第205話 思考

 リューブラント侯爵との会談から解放されたのは日付も変わってからだった。

 こちらの異世界の生活習慣は地球の中世世界がそうであったように朝は早く夜も早い。それこそ日の出と共に活動して日の入りから程なく就寝する人たちが圧倒的に多数派である。


 もちろん例外はある。特に富裕層がそれだ。

 地球の中世世界との最も大きな違いは魔法である。その魔法を利用した魔道具により現代社会ほどではないが、それでも陽が沈んでからも容易に生活できるだけの十分な明かりを手に入れている。


 そして俺はそれに見事に付き合わされた。しかも明日は朝から隣の領地との境界に出没する盗賊の掃討作戦にかり出されることになってしまった。いや、もっと正確に言うなら三ヶ所ある盗賊出没スポットのうちの一つを俺たちチェックメイトだけで請け負うことになった。

 もちろん、つい先ほど決まったことなので他のメンバーは知らない。明日の朝は恨み言のひとつふたつは言われそうだな。


 明日の盗賊討伐よりも朝から討伐に出発することを説明しなければならないことに幾分か気落ちしながら部屋の扉をくぐった。


「疲れた……」


 部屋に戻るなりベッドへと仰向けに倒れ込む。俺の身体の重さにより羽毛の掛け布団と敷き布団との間から空気が圧し出された。圧し出された空気と羽毛とが倒れ込む勢いを吸収して衝撃を大きく減じてベッドへと沈み込むように受け止める。

 疲れたとはいっても肉体的な疲労はほとんどない。疲労の大半は精神的なものだ。何だろう、ひとりで貧乏くじを引きまくっている気がする。


 ベッドに倒れ込んだままテーブルの上を見やるとほのかな明かりの中に竹で編まれたバスケットが浮かび上がる。バスケットの中には部屋に備え付けられてるのと変わらないほどの高価な素材で出来た寝具が詰められ、その寝具の中でマリエルが静かに寝息を立てていた。

 マリエルのわずかな寝息が聞こえるほどに部屋は静まり返っている。


 服を脱ぐのも面倒になり、そのま目を閉じていると誰かに顔を撫で回されるような感覚で意識を引き戻された。何だ? いつの間にか眠ってしまったのか?

 目を開けると薄明かりの中、澄んだ青い色が飛び込んできた。


 薄暗闇の中でさらに目を凝らすとそこにはここのところ毎晩のように見ている大きく澄んだ青い双眸があった。

 女神さまだ。俺の身体の上でうつ伏せの体勢で顔を覗き込んでいる。


 え? 女神さま? 今回は妙な導入だな。今夜はどんなシチュエーションなんだろう。

 女神さまとの夢の中での逢瀬おうせは毎回異なる場所と時間が用意されており、なかなかに飽きないのだがときどき今回のように状況把握に戸惑うことがある。今回もそうだ。


 だが、そんな俺の戸惑いなどお構いなしに女神さまが俺の顔で遊んでいる。何をしているのか知らないが楽しいんだろうか。

 さらに覚醒が進むと顔を撫で回していたモノに焦点が合い薄明かりの中ではあるがはっきりと像を結ぶ。髪の毛だ。女神さまの長く艶やかな金髪を筆のように束ねて俺の顔の上を這わせて遊んでいたようだ。


「何をしているんですか?」


「だって眠っちゃうんですもの」


 俺の身体の上でうつ伏せに横たわっている女神さまに声をかけると、髪の毛で俺の顔を撫で回すのを止めて少し拗ねたような表情で視線を逸らせる。


「いや、夢の中で出てくるんだし眠っても問題ないでしょう」


 そもそも俺の質問に答えてませんよね。という言葉は呑み込んで首だけを持ち上げて左右に視線を走らせる。だが、左右に走らせた視線はすぐに正面の女神さまに固定された。

 念のため空間魔法で視覚を天井付近に飛ばして俯瞰ふかんすると一糸まとわぬ姿の女神さまの姿が浮かぶ――仄かな明かりに照らされた白い肌が薄暗闇の中に映える。


「久しぶりですね」


 ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめながら顔を近づけてくる。


「服はどこですか?」


 俺の質問に答えるつもりが無さそうな女神さまに取り敢えず答え易そうな質問を投げかけてみた。


 身体を起こして俺の上に座りなおすと潤んだ視線で俺を真っすぐに見つめたまま、右手をゆっくりと肩の高さまで上げると人差し指で椅子の方を優美に指差した。

 女神さまの動きに釣られて後ろ髪を引かれる思いで女神さまの指差す先に視線を向けると椅子の上に奇麗に畳まれた服が置かれていた。


 女神さまの衣服から視線を戻す矢先に女神さまの素肌が俺の素肌に触れる感触が伝わってきた。

 あれ? 素肌の感触に慌てて視覚を飛ばして自分の姿を俯瞰ふかんすると女神さまだけでなく俺自身もいつの間にか一糸まとわぬ状態となってた。何が起きたんだ?


