第203話 思いと誤解

 部屋のなかは魔道具により十分な光で満たされていた。現代日本と変わらないほどの明かりで陰影がはっきりと見えるほどだ。

 いくら侯爵家とはいっても客間にこれほどの魔道具を用意してはいない。本来用意されていた明かりの魔道具ではビジネスホテルの光量程度しか得られないものだった。もっとも、それでもこの異世界の基準で考えれば十分過ぎるほどの設備ではある。


 だが、現代日本の生活に慣れてしまっている俺たちからすると不満がある。

 メロディが作成した明かりの魔道具を持ち込み自前の魔力を注ぎこんで本来の明かりに上乗せをしていた。屋敷を外から見れば俺たちにあてがわれた部屋の窓からは一際贅沢な量の光が漏れていることだろう。


 その光に照らし出されるなか、ラウラ姫が薄っすらと涙を浮かべてソファーに座っていた。ラウラ姫の右斜め後ろから左肩をそっと抱くような仕種を伴ってセルマさんがハンカチを手渡している。

 ローゼはそのさらに後ろ、扉の横に騎士見習いの格好で控えていた。


 救出したときからメイドの格好をしていたが、本来はラウラ姫の傍付そばづきの護衛なのだそうだ。ローゼのあのカリカリとしたやたらと突っ掛かって来る態度はラウラ姫を護れなかったことへの罪悪感と己への嫌悪感の表れだったのだろう。或いは、彼女が望んでも手にすることが出来ないような力を持っている俺たちへの嫉妬もあったのかもしれないな。

 セルマさんにしても本来はラウラ姫の相談役である。


 ラウラ姫はセルマさんとローゼを伴って俺にあてがわれた部屋を訪れてから十分余り、泣き出さないまでも必死に涙をこらえた状態でこれまでの心情とお礼の言葉を繰り返していた。

 セリフを用意していたのかもしれないが、口から出てくる言葉は思いつくままに飛び出した話の順序などおよそ考慮されていないものだった。だが、それだけに彼女の口から紡がれた言葉が自分の気持ちに正直なものなのだと感じられる。


 晩餐会の後、リューブラント侯爵からグランフェルト領のことや自分自身の処遇について初めて聞かされたそうだ。

 それを聞いて、居ても立ってもいられずに俺のところへと足を運んだということである。


 ラウラ姫はうつむいたまま顔を上げずにいる。

 あそこまで赤裸々に自分の心情を語ったんだ、十一歳の乙女としては気恥ずかしい思いでいっぱいだろう。


 正直なところ彼女に返す言葉が見つからない。

 俺も彼女とは違った意味でうつむいてしまう。とてもじゃないが真っすぐにラウラ姫を見ることが出来ない。

 

 ▽


 助け出してもらったときは信じられない思いだったそうだ。

 彼女はまさに絶望の中にあった。戦争が始まったのは知っていたが戦争が終われば自分が殺されるであろうことも予想できた。


『不謹慎ですが、戦争が起きたことでわずかでも生きながらえることが出来たのだと安堵しました』


 そう語ったラウラ姫は顔を上げることも出来ずにいた。


 次いで訪れたのは恐怖と不安。

 助け出されたと知って涙していたが、自分を助け出したのが敵国の兵士だと知ったときは別の涙が流れた。そう語る彼女はさらに続ける。


『戦争奴隷にされる。視界は涙でにじむどころか暗くなり立っていられませんでした。しゃがみ込んで、ただただ自分の不幸を嘆いていました』


 そのときセルマさんに諭されて敵に涙を見せることを良しとせずに気丈に振舞おうと心に決めたそうだ。

 とても十一歳の少女の対応ではないだろう。そんなことをしなければならないラウラ姫も、彼女にそれをさせざるを得ないセルマさんもどんな思いだっただろう。


 そのときの彼女たちの気持ちを考えると涙がでそうになった。


『自分の運命を、将来を敵国の貴族に決められることに嫌悪感はありましたが、それでも予想していた未来よりも随分とマシになったと安堵もしました』


 グランフェルト領の代官として俺が赴任し、円滑に統治するためにその伴侶となる。

 ラウラ姫がそれを知ったときは悔しさと自分の無力さを呪いながらも安堵するという複雑な思いで、やはりその夜は泣きながら寝付いたのだとポツリポツリと語った。


 敵国の貴族ですらない、どこの誰とも知れない男。戦争で成り上がった男の妻となる。それも統治のための道具としてだ。貴族の娘なのである程度の覚悟は出来ていたとは思うが……そりゃあ、泣きたくもなるよな。

 話を聞くうちに、彼女たちに配慮をしてきたつもりだったが全然足りていなかったのだと改めて思い知らされた。


『フジワラさまをはじめとした皆様と一緒に過ごすうちに、グランフェルトの領地や家名に何の興味も価値も見出していない。欲していないのだと感じられました』


 どうやら、最初は自分との距離を縮めるために回りくどいことをしていると思われたらしい。

 恥ずかしそうに『申し訳ございません』と謝罪をして彼女はさらに続けた。


『ですが、皆さんが何を望んでいるのか、欲しているのかまるで分かりませんでした。ただ、欲に塗れた方々でないこと、信頼のできる方々だということは分かりました』


 一緒に行動をするうちに急速に好感度を上げていったようだ。

 それこそが『距離を縮める』ことになるような気もするが、そんなことで口を挟めるような雰囲気でもなかったのでそのまま黙って話を聞いていた。


 その後は図らずもラウラ姫からの好感度の上がるイベントが彼女の口から語られる。


『いつ村人が帰ってきても良いようにと戦で打ち捨てられた村を立て直される優しさと行動力。ダンジョンからの収益が上がりやすいように配慮までされていました』


 いえ、それは誤解です。

 ただ単に敵が驚いたり混乱したりするところが見たかったり想像したかっただけです。さらに言えば、女神さまを怒らせてしまい、ダンジョンを直さなければ俺の命が危うかったからです。

