第204話 進軍の段取り

 親書に熱した封蝋が垂らされ印鑑代わりとなる短剣の柄頭の部分が押し当てられる。短剣が持ち上げられると封蝋には、くっきりとリューブラント侯爵の紋章が刻まれてた。


「よろしく頼むよ」


「ありがとうございます。正直、これで肩の荷がおりた思いです」


 カナン王国への味方――平たく言えばカナン王国への寝返りを約束する旨が書かれた親書をリューブラント侯爵から恭しく受け取る。


 親書はカナン王国の国王宛ではなくルウェリン伯爵宛てだ。その宛名を見ると改めて諸侯の力が強いことを再認識する。

 仮にカナン王家がリューブラント侯爵の寝返りを認めなかったり戦後に冷遇をしたりしようものなら、カナン王家はルウェリン伯爵とリューブラント侯爵を相手にすることになる。最悪は戦争だ。


 ルウェリン伯爵には多数の味方となる諸侯と寄子がいる。もちろんリューブラント侯爵にもだ。はっきり言ってこの二つの派閥を向こうに回してはカナン王家に勝ち目はない。

 ましてや、もしそのようなことになれば俺たちが味方となる。リューブラント侯爵が余裕の表情で親書を手渡したのもうなずける。


「十日間ですか。随分と短時間で準備が整うんですね。もう少し、そうですね二週……十四日間くらいは掛かると思っていました」


「十四日間とは随分と中途半端な日数だな」


 リューブラント侯爵が怪訝そうな表情でそう聞くと、ゆっくりとソファーの背もたれに体重をあずけながら口元を緩め楽しそうに話を続ける。


「いまさら余計な時間を掛けるつもりもない。聞こえてくる戦況を考えれば投入する戦力もそうだが、周囲へ与える影響や驚きの方が重要なのだろう? そのためには寝返る諸侯の数と速度だ」


 十四日間――二週間これが準備に費やせる時間の限界と考えていた。

 二週間という日数も準備を途中で切り上げるなり取りあえずの準備で出兵をして、後から戦力を取り繕うくらいの心積もりでいた。だがそれを大幅に短縮した日数がリューブラント侯爵から伝えられた。


 この異世界には曜日がない。現代日本だと一週間後というのがひとつの区切りとなるが、こちらでは五日間が区切りとしてよく使われる。

 典型的なのが役所の勤務形態や雇用形態だ。四日間働いて一日休む。或いは、八日間働いて二日間休む。これが一般的である。給金も日払いや五日間、十日間毎に払われるのが通例だ。


 そしてリューブラント侯爵が寝返るにあたり出してきた準備期間が十日間である。

 この十日間でベール城塞都市へ向けての出兵準備を完了させる。さらにリューブラント侯爵の寄子や懇意にしている貴族を引き込む。そのためにリューブラント侯爵が必要と判断した時間だ。


 短い。


 自領の兵を招集し後事を託せる状態にするにしても短いが、寄子の説得ましてや他の貴族の説得に十日間。果たして何処まで出来るのか。

 まあ、ここまでのリューブラント侯爵のやりようや噂を総合して判断する限り、裏付けも無しに十日間という日数を回答したとも思えない。心配をしても仕方がないか。何よりも目の前の余裕の表情とこちらがその速度に軽い驚きを見せているのを楽しそうに眺めている。


 むしろ、こちらが考えているよりも以前から準備を進めていたと考えたほうが正解かもしれない。

 それこそグランフェルト領のクーデターの直後かも知れない。最愛の末娘と孫たちを殺害した現グランフェルト辺境伯を罰することのできない王家に愛想を尽かせた。十分にありえる話だ。


 或いは、三年前のバルド王国攻略戦のときか。

 三年前のガザン王国とバルド王国との戦も相当に無謀な戦で熾烈な消耗戦だったと聞いている。そこで何某とかいう公爵の無謀な指揮下で手痛い敗戦を喫していた。そこで嫡子と嫡孫を失っている。


「仰る通りです。感服いたしました。それで……」


 後に続く『どの程度の数の諸侯と兵力が確保できそうなのでしょうか?』との言葉をみなまで発せずに侯爵に視線を固定する。


「懇意にしている諸侯は全て味方となるだろう。そうだな……最終的な数は国内のおよそ四分の一といったところか。もっともそのうちの半数近くは日和ってくる連中だがね」


「十分な数ですね。さすがルウェリン伯爵に『是が非でも頼りにしたい』と言わせただけのことはあります」


「お世辞はよい。カナンから距離のあるところ――王都のさらに北側に位置する諸侯を味方にすれば損害をより小さくできるがそちらはどうするつもりかね? ベール城塞都市陥落後に何らかの手立てを用意してあるのか……それともそのまま王都へ向かうだけかね?」


 探るような視線をこちらに向けているにもかかわらず実に楽しそうな表情で聞いてくる。


 さて、どこまで話したものか。

 ベール城塞都市攻略後に王都へ向かうのは間違いないし大方の人から見ても予想の範囲なので問題ないだろう。


「ベール城塞都市を陥落させた後は王都へ向かいます――――」


 リューブラント侯爵に対していまさら隠し事をするのも得策ではないと判断して正直に伝えることにした。


 ◇


「――――ドーラ公国とベルエルス王国にも仕掛けるのか……順番に仕掛けるとはいってもそれはカナン側の都合であって、ドーラ公国とベルエルス王国が思惑通りに待ってくれるとは思えんな。無謀じゃないか?」


