第255話 報告と出立(5)

 とっくに魔力切れを起こしているはずのメロディとミランダに会いたいと伝えると、彼女たちが休息中だというテントへと案内された。

 テントの中に入るとメロディとミランダ、そして疲れ切った二人の様子を表しているのか、うなだれた状態で二人の頭上をフラフラと旋回しているマリエルが居た。


 治療班の責任者の話では『魔力が切れる前に休憩に入ってもらった』という事だが、テントの中とはいえぐったりとした様子で椅子に座っている姿を見る限り、とても余裕を持って休ませているとは思えない。

 どう見ても魔力切れ寸前の状態だ。外に並んでいる怪我人の方がよほど元気そうだ。


 直ぐに俺に気付いて真直ぐにこちらへと飛んで来たマリエルを抱きかかえるようにして受け止める。


「ご苦労さま。随分と頑張ってくれたみたいだな、ありがとう」


 俺がテント内に入ってきたことに気付いていない様子の二人に声を掛けると、二人とも足元をふら付かせながら慌てて椅子から立ち上がった。


「ご主人さま、お疲れさまでした」


「フジワラさん、お疲れ様です。報告会、随分と長かったようですが……」


 ミランダの言葉を軽く前に掲げた左手で制して部屋の中央へと歩いていく。


「二人とも魔力切れなんだろう? そのまま休んでいてくれ、魔力の譲渡をするからさ」


「ミチナガー、帰ろうー。飽きたー、遊びたいよー」


 今まで遊んでいたはずのマリエルが俺の周りをグルグルと回りながら騒がしく訴えている。そんな彼女の視界に映るようにハチミツの壷を取り出すと、すぐさま進路を変更して飛びつく様にハチミツの壷に抱きついた。

 俺はハチミツの壷からそっと手を離して、幸せそうな顔のマリエルに声を掛ける。


「これ、舐めてていいからもう少しだけ待っていてくれ」


 俺は壷に抱きついたままコクコクとうなずくマリエルを背にメロディとミランダのもとへと向かった。


 ◇


 二人への魔力譲渡を終えたところで椅子に座って休んでいる彼女たちに向き直る。


「この後、リューブラント侯爵と二人きりでの会談がある。おそらく小一時間かかるだろう。それが終わったらすぐに戻るのでそのつもりでいてくれ」


「ご主人さま、かしこまりました」


「はい、分かりました。治療の方は続行しますか?」


「そうだな」


 ここで二人が再び魔力切れを起こしたとしても俺の魔力には十分に余裕がある。獣人であるメロディの魔力はもともと少ないし、ミランダの魔力は多いといっても俺の負担になるほどでもない。

 ここは俺だけでなく、メロディやミランダの顔も売っておくか。


「治療は再開して欲しい、頼む。ただし、先程みたいに魔力切れ寸前までの協力はやめてくれよ」


「かしこまりました」


「はい」


 冗談めかした口調の言葉にメロディとミランダが短い返事で了解の意思を示すと、治療を再開するためにテントの外へ出て行った。


 彼女たちの後ろ姿を見送った後、俺の傍らでハチミツを舐めているマリエルからハチミツの壷を回収する。


「ほらっ、俺たちもそろそろ行こうか?」


「あーダメーっ! ミチナガ、酷い!」


「リューブラント侯爵のテントについたら返すよ。ちょっと預かるだけだ」


「今欲しいのー、まだたくさん残ってるのにー」


 背後からマリエルの抗議の声を受けながらメロディとミランダに遅れてテントの外へと向かった。


 ◇


 メロディとミランダが治療の席に戻るや否や二人の前に瞬く間に列ができた。他の列に並んでいた連中が怒涛の勢いで駆け寄ってきた。

 こいつら、本当に治療が必要なのか? そんな疑問が胸をぎる。


 二人の前に長蛇の列ができているがあきらかにミランダの前にできている列の方が長い。おおよその見当はつく。

 メロディは美少女だしミランダも美人だ。私見だがアイリスの娘たちの中で一番美人だ。最初こそ二人の前に並ぶ男の数に差はなかっただろう。しかし、ようやく順番が回ってきても『顔が恐い』とか『顔が悪い』とかの理不尽な理由で泣き叫ばれて治療も受けられない気の毒な怪我人が続出したに違いない。


 そんな気の毒な怪我人を隣のミランダが優しく治療をする。

 ミランダは優しく人当たりが良い上に、メロディと違って顔や性別で治療相手を選ばない。自然と人気が集中するのもうなずける。うん、ミランダが第二の聖女にならないことだけは祈っておこう。


 俺がそんな二人の前に並ぶ下心が透けて見える、とても元気そうな怪我人たちを苦々しい思いで眺めているとマリエルが涙を流しながら頭上から声を掛けた。


「ハチミツー。ミチナガー、ハチミツー」


「これからリューブラント侯爵のところに行くけど、そこで大人しくしているならさっきのハチミツをもう一度渡そう」


「うんうん、大人しくしてる!」


 即答だ。

 俺の頭上を大きく一回旋回すると左肩の上に降り立ち、両足を俺の左胸の方に投げ出すようにして肩に座った。


 マリエルがメロディとミランダのテントへと続く治療の列に目を向けたまま、言葉の端に懐疑的な響きを持たせて聞いてきた。


「お話が終わったらすぐ帰る?」


「ああ、直ぐに帰るさ。治療が途中でも引き上げる。どう転んでも急ぎ対処しなければならないことが起きたからな」


 そう告げてリューブラント侯爵の待つテントへ向けて歩を進めた。


 ◇

 ◆

 ◇


「黒色火薬の知識と技術を今すぐ提供するのが難しいということは分かった。だが、黒色火薬の魅力を散々我々に語っておいて、今になって『教えるのは先』というのは少し酷じゃないか?」