 ダンジョンを攻略し易いように改造したのも、フロアガイドとか設けたのもただの遊び心からです。そんな崇高な思いは微塵もありませんでした。


『伝説にも出てこないようなダンジョンの守護者を正々堂々と倒し、見事にダンジョンを攻略されました。それにもかかわらず攻略したことを隠す奥ゆかしさと謙虚さ』


 守護者を倒したのは『正々堂々』とはほど遠かったような気がします。

 ダンジョンを攻略したのも半ば以上は女神さまのご機嫌とりのためです。攻略したのを隠したのも奥ゆかしさとか謙虚さとはほど遠く、まったくの自己都合です。


『アーマードスネークという災害級の魔物と遭遇するという不幸な出来事に出会って大勢の探索者や村人たちが絶望する中、ご自分たちの危険も顧みずにアーマードスネークにわずか数名で挑み、これを討伐してしまわれました。まさに神話になぞらえるような活躍です』


 ごめんなさい。その災害級の魔物のところまで大勢の探索者や村人たちを誘導したのは俺たちです。

 マッチポンプのような事をして申し訳ありません。反省をしてます。


『ランバール市でもご活躍されました。悪の組織を壊滅されるだけでなく、更生できる方々には更生をするチャンスを与えられていました』


 端的に言って、邪魔者を排除しただけです。更生もさせた訳ではなく単に俺たちの手足となって動く人員が欲しかっただけです。


『市長を始めとした市の職員や商人たちの不正や汚職を暴き、無実の罪に問われた人たちや犠牲者の方々をお救いになりました』


 もうやめて下さい。

 最初はその汚職塗れの市長とよしみを通じようとか考えてました。市長の犠牲になった人たちを救ったのも成り行きと後々の影響力を考えてです。

 すべて自分たちの都合と利益のためです。


『私はフジワラさまの、皆様方の行いを傍らで拝見していました。その誰もが望んでも決して手に入らないような力と豊かな知識と深い教養に触れました。何よりもその高潔さと優しさに感動いたしました』


 どこの誰ですか? それは。


『そしてつい先ほど、グランフェルトの地と私に希望と未来を下さいました。本当にどれほどの感謝の言葉を並べれば私の気持ちをお伝えできるか』


 いえ、それもまったくの自己都合ですから。

 グランフェルト領に縛り付けられると、いろいろと不都合があるので手放す理由にさせて頂いただけです。決して感謝をされるようなことではありません。


『私にお返しできるのは、フジワラさまに頂いたグランフェルト領と私自身だけです』


 一大決心だったのだろう。ラウラ姫は『フジワラさまならご立派に統治なさると信じてます』と付け加えると、大きく肩の開いた胸元まで見えるドレスを着ていたが、その胸元まで真っ赤にしてうつむいてしまった。

 

 よく観察すればわずかに膨らみが覗いてるが今はそれどころではない。釣られるように俺も下を向く。

 そのどちらも受け取る訳には行かない。どう切り抜ける? 


 ▽


 ラウラ姫の口から語られる彼女の思いと、端々に織り交ぜられる尊敬の念と感謝とお礼の言葉に俺の精神とHPはガリガリと削られていた。

 顔を上げることができない。真っすぐに彼女の顔を見るのが辛い。


 女性陣には相談できないよな。

 テリーあたりは面白がるだけだろう。ボギーさんは……『もてる男は辛いな。どっちも貰っとけ。近寄らなきゃ良いだけだ』とか何とか無責任に面白がりそうだ。


 などと現実逃避をするように解決に繋がらないことに思いを巡らせていると、ノックの音に続いてメイド長さんの救いの声が響いた。


「フジワラさま、そろそろリューブラント侯爵との会談のお時間です。執務室の方へご同行頂けませんか?」


「今、部屋を出るところです」


 俺はソファーから勢い良く立ち上がると扉の向こうへ向けて返事をし、ラウラ姫へと視線を向けて優しく語りかける。


「今のラウラ姫は突然の幸運に気持ちが昂ぶっているのでしょう。私も経験があります。こういうことは落ち着いてからもう一度よく考えてみてください。そうですね、落ち着いたら侯爵を交えて話し合いましょうか」


 うつむいたまま座っているラウラ姫の手を取って立ち上がらせるとそのまま扉へと向う。

 一緒に部屋を出るためだ。


 時間が経てば高揚感も収まるだろう。出兵さえしてしまえば時間が稼げる。

 それにラウラ姫を溺愛している様子の侯爵のことだ。話の持って行き方さえ間違わなければ万事丸く収まるはずだ。


 問題を先送りするために自分にあれこれと言い聞かせ、扉を出たところでラウラ姫に優しくほほ笑みかけながら彼女の手のひらに口付けをする。

 再びうつむくラウラ姫とその傍に控えているセルマさん、ローザと別れてリューブラント侯爵の執務室へと向かった。

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