第199話 会談の報告
リューブラント侯爵との会談を終えて執務室を出ると、部屋の外で控えていた落ち着きのある年配の女性に皆が待つ大広間へと案内をされた。
「私はこれで失礼いたします。もし何か御用がございましたら、このビアンカにお申し付けください」
皆が待つ大広間の扉の前に控えていた若いメイドさんを指してそう言うと、俺を案内してくれた年配の女性は一礼をして執務室の方へと引き返していった。
案内された部屋に入ると皆が思い思いに寛いでいた。
いや、正確に言えば緊張して寛ぐどころでない人たちがほとんどだ。寛いでいたのは俺たち転移者組と
他のメンバーは肩が凝りそうなくらいに緊張して体のあちこちに要らない力が入っていた。
ティナをはじめとした奴隷たちにいたっては直立不動で壁際に立っている。対照的に転移者組は全員何らかの本を読んでいた。欠食児童は相変わらずクッキーやマドレーヌを頬張っている。
「おう。兄ちゃん、会談はどうだった? 上手くいったか?」
「遅かったじゃないの? もしかして手こずった?」
「お帰りなさい」
「お疲れさまです」
「どうだった? ここで話せる内容かい?」
「疲れた顔をしてますね」
ボギーさんが黒い革で装丁された高価そうな分厚い本を閉じるとわずかに身体を傾けて扉の方に顔を向けた。
緊張していたメンバーや本に夢中になっていた転移者組もボギーさんに続いて次々に声を掛けてくる。口には出さないがアイリスの娘やメロディたちも話し合いの内容が気になっているのがその表情から容易に分かる。
「何というか、目的は達成したってところですね」
部屋の中だというのにソフト帽子を目深に被っているボギーさんに向かって苦笑しながら答え、他のメンバーの声に軽く手を上げて応じると転移者組が固まっているソファーへ向けて歩を進めた。
気を利かせてくれたのか部屋の中にはメイドさんは見当たらない。
部屋もこの広さだ。よほどの身体強化で聴力を強化できる人でない限り隣の部屋で盗み聞きをすることも難しいだろう。貴族の屋敷だけあり盗聴の対策も万全というところか。
何となくだが、盗聴されない対策もされているが覗き見や盗聴するための仕掛けもいろいろとありそうな気がするのは勘繰りすぎかな。
「リューブラント侯爵との会談の内容を掻い摘んで説明するので皆集まってください」
唯一空いていた聖女の隣に腰をおろしてアイリスの娘たちとメロディたちへ向けて言葉を発し、白アリにお礼を言いながら彼女が出してくれたお茶に手を伸ばす。
うん。『冷たいお茶よ』と言っていただけのことはある。非常によく冷えている。溶け出したシャーベットのようだ。
皆が周囲に集まったところで切り出した。
「リューブラント侯爵との会談は概ね好感触で話はできたと思う。ただ、早々に切り札を切ることになるとは思わなかったけどな。親書の内容について幾つかは回答を保留されたものもあるけどそれも今夜には返答してくれると約束してくれた。――――」
会談の直後に切り札を切るハメになったことや会談の最中に具体的な案の提示はなかったが、侯爵側からも何らかの要求があるだろうことを含めてリューブラント侯爵との会談の内容を皆に話した。
さらに、親書とは無関係のこちらの要望についても聞き入れられたことを伝える。
「予想はしていましたが慎重ですね。いえ、狡猾なんでしょうね」
「まあ、これからいろいろと活躍してもらおうってんだから、それくらいじゃあネェと困るがな」
考え込むように話をする黒アリスちゃんとは対照的に、ボギーさんが実に楽しそうに口元を緩めながら俺のほうを見る。
