ。


「昨日偵察のときに見た装備と一緒ですね」


 俺の隣を歩く聖女が門番二人を単眼鏡で覗き込んでいる。


『金色の狼』率いる軍と同じ装備? あの門番は正規兵か。カズサ第三王女一行が用意していた偽造証がそう簡単に見破られるとは思わないが、警戒しておいた方がいいな。


「さあ、偽造証の出来を試すときが来たぞ。用意しておけよ」


「その『用意』は偽造証ですか? それとも戦闘の用意ですか?」


「偽造証と逃亡だ」


 聖女が単眼鏡をマジックバッグに収納するのを横目に見ながら門番の待つ入り口へと足を速めた。


 ◇


「そこで止まって武装を解除しろ!」


 偽造証を用意して近づく俺たちに向かって門番の鋭い声が響く。手にした槍こそ構えていないが視線は鋭い。


「治癒術師ですっ! 行商をしながら旅をしています。目的地はガザン王国」


 指示通りに武装解除をして商人ギルドと探索者ギルドのギルド証を二人分提示する。ギルド証を渡された門番は聖女の胸元に固定した視線を迷惑そうに一瞬だけギルド証に走らせると、すぐさま視線を戻してギルド証を乱暴に返してよこした。


 驚いた、何もチェックしていない。これじゃ偽造証が本当に通用するものかどうかの判断も出来ないじゃないか。

 俺たちが偽造証をマジックバッグにしまっているともう一人の門番が声を掛けてきた。


「入町税、ひとり銀貨一枚だ」


 彼はそう言うと、本来はギルド証の確認といった書類手続きの作業を行うはずの机の上にギシリッと机の脚を軋ませて乱暴に腰をおろした。


「こちらでよろしいでしょうか?」


 俺と聖女の二人分の銀貨二枚を机の上に置いて、そこに座っている門番にお伺いを立てるとだらしなく口元を綻ばせる。


「うん、税の方はな。だが――」

 

 門番は机の上の銀貨から聖女に視線を固定しているもう一人の門番に向かって一際大きな声で語りかけた。


「――俺たちへの感謝の気持ちってものが足りないよなあ」


「相談に乗るぞ。金がないなら違うものでもいいんだぜ」


 もう一人の門番は視線を聖女に向けたままこちらを見向きもせず言った。視線と意識は完全に聖女をロックオンしている。

 机の上に座っている門番の意識まで聖女に向くとまずいな。


 チャリン、チャリン、チャリーン 。チャリ、チャリ、リーン。


 わざと銀貨の音を響かせて机の上に積み上げていく。銀貨の塔を作る。

 机の上に座った門番の視線が机の上に積み上げた銀貨にクギ付けになり、聖女をロックオンしていた門番が銀貨の触れ合う音に視線をこちらへと向けた。


 チャリン、チャリーン――――


 二人の門番の視線がこちらを向いたタイミングで右手に持った銀貨をさらに机の上に積み上げていく。彼らの目の前で銀貨の塔が出来上がっていく。


「私たちの気持ちです。如何でしょうか?」


 俺の言葉に、二人の門番は机の上に積みあがった二十枚ほどの銀貨の塔を見つめたまま答えてくれた。


「ああ、問題ない。十分だ」


「お前らの気持ちは十分に伝わった。何かあれば言ってこい」


 机の上に積まれた二十枚の銀貨に手を伸ばそうとしたところで、俺はその銀貨の塔の隣にさらに銀貨を積み上げて新たな塔を作る。


「私たちはこの町は初めてですので、いろいろと教えていただきたいのですがお願いできますか?」


 そう言いながらなおも銀貨を積み上げる。

 二人の門番はだらしない笑みを浮かべながら無言で何度もうなずく。もはや聖女のことは意識の外のようだ。二人の視線と意識は机の上の銀貨の塔から俺へと完全に移っていた。

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