「あちらに」


 俺の表情から疑問を読み取ったのか左腕で隠しきれない胸を隠すようにして答える。再び女神さまの指差す先に視線を向けるともうひとつの椅子――先ほどまで空いていた椅子の背に俺の服が掛けられていた。


「空間魔法で服だけ飛ばしました」


 俺の『どうやって?』とのつぶやきに口元を左手で軽く隠してクスクスと可愛らしく笑う。


 空間魔法で飛ばした? 飛ばして椅子の背に掛けた? 何て器用なんだ。俺たちの誰よりも自在に魔法を使っている。さすがは女神さまだ。


 だが、今はもっと気になることがある。

 

「これって夢の中じゃないですよね?」


「夢の中が良いんですか? 現実は嫌ですか?」


 恐る恐る尋ねる俺に拗ねたような少し寂しそうな感情がない交ぜとなった表情を見せる。


「いいえ、現実も大好きですし光栄です。ですが、ここは人様の屋敷ですし毎朝メイドさんがベッドメイクとかしてくれるので不味いかなあと」


「大丈夫ですよ」


 いや、『大丈夫ですよ』じゃないから。疑いの目が女神さまに向く可能性は限りなくゼロに近いが俺が蔑んだ目で見られる確率は極めて高い。

 そんな俺の心中をよそに女神さまは慈愛に満ちたほほ笑みと優しげな口調でさらに続ける。


「結界を張っているので音や魔力が漏れることもありませんし外から人が侵入することもできません。もちろん空間魔法を用いて覗くことも出来ないので安心してください」


 どこか誇らしげな表情の女神さまを見つめながら、そっと細い腰に手を回して抱き寄せる。

 この際だ、諸々のことは目を瞑ることにしよう。こちらもいろいろと限界だ。


「ところで、今夜はどんな設定にしますか?」


「優しく求められて拒みきれずに、というのでお願いします」


 潤んだ瞳と紅潮して頬でささやくようにつぶやきと共に吐息が漏れたその唇をそっと塞いだ。


 ◇

 ◆

 ◇


 俺の傍らに横たわって、美しい金髪を筆のように束ねた毛先で俺の胸を撫でている女神さまにかねてより疑問に思っていたことを問い掛ける。


「ところで、ダンジョンの攻略って何を以て攻略と認定されるんですか?」


「ダンジョンコアを破壊するか台座から外してダンジョンの外へ持ち出せば攻略したことになります。別の見方をすればダンジョンの守護者を仕留めてもダンジョンコアが健在なら攻略したことにはなりません」


 俺の質問に一瞬キョトンとするが右手を止めることなく、直ぐに真面目な表情で答えを返してくれた。三時間ほど前の聞こえてないかのように適当にはぐらかしていた女神さまと同一の女神さまとは思えない素直さだ。

 俺は身体を横向きにして女神さまに向き直ると、さらに湧き上がった疑問を口にする。


「ダンジョンコアを一度ダンジョンの外に持ち出して再び台座に戻した場合はどうなるんですか?」


「魔力供給されるので機能は回復しますがもとに戻ったことにはなりませんね。勘違いのないように付け加えれば、戻したダンジョンコアを再び取り外しても再度攻略したことにはなりませんよ」


 俺と同じような質問をした人物がいるのかと思えるくらいに具体的な回答が即時返された。


「一度攻略したダンジョンはもう復活はしないんですか?」


「復活するには守護者が生きていて、且つ、ダンジョン内の魔素を台座が吸収して再度ダンジョンコアを生成する必要があります。そのためには周囲の魔素が一定以上の濃度がないと無理です」


 なるほど、無理に戦わずとも守護者を出し抜いてダンジョンコアだけ奪うだけで十分な訳か。思わぬ手抜きの攻略方法につい口元が緩んでしまう。

 それに応用も利きそうだな。


「どうしましたか?」


 怪訝そうに俺の顔を覗き込んだかと思うと直ぐに女神さまが瞳を輝かせて小さくほほ笑んだ。


「当ててみましょうか? 何か悪いこと考えてるんでしょう?」


「悪いことなんて考えてませんよ。とても良いことです、女神さまにとってもですよ。それとも女神さまは悪い男が好みですか?」


「いいえ、私は誠実な男性が好みです。信じてますよ」


 楽しそうに瞳を輝かせている女神さまに向かって少しだけ意地悪をするように聞き返す俺に向かって、屈託のない笑みを湛えたかと思うとそのまま俺の胸に顔をうずめる。


 良心が痛む。良心の痛みを――自分自身を誤魔化すように俺の胸に顔をうずめる女神さまの後頭部にそっと手を添えると現実逃避するように明日のことに思考を切り替える。

 俺は新たなダンジョンの攻略方法を目くらましにして、リューブラント侯爵からの盗賊討伐の依頼を皆に受け入れられ易く話すシナリオを頭の中で組み立てていた。

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