「外も騒がしいわあ。早馬が二十二頭も出たようね。どこに走ったかは知らないけど手を打つのが早い、恐らくミチナガとの会談の最中に方針は決めていてそれを決定させるための早馬ね」
白アリの言葉を聞いて、アイリスの娘のリンジーとエリシアが驚いた表情で白アリのことを見ていた。
この状況で空間感知を発動させて周囲に常に注意を向けているとは思っていなかったようだ。この二人はまだ俺たちのやり方を理解していないようだな。
「何頭かは職人さんのところへ走ったと思いたいけど、どうだろうね」
「暇を持て余されても困るでしょうから、職人さんたちへも早馬でなくても早々に連絡は行くんじゃないですか?」
ロビンがテリーから彼の手元に置かれた本に視線を移して深いため息をつくとお茶のポットへと手を伸ばす。
「職人さんの話をしたときはもの凄く興味深そうな様子だったから侯爵も興味があるんじゃないのかな? 作成を計画している魔道具についてあれこれと聞かれたよ」
希少素材を多数手に入れたので秘密厳守のもと魔道具作成や鍛冶の指導、手伝いをしてくれる職人さんを急ぎ紹介して欲しいと頼んだときのことを思い出す。
作成予定の魔道具についての説明を幾つか話したときのリューブラント侯爵の表情……驚かれるとは思っていたがあそこまで驚かれるとは思ってもみなかった。あれは思考停止に近い状態だったよな。
だが、すぐに興味深そうな表情に変わり職人さんの手配をすることを約束してくれた。
困ったことにそこから話が脱線してこちらの作成する予定の魔道具について次々と質問が飛んできた。希少素材にも興味を示していたがどうも魔道具の方により大きな興味を示していた。
どうやらこの異世界の魔道具とは根本的に違う発想をしていたらしい。
もしかしたら警戒されるようなことを話したかもしれないな。俺たちもこの異世界の常識に関してはまだまだ不足していることが多いようだ。
◇
「何を読んでたんだ?」
リューブラント侯爵との会談の話が一段落したところでテーブルの上に積み上がっていた本の山に視線を向け、誰とはなしに問い掛けた。
「魔術の本や魔道具作成の本がたくさんあったのでお借りしてました」
黒アリスちゃんが『私は紋章魔術の本ですけど』と言いながら手元に置かれた本を手に取った。
「何でも好きな本を貸してくれるって言ってましたよ」
ロビンが白アリとテリーに視線を走らせると苦笑まじりに話してくれた。それに続いて聖女がギルドに対して割と
「先ほど書庫に案内されましたが魔術だけでなく学術書も多数ありました。あれを見るとギルドの資料室が学級文庫程度に思えますよ」
そう言うと自身の前に積み上げられた数冊の本の背表紙を俺に向けた。
背表紙をみればそれらが魔道具作成に関する本であることが分かる。
「魔道具に関する本はこれくらいか?」
聖女の前に積み上げられた本の一冊を手に取って聞くと、聖女が無言でボギーさんの前に積み上げられた二十冊近い本の山を指した。
あれを全部読む必要があるのか……今日にも手分けして読んだ方が良さそうだな。
そんなことを考えながら手にした一冊をパラパラとめくって流し読みをすると、そこには過去に利用されていた魔道具などの歴史や進歩の流れが書かれていた。
「こっちは現在主流の魔道具にどんなものがあるかが載ってます」
俺が聖女の手にしている本を横から覗き見ると、すかさず聖女はそれがどのような内容なのかを伝えてきた。
他の本の背表紙とその厚さを見る限り、どの本もかなり詳しく記載されていることが容易に想像がつく。
こうなるとここに長居できないのが返す返すも惜しいな。
ギリギリまで引き伸ばすか?