 もっともな答えだ。だが、そう問い掛ける侯爵は本当に無謀と受け取っているようには見えない。その顔はポーカーフェイスが消えうせ楽しそうな笑みが溢れている。

 正直なところポーカーフェイスの方がやり易い。


 あの笑みを見ていると『隠し事をしているんだろう? さっさと吐けよ』と言われているような気がしてならない。

 被害妄想だよな。


「王都よりも北側の諸侯を取り込みます」


 俺の説明を聞く侯爵の表情に変化はない。まあ、北部諸侯の取り込みくらいは予想できるよな。それをしなければドーラ公国とベルエルス王国を相手取るどころかどちらか一方でさえ厳しい。

 俺は公爵の無言のうながしに従いさらに話を続けた。


「ドーラ公国とベルエルス王国の領土の切り取り次第と旧ガザン王国の領地を下賜することが予定されています――――」


 旧ガザン王国――ガザン王国は今回の戦争で滅んでもらう。国が滅ぶといっても俺たちの感覚ほど悲壮感はない。国という集合体そのものが希薄だからだ。王家と王家に組する諸侯が滅んで残った諸侯がカナン王国という集合体に所属先を移すといった感じだ。

 もちろん、戦争なので兵士はもちろん、王家や敵対する諸侯だけでなく平民の多くも被害をこうむる。個人的に心に引っ掛かるものがない訳ではないがやむを得ないことと割り切る。

 

 さらに今回練習に利用しているオリハルコンを使って幾つかの武具を作成し、それをルウェリン伯爵から下賜することも提案するつもりであると伝えた。

 領地には限りがあるので褒美の代替である。


「オリハルコンか。随分と気前がよいな。いやまあ、気前がよいのは知っていたがな」


「もちろん見返りは頂きますよ。ダンジョン攻略のための便宜を図って頂くなり、犯罪紛いの問題に巻き込まれたときに目を瞑ってもらうとかですね」


 オリハルコンの武具を譲り受けたことを思い出してか苦笑する侯爵に向けて、殊更に何でもないことといった口調でさらに続ける。


「戦後はダンジョン攻略と商売をするので関税の免除と自由通行権に近い特権を頂くことになってます」


 俺自身は自由通行権だけで良かったのだが白アリと黒アリスちゃん、テリーが関税の免除を譲らなかったのを思い出しつい苦笑してしまった。


 その後もベール城塞都市攻略から王都侵攻と攻略。さらに北部諸侯と連携しての旧ガザン王国国内の平定について話し合いが行われた。

 そしてドーラ公国とベルエルス王国への仕掛けについて触れる。


「ベルエルス王国へは当面仕掛けないことになっています。リューブラント侯爵にはドーラ公国攻略に助力願えればと。具体的には王都陥落後にランバール市を取り込みそこから経済と武力での拡大をお願いします」


 とはいえ、ベール城塞都市攻略後の話し合い次第のところはあるか。

 俺がベール城塞都市攻略後の方針の修正の範囲や可能性について幾つか思案したところで、リューブラント侯爵が口を開いた。


「私の率いる兵はベール城塞都市攻略後、そのままグランフェルト領へ進軍させてもらうよ。これだけは譲れない」


 リューブラント侯爵の真剣な表情と言葉に一気にリューブラント侯爵へ無理やり意識を向けさせられた。侯爵はこちらの状況などお構いなしでさらに続ける。


「旗頭はラウラだ。リューブラント軍がグランフェルト領へ入るときはラウラを総指揮官とする。七日後には十二歳だ。初陣としては決して早くはない」


 そりゃあ、初陣としては早くないかもしれないがグランフェルト領入りする軍団の総指揮官と考えると早すぎるだろう。

 いやまあ、ラウラ姫を総指揮官とした方が後々のことを考えると良さそうには思えるが危険も伴う。


「まだ現グランフェルト辺境伯が存命ですし、未だそれなりの兵力も有しているはずです。兵力は度外視しても何をしてくるか分かりません」


「分からんどころか暗殺もありえるだろう。それぐらいの危険はラウラも承知だ」


 承知ってことは既にラウラ姫に話を通しているってことか。それでも尚、総指揮官としてグランフェルト領に向かう。何だろう、嫌な予感がする。胸騒ぎってヤツか。


「こちらの予定にはない作戦行動ですね」


「なければ修正をしてくれたまえ。グランフェルト領へ向かうのは純粋に私のところの軍だけだ。大勢への影響は少ないだろう。むしろラウラ・グランフェルトが領地を取り戻す方が見栄えがするだろう。利用をしてもらって構わんよ」


 俺の言葉など聞く耳を持たないといったところか。

 先ほどまでのように会話を面白がっている様子はない。真剣な表情で真っすぐにこちらを見つめている。譲る気はなさそうだ。


 確かにラウラ姫を旗頭としてグランフェルト領に入ることの影響は大きい。ガザン王家が手出しできなかったことを祖父の力を借りてとはいえ、わずか十二歳の少女が両親や家族の仇を討ち領地を取り戻す。

 自力で領地を奪い返すことの出来る、弱冠十二歳の女性伯爵の誕生だ。


 民衆が喜びそうなシナリオだよな。

 利用価値も大きい。ルウェリン伯爵なら諸手を上げて利用する。ゴート男爵共々、大喜びするところが目に浮かぶようだ。


 その後、俺は日付が変わる頃までリューブラント侯爵と一緒にベール城塞都市へ向けての侵攻戦からグランフェルト領への進軍までの段取りを話し合うこととなった。

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