第256話 報告と出立(6)

「――――では、全軍への発表は明日の朝でお願い致します。その他諸々、面倒とは思いますがよろしくお願い致します」


「了解した。万事手はず通りにやろう」


 俺とリューブラント侯爵は静かに寝息を立てるマリエルの上で握手を交わした。


「『チェックメイト』の合流ですが、明日の昼過ぎには先行するメンバーが到着できるように計らいます」


「全員が合流するのではないのか?」


 リューブラント侯爵が怪訝そうな顔を向ける。侯爵の疑問には答えずに本日最大の問題となりそうな案件を切り出す。


「先ほど私の仲間から緊急の連絡が入りました」


 先ほど入手した情報だが緊急度はかなり高いはずだ。俺はリューブラント侯爵の目を真直ぐに見つめて話を続ける。


「ガザン王国へ向けて軍が迫っています。兵数は三万。中核をなすのは歩兵。掲げられた軍旗には剣を噛み砕く金色の狼が描かれていたそうです」


 俺の報告にリューブラント侯爵の双眸が大きく見開かれると一人の人物の名前をこぼすとそのまま黙り込んでしまった。


「アンセルム・ティルス」


 強敵なのか? リューブラント侯爵の反応を見る限り厄介な敵のようだ。


「どのような将軍でしょうか?」


「戦巧者だ、ベルエルス王国随一の将軍だよ。窮地に陥ったというのを聞いたことがない」


 やはり強敵か。戦巧者ってことは用兵が上手いのか。窮地に陥ったことがないというのは事前準備がよほどしっかりしているのだろう。慎重派か?

 最も戦いたくないタイプかもしれない。


 俺が黙って聞いているとリューブラント侯爵はさらに続ける。


「ひと言で言えば明哲な男だ。私が知る限り近隣諸国で彼以上に戦いたくない男は居ない。ともかく頭が切れる」


 本物の知将かよ。知識でどうにかなる相手ならともかく本物の知将と知恵比べなんて遠慮したい。真っ向勝負は避けた方がよさそうな相手だな。


「位置はどこだ? どこまで迫っている」


 リューブラント侯爵の語調がきつい。余裕がみられない。


「ガザン王国とベルエルス王国との国境の町――シドフの町まで四日の距離です。そこから先は山脈があるので迂回するなら二十日以上、山脈越えができたとしたら十数日といったところでしょう」


「馬を捨ててでも山脈を越えて来るとしたら……。ここからベール城塞都市まで二日。城塞都市の攻略を十日間ほどでやらなければならないのか」


 リューブラント侯爵がそうつぶやいて押し黙ると表情を一層険しくした。


「迂回するにしろ山脈越えをするにしろ、王都とベール城塞都市とを繋ぐ街道を行軍してくるでしょうから、山を崩して足止めをすれば少しは時間が稼げます」


「歩兵中心の軍だ。ろくな足止めにはらんよ、本当に気休め程度だな」


「足止めを我々が受け持ちましょうか?」


 俺の提案にリューブラント侯爵が反応した。まるで『先を続けろ』と言っているような視線を向けている。

 押し黙っている侯爵に向けて俺はさらに話を続けた。


「その金色の狼とかが厄介な敵ならば、なおさら足止めが必要でしょう。もちろん肝心のベール城塞都市陥落を急ぐ必要があります。我々『チェックメイト』も協力を惜しみません」


「やってくれるか?」


「もとよりそのつもりです。どうご協力するかは一旦帰って仲間と相談をしますが、おそらく金色の狼の足止めをしつつベール城塞都市攻略になると思います」


「まあ、どちらも必要か」


 大きなため息をつくとソファーに深く座りなおして天井を仰ぐリューブラント侯爵に向けて、造作もない事のように語り掛ける。


「金色の狼には無駄足を踏んでもらうことにしましょう」


 俺の言葉にリューブラント侯爵が驚きの視線を向けた。俺はその視線を、口元を綻ばせて余裕の笑みで受け止めるとさらに続ける。


「彼らが到着する前に城塞都市を落として、我々はグランフェルト領へ向かいます。カナン王国軍には我々がグランフェルトを陥落させるまで、ベール城塞都市で金色の狼と対峙してもらうのが望ましいです。具体的な作戦は次の合流までに立案しておきます」


 口では事もなげに言ったが内心は違う。金色の狼との戦闘を避けるための方策を考えなければならないことに気が重くなる。

 