そんなことを考えながら本に目を通していると扉をノックする音が聞こえ、それに続いてリューブラント侯爵とセルマさん、先ほど俺を案内して来てくれた年配の女性が入室してきた。
「そのまま寛いでいてくれて構わんよ。何か必要なものはないかな?」
あの後セルマさんとどのような話し合いをしたのかは知らないが、そう切り出したリューブラント侯爵の表情は明るく何か吹っ切れたような感じさえ伝わってくる。
「少し遅くなってしまったが昼食の用意が調った。食事をしながらここまでの道中の話でも聞かせてくれないか? もちろん、食事時の話題に相応しい軽い話で頼むよ」
先ほどの会談のときに見せていた人とは別人ではないかと思うほどに快活で人懐っこい感じで皆に話しかけている。
もっとも話しかけられたアイリスの娘たちやティナたち奴隷は一層緊張の度合いをましているだけだ。
だがそんなことはお構い無しに全員を食堂へとうながす。
そんなリューブラント侯爵の動きと表情が固まった。
「ん? それは?」
不思議なものを見るような目で白アリとテリーを見ながら二人の手にしてる本を凝視している。
「収支報告書です。この領地はガザン王国とはまるで別の国のように豊かですね。特にランバール市をはじめとしたドーラ公国との貿易が興味深かったです」
「決算書です。丁寧に書かれてますね、とても分かり易かったですよ」
白アリの軽やかな声とテリーのさわやかな声が重なる。
どうりで他のメンバーが読んでいる本と装丁が違うと思った。「何でも好きな本を貸す」と言ったのかも知れないが、まさか収支報告書や決算書を持ち出すとは思ってなかっただろうな。
「この領地はガザン王国では数少ない穀倉地帯を持ってるんですね。金鉱と銀山ももっているし鉄鉱石の産出量も多い。随分と豊かな領地ですね。これなら金持ち喧嘩せずで戦争もしたくないですよね」
「迷宮も自領に三つあるし、息の掛かった寄子を含めるとさらに三つの迷宮がありますね。迷宮からの収益も相当なものでした。正直なところ運営手腕に驚かされました」
悪びれる様子もなく白アリとテリーがリューブラント侯爵ににこやかな微笑を向けて快活に答える。
そりゃあ「好きな本を貸す」といったのは侯爵の側かもしれないが、これについてはリューブラント侯爵を責められない。
むしろ責められるのは人様の領地の収支報告書や決算書を借りてきた常識知らずの白アリとテリーだろう。本を貸してくれると言った友人の家の預金残高や家計簿を借りて読んでいるようなものだ。
必死に隠しているつもりなのだろうが、先ほどまでのポーカーフェースがウソのように驚きと戸惑いが表情に表れている。やっぱり不意打ちってのは効果あるんだな。
「その報告書が収めてあった書棚には鍵が掛かっていなかったかな?」
白アリとテリーの賞賛に応えるだけの余裕もないようだ。特にとがめだてするような口調でもなく、むしろ下からうかがうような感じで二人を交互に見ている。
「鍵ですか? 掛かっていたかなあ?」
「いいえ。鍵が掛かっていたら取り出せるわけないじゃないですかあ」
とぼけるテリーに続いて、白アリが美少女である外見をこれ以上ないくらい活用した見惚れるような笑顔をリューブラント侯爵に向けた。
清楚な外見の少女から向けられる花のような笑顔にリューブラント侯爵が戸惑いの表情をより濃くさせる。
他の転移者組のメンバーは誰もが名状し難い表情をしているのだが、リューブラント侯爵もセルマさんも年配の女性もそちらに注意を向けるほどの余裕はなかったようで助かった。
侯爵たち――リューブラント侯爵とセルマさん、年配の女性の後方で、マリエルとレーナが『ムンクの叫び』にも似たポーズをとってお互いに顔を見合わせている。
簡単に予想が出来た。そりゃあ、ウソだよな。
「そうか、それはこちらの落ち度だな。つまらないものを見せてしまって申し訳なかったね。さあ、それよりも昼食にしようじゃないか」
何とか気を取りなおしてリューブラント侯爵自身が先頭となり扉へと向かった。
俺たちは親切に先導してくれるリューブラント侯爵に続いて扉をでる。
扉を出るときには話題は昼食のメニューとなっていた。
しかし、アイリスの娘たちやティナたち奴隷はリューブラント侯爵自らの案内に緊張もピークとなったのか視線を合わせようともせずに強ばった表情のまま後につづいた。
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