 リューブラント侯爵がゆっくりとソファーの背もたれに寄りかかると不満そうな顔で鋭い視線を向けてきた。俺はその視線を漆塗りのテーブルを挟んで真正面から受け止める。

 テーブルの上にはお互いに手付かずですっかり冷めてしまったお茶が置かれたままだ。その二つのティーカップの横ではマリエルが幸せそうに空になったハチミツの壷に寄りかかっている。


 黒色火薬と銃――火縄銃程度のものだが、それが抱えるリスクについて一通り説明をしたのだがリスクが十分に伝わって居ない。

 この異世界には地球と違って魔法がある。黒色火薬や銃が登場すれば戦い方が変わる。だが、地球に黒色火薬や銃が登場したときのようなドラスティックな衝撃はない。あくまで魔術や魔道具の補完、延長だ。


 確かにそう考えれば俺たちが少し神経質になり過ぎているのかもしれない。

 黒色火薬も銃も『プロメテウスの火』だ。メリットもあればデメリットもある。


 この戦いで黒色火薬が使われるようなことがあれば情報を開示する。ただし、リスクを報せた上で緩やかな開示とする。これが王都で黒色火薬の存在を知ったときの俺たちの結論だ。

 問題はリスクの周知と開示の速度だ。果たしてどこまでコントロールできるか。


 もちろんそれ以上の危惧もある。

 これまでガザン王家が秘匿してきた黒色火薬に関する情報がここにきて急に表に出て来ている。さらにそこに転移者が絡んでいる。


 最も警戒しなければならないのは転移者が黒色火薬の情報を持って他国へ行くこと。

 次点でガザン王家が黒色火薬をエサに既に他国に救援を求めている可能性。

 この場合、情報開示の速度を速めるだけではすまないかも知れない。新たな技術革新――ハンドガンやライフルに連射の機構を組み込むとか大砲の開発が必要になる。


 いや、やめよう。

 俺は大きくかぶりを振ると白アリやボギーさんたちとの会話で持ち上がった危惧を無理やり思考の外へと追い出して、リューブラント侯爵との会話を再開した。


「情報の開示は致します。ただ、ベール城塞都市攻略に間に合わせるような開示は難しいということです」


「カナン王国軍と挟撃の形は取れるがベール城塞都市は堅牢だ。そこに現在考えられる限りの最悪の軍事力と人材が立てこもっている。我々だけでなくカナン王国軍にも相当の被害がでることになるだろう。王弟殿下の率いてきた軍だけが被害を受けるならいいが、ルウェリン伯爵の軍が被害を受けるのは君も困るのではないかな」


 王弟殿下の軍を切って捨てる発言を何の躊躇いもなくするあたり、よく分かっているし頼もしくもある。

 しかし、黒色火薬の情報開示についてグダグダと話をする時間が惜しい。こちらも切り札を切るとするか。


「知識不足で利用する黒色火薬と我々『チェックメイト』。どちらが役に立つとお考えですか?」


「もちろん君たちだよ。だがそれは城塞都市攻略では相応の働きを期待してもよいということかね?」


「もちろんです。できる限りリューブラント侯爵のお力になるつもりです」


「カナン陣営でなく、我が方でという理解でよいかな?」


「はい。ラウラ・グランフェルト伯爵陣営として参戦させて頂きます」


 俺の言葉にリューブラント侯爵の口元が綻ぶ。


「その言葉が聞きたかったんだ。ベール城塞都市攻略戦では君たち『チェックメイト』の働きをあてにしているよ」


 満面の笑みでリューブラント侯爵が右手を差し出した。

 侯爵としては言質をとって『してやったり』というところだろうが、こちらとしては予定していたことなので問題ない。俺は侯爵の機嫌を損ねないように『してやられた』感を漂わせて右手を取った。


 それよりも書簡の内容だ。書簡にあった情報への対処次第ではもっと精力的に働くことになるが……それは後回しだ。


「話を再開しましょう。黒色火薬はリューブラント侯爵にとって最大の戦利品となるはずです」


 俺の言葉に無言でうなずくリューブラント侯爵に向けてさらに続ける。


「ベール城塞都市で功績の大きかった貴族に対して褒美として黒色火薬の情報を与えるのです。そうですね、約束は明日にでも。与えるのは終戦後で十分でしょう。何れは開示される情報が幾分か早まる程度ですが、こぞって欲しがると思いますよ」


 リューブラント侯爵の双眸が見開かれた。

 この反応を見る限り黒色火薬の情報を褒美として与えることは考えていなかったようだ。自分が情報を手にすることで精一杯だったのだろう。俺はそんな侯爵の反応など気付いていないように冷めたお茶を一口すする。


「領地や権利、金銀財宝といった数に限りのあるものを使わずにすみます」


 リューブラント侯爵は普段は飲まないであろう冷めたお茶を一気に飲み干すと快活に笑いだし俺に先を促した。


「なるほど、魅力的な提案だ。続きを話したまえ」


「何をどの程度与えるのか。情報の開示については私たちがお手伝いさせて頂きます。今回の戦争で失った戦力を黒色火薬と火縄銃で補いましょう。それで十分に外敵と国内の不穏分子への備えはできるはずです」


 俺の言葉にリューブラント侯爵が笑顔でうなずく。

 俺とリューブラント侯爵は穏やかな寝息を立てるマリエルを挟んで、黒色火薬の情報開示について和やかな雰囲気で話し合いを続けた。

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