「もちろん我々も知恵を絞るが、君たちのことは頼りにしているよ」


 リューブラント侯爵はそう言い終えると、『いまさらだが』と前置きして恨めしげな表情を作った。


「この情報は黒色火薬よりも重要な情報だ。できれば何を差し置いても報せて欲しかったな」


「この情報を先にお報せしては先ほどの――我々チェックメイトが『ラウラ・グランフェルト伯爵陣営で参戦する』という提案の価値が下がってしまいますよね」


 この状況で俺たちがカナン王国側に戻って城塞都市攻略戦に参加するとか下策過ぎる。

 航空戦力としてだけでなく、機動力と火力を兼ね備えた部隊として援軍の足止めと城塞都市攻略戦の双方に参戦するのが理想だ。この情報を先に話していたら提案どころか必然的にその役割が回って来てしまう。


「そういうことか」


 リューブラント侯爵が渋面を作ったところで、『そろそろ仲間のもとに帰還したいので――――』と切り出して席を立とうとするとストップが掛かった。


「グランフェルト領への進軍で少し相談がある」


 ◇

 ◆

 ◇


 リューブラント侯爵との会談は既に予定を大幅に超過している。小一時間の予定が既に一時間半以上だ。

 グランフェルト領への進軍の話は直ぐに終わった。


「ちょっと待ってください。先ほどラウラ姫のことは『時間があるのでゆっくり考えてくれればいい』とおっしゃったじゃないですか」


「気が変わった」


 気が変わった、じゃないだろう。


「婚約でどうかね?」


 何がどうかね? だ。


「いや、ラウラ姫はまだ十一歳ですよね」


「ほどなく十二歳になる。貴族の婚姻としては普通だよ。ましてや今のラウラに何かあった場合はグランフェルト家が潰える。明日と言わず今日にでも婚姻しても良い状況だとは思わんかね?」


『思わねぇよっ!』という言葉を飲み込んで出来るだけ落ち着いた口調で返す。


「貴族の常識は知りませんが、私の常識ではさすがに早すぎます」


 黒アリスちゃんに手を出すのさえ躊躇っている自分の道徳心の高さに感心しながら話を続ける。


「幾らなんでも幼すぎます。心も身体もまだまだ発育途上じゃないですか。それに私はいつの間にか貴族に列されていましたが新興の貴族、それも下級貴族です。身分も釣り合いません」


『伯爵はダメで女神さまはよいのか?』という言葉が俺の心を締め付けるが、気にしないでおこう。


「何だ、ラウラの年齢のことなら気にすることはない。それこそ時間が解決してくれる」


 そりゃあ、時間が解決してくれるだろよ。

 そんな俺のナイーブな心内などに気の回らないリューブラント侯爵は笑顔を絶やすことなく続ける。


「身分もそうだ。必要なら終戦後に侯爵位を贈ろう」


 どうだと言わんばかりの得意気な表情だ。


「いやいや、話が逸れています。戻しましょう」


 冗談じゃない。今ここで形だけでもラウラ姫と婚約なんて自分たちの手札を減らすだけだ。


「おそらくカズサ第三王女のことを気にされてのことだと思いますが――――」


 俺はリューブラント侯爵が警戒しているだろうカズサ第三王女との間には何も起きる可能性がないこと。

 多少脚色をして、カズサ第三王女とテリーが急速に接近しており、テリーもその気であること。そして、『チェックメイト』としても一人の友人としてもテリーとカズサ第三王女との間を応援していることを伝えた。


「なるほどな。テリー君か……」


 リューブラント侯爵のその思案気な表情からは何も読み取れないが……。絶対に気付いたよな、ラウラ姫とカズサ第三王女を手札として利用しようとしていることに。


「次はベルエルス王国の王女をかどわかしてボギー殿かロビン君あたりで取り込みに入るのかな?」


 意地の悪そうな顔になっている。

 いやいや、何だよそれ。俺たちのことをどんな集団だと思っているんだ? そう遠くない将来、イメージ改善の必要がありそうだ。


「いえ、その様なことは考えていません。カズサ第三王女についても成り行きでした――――」


 再びカズサ第三王女が同行することになった経緯いきさつを説明することになった。言い訳がましくならないよう、事実を端的に伝えた。


 ソファーにもたれ掛かると両腕を広げるようにして両肘をソファーの背もたれに掛け、すっかりリラックスした雰囲気で話し出した。


「何だ期待はずれだな。そちら方面の搦め手も上手くこなせるのかと期待したのだが。とはいえ、突発的な状況を臨機応変に利用する機転を持っていることが分かって嬉しいよ」


 ダメだ。手札として利用しようとすることは揺るがないようだ。


「ありがとうございます。では今度こそ失礼致します」


『 ハハハハッ』と高らかに響くリューブラント侯爵の笑い声を背に受けながら、急ぎ帰還すべくメロディとミランダのもとへと向かった。

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